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Yamareco

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[山でのルール・マナー] トピック
2011年10月14日 13:15
議論の場
黒雷鳥 ルール・マナーで紹介されたものが自分とは違っている場合。
自分の知識に自信がない場合は、こちらで意見交換しましょう。

コメント
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16件中 1-16件を表示
2011年10月15日 20:41
1
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2011年10月16日 00:00
2
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2011年10月16日 00:37
3
黒雷鳥 ボッカの方への対応で挨拶はしない。話しかけない。
というのは知りませんでした。。。。。
今まで普通に挨拶してました。
2011年10月16日 10:11
4
(このコメントは削除されました)
2011年10月16日 12:53
5
calliope 運動靴で私が初めて涸沢に行った折りに、ボッカの方から「Sガレから上は真っ白で雪が沢山残っていますよ」と注意された事があります。

こちらから挨拶をすれば、返事をしなければなりませんから大変だと思いますので、軽い会釈程度で臨機応変にと思っています。

ボッカの方は、山岳ガイドではありませんが、仕事であり知識は深いと思いますので、敬意と優先をと考えています。
2011年10月16日 23:37
6
(このコメントは削除されました)
2013年09月17日 22:26
7
tabio karakuchiさんの日記、
「山のルールの謎」
http://www.yamareco.com/modules/diary/61280-detail-58193
です。

論議と言うほど大げさなものではないかもしれませんが、
避難小屋、積雪期富士登山、ビバーク、泥道でのアイゼンなどについての疑問が提議されています。
そして、それらの疑問に対して色々な方がコメントを投稿されていてとても参考になります。
と言うことでリンクを張らせてもらいました。
2013年09月29日 08:35
8
tabio ricalojpさんの日記
「避難小屋利用の山行は、可か不可か。」
です。
http://www.yamareco.com/modules/diary/18606-detail-58724

karakuchiさんの「山ルールの謎」の中で避難小屋利用の問題提議に対して参考になる意見と思いましたのでリンク張らせていただきました。
2013年09月30日 19:08
9
uedayasuji ふふふ・・登山道のアイゼン使用は、わたしのレコかな?

雨で崩れた登山道でアイゼンで通過しました。ただ、そこが終わるとアイゼンはザックにくくります(当然です)

一時的な使用でなすね・・まぁ、そのまま通過可能ならそれでいいのでしょうが・・

20cmほどの登山道が崩れてトラバースぎみに10mほど行く行程です。

多分、文脈から言うと、そのままアイゼンで歩行し続けたように思われているのですね(^^;

説明不足だったかもですね。

でも、雨のバリルート、藪漕ぎで藪直登ではアイゼン必須です

わたしはテクニックの一つだと思っているのですがね・・

正規登山道でそういう歩き方はしないです。

           でわでわ
2013年10月06日 09:34
10
kinoe 常々、疑問に思っていたことを書きたいと思います。
このコミュニティに参加したキッカケでもあります。

私の疑問は、「果たして人間は、本当に自然界の一部なのか!?」というものです。
これは、自然界の一部であると言われる人間が、自然に介入するというのは、なんか違うんじゃない?というところから湧いてきた疑問です。

丹沢辺りで特に多い気がしますが、植生保護という理由で、区画を囲っていたり、登山道を外して歩かないように警告があったり、自然(生態系)を守ろうとする動きがありますよね。
ヤマレコ日記でも、幕営場所やアイゼンの使用法など、やはり自然破壊につながるとの観点から、度々問題が提起され議論されます。

環境保護という点では山に留まらず、エネルギー問題や温暖化問題、あるいは絶滅危惧種の保護、果ては原子力など、世界レベルでも、素晴らしい緑あふれる地球を守り次世代に残していこう、人間の都合で自然を破壊するのはよろしくない、という考えに立ち、異論は微塵もないようです。

なんか話が大きくなってきましたが、私も自然を残したいという意味では基本的には賛成なんですよ。
ただ、こういう作為的とも言えそうな考え方自体が、まさに人間のおごりと言うかエゴと言うか・・・人間が自然の一部であることを無視した考え方ではないのか、という論理を否定できずにいるんです。
私自身、人間は自然の一部だと思っていますが、だとしたら、その人間の活動によって地球に与える影響もまた自然の成り行きと言えるのではないのか、と。

少し話が逸れるかもしれませんが、思い起こしてください。
山を構成する尾根や沢は、言うまでもなく自然界が作り出したものです。今でも至る所で崩落したりしますが、その繰り返しによって現在の美しい姿になっているわけです。もろい急斜面ほど崩れやすいのは当たり前ですよね。自然はより自然な形に安定しようとしているのに、人間はいろんな理由付けをして崩落を食い止める工事をし、その邪魔をしているようにも見えます。

また、地球の歴史においては、多くの種が絶滅していきましたが、変わっていく環境に適応できなけれな淘汰される、自然の厳しくも適切な結果だと思うのですが、わざわざ隣国から取り寄せて、過酷な環境で強制的に飛ばそうとしたりしています。果たしてこれが保護と言えるのでしょうか?トキが可哀想です。

言いたいことがあり過ぎて、論点がボケそうですが、
要は、もし人間が自然の一部であるならば、その人間が何をしようとも、それは自然の成り行きでしかないので、「保護」名目で人間の行動を制限する意味は無いのではないのか。
一方、もし「保護」名目で人間の行動を制限すること、あるいは人間が自然をコントロールすることが許されるのであれば、それは、人間が自然の一部とは言えないのではないのか。
と、矛盾するような二つの考え方の、一体どちらが正しいのかと考えるわけです。

繰り返しになりますが、私は、人間は自然の一部であると考えているので、人間が自然を破壊することは・・・これは現状を是とするから「破壊」などという表現になるだけで、雨が谷を作ることと基本的に何ら変わらない自然現象と捉えるという考え方ですが、そうは言っても、緑が減っていくことを自然現象だと片付けてしまうのには、やはり乱暴すぎて抵抗があります。

更に混乱させられるのは、人間が自然の一部で人間の行為すべてが自然現象であるならば、人間が自然の一部ではない場合の根拠とした、人間が自然をコントロールする行為までもが自然現象とみなせる、という不思議な論理も成立しそうなことです。

あーー、わけわかんなーーい!
誰か、この疑問に答えてください。
2013年10月08日 00:40
11
tabio こんばんわ、kinoeさん

お答えにはなっていないかもしれませんが、私見として、
人間はサルからの進化の過程で、火を発見し、言葉を発明し、文明への道を進み始めた時点で自然から乖離し始めたのではないでしょうか?
人間の存在自体は自然の一部なのでしょうが、その人間の所作を「自然」に対して「人工」と言う言葉に定義したのではないのでしょうか?

ちなみに自分は進化論をあまり信じてはいません。
この先何万年経ってもサルはやはりサルのままだと思うし、人間には進化しないと思っています。
2013年10月09日 00:23
12
(このコメントは削除されました)
2013年10月09日 23:56
13
kinoe tabioさん、コメントいただきありがとうございます。

> 「人工」と言う言葉に定義したのではないのでしょうか?
まさに、この点なんですよね。

やはり、ポイントは「火」でしょうか。
火以降の人間の知(科学)は、自然とは相容れない存在になった、ということなのかもしれません。


うーーん、もちろん理解はできますし、それが真実なのかもしれませんが、、、でも自然ってもっと、もっと大きなものなんじゃないのかなぁ、と私は思いたい。

聞いたことがあるかも知れませんが、狭い場所に多くのマウスを入れておくと、人間で言うところの同性愛者が増えるという実験結果があるそうですが、これは適正な数に戻そうとする、マウスの種としての本能の働きによるものとの説があります。まゆつば物と思われる方もいるでしょうが、私はそうかもしれないと思っていて、既に人間界でも起きている現象だと感じています。昨今の人間男女の中性化もしかり。私は真面目に危惧しています。

少々話が逸れてしまいましたが、このように、個々が実感することはできないけれども、ヒトの種としての本能、地球、自然、宇宙としての本能(意思と言っても良い)って、あるんじゃないのかなぁ、なんて思うわけです。

人間が自然を制御しているのか、あるいは制御していると思い込んでいるだけで、実は逆に自然に人間が操られているのか、どちらにしても何かが変わるわけではないでしょうが、人間など及びもしない途方もなく大きな(と私が思っている)自然を、今頃になって、壊してしまったから大切にしましょうなんて、そんなことを顧みずに木を伐採していた頃と基本的に変わらない、単にその時々で人間の都合のいいようにやっているだけなのではないか、という気もするんですね。

ただまぁ、人間が自然の一部であろうとなかろうと、例え理由が人間の御都合主義だとしても、自然を守りたいという点で異論はないので、当初の疑問は解消できませんでしたが(正直なところ、解消できるとも思っていませんでしたが)、少なくとも私は、自然に対してホドホドに謙虚でありたいと思います。

最後にクドイですが、私はやはり、人間の知も含めた全てが自然の一部だという立場を取りたい。そして、常に人間は、自然に試されているのだと思っています。

ちなみに、環境に順応するように変化することを進化と呼ぶなら、淘汰も含めて私は信じます。と言うか、受け入れざるを得ないと考えます。
2013年10月15日 14:57
14
tabio こんにちわ、kinoeさん

もう、「ルール・マナー」と言うより科学、哲学、宗教の領域になって行きそうですね。
でも、そう言う観念的な話も嫌いじゃありません(笑)

まるっきり答えにはなっていませんが、自分が日常漠然と思っていることを書いてみます。

>人間が自然を制御しているのか、あるいは制御していると思い込んでいるだけで、実は逆に自然に人間が操られているのか
多分自然に人間が操られているんでしょうね、きっと・・
ただ、自分は自然自体には意思はないと思っていますが。

宇宙が生まれて約150億年(146億年?)
太陽系が生まれて約50億年(46億年?)
原人の出現50万年前
新人の出現3万年前
・・・

と言われていますが、
この先いずれ、太陽も燃え尽きて地球も生物が生きていける環境ではなくなります。
その時、人類はどうなっているでしょう?
超科学を身に付け他の惑星への旅に出ているのでしょうか?
それとも地球環境とともに滅びていくのでしょうか?

この変化(進化?)は自然そのものだと思いますが意思と言うのとは違うような気がします。

自分は、現代の進化論にも宇宙論にも疑念を抱いています。
現代の宇宙論では
宇宙は原子等の通常の物質が4.9%、暗黒物質が26.8%、暗黒エネルギーが68.3%と算定されているそうです。
実態わからず、訳もわからない卓上の仮説上の物質やエネルギーが95%も占めているのにその真実が見えたり、その論理が正しい事など証明も実証も出来ないと思っています。
もちろん間違っているとの反証も不可能でしょうね。

>今頃になって、壊してしまったから大切にしましょうなんて、そんなことを顧みずに木を伐採していた頃と基本的に変わらない、単にその時々で人間の都合のいいようにやっているだけなのではないか、という気もするんですね。
まったく同感です。
昨今の免罪符のように「エコ」を付ければ、なんでも許される風潮、大量生産、大量消費の実態も隠ぺいして売ることも買うことも正当化してしまうなんていうのもその典型だと思っています。
ただ、昔と今では伐採する木の消費量の桁が半端なく違うのも事実だと思います。
消費と再生のバランスが崩れていてそのアンバランスの状態が増々加速化していると思います。。

サハラの砂漠化は大昔のエジプトのピラミッド建設で大量に木が伐採されたためとか?
それが主因かどうかは別として、今、また、南米アマゾンやインドネシアなどで経済活動の為の開拓や伐採が行われ続けています。
そして、それによるジャングルの喪失は未来の砂漠化の入口、序章のように言われていますがそれもまったく止む気配はなさそうです。

また再生が可能な木材だけではなく再生されない山そのものも破壊し続けています。
土木、建築用のセメントを作るために石灰岩の掘削で変わり果てた姿の武甲山。
しかし、コンクリートを使った建造物はまだまだ増え続けています。

自然を守ると言う意味では、人間が生きていくために地球や自然の食べられるものを食べつくしていく行為も自然破壊の一端になるのでしょうね。
食の欲望を満たすために生存活動に必要なエネルギー以上に貪欲に食べ肥満になる行為などは自然に対しての犯罪行為に等しいのではないでしょうか?
そういう人たちが環境保全を訴えることに疑問を感じてるのは自分一人でしょうか?

お隣の国ではまだまだ環境破壊よりも経済発展が優先されている現状はどうでしょう?
そしてその弊害としてPM2.5の飛来や、酸性雨に因ると思われている日本の森林の立ち枯れや枯死化・・・
海洋でのサンゴ礁の白化死滅も地球温暖化による海水の上昇が原因と言われていますがこれも経済活動の負の影響なのでしょう。

個人的にはアレルギー体質や花粉症の増加も、環境破壊の影響の人体へ表れと言うか警告なのではないか?と言うような気がしています。

石化燃料の消費によるCO2やNOXの増加に因る地球温暖化やオゾン層の破壊などは確実に地球環境を蝕んでいるはずです。

そして文明社会における人間の豊かさや幸福感はその環境破壊の上に成り立っているんじゃないでしょうか?


お金があったら何をしたい?
一生懸命働いて、一杯お給料を稼いで、
いい洋服を着て、便利な場所いい家に住んで、旨い酒を飲んで、美味しいもの食べて・・・
家族に楽しい思いをさせて、子供にも優秀な教育を受けさせるためにいい学校に通わせて、何不自由ない生活を与えたい
定年退職したら、退職金で日本中、世界中の素晴らしいところを旅行して周りたい。。。
山に行くのも最新の高価で便利な装備や道具を揃えたい・・・
移動手段もなるべく楽したい・・
そして将来的には最先端の医療機関、設備を利用して1年でも1日でも健康に長く生きたい・・・

それらの意識、思考そのものが言ってみれば自然の考え方の一部なのでしょうね、きっと。
昔はそれを超越して宗教があったのかもしれませんが、今の宗教はどうなんでしょうね?

>少なくとも私は、自然に対してホドホドに謙虚でありたいと思います。
まったく同感です。
人間が生きていく、存在することで少なからず起こる環境破壊を「必要悪」という言葉で正当化、合法化したいとは思いません。
ただ、他人から見たら、「お前の言ってることとやってることは矛盾だらけだ」、と言われてしまうのでしょうね。


まとまりもとりとめもないコメントで失礼しました。
「論議の場」と言うより「雑談のトビ」に移行した方がいい話題なんですかねぇ〜?
他に見てる人もあまりいないでしょうから、どこでも構わないでしょうね(笑)
2013年11月13日 16:28
15
kinoe tabioさん、お久しぶりです。

> 「論議の場」と言うより「雑談のトビ」に移行した方がいい話題なんですかねぇ〜?

そうですね、移動します。
http://www.yamareco.com/modules/xsns/?p=topic&tid=591
2015年06月17日 10:56
16
(このコメントは削除されました)
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