鎌倉街道上道(かみつみち) 三ノ坂
- GPS
- 07:27
- 距離
- 26.9km
- 登り
- 147m
- 下り
- 161m
コースタイム
- 山行
- 6:49
- 休憩
- 0:42
- 合計
- 7:31
天候 | 曇り時々晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
特に危険なところはありません。 |
写真
感想
鎌倉街道三の坂をどうにか歩き終えました。埼玉県内という概念は当時はなかったので、埼玉県内ということは言いづらいのですが、県内の鎌倉街道の3分の2は終わりましたが、鎌倉はずっと先です。
歩いては初めてわかったことですが、JR八高線と東武鉄道東上線の真ん中を鎌倉街道が走っているとは思わなかった。
鎌倉街道は、群馬・高崎城など上州方面から鎌倉までの最短ルートであり、鎌倉武士が通った主要街道であった。しかし、江戸時代になると中山道が整備され、主要街道が中山道に移行していったのでしょう。
現在では、主要鉄道路線である上越・長野新幹線のルートは鎌倉街道とは離れたところを走っているが、関越高速道路はこの鎌倉街道に沿って走っており、地域の活性化に寄与しているようです。
主要街道のあるところに人は集まり、街が出来ていくことの変遷を垣間観ることができました。
木曽義仲公は、埼玉県嵐山町で生まれ、信州・木曽に幼少時に移ったことは知っていましが、源三代については知識不足でした。
嵐山町大蔵についてもっとしりたい気持ちになった。
中山道を歩いたときには、NHK大河ドラマに木曽義仲・巴御前との運動もありましたが、是非運動を継続して実現していただきたいと思います。
埼玉県、長野県、富山県、その他北國街道の沿いの県・市町村の声が上がることが一番だろうと思うます。
中山道、東海道を歩いたときにお参りしましたが、義仲公の墓は、松尾芭蕉とともに滋賀県大津市・義仲寺にありました。
鎌倉街道については、街道沿いの人は皆ごぞんじで、誇りを持っていました。当時の生活の様子を垣間見る施設はあまりできなかったが、800年前はこの道が幹線道路であったのは確かです。
歴史の重みを感じた鎌倉街道三の坂でした。
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