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九重山 (中岳)  1791.00m (無雪期ピークハント/縦走 / 阿蘇・九重)

日程:
2003年03月31日 (日帰り)
メンバー:

コースタイム:
   31日;久住高原山荘ー赤川温泉ー久住山ー西千里ガ浜ー牧ノ戸峠ー本村さんの山荘(泊)
1日;本村さんの山荘ー吉野ヶ里遺跡ー大宰府ー南福岡グリーンホテル(泊)
2日;南福岡グリーンホテルー大濠公園ー博多ー福岡
コース状況/その他周辺情報:
   桑園ー千歳ー伊丹ー大分ーJR大分ー緒方ー上畑ー尾平・青少年旅行村(泊)
30日;青少年旅行村ー宮原ーあけぼの山荘ー祖母山ー天狗岩ー尾平ー久住町・久住高原山荘(泊)
31日;久住高原山荘ー赤川温泉ー久住山ー西千里ガ浜ー牧ノ戸峠ー本村さんの山荘(泊)
1日;本村さんの山荘ー吉野ヶ里遺跡ー大宰府ー南福岡グリーンホテル(泊)
2日;南福岡グリーンホテルー大濠公園ー博多ー福岡空港ー千歳ー札幌

写真: この山行の写真をスライドショーで見る

久住高原荘横から林道を登り、赤川温泉を過ぎると、本格的な山道になった。


「九重風致探勝林」の看板。



?

御池。尾根から山頂へ行く途中にあった。


くじゅう山 1787m。

硫黄山。盛んに噴煙をあげていた。

中岳から坊ガツル方面を見る。正面の山は平治岳。
今夜は坊ガツルの法華院温泉に泊まる予定だったが・・・


横から見た大船山の南斜面。

本村さんと(最高峰・中岳山頂)。
本村さんは現役時代はフェリーの船長、趣味は絵を描くこと、麓に山荘をお持ちで、写真に撮ってきて、描くのは主に山荘や家(福岡市)。
是非来いとのことで、今夜はその山荘に泊めてもらうことになった。

大宰府天満宮。菅原道真が祀られ「学問の神」「至誠の神」として崇められている。
道真死後、門弟味酒安行が905年に祠廟を、919年に藤原仲平が社殿を造営した。その後、幾度か兵火に焼失、現在のこの本殿は、秀吉の命を受けて筑前国主小早川隆景が5年の歳月をかけて造営、1591年に竣工した。桃山時代の豪壮華麗な様式である。屋根は桧皮葺で、その曲線は見事である。

境内にあった樟の大木。


御神牛。
  
感想/記録:(by amw2)
   この山行記が「保存」段階で「開聞岳、霧島山」に化けてしまった。想い出しながら再度書いたが、4年もたってしまったので細かいところは忘れてしまった。

3/31(日)今回はかなり余分なものを持って来ていたので、お土産と一緒にホテルから宅急便で送ってもらった。
ホテルの横から久住山の裾野を緩やかに登って行く。昨日の雪道の登り降りがたたって脚は筋肉痛である。
やがて裾野が終わり山地形に差し掛かる所に赤川温泉がある。久住高原山荘から見れば鄙びた温泉である。その横を通り本格的な山道となる。別の方から車道が通じていて一部車道を歩く。急な斜面をジグザグに登って行く。
森林限界を超え高台に出て展望が開けた。びっくりしたのは、山の上にあちこち大きな山が聳えていることだ。雄大なスケールであり、それは赤茶けたゴツゴツした禿山である。こんな景観ははじめてである。
まずは久住山を目指す。途中御池という小さな池の辺を通った。
山頂には久住山(m)という標識があった。正面に広いコルを挟んで最高峰・中岳が聳えている。左手には硫黄岳が白い煙を噴いている。
右の方には大船山が、ピラミダルな山頂から右へ、稜線が急な角度で颯爽と落ちている。

此処の名称は複雑である。「久住」と「九重」の使い分けである。九重(くじゅう)山は山群のなまえであり、九重山という1つの山がある訳ではない。久住(くじゅう)山は九重山の中の1つの山であるが顕著なピークが2つ隣り合っていて高い方が中岳、低い方が久住(くじゅう)山。単に「九重山」と書いた場合は、その最高峰・中岳を指す。「久住山」の場合は普通は最高峰である中岳を指すが、久住(くじゅう)山という山もあるので複雑である。

 阿蘇くじゅう国立公園は、昭和9年12月4日、日本最初の国立公園として阿寒、大雪山、日光および中部山岳国立公園とともに誕生し、昭和61年に現在の名称である阿蘇くじゅう国立公園に改称された。
 現在、阿蘇くじゅう国立公園は、熊本、大分の両県にまたがり、関係市町村は2市12町6村で、阿蘇地域(熊本県)、くじゅう・由布鶴見地域(大分県)に大別される。この公園の名称に「クジュウ」を入れることが大分県の永年の悲願であった。漸く実現しそうになった時「九重」か「久住」か、で争いとなった。
九重山の北側に「九重(ここのえ)町」という町がある。一方南東側の高原一帯は「久住町」である。両町とも「我が町の名を!」と考えるのは当然である。
九重(ここのえ)町の「九重(ここのえ)」が「くじゅう」とも読めることから「くじゅう」を入れることで決着した。

次は広い稜線をやや下って中岳を目指す。この辺りは草がついている。
やや急な斜面を下ってコルへ、そこから中岳へは緩やかな道が続いていて、山頂に人影が見える。曇って入るが穏やかな春日和である。ただし脚はほぼ限界である。
やっと山頂に着いた。山頂はさすがに少し風がある。正面下方に坊ヶツルが広がりその向うに平治岳が聳えている。
此処で本村さんと出会うこととなった。最前から山頂に見えていたのが本村さんだったのだ。頑健な体つきで僕と同年輩と思われる。
話をしているうちに、今夜は坊ヶツルに泊まり、明日は吉野ヶ里遺跡を見学する予定であるというと、本村さんはあそこは今道が悪くて大変だという。更に、麓に別荘を持っているので泊まって、明日は吉野ヶ里へ送って行く、と。
脚は限界にきていた、地元の人の言うことが1番確かだからお言葉に甘えることにした。
今回は又しても安易に好意に甘えることとなった。
坊ヶツルの法華院温泉山荘には携帯を借りてキャンセルの電話を入れる。
下山は御池まで往路を引き返し此処から右の方へ。西千里ガ浜という名前の通り平らな広い長い草原を話をしながら歩いた。フェリー会社に勤めていて最後は船長で退職し、今は北九州市に住んでいる、趣味は絵、息子は2人とも教員であるetc。
原っぱを抜けるとアップダウンがあって最後急な坂道を下って牧ノ戸峠の駐車場に着いた。売店でジュースを買って喉を潤す。本村さんの車のトランクにはキャンパスなど絵の道具が積んであった。
途中、公営に無料の露天風呂に入った。源泉そのままで熱くて身体を沈めるのがやっとだった。
久住山の麓をうねうねと走って集落らしきところに出た。場所は熊本県との境に近く「小国」という所だった。本村さんの山荘に着いた。
三角屋根で中二階で立派な別荘である。1階は広いダイニングキッチン、奥の方にバス・トイレ、物置、半分だけ2階になっている。
庭からは久住山には雲がかかっていたが広い裾野が見渡せた。
思い切って訊いてみた。土地を合わせて1千万強で建つ、と。
本村さんは夕食の準備に取り掛かった。慣れた手つきである。
その間、絵や写真を見せてもらった。
本村さんは1階に、僕は2階に寝た。



関連する山:※関係ない山が表示される場合もあります。
   九重山 [1791m] / 阿蘇・九重

関連する記録:※内容が近いものを自動的に表示しています。
   - 2003年04月01日:吉野ヶ里遺跡(九州・沖縄) 情報量の目安:B 10 1 - amw2
- 2003年03月30日:祖母山 [ 1756.40m (祖母・傾) 情報量の目安:B 9 1 - amw2
- 2008年11月11日:九重山(1791m)100名山【久住山(1787m)--天狗ヶ城(1780m)--中岳(1791m)】 《動画あり》(阿蘇・九重) 情報量の目安:S 37 1 1 - inosisi
- 2008年05月31日:九重山(阿蘇・九重) 情報量の目安:D 1 - umitan
- 2006年05月07日:九重山(久住山)(阿蘇・九重) 情報量の目安:D 24 1 - toshi0917




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