街道を行く! 秋月街道・新旧八丁越
- GPS
- 07:50
- 距離
- 25.5km
- 登り
- 1,361m
- 下り
- 1,346m
コースタイム
- 山行
- 5:19
- 休憩
- 0:14
- 合計
- 5:33
- 山行
- 1:59
- 休憩
- 0:12
- 合計
- 2:11
11:51 移動の開始
17:20 移動の終了
天候 | 一日目:晴れ、二日目:晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
自転車
二日目:千手小学校より(下りは自転車) |
コース状況/ 危険箇所等 |
・旧八丁越は半分が石畳で明瞭。 ・新八丁越は嘉麻市側は林道がほとんどで距離が長い。峠から秋月側の高内までは廃道化寸前で難路。 ・千手〜大力は車道歩き |
写真
感想
朝倉市と嘉麻市を結ぶ国道322号線は通行止めの期間が長いことで有名です。
冬季には一度雪が積もると春まで通れないことも珍しくない。
標高は500mちょいですが、狭いうえに交通量が少ないので除雪する気がないようです。
そんなR322も悲願のトンネルが建設中です。
ついでに現在の八丁峠から西に延びる林道も工事中なので、今後は道路だけでなく周辺の環境も大きく変わる事が予想されます。
雪で通行止めになる前のこの機会にかつての秋月街道である新旧の八丁越を歩いてみることにしました。
秋月城址、あるいは新旧道の交差する札の辻から出発するのが筋でしょうが、昼からの出発となったため古処山登山者用駐車場(本覺寺横)からになりました。
古処山の旧八丁越ルートの国道との接続点までは何度も通ったことがありますが、そこから先は初めてのルート。
国道の反対側にルートがあるのは以前から知っていたけど、実際に歩いてみると倒木や石畳が崩れているところがあるものの意外と荒れていない。
途中で怪しい分岐が一ヶ所あったものの、古八丁峠まではすいすい行けました。
峠で団子を食べるつもりだったが、コンビニに売ってなかったのでカステラでお茶にしました。
大力・千手方面にも立派な石畳が残っており一部は嘉麻市指定史跡になっており、こちらの方が日が当たらない分苔むしている感じです。
R322のカーブNo.6のちょい上で車道を横断するとほどなく新八丁越との合流点である岩骨に着いた。
残り時間を考えると大力へは無理と判断し、新八丁越を目指します。
なんてことはないただの林道のだらだら登りが続く。
途中、林道の分岐が多いが大力川に沿って行けばよい。
地図の破線よりだいぶ手前で石橋を渡り左岸の植林地を進むと泉河内の田んぼに出た。
林道はこの田んぼをぐるりと迂回しており、ショートカットしたくなるが「急がば回れ」である。
新八丁越には道標もお地蔵さんも説明書きの看板も一切ない。
峠まで味気ない林道ばかりでした。
下りに入り400mくらいで分岐を左にとると道が笹薮にぶち当たる。
しばらく泳いでみたが傷だらけになり敗退。(結局間違いでした)
周りを探すと左の斜面を下る獣道?みたいなものがあるが赤テープなんてものはない。
倒木、藪漕ぎの続く噂通りの難路のようです。
なんせ江戸時代でも難路すぎて人気がなかったのに、廃道になってから150年経っているから諦めるしかないです。
それでも500mくらい進むと幅も広くなり道らしくなってきました。
下の方は真竹の倒木が多くなるが車の音が近づいてくる。
急に空が開けて見覚えのある高内のカーブミラーの下から県道66号線に出ました。
あとは九州自然歩道で秋月まで下るだけですが、余裕がないのでR322経由で駐車場に戻りました。
家に帰ってからレコを書いていると、街道レコなのに千手宿までたどり着けていないという中途半端惑が否めず、翌日は残り部分を繋げることにしました。
車で現地に向かう道中、ついでに松崎宿と野町宿を通り、当時どういうルートを通ったのかがだいたい判明しました。
いずれの宿場町も長崎街道の筑前六宿ほど昔の雰囲気はありません。
内野宿や木屋瀬宿を想像して期待したらいけないと分ってはいましたが。
弥永の交差点そばで畑仕事中の80代と思しきお婆ちゃんに尋ねると、予想通りこの道が昔の街道という事でした。(福岡本藩とは仲が悪かったので甘木は通っていない)
そんなこんなしていたら、千手に着いたのが昼近くになりました。
千手小学校から大カまでは車道歩きで猿田彦大神が三ヶ所あるだけで面白くないです。
八丁越入口では旧街道と現在のR322と新しいトンネルが同時に見ることができました。
大カ〜岩骨まではゆっくり歩いても一時間くらいで、あっという間に終わりました。
帰りに昨日見つけ損ねた石道標を探しにもう一度秋月側上部を歩いていたら、昨日悩んだ怪しい分岐の所で木の陰にあるのを発見しました。
二日間を振り返ると、新八丁越の嘉麻市側は林道歩きだけで面白くないです。
秋月側はドMの方、或いはマニア向けです。
旧八丁越は歴史好きにはオススメです。(特に秋月〜大力)
以下は本で学んだウンチクです。
狭い秋月が五万石というのは不釣り合いと思っていたら領地は下座郡(現朝倉市の一部)、夜須郡(現朝倉市と筑前町の一部)、嘉麻郡(ほぼ現在の嘉麻市)という広大な領域でした。
旧八丁越は太閤秀吉が九州平定(島津氏征伐)の時に通ったとされる道で、この時に三十六万石だった秋月氏も降伏し、宮崎の財部(高鍋)に三万石にて転封される。
長崎街道の冷水峠が整備されるまではこちらが小倉までの本通りだったそうです。
初代秋月藩主・黒田長興(如水の三男)により「街道が城下町の中心(上の方が武家屋敷だった)を通るのは国防上よろしくない」ということで他藩の通行を禁じ、町屋を通るように新八丁越を設ける。
明治になり旧道は再開されたが、遠回りで難路だった新道は廃れていきました。
戦後に国道が整備され、そしてまたトンネル開通によりどう変わってゆくのか・・?
近場には他にも薩摩街道、長崎街道、日田往還、さいふ道、ひこさん道などの一部が残っているけど峠道はもうなさそうなので(冷水峠は一昨年行っている)、平地に残された痕跡をまたの機会に調査したいと思います。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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よく調べられてますね!古処山から八丁越えで2回程だんご庵に下ったことがありますが、旧八丁峠は行ったことがないのでこのルートを参考に一部歩いてみたいと思います!ウンチクにある秋月種実が高鍋に行く途中で「たとえわずか十石の領土でも良い。故郷に残ることが出来たらいいのに」と故郷を振り返り見てつぶやいた山が寺内ダム上部の十石山だそうです!
地元民のCRUさんには是非とも行ってもらいたいです。
十石山にはそんな悲しい所以があったんですね。
う〜ん、秋月周辺は奥が深いな〜。。。
また宿題ができたようで終わりが見えない
ニアミスですね
私も2日間そのあたり?に居ましたよ〜
面白い所を通っとんしゃー
うちの近所にこんな歴史ある街道があったんですね!
やはり、そうでしたか!
上の方からよか匂いがしてましたよ。
ぜひ、歩かれてください
先日話していた新旧八丁越完歩されたんですね!新旧の峠道の沿革も記されていてとても楽しく読めました。なんか無理やりな公共工事の末路ってのは今も昔も同じなんだなって思いました。道に対する愛着の度合いがそのまま二つの路に現れてるんですね。
新旧で違いすぎますね。
江戸時代の公共事業は自分とこの金でやってたので、志があったんでしょうが、現在は人様の金でやるから頭の黒いネズミがうようよですね。
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