益永スミコは生地の九州ではともかく、全国的にはおそらく無名の平和活動家であったが、レーバーネットの記録映画スタッフが出会い、貴重な記録映画となった。益永スミコは戦後の女性の労働組合運動を生み出した人で、それだけでも十分貴重だが、その後、赤軍派の死刑囚との養子縁組をしたり(同死刑囚の裁判でご両親らが疲れ果てて、裁判への傍聴や拘置所に会いに来ることすらできなくなったため)、平和運動に取り組み、特に第一期安倍内閣で出された教育基本法改悪や、憲法改正案などの動きに対して、粘り強い反対運動を行ってきた。こうした活動家の記録を掘り起こして、映像にまとめる作業は貴重であり、頭の下がる思いだ。また益永さんの活動ぶりは、一人でもできることが沢山あると教えてくれる。
上映後、映画を制作したレイバーネットの監督さん、スタッフとの交流があった。その中で益永さんの生涯(現在、病気で倒れて療養中)を「従わないこと」というキーワードで表現された。「従わないこと」は民主主義の根幹にかかわるキーワードだと思う。
ベトナム反戦運動華やかなりし頃、「非暴力直接行動」や「市民的不服従」ということばが紹介された。市民的不服従は欧米で"civil disobedience"というが、これはヘンリー・デイビッド・ソローが米国政府が行ったメキシコ戦争に反対して、税金不払いなど、政府の悪しき行動、決定に市民が従わない権利を表現した言葉で、同名のタイトルで自分の経験と主張を論文にまとめた。この文書が世界的に有名になり、現代民主主義の根幹に関わる重要文書として、英国労働党の公式な政治テキストとなり、かのガンディは南アフリカに弁護士として赴任する汽車の中で読み、多大な感化を受けて、人種差別撤廃運動に結実、これが戦後アメリカに戻って、キング牧師らの公民権運動やベトナム反戦、グリーンピースなどの様々な市民運動のキーワードになった。
私がアメリカなどに通っていた時代、当日付き合っていた人々が「私は明日市民的不服従"civil disobedience"を実行してくる」とよく話していた。どういう意味かと思ったら、翌日のデモや座り込みで、わざと逮捕されるようなアクションを行い、−−運動、座り込み、逮捕者200名ーーなどと新聞やテレビに報道されて、市民の反対、不服従が強いことをアピールする、そのような行動の意味でつかわれていた。
例えば、クライマーが運動の標的の会社や銀行の本社の大きなビルに登って、巨大な横断幕を掲げて逮捕され、マスコミにアピールするなどの行動がよくおこなわれていた。
沖縄の高江のオスプレイ配備反対の座り込みも不服従だが、日本の戦後史の中で、最初の不服従行動は「高知生コン事件」だった。のちの「全国自然保護連合」の事務局長となった山崎圭二氏が、公害垂れ流しを一向に止めない同工場に生コンを流し込んで工場の操業を止め、裁判でも哲学論争になって、実質的に無罪を勝ち取った日本の裁判史上稀有な事件だった。そんなことを思い起こさせる今日の映画会だった。
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