新宿(にいじゅく)宿場中央部に見事な枡形が残っています。
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10/7 9:46
新宿(にいじゅく)宿場中央部に見事な枡形が残っています。
ここで水戸街道と離れます。右へ。以前はここに追分道標があったのですが現在はどこかで保管されているそうです。
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10/7 9:47
ここで水戸街道と離れます。右へ。以前はここに追分道標があったのですが現在はどこかで保管されているそうです。
旧街道らしい道筋。中川と平行して進みます。
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10/7 9:49
旧街道らしい道筋。中川と平行して進みます。
ここを左へ。地蔵堂の先で右に曲がります。
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10/7 9:56
ここを左へ。地蔵堂の先で右に曲がります。
地蔵堂の中に庚申塔型の道標。葛飾区内最古(元禄6年)のものです。
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10/7 9:57
地蔵堂の中に庚申塔型の道標。葛飾区内最古(元禄6年)のものです。
JRの貨物線の踏切を渡ります。
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10/7 10:01
JRの貨物線の踏切を渡ります。
徳川幕府譜代の酒井家の菩提寺「崇福寺」
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10/7 10:06
徳川幕府譜代の酒井家の菩提寺「崇福寺」
高砂駅近くになると賑やかな感じになるものの旧道の雰囲気は残っています。
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10/7 10:11
高砂駅近くになると賑やかな感じになるものの旧道の雰囲気は残っています。
桜並木。横には水路がありますが元は明治時代に作った農業用水路を転用したものだそうです。
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10/7 10:18
桜並木。横には水路がありますが元は明治時代に作った農業用水路を転用したものだそうです。
さくら街道の案内。桜並木になっているのは成田街道の別名である佐倉道が由来になっているのでしょう。
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10/7 10:18
さくら街道の案内。桜並木になっているのは成田街道の別名である佐倉道が由来になっているのでしょう。
やがて江戸川の堤防にぶつかります。
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10/7 10:46
やがて江戸川の堤防にぶつかります。
立派な堤防になる以前の道筋の一部は川側にあったのですが大部分は現在の堤防とほぼ同じ位置にあったようです。
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10/7 10:49
立派な堤防になる以前の道筋の一部は川側にあったのですが大部分は現在の堤防とほぼ同じ位置にあったようです。
堤防上を歩いて江戸川不動尊の先で旧道が現れます。
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10/7 10:59
堤防上を歩いて江戸川不動尊の先で旧道が現れます。
天祖神社。綺麗なトイレがあります。江戸川堤防改修以前は現在の堤防下にあったのですが移設になっています。
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10/7 11:02
天祖神社。綺麗なトイレがあります。江戸川堤防改修以前は現在の堤防下にあったのですが移設になっています。
旧道風情が残る江戸川駅周辺。
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10/7 11:14
旧道風情が残る江戸川駅周辺。
安永年間の「伊予田の観音道道標」伊豫(与)田とはこの地域の旧名。
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10/7 11:14
安永年間の「伊予田の観音道道標」伊豫(与)田とはこの地域の旧名。
ここが日本橋からの元佐倉道との追分。右斜め方向からの道です。左に進みます。元佐倉道は元禄以前の主要ルートでした。
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10/7 11:17
ここが日本橋からの元佐倉道との追分。右斜め方向からの道です。左に進みます。元佐倉道は元禄以前の主要ルートでした。
御番所町の慈恩寺道道標。「右せんじゅ岩附志おんじ道」
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10/7 11:19
御番所町の慈恩寺道道標。「右せんじゅ岩附志おんじ道」
正面に江戸川の土手が見えます。その先に関所があったわけですが江戸時代は関所から先ほどの道標がよく見えたそうです。
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10/7 11:20
正面に江戸川の土手が見えます。その先に関所があったわけですが江戸時代は関所から先ほどの道標がよく見えたそうです。
野球場の先の川辺に舟渡し場がありました。迅速地図上では川幅自体は昔も今も変わらない広さです。
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10/7 11:22
野球場の先の川辺に舟渡し場がありました。迅速地図上では川幅自体は昔も今も変わらない広さです。
対岸に市川が見えます。当時、江戸川は江戸防衛のために橋は架けれられませんでした。
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10/7 11:27
対岸に市川が見えます。当時、江戸川は江戸防衛のために橋は架けれられませんでした。
国道の市川橋で迂回します。
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10/7 11:33
国道の市川橋で迂回します。
市川関所跡。場所は推定。当時は「小岩・市川関所」と呼ばれていて小岩側がメインで市川側は緊急時のみといった対応の2か所で1つの役割の関所でした。
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10/7 11:40
市川関所跡。場所は推定。当時は「小岩・市川関所」と呼ばれていて小岩側がメインで市川側は緊急時のみといった対応の2か所で1つの役割の関所でした。
おそらくこの場所の真下辺りが関所だったと思われます。右の階段を下りて旧道へ。
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10/7 11:43
おそらくこの場所の真下辺りが関所だったと思われます。右の階段を下りて旧道へ。
堤防を下りた先からは交通量の多い車道を進みます。
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10/7 11:43
堤防を下りた先からは交通量の多い車道を進みます。
右に山崎パン創業地を見て国道14号との交差点で左へ。
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10/7 11:44
右に山崎パン創業地を見て国道14号との交差点で左へ。
片側2車線の国道を進みます。この先にある道標などの位置を考えると向かって右側が拡幅されたものと思われます。
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10/7 11:53
片側2車線の国道を進みます。この先にある道標などの位置を考えると向かって右側が拡幅されたものと思われます。
「青面金剛道標」西、市川八丁 江戸両国三り十丁。東、八わた 16丁 中川一里。
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10/7 12:02
「青面金剛道標」西、市川八丁 江戸両国三り十丁。東、八わた 16丁 中川一里。
拡幅工事の真っ最中。いずれこの辺りの風景も変わっていくのでしょう。
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10/7 12:11
拡幅工事の真っ最中。いずれこの辺りの風景も変わっていくのでしょう。
このように随所随所に小型の道標を目にすることができます。
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10/7 12:13
このように随所随所に小型の道標を目にすることができます。
本八幡駅近くでは結構な賑わいを感じます。
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10/7 12:28
本八幡駅近くでは結構な賑わいを感じます。
ここを左に曲がって葛飾八幡宮に寄り道。幕府の道中奉行管轄の区間はこの辺りぐらいまででした。
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10/7 12:33
ここを左に曲がって葛飾八幡宮に寄り道。幕府の道中奉行管轄の区間はこの辺りぐらいまででした。
立派な参道です。
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10/7 12:35
立派な参道です。
平安時代に京都の岩清水八幡宮を勧請して建立されて昔は下総国の総鎮守でした。
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10/7 12:39
平安時代に京都の岩清水八幡宮を勧請して建立されて昔は下総国の総鎮守でした。
「千本公孫樹」根廻り10mもある巨木で江戸名所図会にも描かれています。
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10/7 12:40
「千本公孫樹」根廻り10mもある巨木で江戸名所図会にも描かれています。
街道を上から眺めて。本八幡のタワマンが見えます。
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10/7 12:48
街道を上から眺めて。本八幡のタワマンが見えます。
「不知八幡森」中に入ったら出てこられないという話があります。
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10/7 12:50
「不知八幡森」中に入ったら出てこられないという話があります。
ここは木下街道との分岐点。利根川の木下河岸から行徳河岸まで結んで魚を運んだ道で江戸前で捕れる魚が人口爆発で追いつかなくなった対策で作られています。
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10/7 13:06
ここは木下街道との分岐点。利根川の木下河岸から行徳河岸まで結んで魚を運んだ道で江戸前で捕れる魚が人口爆発で追いつかなくなった対策で作られています。
この付近はのどかな雰囲気が残ります。旧家もチラホラ見ることが出来ました。
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10/7 13:14
この付近はのどかな雰囲気が残ります。旧家もチラホラ見ることが出来ました。
二子浦の池。この付近は溜池が多くて何か所かで見ることが出来ます。その様子は江戸名所図会にも描かれています。古くは海に面した場所でした。
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10/7 13:18
二子浦の池。この付近は溜池が多くて何か所かで見ることが出来ます。その様子は江戸名所図会にも描かれています。古くは海に面した場所でした。
国道が上下線で分かれている場所ですが進行方向右側が旧道です。
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10/7 13:33
国道が上下線で分かれている場所ですが進行方向右側が旧道です。
西船橋駅付近。国道脇の広くなった場所が旧道の痕跡。すぐ左手は崖になっていて街道は崖沿いを進んでいました。
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10/7 13:40
西船橋駅付近。国道脇の広くなった場所が旧道の痕跡。すぐ左手は崖になっていて街道は崖沿いを進んでいました。
その崖は結構なもので高低差があります。
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10/7 13:51
その崖は結構なもので高低差があります。
これも旧道の痕跡ですね。
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10/7 13:54
これも旧道の痕跡ですね。
ここを左へ。
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10/7 14:03
ここを左へ。
JR総武線と交差しますが跨線橋の下の地下道を利用します。
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10/7 14:06
JR総武線と交差しますが跨線橋の下の地下道を利用します。
船橋宿に入ります。
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10/7 14:19
船橋宿に入ります。
西向き地蔵。
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10/7 14:20
西向き地蔵。
老舗の稲荷屋さん。この時間だと閉まってましたがウナギのかば焼きが有名だそうです。
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10/7 14:25
老舗の稲荷屋さん。この時間だと閉まってましたがウナギのかば焼きが有名だそうです。
明治天皇船橋行在所跡。
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10/7 14:46
明治天皇船橋行在所跡。
ビルとビルの谷間に残る旧家。
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10/7 14:49
ビルとビルの谷間に残る旧家。
海老川。この川を跨ぐ形で船を繋いだ橋があったことから「船橋」。橋の中央に船のモニュメントがあります。
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10/7 14:52
海老川。この川を跨ぐ形で船を繋いだ橋があったことから「船橋」。橋の中央に船のモニュメントがあります。
船橋大神宮。名前からわかるようにお伊勢さん系。鳥居前に道路元標が置かれています。
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10/7 14:57
船橋大神宮。名前からわかるようにお伊勢さん系。鳥居前に道路元標が置かれています。
船橋町。ここが大正時代においての基準点だったと思われます。
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10/7 14:59
船橋町。ここが大正時代においての基準点だったと思われます。
振り返って。船橋の町が遠くなっていきます。この辺りから小さなアップダウンが増えてきます。
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10/7 15:12
振り返って。船橋の町が遠くなっていきます。この辺りから小さなアップダウンが増えてきます。
ここを左折。交差点に道標が残ります。直進は津田沼、千葉方面。
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10/7 15:29
ここを左折。交差点に道標が残ります。直進は津田沼、千葉方面。
成田山道道標。これは明治のもので形が特長的です。
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10/7 15:29
成田山道道標。これは明治のもので形が特長的です。
ここはカーブになってますが昔は直角に曲がっていました。この手前に庚申堂があります。
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10/7 15:34
ここはカーブになってますが昔は直角に曲がっていました。この手前に庚申堂があります。
先ほどの明治の道標より古い時代のものです。おそらく先代のものでしょう。
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10/7 15:35
先ほどの明治の道標より古い時代のものです。おそらく先代のものでしょう。
歩道が狭い道をゴールまで淡々と進みます。
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10/7 15:53
歩道が狭い道をゴールまで淡々と進みます。
この辺りになるとだいぶ景色が長閑になってきます。薬円台の地名は徳川吉宗の命によって薬草園が造られたことから。この付近には「小金牧」という幕府の御料牧場もありました。
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10/7 16:08
この辺りになるとだいぶ景色が長閑になってきます。薬円台の地名は徳川吉宗の命によって薬草園が造られたことから。この付近には「小金牧」という幕府の御料牧場もありました。
本日のゴール。習志野駅付近です。
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10/7 16:23
本日のゴール。習志野駅付近です。
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