山上ヶ岳〜大普賢岳☆白銀の鋭峰を目指して霧氷の尾根を縦走
- GPS
- 06:05
- 距離
- 20.1km
- 登り
- 1,416m
- 下り
- 1,549m
コースタイム
- 山行
- 5:49
- 休憩
- 0:29
- 合計
- 6:18
過去天気図(気象庁) | 2021年11月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
久しぶりに愛用の冬靴を箱から取り出す日が来た。普段の夏靴に比べてズシリと重みを感じるが、その重さが安定感をもたらしてくれるようで心強い。
前日は京都の大文字山を歩きながら氷雨に降られることになったのだが、夜半にも雨は降り続いている。この雨は北からの寒波によるものであることを確信していた。関西の多くの山ではおそらく初冠雪となり、高い山では霧氷がみられるだろう。
山上ヶ岳と大普賢岳はいずれも大峰を代表する霧氷の山であるが、この山をつなぐ縦走は容易ではない。以前より長いこと温めていたこの縦走を試みることにした。奈良交通のバスが洞川温泉に到着するのが9:17分、下山は一日一本のゆうゆうバスが和佐又口を通過するのが15:59分なので、猶予は6時間40分のタイム・トライアルとなる。この洞川温泉への朝のバスが運行されるのは今年は今日が最後だ。
山上ヶ岳の到着時間がポイントだろう。到着が12時を過ぎるようであれば、この縦走はまず無理だろう。その時はその時で稲村ヶ岳への周回に変更すしても霧氷は十分に楽しめるだろう。
下市口からのバスには8時11分に到着する近鉄特急に乗れば間に合うのだが、朝早くに目が覚めたこともあり8時過ぎに到着する各駅停車に乗ることが出来る。車内には登山客の姿が目につくが、そのほとんどが下市口で下車したようだ。
すぐにも奈良交通のバス停に行列が出来る。バスが到着すると行列の後方の方は座れない方もおられる。バスの運転手と奈良交通の人との会話によると、昨日は18人であり、今朝は昨日よりもかなり人が多いとのことであった。昨日は悪天だったと思うので当然と思われるが、昨日の乗客は果たして山に向かったのか気になるところだ。
バスに乗られない方登山スタイルの方達もおられるので、どうされるのかなと思っていると、montbellのロゴの描かれた大型のバンが到着し、次々とそのバスに乗り込んで行かれる。montbell主催の登山ツアーなのだろう。女性限定ということはないのであろうが、ほとんどが女性のようだった。
昨年の初秋に稲村ヶ岳から山上ヶ岳に周回すべくこのバスに乗った時は登山者はほとんどおらず、多くはみたらい渓谷に行くハイカーであった。その時もハイカーのほとんどが女性であったことを思い出す。
洞川温泉でバスを降りると、さすがに空気が冷たい。両手に手袋を嵌めると、まずは登山口までの車道歩きだ。温泉街の入口にある鮎の塩焼きを売る店ではガス・バーナーで炭に火をつけていた。おそらく営業は今日までだろう。
温泉街を抜けて道が東に向きを転じると谷の奥では朝陽に煌めく白銀の稜線が目に入る。大天井山のあたりだろう。かなり標高の低いところから霧氷がついているようだ。道路周辺に車には薄く雪が積もっている。昨日はこのあたりでも雪が降ったのだろう。
母公堂に差し掛かると駐車場の車の数が稲村ヶ岳に登っておられる登山者の多さを物語っている。気がつくと、すぐ30mから50mほど後ろをついてくる男性がおられる。珍しい赤毛の持ち主であり、バス停で私のすぐ前に並んでおられた外国人の長身の男性だ。
登山道に入っても男性との距離はほとんど変わらない。それなりのハイ・スピードで登っているつもりではあったが楽々とついて来るようだ。
標高が1300mを越えたあたりでは登山道はほぼ完全に薄雪に覆われるようになる。お助け水は水は涸れていた。
標高1400mあたりで、左手から奥駈道の縦走路の尾根が近づいて来ると、あたりの樹々には早くも霧氷が現れる始める。
奥駈道の尾根と合流するところが洞辻茶屋であるが、ここで初めて一息いれると後ろの男性も休憩される。出身をお伺いするとオーストラリアだった。英語で「お国でもよく登山をされるのですか?」(英語には敬語はないのだが)と尋ねると、「日本にいる時の方がよく山に登ってます」と流暢な日本語で返ってきた。
洞辻茶屋を後にするといよいよ朝陽に煌めく霧氷の中を登ってゆくことになる。尾根の展望地からは右手に稲村ヶ岳への尾根
西の覗岩に向かうと後ろの赤毛の男性も私の後をついて寄り道される。眼下に洞川温泉温泉、そして彼方には金剛山、葛城山に至るまでの大展望が広がる。男性は「これはやばい」と感嘆される。男性にこの日本語を教えたのは間違いなく若者だろう。
山上の宿坊群の間は通らずにまずは日本岩に向かう。前回、初秋にここを訪れた時にはガスで何も見えなかったのだが、その鬱憤を晴らすような好展望が広がる。
広々とした笹原に疎らに生える樹々と山頂一帯の叢林が見える。まず日本岩を訪れたのは山頂にかけてのこの笹原を辿りたかったからだ。山頂の叢林の中から先ほどのオーストラリア人の男性が現れる。
「今日はこれからどこに向かうのですか?」と(もちろん日本語で)聞くと「決めていません、でも帰りのバスの時間があるから」「それなら稲村ヶ岳に向かうのがいいでしょう、そのスピードだったらバスの時間の心配はいらないでしょう」とお伝えする。それから日本岩の展望地のことも教えて差し上げると目を輝かせて喜んで下さる。
男性とお別れして山頂の沸出岩を拝みに参上する。展望の全くない場所ではあるが、岩の左手には慎ましやかに一等三角点の大きな柱石が雪をかぶっている。時間は11時40分。想定の範囲内の時間であり、このまま先に進むことにする。
山頂から大峰山寺に降りて、大普賢岳の方に向かおうとすると長髪でやはり大柄な外国人が現れる。「大普賢岳からですか?」と聞くと「いや違う、説明が難しい・・・川があって小屋があるところ」やはり流暢な日本語が返ってくる。「小笹の宿の小屋ですね」「そう、それそれ」・・・なかなかマニアックなところまで足を伸ばされる方がいるものだ。
山上ヶ岳の東側からは大きく展望が広がり、緩やかに波打つ尾根には延々と霧氷の樹林が広がっており、その彼方で頭を突き出した大普賢岳が見える。
いよいよ大普賢岳への縦走路へと足を踏み出す。しばらくはアップダウンの少ない快適な尾根が続く。午後に入ると霧氷は落下するものと思っていたが、落下の気配が感じられない。ほとんど風がないからだろうか。
途中の小ピーク、地蔵岳のあたりでは立ち枯れの樹々の間が目立ち、樹々の間からは左手に台高の山々が見える。
右下から沢音が聞こえて来ると朱色の小さなお堂のある小笹の宿に到着する。お堂の手前は壮麗な岩壁となっており、その下には役行者の像がある。
小笹の宿の小屋の入口の扉は外れているが、泊まる分には問題はないのだろう。小屋のあたりまでは二、三人分の足跡があったが、ここから先には一人分の足跡しかない。明らかに足跡は先に進んでいるので先ほどの外国人はここまで来て引き返したということか。
沢の源頭部で水を汲むと二重山稜の間を進む。阿弥陀ヶ森ではピークを右に巻いてゆく。女人結界門を出ると柏木方面への分岐があり、足跡は柏木の方向へ進んでいた。ここから先、大普賢方面へは完全に足跡がないということだ。
ミシミシという新雪を踏みしめる音を聞きながら、久しぶりにノートレースの雪の上を歩く悦びに浸る。積雪は5cmほどであり、靴が沈み込むことはない。尾根とは思えぬほどしばらくは広々とした緩斜面が続き、ブナやモミの高木からなる樹林が広がる。
鞍部にかけての下降が始まると正面には聳え立つようなピークが現れる。ピークの奥に見えているのが大普賢岳だろう。鞍部からは急登を覚悟したが尾根の右手を巻き気味に登ってゆく道はそれほどの急登ではない。
しばらくは展望はなかったが大普賢岳の手前の鞍部からは笹原の広がるブナ林を少し右手に逸れると目の前には大きく白銀に輝く山頂部の展望が広がった。あとはわずかにひと登りで山頂だ。和佐又方面との分岐からは再び数人分のトレースが現れる。
山頂からはほぼ360度に近い大展望が広がり、東に広がる広大な大台ケ原から視線を右手に移すと重畳たる南紀の山並みの彼方に太平洋の蒼い海が広がっている。
時間は13時半過ぎ、ここもほぼ予定通りだ。ここまで大きな休憩をとって来なかったので、ようやく行動食でランチをとる。山頂の樹々はほとんど霧氷を落としていないようだ。空にはほとんど雲のない青空が広がり、まさに快晴無風の好天だ。
山頂を後にするといよいよ下山の途につく。東側斜面に入るので途端に霧氷は見られなくなる。急下降が続き、鉄梯子が連続する。凍結が心配ではあったが、チェーンアイゼンを必要とするような箇所はない。鉄梯子や鉄の網が張られた橋が現れるのでチェーンアイゼンを装着するのはむしろ危険に思われた。
薄く雪を被った岩場は危険なので足場を確認しながら慎重に下降する。直線距離は短いがここは時間を要するところである。鋭峰の小普賢岳に左側から巻きながら登り返す。巻道からピークにまだ上がるのはわずかな距離ではあるが、今日は余計なことはやめておこう。小普賢岳からも鉄梯子が次々と現れ、まだまだ急下降が連続する。
日本岳へのコルから南斜面に降って、笙の窟に至るとようやく急下降は一段落し、しばらくは緩やかな南斜面のトラバースとなり、大きな岩壁の下には次々と岩窟が現れる。
やがて先ほどまでの峻険な岩場の下降が信じられないような広くなだらかな尾根となり、尾根上にはブナの大樹が次々と現れる。前方に男性一人と三人の女性からなるパーティーが歩いている姿が見える。いずれもトレッキング・ポールではなく木の錫杖をもち、腰には動物の毛皮をぶら下げておられる。
和佐又山の手前のコルからは左下の斜面に降りるとすぐにキャンプ場の舗装路が現れる。舗装路は早速にも凍結している。ここからは和佐又口まで延々と舗装路を辿る方法と沢沿いの登山道を辿る方法が考えられるが、躊躇なく後者を選択する。
おそらくこのルートは歩く人は少ないのだろう。踏み跡は薄く、堆積した落葉のせいで不明瞭な箇所も多いが、樹にペンキでつけられた赤丸印がルートを
谷には大きな苔むした岩が多く見られるがよくよく見るとほとんどが石灰岩だ。谷を下るにつれ右岸の斜面から勢いよく水が湧き出している箇所がある。
先ほどの小笹の宿で汲んだ水には口をつけていなかったが、新たにペットボトルの水を入れ替える。水場を過ぎると谷には急に水が流れるようになるが、渡渉をすることなく延々と右岸の植林の中を歩く。最後は舗装路と合流すると10分ほどの歩きで和佐又口のバス停に到着する。バスが通過する時間まではまだ20分以上の余裕があった。
周囲には何もない奥深い谷間ではあったが、意外にもAUのアンテナは全て立っている。まずは家内に無事の下山の報告をする。すぐにも先ほどのパーティーが2台の車で通りががかる。後の車の女性が「バスはまだまだですか?」と声をかけて下さる。「あと15分ほどです」と申し上げると「それなら大丈夫ですね」と車で去っていかれる。
今度は軽自動車が一台降りてきたかと思うと若い男性が「大普賢岳まで登りたいと思うんですけど・・・山のことを教えてくれませんか?」と車から降りて来られる。登山を初めてまだ一年らしい。既に雪があるので、これからの時期は初心者には難しいことを説明すると残念そうではあったが、靴のことを始め登山のことを色々と聞かれる。お答えしているうちにバスの時間が近づいたので、若者は礼を行って去って行ったが、お陰でこちらもバス待ちの時間が退屈しなかったというものだ。
予定よりわずかに1、2分ほど遅れてゆうゆうバスが到着する。車内には三人ほどの乗客がおられた。ここからは大和上市の駅まで1時間半の長旅となる。川沿いでは色鮮やかに紅葉した楓が散見する。山影なので色褪せて見えるが日中であれば紅葉が綺麗だろう。
途中の杉の湯ホテルでトイレ休憩を兼ねて数分間、停車するのだがバス停はトイレのある道の駅からかなり離れている。道の駅の前では露店が既に店じまいをしているところであったが、手作りの蒟蒻と袋いっぱいに詰められたシメジを入手する。他の人と「今年は最後やね」という会話が聞こえてくる。ここでも最後の営業日だったのだろう。
霧氷に絶好の好展望に恵まれた山行であったが、それだけに留まらない大きな充足感を感じるのは、一つにはこのゆうゆうバスに間に合わなければならないという緊張感もあったと思われるが、同時に長いこと胸中で温めた山行計画を今年のラスト・チャンスに実現することが出来たという達成感のためのようにも思われた。
気がつくとバスの車窓に夕暮れの空が大きく広がり、大和上市の駅に近づいたようだ。吉野川が西の空の残照を綺麗に反映していた。
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