記録ID: 30018
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ハイキング
道南
日本縦断トコトコ旅行の顛末11(はるばる来たぜ函館ぇ〜。)
2006年07月12日(水) 〜
2006年07月17日(月)
- GPS
- 128:00
- 距離
- 82.1km
- 登り
- 249m
- 下り
- 253m
天候 | 7/12 雨、のち晴れ。 7/13 曇り。 7/14 晴れ。 7/15 晴れ。 7/16 晴れ。 7/17 晴れ。 |
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過去天気図(気象庁) | 2006年07月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
7/12 夜半より雨が激しく降り始める。夕方まで良い天気だったのですっかり油断していた。ふと気付くとテントの床がぽにょんぽにょんしている。慌てて外を見てみると、辺りは一面の水溜まりである。水捌けの悪い所にテント張ったのが失敗だった。夜の雨に打たれながら、荷物をまとめてテント移動。すぐ近くに温水プールがあって、入口の軒下に避難。全身ずぶ濡れになってしまった。すっかり目が冴えてしまって容易には寝つかれそうもない。焼酎のお湯割などたしなんでみるも無駄なようで。仕方ないのでラジオの深夜放送に耳を傾ける。元ブランキー・ジェット・シティのボーカルの浅井某が出ていて、「このひとは俺の言ってることを勘違いしとるわ。じゃ、次。」などといい加減なトークを展開している。しかしリクエストでかかった「ろばの馬車」って曲はいい曲だったなぁ。馬車はゆっくり走っている、だってろばが曳いてるんだもん、だって。札幌に帰ったらCD探してみようか。何時になるかわからんけどな。 まんじりともしないまま陰気な朝を迎える。雨はなかなか止みそうもない。そのうちプールの職員のおねえちゃんが来て開館の準備をはじめる。あからさまに迷惑そうな顔をするもんで、泣きながら荷をまとめる。いやがらせにプール利用してやろうかと思ったが、実行に移すガッツがなかった。近くに道の駅風の施設があったのでそちらに移動。宮沢賢治など読みつつ空模様を伺う。「貝の火」を読みながら、子供に権力与えちゃ可哀想だよな、なんて思っているといつの間にやら雨は小降りになったようだ。ここにいつまでもウダウダしててもしょーがないので、出発する。サラサラ雨だ。そのうち止むだろう。 福島峠をトンネルから越える頃には晴れ間も見えはじめる。R812に入って知内温泉によってみる。なんでも道内最古の温泉だとか。地味な山道をしばらく行くと道のわきの空き地にもうもうと煙をあげて温泉が湧いていたりする。ひょっとして、これがウワサの知内温泉?などと一瞬思ったが、まさかそんなはずもない。もう少し行くとちゃんと温泉旅館がある。かなり鄙びた施設で旅館というよりは湯治宿と言ったほうがいいかな。湯量はなかなかのもので、源泉が何種類かあるようだった。薄茶色の湯は飲むと実にヘンテコな味がする。しょっぱいような、すっぱいような。おいしくは無いが何かに効きそう。温泉成分が多いのか、浴槽や床が鍾乳石みたいにモコモコに変形している。 良い温泉にありついて昨夜の惨事も帳消だな、なんて思いつつ歩いていると、夕刻を告げる放送がスピーカーから流れて来る。その調べがどうも「与作」に聞こえる。空耳かと思いよく聞いてみたが、やはり与作だ。いったいどういうセンスなんだ?と可笑しいやうな、不思議なやうな気がしていたが、「しりうち」の道の駅まで来てその意味がわかった。サブちゃんなのである。知内町は北島三郎氏の出身地かなんからしく、道の駅には大量のサブちゃんグッズも売られている。みうらじゅんが喜びそうな”いやげもの”だぜ。 このへんは青函トンネルの出口にあたる土地である。ちゃんと展望台もしつらえられている。丁度良い具合に汽車が出てきたんで思わず写真なんか撮ってみたけど、そんなものを撮って一体どうしようというのか、俺にも分からん。 道の駅はさっさと閉まってしまったので今夜はその軒下で寝ることにする。海岸まで出て砂浜に寝るつもりだったが、出発が遅かったこともありたどり着けなかった。 7/13 知内から木古内へは主に砂浜を歩いていく。別になんていうことのない、うち捨てられたブイがころころ転がっているやうな砂浜だ。カモメの写真なんて撮りながら歩く。例によって、川を渡れなかったり。 木古内の町によってみる。小さな町だが、この程度の町でもあってくれないと食糧もロクに買い出せない。多分、この先はまたしばらくまともな町はないと思われる。”ユニークショップ”とかいう名前の商店で買いもの。お惣菜の品揃えが素敵だった。ブルージィにもほどがあるぜ、木古内駅前。 早くもつかれて歩くのいやになってしまった。木古内には温泉もあったが、そんなものにうっかり浸かってしまうと今日はこのへんで泊まろうってことで話がまとまってしまいそうだ。実際、木古内辺りの砂浜は、至ってイノセントである。キレイって意味ではない。ひと気がなくてマキがいっぱいある、というぐらいの意味だ。しかし明日函館に突入ってことを考えるともう少し先に進んでおきたい。夜中に都市部に到着なんてのはわびしいから避けたいものだ。 木古内から先はあまりいい砂浜はない。当別辺りの漁港にもなんとか寝れそうだったが、狭くて落ち着かないのでもう少し進んでみる。水平線上に何やら島陰のやうなものが見えはじめる。何だろう、あんなとこに島なんてあるのか?ふと気がついてドキッとした。ひょっとして函館山なのでは・・・。地図と見比べてみる。方向的には間違いない。たうたう見えてきたね。なんか知らんがテンション上がりまくりだ。む〜ん、む〜ん、と悶絶するあまり、しばし”む〜ん坊や”と化してしまった。 茂辺地の漁港まで辿り着くと快適そうな四阿を発見。芝生の広場も整備されていてまるで泊まってくださいと言わんばかりだ。はるか海の彼方には函館山。ようやく北海道ステージも終わりが見えてきた。今夜はひとつ、ラッパでも吹いて暴れてやろうと思ったが、疲れていたせいか、他愛もなく酔っ払って、すぐに眠ってしまった。 7/14 函館へ向けてゆっくりと海沿いの道をたどっていく。函館山の麓には「どっく」の姿も確認できる。どっくというのは函館港にある造船所のことである。赤と白とのストライプに彩られた巨大なクレーンがトレードマークである。あれが見えて来ると函館に来たって感じがする。やっぱどっくはいいよなぁ。どっく、最高。 上磯辺りまで来ると民家も結構増えてくる。ちょっと狭い路地を歩いてみたら、玄関先に猫がゴロゴロしてる家があった。写真を撮ろうとカメラを構えていると、別な猫がもう一匹。おや、また出たね、なんて思っているとさらに子猫が二匹ほど。チョロチョロしてピントがあわねえんだ。僕のカメラはマニュアルフォーカスなので動く被写体には弱いのだ。その上、機械式シャッターで絞り優先オートなんて機能も付いていない。そのかわり手触りは最高に良いのだ。散歩のお供に持って来いのカメラである。ぼんやりした描写も素敵だ。ただし、徒歩旅行に向いているかは微妙である。デジカメ持ってブログでも更新しながら旅行するのが良かったんだろうね、客観的に見て。 ザックを降ろして本格的に猫と戯れはじめる。僕は猫と戯れるのが大好きなので。はじめはおっかながって近寄ってこなかった子猫たちも次第に慣れてくる。草でじゃらすとピョオ〜ンと飛びついてきたりしてかわいいったらないな。そのうち家の人が出てきた。デカいザックに腰かけた汚らしい男が玄関先で猫と戯れているんだから、む〜んとかって悶絶したっておかしくはないのだが、御主人、至って冷静に猫と戯れ始めた。「旅行ですか?」とか「どちらからですか?」などという会話も一切ない。聞かれない以上、僕の方から「実は札幌から歩いてきましてねぇ・・・。」なんて説明するのもオカシイやうな気がしたので、僕も黙っていた。二人して黙々と猫と戯れつづける。そのうちに家の中で餌の用意をする気配でも嗅ぎ付けたらしく、猫たちがにゃあにゃあと騒ぎ出したので、それを機においとまする。 「じゃ、どうも。」 「はい、どうも。」 とかって、交わした言葉はそれっ切りである。どーかしてるよね。 「ファッションセンターしまむら」があったんで買いもの。化学繊維のTシャツを三枚ほど購入。暑くなってきて、綿のシャツでは汗が乾かないことが分かってきたので。山用のシャツが一番いいんだろうが、そんな高いものは買えない。ちなみに全身をしまむらの安物の服で固めてるやうなヒト達のことを「ファッション戦隊しまむらぁ」と言うらしいぞ。 砂浜を七重浜へ。海上になんかのパイプが走っている。このへんまで来れば、見覚えのある町並みである。北大の水産学部がある関係で函館には良く遊びに来たものよ。近道のつもりで海沿いを裏手から函館駅に接近したのだが、うっかり行き止まってしまった。仕方ないので職員用と思しき通路から駅に侵入。 Joneyama氏に連絡を入れてみる。Joneyama氏は山岳部の先輩である。僕の入学したときには既に札幌を離れておられたので、たいした面識は無い。初対面というわけでは無かったけど。まあ、そんなことを気にするやうな人ではない、ということだけは良く知っていた。もちろんまだ仕事中である。とりあえず谷地頭温泉に行って夕方まで暇を潰すことにする。谷地頭温泉は函館山の麓にある市営の温泉である。赤茶けた湯にはいつもヒトがいっぱいである。この温泉に入らないことにはどうも函館に来たって感じがしないので。「やちおん」などと約されることもあるようだが、僕は親しみを込めて「やっちー」と呼んでいる。 Joneyama氏が仕事から戻ってきた頃合いを見計らって再び電話してみる。やっちーまで車で迎えにきてもらう。Joneyama邸は函館山ロープウェイ近くの至っておよろすぃところにある。ヱビスの小瓶なんていう洒落たものを飲みながら、函館名物のイカ刺しをJone氏が手ずから。有り難い限りなんだよぉ。 7/15 寛いでしまったせいか、足がむくんでしょうがない。折しも北大山岳部部報14号の編集も佳境を向かえており、徒歩旅行の記事もなんか一筆書け、などという無理難題をJone氏から仰せつかったので、マックに向かって首をひねってみたり。まだ終わっても無いことをああだこうだと言いたくはなかったんだが、Jone氏の依頼とあれば仕方ない。俺は雨男なんだよぉみたいなことを書いてみた。 Jone氏にはMakiちゃんという娘さんがいる。僕はこどもをあやすのが苦手である。「おりこうさんでちゅねぇ」みたいなことがどうしても言えないのだ。姪っ子などは僕を見ると泣きだすやうな有り様である。しかしMakiちゃんは父親に似て人見知りしない子で、わりと仲良くなって、いっしょに絵本読んだりして遊んだ。読むっつってもまだ小さい子なので筋なんて分からないだろうから、うさぎとか出てくると「いたぁ〜!」とかって騒ぐだけである。「リサとガスパール」って、ちょっとシニカルで面白いよね。子供には難しいと思うよ。 7/16 Jone氏はSaito氏と日高のソエマツ沢かなんかに行く予定だったらしいが、風邪で断念。ひがなステテコ姿でゴロゴロしている。僕も何もする気が起きず、一緒にゴロゴロして過ごす。 午後からお弁当とワインを持ってハリストス正教会にピクニック。観光客たちにはさぞや謎の一団に見えたことであろう。Jone氏というのは根っからのしあわせ仮面なのである。 7/17 Jone氏の勧めで函館山に登ってみる。函館山はかつての軍事要塞で砲台や塹壕の跡があちこちに残っている。海上にニラミを効かせていた訳だ。Jone氏に借りた地図を片手に山道をたどる。老夫婦など結構来ている。函館には何度も来ているが、函館山に登るのは初めて。いいよね、函館山。百名山にしたいくらいだ。南の開聞岳、北の函館山って感じで。南に少し稜線を辿って、いい加減な所で帰ってきた。ちなみにこの時借りた地図は返し忘れてそのまま持ってきてしまった。その後どうなったか、俺にも分からん。多分、日記帳なんかと一緒に何処かに紛れ込んでいることだらうよ。 |
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マメに書き進んでるんでないかい?
前号の岩部〜矢越岬〜小谷石は、函館在住時の米山さんにも必ず行くように伝えておいたんだがなぁ。残念だぁ。沢の流れ込みのゴロタ浜でゴロゴロするなんて、贅沢そうだぁ。
俺はただ今、食い残しの弁当に当たって四連続休暇中の身だ。松原
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