「神戸背山登山の思い出」(以下「思い出」と略す)の中には、ドーントらの山行記録が多く含まれていて、六甲山を歩く者として興味を持って読んでいました。山行には、トエンティクロスなど現在の位置が推測できるものがあり、書かれているルートに見当が付けられるものもあります。一方、見当を付けたルートが、実際の場所との対応に矛盾を感じるような箇所もいくつかあるように感じていました。
このような感覚を払拭するためには、Inaka本文に当たることが近道ですが、あいにく現物を見る機会に恵まれないでいたところ、nanfutsuさんから複製を所蔵する図書館を教えていただきました。
このたび、図書館からInaka v.1の複製(単色のゼロックスコピーを製本したようなもの)を借り出し、「思い出」との対比を始めたところですが、いろいろ興味のある箇所が見つかり、喜んでいます。nanfutsuさんには改めて感謝申し上げます。
可能であれば、Inakaと「思い出」の記録の対比をしてみたいと考えていますが、僕の語学力では難しいかもしれません。
とりあえず日記では、Inaka v.1の "The Goat's diary"と「思い出」の"六甲山登山日記 1913-1914"(「思い出」pp140-152)の中から、気になっていた箇所をいくつか選んで紹介してみます。今日はその1回目ということです。
・1913年12月06日の記録
長峰山の天狗塚はドクターズノブと呼ばれていたようです。この日の記録は、五毛からドクターズノブを通り、ドーントの別荘に着くまでのものです。
なお、ドーントの別荘は、「思い出」によれば、"六甲山222番地に当たる神戸ゴルフ倶楽部の三番ホールの北側"(「思い出」p43)にあったそうです。
さて、この日、ドクターズノブに着くまでの「思い出」の記述に次の部分があります。
"五毛とアイリオン・ルーからドクターズノブを越え、そこからはじめて左に曲がりノブの真上に着くが、密生した藪の中をとおる。"
僕は、ドクターズノブを越えたのち同じノブの真上に着くと解釈しましたので、そのルートが想像できませんでした。
一方、Inakaでは次のようになっています。
"Gomo and over Doctor's Nob via Ailion's Ruh, took new path to left, brought us out right on top of Nob,"
英語的に可能かどうかを別にして、"Gomo and over Doctor's Nob via Ailion's Ruh"と"took new path to left, brought us out right on top of Nob,"を切り離して後半を読めば、"左向きに新道を進むとノブの頂上に着いた"と単純に解釈できそうに思えます。どこを左向きに曲がったのかと詮索すると心が迷いますが、とりあえずこれだけで少し心が落ち着きました。
[修正履歴]
2014年5月12日:タイトルおよび本文中の"The Goats diary"を"The Goat's diary"に修正しました。
2014年05月11日:棚田眞舗を棚田眞輔に修正しました。
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