酷寒日高/沙流岳縦走
- GPS
- 08:40
- 距離
- 10.6km
- 登り
- 1,118m
- 下り
- 803m
コースタイム
18日上滝山北尾根末端付近国道コンタ710m(7:20)→・1080(10:00)→1300のポコ/稜線(11:00)→沙流岳(13:00)→・1445ピーク(15:00)→日勝トンネル日高側入り口(16:00)
天候 | 吹雪 低温朝-13度、山頂付近は-17度くらい |
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過去天気図(気象庁) | 2011年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
登りの尾根の積雪は、林道、ブル道使ってぎりぎり。 1445から峠への滑降は、上半分ブッシュ多くまだ時期が早い。 |
写真
感想
17日
黒岳北壁計画だったが層雲峡では強風でロープウエイ停止、上はマイナス20度は堅いぞということで、あっさり山域を変更する。
ワンゲルOBのサモキタが、イグルー作りを知りたいというので、合流予定だったが、そういうわけで旭川で沙流岳周辺地形図を買ってきてもらい、富良野で合流、日勝峠に向かう。車も二台あることだし、一台デポ。はじめ取り付きのほうにイグルー作ろうとしたが雪がないので、下山口、峠のトンネル脇のほうに移動して作る。
5人用を「下から上までフルサイズ」で作ろうとしたが一時間半かけて失敗。吹きだまり脇に二人用+三人用のひょうたん島イグルーをブロック切り出し壁半分利用で作る。雪の少ない時期に、直径の大きなイグルーをフルで作るのは難しい。ひょうたんの方は二つ合わせて1時間以内にできた。失敗も含めてよいイグルー授業だったのではないかな。硬くて軽い良い雪質の堀場を探し当てるのがコツです。雪のないこの時期のイグルーが一番難しい。峠の風雪が結構厳しかったのでイグルー製作中の写真無し。
晩ご飯はサモキタがワンゲル式を作ってくれた。御存じのとおり昔の犬のエサ風の山岳部式とは雲泥の差。クリームシチューの中身はちゃんとした具がたくさん。ちゃんと仕込みがしてあるんだね。朝の雑炊にはなんと卵とじ。とき卵をペットボトルに入れてくるのだ。晩はそれぞれ持ち寄った多量の酒と酒豪美女だらけで、グデグデ(だったらしい)。僕は先にスヤスヤしてしまった。
18日
外気温-14度、イグルー内で-7度くらい。支度して一台を日勝峠に残し、一台で登り口まで引き返す。コンタ710、国道が90度曲がるところ。サモキタとお別れして三人で出発。林道を進み上滝山の北肩の北西尾根を狙うが、藪だらけなのでパス(コンタ780)。林道もう少し進んで1080の北西尾根850あたりから斜面に入る。積雪は30センチほどだがなんとか笹が隠れている。尾根を上がっていくと無数のブル道や林業作業道があり、それらをあみだくじのように進んだりしてようやく東西稜線に出る。下部半分はブッシュで、上部半分はスネくらいのラッセル。下部半分のほうが時間がかかった。ここまで、イグルーが作れる積雪はなかった。ほんの吹きだまりがあれば作れるのだがまだ時期が早い。稜線でなら、もう余裕で作れる。低温で吹雪、けっこう寒い日だ。読みよりも時間がかかっているので、上滝山の山頂はあきらめて、沙流岳に向かう。稜線上は大きなタンネが林立する良い森だ。真ん中に伐開線が通っている。稜線上では吹きだまりが豊富でイグルーは作り放題。強い風の吹くところは作り易い。
新雪はなかなかシールが利きにくく、ずりりと落ちることも多し。しかし、全員ジルブレッタの300や400で秀岳荘のバンド締めシールという昭和装備のパーティー、内地ではなかなかないと思うよ。
沙流岳山頂は小高くなった良い山頂。憧れのペンケヌウシは、まだ厚い雪雲の中で見えない。ここからコルまでの高差170mの新雪粉雪の滑降は今山行一番の快楽場面。キシロはこんなに楽しいスキーは生まれて初めてデスといった。
この先1445あたりまで、オヤジ二人は燃料切れでスピードダウン。二日酔いと、低温のため捕食を怠りシャリバテ気味だったので。何しろ寒くて、手袋とってネーベンを食べる気が起きないくらいだったのだ。サイトーの買ってきた「シベリア」という菓子はカステラで羊羹を挟んだ甘い食いものだが、水の無い吹雪の中では良く喉を通るすぐれもの(水はペットボトルで凍ってしまった)。行動食を食べつくしたキシロに与えて薪をくべる。キシロは後半、ラッセルスパートさかんにかけ、独走。現役の底力を見せる。ハイマツが見えている強風の山頂部からは夕日にぼんやり沙流岳も姿を見せた。いい山だ。標高の高いこっちの1445より白い。
日勝峠への滑降は、上部まだ灌木が雪に埋まっていなくて不快調。後半になってふわふわ粉雪を蹴散らして滑る。全体にまだ雪足りず。日暮れぎりぎりになってしまったけれど沙流岳に美しい一本線を引けた。とても満足。
寒い日だった。右手親指にしびれが残ってしまった。日高町のそば屋で水をがぶ飲みしてかつ丼を食べ、穂別の樹海温泉で芯まで冷え込んだ体幹をあっためる。キシロ得意のマムシつかまえる話や赤腹イモリのエサやりの話、壊れたままのストーブの話を聞きながら札幌へ。夜行急行はまなすで僕は青森へ、キシロは夜行バスで函館へ帰る。
反省点
この時期のイグルーは小さいやつで。
低温で面倒でもネーベンをこまめに食べよう。
はやめのハンガロン。
いくつになってもシーズン初めは忘れちゃってること多し。でも楽しい。
雪が安定しないと、ペンケヌウシはかなり遠いぞ。
コメント
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yoneyamaさん、お疲れ様でした。
まだ冬は始まったばかりで体も寒さに慣れていないのに
いきなり極寒、強風の山とは
やっぱり北海道ですね。
メンバーの方も皆AACH OB/OG?
猛者揃いのようで、
レコを見ていても安心感を感じます。
(私が言うのもおこがましいですが )
今も部屋のストーブが故障したまま放置しています・・・。
yoneyamaさん
ネーベンって何?(行動食かなぁ)
ハンガロンって?
イグルーは本当に暖かいそうですね。
作るのが大変そうですが。
まんももさん
ネーベン
行動食メインにパンとかカステラとかのようなものがあり、その副菜のようなかんじで小さいチョコや飴やピーナッツなどをひとつまみ、袋にいれてます。一週間とかの長期山行だと、こういうセットを日数×人数分作っておくのです。前半で食べ過ぎてしまわない様に。
ネーベンは行動食のうち、細かいほうをいいます。
英語でいうbesideとかbyにあたるドイツ語ですが、ドイツ人もそうは使わないでしょう。
ハンガロンは1980年代まで冬山登山の主力だったハンガリー製の油分含む温かい毛糸の手袋です。最近日本ではあまり売らなくなってしまいました。
ザックのアマブタに忍ばせておいて、ウールの軍手など+オーバー手袋では手の感覚がなくなりそうになったらハンガロン+オーバー手袋に換えます。ー10度を下ったら使うくらいの装備です。赤や紺の民族っぽい編み模様の五本指です。最近類似品も復活して売っているのを見ましたが、前のはもっと厚くてあたたかだった気が。
イグルーは慣れがいりますが、作るのは40分。強風時の安眠度や、テントの設営、暴風壁作り+翌朝の撤収などの手間に比べると、断然有利と僕は思います。
へ〜、方言なんですか。登山の業界用語みたいなもんですかね。
ネーベンはネット検索すると、「医者のアルバイト」みたいな説明が多かったです。
ハンガロンは初耳でした。
私はISUKAの100%PUREWOOLを買ったんですが、広島の雪山では暑くて出番がありませんでした。
なので、普段の自転車通勤時に使用しています。
風を受けてもさむくありません。さすがですね〜
イグルーを40分で作るんですか 早
なるほど。サイドビジネスの「サイド」ですね。医者と戦前山岳部はドイツ語引用の方言が多いのです。
広島の山でもやばいときはやばいので、冬はザックのあまぶたに入れときましょう。
ネーベン とは 私の世界では、研修医もしくは、部下の医師という意味です。たとえば、「うちのネーベンは勉強しなくて困るよ」というふうに使います。
ハンガロンは懐かしいですね。今は手に入らなくなってしまったようですが、自宅のどこかに昔の、つぎはぎだらけのやつが眠っています。探すのが大変。これが一番良かった。厳冬の岩登りでは、こいつにオーバー手袋、渋いところでは、ハンガロンだけで岩を登っていました。よく穴があいて、学生時代のガーフフレンドに毛糸で縫ってもらいましたよ。
北日高も懐かしい。3年生の3月にチロロ岳や芽室岳を縦走した事があります。いい山ですね。
で、語源的には繋がっていますね。
ハンガロン不思議です。時代が下れば装備がよくなるばかりでもないことが。ぼくはガールフレンドにはお願いせず、自分でなおしておりました。 うちにはみっつよっつあって、ローテーションで大事に使っています。というか、シビアな時専用なのであまり減っていないのです。
日高の深部に積雪期に行くのは、日数がとれない社会人にはなかなか難しく、北日高の北部あたりが国道が近くてようやく射程範囲ですね。僕も3年生の3月に芽室→ルベシベ→ピパイロを繋げました。同じですね。
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