麦山の浮橋です。
今回はここがスタートです。
3
5/28 9:59
麦山の浮橋です。
今回はここがスタートです。
名称不詳だが奥多摩周遊道路に架かる橋が見えます。
1
5/28 10:10
名称不詳だが奥多摩周遊道路に架かる橋が見えます。
直進する橋は深山橋、左折するのは三頭橋で奥多摩周遊道路です。
1
5/28 10:24
直進する橋は深山橋、左折するのは三頭橋で奥多摩周遊道路です。
小管姓発祥の地、小菅村に入ります。
東京・山梨の県境です。
1
5/28 10:57
小管姓発祥の地、小菅村に入ります。
東京・山梨の県境です。
玉川キャンプ村の広告が目立ちます。
この辺りから登りが徐々にきつくなります。
1
5/28 11:15
玉川キャンプ村の広告が目立ちます。
この辺りから登りが徐々にきつくなります。
平山キャンプ場。
雨でも200人入ってキャンプファイヤーができるドーム状の建物が見えます。
1
5/28 11:55
平山キャンプ場。
雨でも200人入ってキャンプファイヤーができるドーム状の建物が見えます。
小管村の中心部です。宿が数軒あります。
小菅村では”小管、古菅、広瀬、船木、青柳”などの姓が目立ちます。
1
5/28 12:10
小管村の中心部です。宿が数軒あります。
小菅村では”小管、古菅、広瀬、船木、青柳”などの姓が目立ちます。
こじんまりとした小菅村役場。
1
5/28 12:27
こじんまりとした小菅村役場。
直進は大菩薩峠方面ですが、”7Km先通行不能”の表示がありました。
当初より右折の計画でした。この三差路から急に勾配がきつくなります。小菅川と宮川がここで合流するので、川に沿って道が出来ていることが、良く分かります。
1
5/28 12:43
直進は大菩薩峠方面ですが、”7Km先通行不能”の表示がありました。
当初より右折の計画でした。この三差路から急に勾配がきつくなります。小菅川と宮川がここで合流するので、川に沿って道が出来ていることが、良く分かります。
箭弓三社神社。かっては小菅・丹波山の総社だったが、今は荒廃の一途か?
それにしても独特の屋根は、右奥の神楽殿での催しを雨に濡れずに観れるようにしたものだろう。
1
5/28 12:46
箭弓三社神社。かっては小菅・丹波山の総社だったが、今は荒廃の一途か?
それにしても独特の屋根は、右奥の神楽殿での催しを雨に濡れずに観れるようにしたものだろう。
小管城主の小菅家は甲武国境警備の武田家家臣だったが、織田勢に破れたが、のちに、北条軍を撃退したことで、家康の旗本になっている。
1
5/28 12:49
小管城主の小菅家は甲武国境警備の武田家家臣だったが、織田勢に破れたが、のちに、北条軍を撃退したことで、家康の旗本になっている。
平将門伝説。
1
5/28 12:54
平将門伝説。
つづら折を繰り返し高度を上げていきます。
高度は約800m。
1
5/28 13:16
つづら折を繰り返し高度を上げていきます。
高度は約800m。
耕作中に殺した虫を供養する話は聞くが、”長虫供養”は初めてである。蛇供養?
1
5/28 13:35
耕作中に殺した虫を供養する話は聞くが、”長虫供養”は初めてである。蛇供養?
小菅村と丹波山村の村境となる今川峠はこの辺りだが、表示はない。
1
5/28 13:53
小菅村と丹波山村の村境となる今川峠はこの辺りだが、表示はない。
一気に下ります。中央は雲取山だろうか?
1
5/28 13:56
一気に下ります。中央は雲取山だろうか?
滑稽である。平成の陣取り合戦で決定した村境である。
両村の村長が共に土岐一族の末裔である”船木”姓なのも興味があります。
1
5/28 13:57
滑稽である。平成の陣取り合戦で決定した村境である。
両村の村長が共に土岐一族の末裔である”船木”姓なのも興味があります。
やっと集落が見えてきました。でもかなり下である。
1
5/28 14:10
やっと集落が見えてきました。でもかなり下である。
登山口案内があるということは、集落が近いことを意味します。
1
5/28 14:55
登山口案内があるということは、集落が近いことを意味します。
ひとりでに笑みがこぼれます。
1
5/28 15:00
ひとりでに笑みがこぼれます。
丹波山村役場。
小菅村もそうであったが、本当に慎ましやかな庁舎です。
1
5/28 15:07
丹波山村役場。
小菅村もそうであったが、本当に慎ましやかな庁舎です。
昔の街道の宿場イメージを少しは残しています。
今夜の宿は写真に写る”かどや”です。
2
5/28 15:11
昔の街道の宿場イメージを少しは残しています。
今夜の宿は写真に写る”かどや”です。
5:30出発予定だったが、4:00に出発した。
1
5/29 4:26
5:30出発予定だったが、4:00に出発した。
山のまっただ中。木曽福島を小さくしたような感覚の丹波山村です。
2
5/29 4:41
山のまっただ中。木曽福島を小さくしたような感覚の丹波山村です。
小河内・小菅・丹波山の区間は山間部でもトンネルは少なく、特に小菅・丹波山間はほとんどなかった。
丹波山・塩山間はトンネルが非常に多い。但し、歩きやすいので苦になりません。GPSが電波を受信できないのが、残念です。
1
5/29 4:50
小河内・小菅・丹波山の区間は山間部でもトンネルは少なく、特に小菅・丹波山間はほとんどなかった。
丹波山・塩山間はトンネルが非常に多い。但し、歩きやすいので苦になりません。GPSが電波を受信できないのが、残念です。
前方に猿を発見。
近づいたりカメラを向けると素早く逃げて行きます。
2
5/29 5:06
前方に猿を発見。
近づいたりカメラを向けると素早く逃げて行きます。
”甲州”の表示が出ましたが、ピンときません。
『”山梨”は昔は”甲斐”と言い、”甲州”とも言いました』
こんな会話が成り立ちません。
現在、山梨市、甲斐市、甲州市があり、更に甲府市があるので、ちんぷんかんぷんです。
1
5/29 5:09
”甲州”の表示が出ましたが、ピンときません。
『”山梨”は昔は”甲斐”と言い、”甲州”とも言いました』
こんな会話が成り立ちません。
現在、山梨市、甲斐市、甲州市があり、更に甲府市があるので、ちんぷんかんぷんです。
山の中。あるのは道だけ。
1
5/29 5:22
山の中。あるのは道だけ。
『尾崎行雄水源踏査記念碑』
明治時代に東京市長の尾崎行雄が水源踏査して付近を買収し水源の涵養を決断した。
現在も東京都水道局が管理しているお陰で、美しい新緑を満喫できているのです。感謝です。
1
5/29 5:23
『尾崎行雄水源踏査記念碑』
明治時代に東京市長の尾崎行雄が水源踏査して付近を買収し水源の涵養を決断した。
現在も東京都水道局が管理しているお陰で、美しい新緑を満喫できているのです。感謝です。
竣工間近の”かたばな”トンネル。
1
5/29 5:36
竣工間近の”かたばな”トンネル。
丹波川沿いに山奥に進みますが、トンネルが多くなります。GPSの軌跡が乱れっ放しです。
大常木トンネルを抜けると甲州市です。
1
5/29 5:51
丹波川沿いに山奥に進みますが、トンネルが多くなります。GPSの軌跡が乱れっ放しです。
大常木トンネルを抜けると甲州市です。
トンネルの建設目的もいろいろあるように感じました。
・ショートカット
・落石対策
1
5/29 6:00
トンネルの建設目的もいろいろあるように感じました。
・ショートカット
・落石対策
あちこちに廃道になった旧道があります。
1
5/29 6:07
あちこちに廃道になった旧道があります。
この先に一ノ瀬、二ノ瀬、三之瀬集落が川沿いにあります。その先の笠取山の南懐にある水干(みずひ)が多摩川の源流です。花崗岩の岩肌から滴り落ちる最初の一滴を口にしたいと思いつつ大菩薩ラインを進みます。
1
5/29 6:08
この先に一ノ瀬、二ノ瀬、三之瀬集落が川沿いにあります。その先の笠取山の南懐にある水干(みずひ)が多摩川の源流です。花崗岩の岩肌から滴り落ちる最初の一滴を口にしたいと思いつつ大菩薩ラインを進みます。
甲州市ではピンときません!
1
5/29 6:12
甲州市ではピンときません!
”塩山市街”がでました。
やっと距離感がつかめます。
1
5/29 6:48
”塩山市街”がでました。
やっと距離感がつかめます。
甲斐金山の言葉は知っていたが、この近くだとは知らなかった。
鶏冠山(黒川山)の山腹に金山があり、落合は金山衆が開いた集落とも言われる。
1
5/29 7:04
甲斐金山の言葉は知っていたが、この近くだとは知らなかった。
鶏冠山(黒川山)の山腹に金山があり、落合は金山衆が開いた集落とも言われる。
この先に遊歩道があるようです。名称が素晴らしい!!
”100年の森 水道水源林”
1
5/29 7:06
この先に遊歩道があるようです。名称が素晴らしい!!
”100年の森 水道水源林”
宿泊施設と思われる建物。実は東京都水道局水源管理事務所落合出張所でした。
外観から判断すると、職員はここの二階に宿泊しているように感じました。
1
5/29 7:07
宿泊施設と思われる建物。実は東京都水道局水源管理事務所落合出張所でした。
外観から判断すると、職員はここの二階に宿泊しているように感じました。
これは医療機関の出張診療所?
医療以外に診療所は思いつきません。
ちょっとびっくり!
1
5/29 7:08
これは医療機関の出張診療所?
医療以外に診療所は思いつきません。
ちょっとびっくり!
蚕影塔(こかげとう)
この地方は養蚕が盛んだったことが分かります。
1
5/29 7:25
蚕影塔(こかげとう)
この地方は養蚕が盛んだったことが分かります。
養蚕農家だった面影を残しています。
トタン屋根の下は藁ぶき、高い屋根裏は蚕小屋でしょう。
1
5/29 7:25
養蚕農家だった面影を残しています。
トタン屋根の下は藁ぶき、高い屋根裏は蚕小屋でしょう。
この辺りも東京都の水源涵養林です。
1
5/29 7:29
この辺りも東京都の水源涵養林です。
変わった屋号です。”はまやらわ”
1
5/29 7:47
変わった屋号です。”はまやらわ”
同じくらいの高さの山々が広がる光景は天空に近づいた感覚です。
1
5/29 8:21
同じくらいの高さの山々が広がる光景は天空に近づいた感覚です。
足が竦むような谷を渡る橋です。
1
5/29 8:27
足が竦むような谷を渡る橋です。
この辺りは野鳥の”さえずり”には程遠く、けたたましい鳴き声が響き渡ります。
大きなレンズをもって野鳥の撮影に行く人がいました。
1
5/29 8:36
この辺りは野鳥の”さえずり”には程遠く、けたたましい鳴き声が響き渡ります。
大きなレンズをもって野鳥の撮影に行く人がいました。
柳沢口なので、間もなく柳沢峠です。
1
5/29 8:38
柳沢口なので、間もなく柳沢峠です。
遠くから見た時は旧街道筋に多い国境石と思いました。
1
5/29 8:41
遠くから見た時は旧街道筋に多い国境石と思いました。
柳沢峠の市営駐車場です。
登山者や野鳥観察の人々が集まっていました。
1
5/29 8:46
柳沢峠の市営駐車場です。
登山者や野鳥観察の人々が集まっていました。
柳沢峠です。曇天が恨めしい。
1
5/29 8:47
柳沢峠です。曇天が恨めしい。
雲の上に少し富士山が見えてきました。
2
5/29 8:51
雲の上に少し富士山が見えてきました。
大規模な工事です。柳沢トンネルを造っているようです。
1
5/29 8:55
大規模な工事です。柳沢トンネルを造っているようです。
柳沢トンネルの出口です。
1
5/29 9:00
柳沢トンネルの出口です。
晴天ならば、どれほど美しいだろうか。
4
5/29 9:04
晴天ならば、どれほど美しいだろうか。
トンネルの上方の道路を左から右に下り、トンネルと並行するように奥に向かい、トンネルの奥から手前に通過してきました。こんな複雑な構造は車を運転していては気づかないでしょう。でも、歩行者用に階段が欲しいと思いました。
1
5/29 9:14
トンネルの上方の道路を左から右に下り、トンネルと並行するように奥に向かい、トンネルの奥から手前に通過してきました。こんな複雑な構造は車を運転していては気づかないでしょう。でも、歩行者用に階段が欲しいと思いました。
そろそろ見納めか。
2
5/29 9:22
そろそろ見納めか。
北には柳沢峠付近の擁壁が上方に見えます。
1
5/29 9:25
北には柳沢峠付近の擁壁が上方に見えます。
南には下っていく道路が眼下にあります。
1
5/29 9:26
南には下っていく道路が眼下にあります。
谷を渡る橋はカーブしながら、かつ高低差があります。これが空中散歩する異次元の感覚を味わえる理由かもしれません。
1
5/29 9:34
谷を渡る橋はカーブしながら、かつ高低差があります。これが空中散歩する異次元の感覚を味わえる理由かもしれません。
実に素晴らしい。心地よい。
1
5/29 9:43
実に素晴らしい。心地よい。
振り返っても楽しくなります。
これを逆に登りたくはないです。下りおすすめコースです。
1
5/29 10:04
振り返っても楽しくなります。
これを逆に登りたくはないです。下りおすすめコースです。
転げ落ちるようような急坂が五郎田へ向かって延々と続きます。
1
5/29 10:15
転げ落ちるようような急坂が五郎田へ向かって延々と続きます。
塩山駅・落合間のバス停がありました。
びっくりしました。一日に2便は珍しくないが、土日祝日のみの運行です。
1
5/29 10:36
塩山駅・落合間のバス停がありました。
びっくりしました。一日に2便は珍しくないが、土日祝日のみの運行です。
地名”裂石”に因んだモニュメントです。
1
5/29 10:44
地名”裂石”に因んだモニュメントです。
中里介山記念館です。
営業しているようには見えませんでした。
1
5/29 10:47
中里介山記念館です。
営業しているようには見えませんでした。
早朝のウオーキング仲間は大菩薩ラインの”小菅の湯”、”のめこい湯(丹波山)”そしてここの”大菩薩の湯”をお勧めでした。のめこい湯は丹波山の宿の近くだったので入湯しました。”のめこい”は”つるつる、すべすべ”の意味で、この辺りの方言です。名前通りの効能でした。
1
5/29 11:05
早朝のウオーキング仲間は大菩薩ラインの”小菅の湯”、”のめこい湯(丹波山)”そしてここの”大菩薩の湯”をお勧めでした。のめこい湯は丹波山の宿の近くだったので入湯しました。”のめこい”は”つるつる、すべすべ”の意味で、この辺りの方言です。名前通りの効能でした。
大菩薩峠の湧水です。
多摩ナンバーの人が大量にペットボトルに採取していました。
2
5/29 11:13
大菩薩峠の湧水です。
多摩ナンバーの人が大量にペットボトルに採取していました。
大菩薩峠に通じる関所跡です。
青梅街道は甲州裏街道と呼ばれていたようです。
1
5/29 11:17
大菩薩峠に通じる関所跡です。
青梅街道は甲州裏街道と呼ばれていたようです。
田植えが始まった上小田原の棚田。山里は抜けたとは言え、ゴールの塩山までは、ずっと下りです。
1
5/29 11:24
田植えが始まった上小田原の棚田。山里は抜けたとは言え、ゴールの塩山までは、ずっと下りです。
”踊石”集会所。
”ダイダラボッチ伝説”のある踊石地区です。
この近くに石の上で”ダイダラボッチ”が躍った足跡があると言うことです。
1
5/29 11:53
”踊石”集会所。
”ダイダラボッチ伝説”のある踊石地区です。
この近くに石の上で”ダイダラボッチ”が躍った足跡があると言うことです。
樋口一葉ゆかりの地、荻原です。このお屋敷も樋口姓でした。 『ゆく雲』の冒頭です。
「わが養家は大藤村の中萩原とて、見わたす限りは天目山、大菩薩峠の山々峰々垣をつくりて」
1
5/29 12:00
樋口一葉ゆかりの地、荻原です。このお屋敷も樋口姓でした。 『ゆく雲』の冒頭です。
「わが養家は大藤村の中萩原とて、見わたす限りは天目山、大菩薩峠の山々峰々垣をつくりて」
高窓のある養蚕農家が廃屋寸前です。
1
5/29 12:04
高窓のある養蚕農家が廃屋寸前です。
ここは廃屋ではなさそうですが、由緒ありそうな門だけが存在感があります。
1
5/29 12:13
ここは廃屋ではなさそうですが、由緒ありそうな門だけが存在感があります。
大正時代の里程標が復元されたものです。
左側面に”塩山駅二十町”とありました。
了解! 2キロちょっとです。
1
5/29 12:21
大正時代の里程標が復元されたものです。
左側面に”塩山駅二十町”とありました。
了解! 2キロちょっとです。
馬頭観音、蚕影山、南無妙法蓮華経など石碑。
やはり養蚕が盛んだったことが分かります。
1
5/29 12:45
馬頭観音、蚕影山、南無妙法蓮華経など石碑。
やはり養蚕が盛んだったことが分かります。
見覚えのある屋敷です。
甘草屋敷の裏です。
1
5/29 12:45
見覚えのある屋敷です。
甘草屋敷の裏です。
甘草屋敷は本日、休園です。
1
5/29 12:45
甘草屋敷は本日、休園です。
塩山駅正面の旧高野家住宅(甘草屋敷)は立派な展示内容です。ひな祭りの頃がおすすめです。
1
5/29 12:47
塩山駅正面の旧高野家住宅(甘草屋敷)は立派な展示内容です。ひな祭りの頃がおすすめです。
信玄無くして甲斐は語れません。
1
5/29 12:47
信玄無くして甲斐は語れません。
塩山駅のホームです。通過してきた裂石山雲峰寺に孫子の旗(風林火山)とともに”日本最古の日の丸”の旗が保存されているそうです。
3
5/29 13:02
塩山駅のホームです。通過してきた裂石山雲峰寺に孫子の旗(風林火山)とともに”日本最古の日の丸”の旗が保存されているそうです。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する