ヤマレコ

HOME > 山のデータ > 山の地名 > 宇和島城

宇和島城(うわじまじょう)

最終更新:2015-02-17 15:02 - higashino9
基本情報
場所 北緯33度13分10秒, 東経132度33分54秒
山頂
駐車場
トイレ
水場
展望ポイント

宇和島城 (基準標高19.9m)付近の気温

12月の気温(推定値)
最高気温
13.6
平均気温
8.5
最低気温
4.3
Loading...

周辺の平年の気象状況

12月の気象
日照時間 3.7 時間/日
降水量 2.9 mm/日
最深積雪 0 cm
気象データの範囲(1km四方)
Loading...
Loading...
Loading...
※本ページ記載の気象データは、国土交通省が公開している国土数値情報をもとに推定を行ったものであり、現在の気象情報を示すものではありません。登山の際は必ず山の天気予報 ヤマテンなどの山の気象予報をご確認の上お出かけください。

関連する写真リスト

宇和島城
真ん中のグリーンは宇和島城です。
宿泊したホテルから宇和島城が見えた
ここの左は宇和島城。右に行くと闘牛場だって!
宇和島港に戻ってきました 宇和島城が見えています

山の解説 - [出典:Wikipedia]

宇和島城(うわじまじょう)は、四国の愛媛県宇和島市丸之内にあった日本の城である。江戸時代は宇和島藩の藩庁となった。国の史跡に指定されている。
宇和島城は、中世期にあった丸串城(板島城)の跡に藤堂高虎によって築かれた近世城郭である。標高74メートル(80メートルとも)の丘陵とその一帯に山頂の本丸を中心に囲むように二ノ丸、その北に藤兵衛丸、西側に代右衛門丸、藤兵衛丸の北に長門丸(二ノ丸とも)を中腹に配置し、麓の北東に三ノ丸、内堀で隔てて侍屋敷が置かれた外郭を廻らせる梯郭式の平山城で、東側に海水を引き込んだ水堀、西側半分が海に接しているので「海城(水城)」でもある。
現在見られる、天守などの建築は伊達氏によるものであるが、縄張そのものは築城の名手といわれた藤堂高虎の創建した当時の形が活用されたと見られている。五角形平面の縄張り「空角の経始(あきかくのなわ)」は四角形平面の城と錯覚させる高虎の設計で、現に幕府の隠密が江戸に送った密書(『讃岐伊予土佐阿波探索書』)には「四方の間、合わせて十四町」と、誤って記された。
高虎の発想は、城を攻める側は当然方形の縄張を予想して攻めてくる。しかし実際は五角形だから、一辺が空角になる。つまり、城を攻める側にとって、完全に死角になってしまい、攻撃は手薄になる。いわば、この一辺の空角は、敵の攻撃を避けられるとともに、敵を攻撃する出撃口ともなり得る。そればかりではない。この秘かな空角は、物資搬入口ともなり、城から落ちのびる場合の抜け道ともなる。これは守城の作戦上、効果は絶大なものといえるだろう。当時の築城術でこのようなからくりを用いた城は他にはなかった。
さらに宇和島城には本丸天守から、原生林の中を抜ける間道が数本あり、西海岸の舟小屋、北西海岸の隠し水軍の基地などに通じていた。宇和島城には「空角の経始」、間道、隠し水軍などの優れた高虎の築城術の秘法が、見事に生かされた城だったのである。
城を囲む五角形の堀は、高虎の後の大名にも代々受け継がれたが、現在は堀も海も埋め立てられている。明治以降は大半の建物が撤去され城郭は「城山公園」として整備された。建物は天守、大手門などが残されたが、太平洋戦争中の空襲により大手門を焼失して現在は、天守(国の重要文化財)と上り立ち門(市指定文化財)、石垣が現存する。

付近の山

この場所を通る登山ルート

この場所を通る登山ルートはまだ登録されていません。

「宇和島城」 に関連する記録(最新10件)

四国
  32    18 
2015年04月14日(日帰り)
四国
  20    26  2 
2015年02月14日(2日間)
四国
  1     9  3 
2013年05月13日(日帰り)
四国
  27     7 
2012年11月02日(3日間)
ページの先頭へ