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城山<金田城跡>(じょうやま・かねだじょう・かなたのき))

最終更新:2014-05-17 21:00 - iwayatarao
基本情報
標高 272.8m
場所 北緯34度18分02秒, 東経129度16分25秒
山頂

城山<金田城跡>の日の出・日の入り時刻

01/19(木) 01/20(金) 01/21(土) 01/22(日) 01/23(月) 01/24(火) 01/25(水)
日の出 7時25分 7時25分 7時24分 7時24分 7時23分 7時23分 7時22分
日の入り 17時43分 17時44分 17時45分 17時46分 17時47分 17時48分 17時49分

城山<金田城跡> (標高272.8m)付近の気温

1月の気温(推定値)
最高気温
6.5
平均気温
3.7
最低気温
0.7
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周辺の平年の気象状況

1月の気象
日照時間 4.5 時間/日
降水量 2.3 mm/日
最深積雪 0 cm
気象データの範囲(1km四方)
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※本ページ記載の気象データは、国土交通省が公開している国土数値情報をもとに推定を行ったものであり、現在の気象情報を示すものではありません。登山の際は必ず山の天気予報 ヤマテンなどの山の気象予報をご確認の上お出かけください。

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お宿を出て、大荷物とともにやってきたのは城山(じょうやま)こと、金田城跡(かねだじょうあと)。 城跡なのに登山道…まぁ、山城は山頂に作るものですからw

山の解説 - [出典:Wikipedia]

金田城(かねだじょう/かなたのき)は、長崎県対馬市美津島町黒瀬および箕形にまたがる城山(じょうやま)に築かれた、日本の古代山城(朝鮮式山城)である。城跡は、1982年(昭和57年)3月23日、国の特別史跡(指定名称は「金田城跡」)に指定されている。
『日本書紀』に、「大和国に高安城・讃岐国に屋嶋城・対馬国に金田城(かなたのき)を築く」と、記載された城である。
金田城は、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した後、大和朝廷が倭(日本)の防衛のために築いた古代山城である。667年(天智天皇6年)、高安城・屋嶋城とともに築かれた。また、金田城は、政権基盤の宮都を守る高安城、瀬戸内海の制海権を守る屋嶋城とともに、国土の領域を守る最前線の重要なポイントであった。
金田城は下対馬の北端部にあり、浅茅湾の奥で北に突出し、三方が海に囲まれた標高272メートルの城山に所在する。城壁の外周は自然地形の断崖を含めて約2.8キロメートル、城内面積は約26ヘクタールである。自然の要害を利用した選地で、外周城壁の全てが石塁で、高さ6メートルを超える石塁もある。陸続きは南西側だけで、他は急峻な地形である。そして、韓国釜山まで約50キロメートル、隣島の壱岐まで約70キロメートル、博多まで約120キロメートルである。山頂からは北西方向に視界が開き、韓国南岸が視野にいる。
城門は、二ノ城戸・三ノ城戸・南門の三か所が開く。一ノ城戸の城門は確認されていないが、張り出した櫓と水門が残存する。一ノ城戸に加え、二か所の張り出しがあり、南側の張り出しは「東南角石塁」と呼称する。城内の発掘調査では、五棟の掘立柱建物跡・柵列が一列・炉跡・土塁と門礎石などが確認されている。出土遺物は、羽口・鉄滓・温石と各種の土器などが出土している。
白村江の戦いの翌年に、対馬・壱岐などに防人(兵士)が配備されている。防人の語源は「崎+守」とされ、東国諸国から徴発された人々が、三年交代で九州の防備にたずさわっている。
対馬は、佐渡島・奄美大島に次ぐ面積を有する島である。古来より大陸と日本列島を結ぶ海路の要衝にあり、南北は約82キロメートル・東西は約18キロメートル・面積は約709平方キロメートルである。古代は上対馬と下対馬が一つの島であり、島の中央に位置する浅茅湾は西方に開き、屈曲の多いリアス式海岸である。対馬の古代の中心は、金田城の南東に位置する、雞知(けち)であったと推定されている。

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