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帝塚山(てづかやま)

最終更新:2010-12-31 17:12 - KENPEI
基本情報
標高 19.9m
場所 北緯34度37分16秒, 東経135度29分47秒
帝塚山古墳の頂上である。立ち入り禁止である。
山頂

帝塚山の日の出・日の入り時刻

12/11(日) 12/12(月) 12/13(火) 12/14(水) 12/15(木) 12/16(金) 12/17(土)
日の出 6時54分 6時55分 6時56分 6時56分 6時57分 6時58分 6時58分
日の入り 16時49分 16時49分 16時50分 16時50分 16時50分 16時51分 16時51分

帝塚山 (標高19.9m)付近の気温

12月の気温(推定値)
最高気温
12.2
平均気温
8.2
最低気温
4.4
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周辺の平年の気象状況

12月の気象
日照時間 4.7 時間/日
降水量 1.5 mm/日
最深積雪 0 cm
気象データの範囲(1km四方)
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※本ページ記載の気象データは、国土交通省が公開している国土数値情報をもとに推定を行ったものであり、現在の気象情報を示すものではありません。登山の際は必ず山の天気予報 ヤマテンなどの山の気象予報をご確認の上お出かけください。

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帝塚山学院
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帝塚山1丁目
帝塚山学園大学

山の解説 - [出典:Wikipedia]

帝塚山古墳(てづかやまこふん)は、大阪市住吉区にある古墳。帝塚山という地名のルーツである。
現在は、帝塚山古墳は一つだけだが、明治時代までは、俗に「大帝塚」と「小帝塚」と呼ばれる大小二つの古墳があり、この地に館を持っていた古代豪族の大伴氏の大伴金村とその子の墓とされていた。ただし、大伴金村は6世紀前半の人物で年代が合致しない。5世紀ごろの大伴氏の系図は錯綜し実態が把握できないが、4世紀末の大伴氏の人物として大伴武以が見える。大帝塚の方は、現在の大阪市立住吉中学校の敷地となり、小帝塚の方が帝塚山古墳として現存している。前方後円墳。
帝塚山は、元はたんに「塚」または「手塚」「手塚山」と呼ばれていた。阪堺線の塚西停留場の名称は、塚の西という意味でその痕跡を伝えていると言えるかもしれない。
明治天皇が大阪に行幸し、かつての南朝の後村上天皇の御所だった住吉行宮に滞在し当地に足を運んだことを機縁に「帝塚山」という名称に改められたと伝えられる。その一方で、摂津名所図会(1796年)に「帝塚山」の記載がみられることから、江戸時代後期にはすでに「帝塚山」と呼ばれていたとも指摘されている。
財団法人住吉村常盤会が管理している。
1928年には、大阪市により古墳の周囲を含む地域を史跡公園として整備し帝塚山公園とする都市計画事業が立ち上がったが、その後土地の買収が進まず計画は中座している。

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