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Yamareco

記録ID: 24374
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積雪期ピークハント/縦走
磐梯・吾妻・安達太良

吾妻山 高湯から慶応吾妻山荘へ (16)

1972年12月23日(土) 〜 1972年12月24日(日)
 - 拍手
tanigawa その他20人
GPS
32:00
距離
10.6km
登り
818m
下り
818m

コースタイム

23日 高湯(7時40分) →水呑場・不動沢(8時40分、ワカン装着) →賽の河原分岐(9時30分着、食、10時00分発) →慶応吾妻山荘(12時ごろ着) 泊
24日 山荘(10時30分) →賽の河原分岐(12時05分着、同20分発) →高湯(14時ごろ着)
天候 風雪(台湾坊主が発達しつつ列島縦断)
アクセス
コース状況/
危険箇所等
 高校3年の12月の山行。初めての冬山体験。
 私の下の姉が福島労山に入ったため、その忘年山行につれていってもらった。
 この年の7月、霧ノ平の山行の帰りに、列車で会ったKさんら男性3人、それに私の4人が先発隊。午後からくる主力部隊のためにラッセルをしておくのが役目だった。もともとが忘年会を目的にしてきたうえに、発達中の低気圧が接近していて、明日の天気は最悪が予想された。だから、みんなゆっくりペース。Gさんらは「稜線に上がってみよう」などと言っていたが、それも登りだしてすぐに断念し、あとは「今夜の好き焼き」だけが楽しみの登高となった。
賽の河原分岐にて
賽の河原分岐にて
追分分岐への登り
追分分岐への登り

感想

 賽の河原からワカンを装着した。ラッセルは50メートルぐらいずつで交替してすすんだ。気温がいやに高く、ウィンド・ヤッケなしで高度をかせいだ。

 追分の手前にある慶応吾妻山荘の分岐に着くと、さすがに雪が深く、腰ぐらいまでの積雪がある。ひざ上まで没しながら、山荘にちょうどお昼に到着した。

 本隊は2時間遅れで、午後2時ごろに到着。会長の藍原さんら8人が夕刻に山荘にたどりついて、21人の参加者全員がそろった。

 参加者の顔ぶれは、県庁職員、国鉄、農家の長男などさまざま。女性が3分の1ほどいて、みなさんにぎやかだった。

 楽しみにしていた夕食。好き焼きなのに、なんと卵を忘れてしまったということで、買いに行くこともできず、がっかりした。
 夕食後は、この年の活動をしめくくるセレモニー。いろいろな出し物。コンパとなった。
 生まれて初めて飲まされた酒は、ブランデーのマスコット瓶だった。

 管理人のOさんは25歳くらい。夜中までつきることのない山の話が続いた。花にもくわしい人で、山荘周辺や登山道に多くの珍しい花を見つけているということだった。

 夕方の気象通報で、台湾坊主が発生していると伝えていた。明日は、いままでの悪い予報をさらに上回る、悪天が予想される。稜線へ上がって家形山へ登る計画は、最終的に無理となって、夜遅くまで起きて話しつづけた人もいたそうだった。

 翌朝は、7時半ごろに起きる。
 炊事当番の人たちが早く起きだしてテーブルには朝食が並んでいる。なんと幸せな山行だろう。

 10時すぎに、Oさんに別れを言って、下山にかかる。吹雪のため、完全装備で戸外に出た。山荘の周囲は1メートルほどの積雪で、前日のトレースは消えている。会長のAさんは、用事があって2時間ほど早く出たが、そのトレースがすでに消えかかっている。
 リーダーが声をかけ、一定の短い間隔ごとにラッセルのトップを交替していく。

 水呑み場の下で、苦労して一人でラッセルで下ってきたAさんに追いついた。高湯が近づくと、気温が上がって、雪はみぞれに変わった。ウィンド・ヤッケとオーバー・ズボンをびしょ濡れにして、高湯のバス停留所に下山した。

 初めての冬山の体験。ワカン歩行とラッセル、天候の急変、冬山での濡れを知ったことなど、運良く? 台湾坊主にめぐりあえて、貴重な体験をした。それにしても、一人でラッセルしながら、この時期の山に登るというのは、たいへんなことだ。ナイロンの冬用ヤッケの防水性もよくない。

 姉といっしょに労山の山行に参加させてもらったが、セレモニーや懇談のなかで、会をみんなで愛して、成長させていこうという意気込みが感じられた。清掃登山の話なども印象に残った。大いに発展をしてもらいたい。

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コメント

後日談
 福島労山の会長のAさんとは、それから4年後、札幌から帰省した際に、福島の飯坂温泉でのある宴席で、ばったり再会した。私は、慶応山荘の夜の懇談でかなり角が立つ話もしてしまったので、丁重にご挨拶を申し上げた。
 福島労山は、その後、福島登高会が母体から分かれるなど、発展・変遷をたどったが、1970年代初期にあれほど若い世代ばかりで構成されていたこの会は、いまどうしているだろうか。
 私自身は、その後、直接に労山にかかわることはなしできたが、山友達は「札幌北稜クラブ」に加わるなどしたメンバーも何人かいた。
 慶応吾妻山荘のOさんは、その後、何度か、この小屋を訪れて、お会いした。最後にこの小屋をたずねたのは1980年ごろ、スキーで一切経山に登ったときだった。Oさんは、すでに小屋から離れておられたようだった。
2008/1/15 6:59
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