それは20年程も前のこと、当時一世を風靡したディスコクラブ「ジュリアナ東京」が大賑わいを見せていました。
半世紀以上も昔々の我が青春時代、巷にはダンスホールとダンス教室が盛んでブルース、クイックステップ、ワルツなどが主流、そして上級者はタンゴ、フォックストロットなど何れもペアで抱き合って踊るダンスでした。
ダンス教室の男性生徒達は、悪戯によくズボンの前ポケットに林檎を忍ばせて行き、女性ダンス教師に叱られたものです。
サンバ、ルンバ、ロックンロールなど離れて踊るダンスが流行する頃になると、ディスコクラブが隆盛しダンスホールは次第に廃れ、ダンス教室の生徒も減少します。
ディスコクラブはロックンロールからツイスト、ゴーゴーの時代には略して単にディスコと呼ばれますが、その頃には我等が世代の者達は既にダンスを卒業していました。
その後スクスクからパラパラの時代になると呼び方もディスコからクラブに変わります。
ディスコクラブでは常にペアが離れて踊るダンスが主流でしたが、そこに新しい扇情的なダンスが突然登場し、大流行します。
それがペアが抱き合って踊るランバダでした。
その振り付けが単に抱き合うだけでなく、互いに相手の股に太腿を挿しいれ腰をくねらせるというエロチック且つ扇情的で林檎以上の刺激〜?、であることから若い人達に熱狂的に好まれての大流行と噂されました。
ランバダダンスに興奮して出来上がる即製カップルが続出し、有名クラブ周辺のラブホテルは、順番待ちの大繁盛になったそうです。
だが、その盛況も長くは続かず、周囲の風紀上の横槍でクラブは挙ってランバダ禁止令を出しました。
やがて客離れとバブルの崩壊によってクラブもラブホテルも衰退し、流石のジュリアナ東京も1994年に閉店しました。
思えばたった3年余の営業期間でした。
因みにランバダ大流行の切っ掛けになった曲はフランスの「ランバダ カオマ」でした。
激しく扇情的で派手な曲想ですが、原曲はボリビア ロス・カルロスのフォルクローレ「泣きながら」なのです。
扇情的なランバダ曲に比べると、原曲フォルクローレの「泣きながら」は素朴な好い曲ですね。
ランバダ禁止令に、ラブホテル業者が泣きながら抗議したかどうかは定かではありませんし、そうした噂も聞いておりませんですぅ〜。はいぃ〜 。ainakaren
ainakarennさん、「ランバダ カオマ」を見ましたが
結構こんなエロチックな踊りも好きなんですね、
「ランバダ カオマ」は知りませんでしたが、
ゴーゴーまでは覚えていますが特にツイストは踊り手の、
「スマイリー小原」で有名になりましたね、
初期のテレビでよくシャボン玉ホリデーなどで踊っていました、
ツイストの踊りの映像は下記に載っていました、
http://www.youtube.com/watch?v=SqBOnyUEDAM
naiden46さん、こんにちは。
不器用な無骨者なので、ダンスは致しません。
ゴーゴーもツイストも60年代、パラパラが80年代後半でしょうか。
カオマのランバダの曲のリリースが1989年でジュリアナ東京が1991年オープンでランバダ流行期でした。
接待で連れられて行ったことは有りますが、私には赤提灯のほうが落ち着けるし似合いますよ。
私は当時、既に中高年でしたからね。ren
renさんからランバダが語れるとは・・・ ペアで踊ると言う所から
ランバダに飛んでしまった訳ですか。納得
renさんの記述でジュリアナの時代だったことを思い出しました。当時
この曲を初めて聴いた時は「へぇー」と言う感じで、アンデス民謡の
原曲を聴いたら原曲の勝ちと思ってました。(踊りにはコメントしま
せんが・・・)
私の場合、FENを聞きながら試験勉強をやっていた所謂「ながら族」と
いうやつで、70's〜80'sには今でもどっぷり浸かってまして、日記にも
書きましたが渋谷にそれ専用のお店もあるので、いまだに通っており
ます。
ディスコサウンド全盛期にはコモドアーズがバンプというお尻同士を
くっつける踊りをやってましたが。まあこれはペアでなくてもやって
ましたので趣旨が違うかな・・・。
当時中高年の先輩に勝手なことを言ってすいません。
hamuo96さん、こんにちは。
コメント深謝です。
ランバダを初めて見聴きしたときには正直、その刺激的且つ扇情的なのには度肝を抜かれましたね。
やはり夜のディスコクラブ社交界で大流行になりましたね。
ハムオさんは当時受験勉強中でしたか。
私は50代の中高年でサラリーマンとしては一番辛く厳しい年齢でしたよ。
色気を楽しむ余裕はありませんでした。
コアラ爺としては誠に残念! ren
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