UTMF 2015(ウルトラトレイルマウントフジ)
- GPS
- 95:07
- 距離
- 172km
- 登り
- 7,489m
- 下り
- 7,472m
コースタイム
- 山行
- 44:13
- 休憩
- 1:04
- 合計
- 45:17
天候 | くもり時々雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
【スタート〜A2本栖湖】
スタート後、少し走ったところの足和田山の取付きで大渋滞、幸いに前の方のスタートだったので、まだ道路を渡るところで止められることなくトレイルに入れたが、それでもすぐに動かなくなり15分程度のロス。でもこれくらいはまだマシな方だったようで、最後尾は小1時間くらい待たされたらしい。五湖台までの登りが終わると緩やかな下りに入るが、雨のせいでかなりぬかるんで泥田状態のところが多く、あまりペースが上がらない。鳴沢氷穴の先からしばらくロードを走って、再び精進湖の脇から樹海のトレイルに入り民宿村に抜けると最初のエイド。ここまで2時間48分で予定通り。温かいすい豚をいただき、そそくさとスタート。
しばらく平坦なトレイルを走り、本栖湖の外輪山への登りにかかる。つづれ折りの道をペース良く進んで、烏帽子岳、パノラマ台を越えると走りやすい下りが中ノ倉峠まで続く。この辺りですっかり暗くなったのでヘッ電を点け、中ノ倉山までの細い尾根筋のトレイルに入る。仏峠からは最初は急でツルツルの下りに難渋するが、程なくつづれ折りのフカフカ道に変わり、下り切るとA2本栖湖。ここは関門が序盤の渋滞を考慮して1時間延長されて7時間(午後8時)に変更されていたが、1時間半の余裕をもって到着出来た。
昨年ボランティアをしたこのエイドはキャンプ場の管理棟でありあまり広くはなく、今年はサポーターの入場を制限していたにも関わらず結構な混雑。それでも何とかエイドの売り物のゆばごはんを始め、しっかり補給してエイドを後にしたが、私が出て以降はさらに混乱が続いたらしい。最初の2回のエイドとなった本栖湖のスポーツセンターの方がゆったりしていたし、また昨年はボランティアの待機場所にもなっていたので使えないことはないと思うが、事情があるのだろう。
【A2本栖湖〜W1麓〜A3富士宮】
前日のコース変更により竜ヶ岳には登らず、巻道を進むことになったが、これが結構長くて微妙なアップダウンもあり、かなり進んだつもりのところがまだ端足峠を下ってすぐのA沢貯水池に出てがっかりするなど、あまり楽になった気がしなかかったが、それでも3週間前の試走のおかげか迷うことなく麓のエイドに着いた。しかし、私にもここは誘導が要るなと思われたポイントがいくつかあって実際コースロスト者が続出であった模様。
W1麓のエイドの関門時間は変更なく10時間(午後11時)のまま、何とかここまで8時間40分でまだ前のエイドからの貯金はキープ出来ていた。前回はここでもう結構いっぱいいっぱいだったが、まだ余裕がある感じで、持ってきたおにぎりを食べ、温かいコンソメをいただいて、いよいよ難所の天子山地に挑む。ちなみにこのエイドまでで早くも全体の4割を超える脱落者が出たらしい。
急登りを2時間近くかかって雪見岳山頂(1,605m)、そこからはもう思い出したくもないくらいのヌルヌル激下り、滑る者は木の枝どころか熊笹、木の根ととにかく掴めるものは何でも利用するが何百人も通過した後のグジャグジャの泥道はさっぱり止まらず、ついにはキレて腰を下ろしシリセードするが、これはさすがにお尻が痛く、それにパンツが破れそうなのですぐに止める。ようやく阿鼻叫喚の下りが終わるとまた鬼登りの苦闘の1時間で熊森山(1,575m)と前半のピークにかなり時間がかかる。さらに天子山地最後のピークの長者ケ岳(1,336m)までいやらしいアップダウンが続くが、まだまだ先はあり、前回はこのセクションで消耗したことが一番響いたので無理せず安全第一で進むが、ペースは大幅に落ちて次の関門時間が気になってくる。
長者ケ岳の山頂にいた大会スタッフに次の富士宮のエイドの関門時間に変更はないのか尋ねても「無い」とのつれない返事で、もう時間的にはカツカツになっていたため、とにかく急ぐしかない。しかし、予想よりも山中の気温が高かったせいで前回のような低体温症にはならなかったものの、山に入る前に持っていた1リットルの水はすでに飲み切っていて喉が渇いてたまらない。
長者ケ岳を下りきり、そこにいた誘導のスタッフに富士宮エイドまでの距離を聞くとあと10キロとのことで、GPSでも同じくらいの感じであり頑張ればまだ何とかなりそうか。しかし、後はロードかと思っていたが、これが何度か短いトレイルに入ったり出たりでなかなかエイドが近づいて来る気配がない。途中のきれいなトイレで水分補給が出来たのは助かったが、一体いつになればエイドに着くのやら…
10キロほど来たところでようやく煌々としたバルーン照明が見えてきてやれやれ到着かと思っていたら、そこにはガードマン氏が1人いたのみで、聞くとまだエイドまで5キロはあるとのこと。
がび〜ん、全然間に合わへんやんか!!!
でも関門時間まではベストを尽くそうとさらに走り続け、その後も何度か現れるバルーン照明に騙されるうちについに4時50分となり、私のUTMFは今回もまた関門アウトに終わったと思い、無念さの一方で今の力でやれるだけのことはやったなとほんの少しだけ敗れて悔いなしの気分もあった。
そんな感じでトボトボと歩いていたら、何と前から「関門1時間延長です!」と触れ回る大会スタッフがやって来た。
「え〜 マジですかぁ〜?!」
【A3富士宮〜A7すばしり】
関門延長でやれやれというか助かった訳だが、正直一度気持ちが切れてしまっていたし、何よりも長者ケ岳から2時間以上補給もせずに激走してきてかなり消耗していた。せめて山を下りてきたところで教えてもらっていたらその後調整できたのになぁ、とかあれこれ思いながら、前のエイドから7時間半かかってようやくA3富士宮(69.6km、コース変更により距離は若干延びているが以下も当初通りとする)に到着、とりあえず最大の難所の天子山地はクリアした。さっそくエイドの名物である富士宮焼きそばをいただくが喉につかえる感じがして食べにくく、一方いなりずしは美味しかった。このエイドは牧場みたいなところに設けられており、腰を下ろせるスペースが少なく、足元はぬかるんでゆっくりできる感じではない。そのうえ給水がひどく混んでおり、関門時刻も迫っていたので軽く食べた後はスポドリをボトル1本分補給したのみで15分ほどでスタート。
この先、中間のA4こどもの国まではキツい登りのない林道主体の道21キロに5時間半も割り当てられているためタイムの稼ぎどころ。しかし、今度はお腹の調子が悪くなり、走り続けることができなくなる。ガスが溜まってお腹が張り、それがトリガーになって暴発しそうでヤバい。さりとて関門時刻の過ぎた前のエイドに戻る訳にはいかず、野◯◯も考えたが辺りに適当な茂みはなかなかない。途中のW2粟倉まで行けばトイレがあるので、そこまでガマンするしかない。ビッグウェーブを何度もやり過ごしてようやくW2に着き、トイレに入りひと心地ついたが、その先また何度もぶり返して、A4までは体よりも足よりもお腹が苦しい道のりになった(汚い話ですみません...)。
A4こどもの国(90.4km)に着いたのは午前10時過ぎ、当初予定の40時間コースでは午前8時のつもりだったので2時間以上のビハインド。しかもエイド到着後はお腹の状況を改善すべく長々とトイレに籠ったりして(関門手前にきれいなトイレがあり、しかもウォシュレット付き)、ここで30分以上留まる。エイドではラス1の富士山ひららとかいう汁物をいただいたがあまり腹の足しにはならなかった。ただ、ここで受け取ったドロップバッグにアルファ米の五目ごはんを入れていたので、多めのお湯を注いでお粥みたいにしてみたらこれが結構いけた。ふと気が付くと周りはこれから先に進むというよりもリタイアを決めたような人が多く、疲れの中にもどことなく安堵感が漂っていて危うくそのリタイア引力に引っ張られそうになったので、急いでエイドを後にする。
A4からA5富士山資料館までは7.4キロと短く、途中からは広々とした草原みたいなところに出る。ここでエイドを後にした茜さんとすれ違い、それまでエイド毎に顔を合わせてきたがこれが最後のエール交歓となった(彼女は44時間台で無事完走)。エイドに入るとここは全エイド中最も食べ物が充実していて、麺類(うどんだったかそばだったか忘れた)、水餃子、カツサンドに3種のアンパンとたっぷり。しっかり補給してエイドを出たところでSTYのトップ選手たちがやってきて次々パスされたが、セバスチャンの走りを見、また声をかけることができてよかった。
A5からA6太郎坊までは12キロで標高差は500m強、鏑木さんがfacebookで「山力が試される改めて厳しいパートと感じました。ただなかなかユニークで面白いコースとも言えると思います。なのでやはりA5での十分なリフレッシュが重要です」と書いておられたが、この書きぶりから危険な香りがぷんぷんしており、やはり現実はその通りであった。当初は御殿場口登山道のイメージで砂礫の道を延々と登るものと思っていたところ、実際は天子山地アゲインというか、急なアップダウンを繰り返すぬかるみ地獄がまた始まった。しかもSTYの選手たちが追いついてきて、彼らはまだスタートしたばかりで元気いっぱい、こちらは必死で付いて行っても長くは続かないので、度々大人数に道を譲らされる破目になる。それでも彼らからは、お疲れさまです、がんばってください、ファイトです、と何度も声をかけられ、へばっていてうなずくくらいのリアクションしかできなかったがとてもうれしかった。自分も第1回の時にSTYに出て、すでに一晩走り続けているUTMFの選手にオーラを感じたものだが、やっとそういう立場になれたのね。
ようやくぬかるみが終わり砂礫の登りを経てA6太郎坊(109.9km)に到着。入ったのは関門まであと30分少々というところ。ここではおそばをいただいたが、STYの選手でごったがえしていてトイレも長蛇の列であったので早々にエイドを出る。次のA7すばしりまでは10キロほどの下りなので少しペースを上げたい。しかし、夕闇迫る中、ガスが出てきてホワイトアウトに近い状態となり、ヘッ電は霧で反射して使い物にならず、ハンドライトを低めにかざしてマーキングを必死で探す。砂礫の平原みたいなところなので、コースアウトするとそれこそ大変。救いは皆ペースダウンして集団走に近くなり、何となく心強い気持ちになったこと。ただ、ペースは大幅に落ちて次のエイドの関門こそついに引っかかってしまうのかと焦りとあきらめの気持ちが交錯する。
やがて林道に出て、それでもガスが濃いのでヘッ電が効かず木の枝からぶら下がるマーキングを見失わないように下るうち、次第に車の音、そしてオレンジのナトリウム灯の明かりが見えてきて、須走に出たことを知る。時計を見るとINの関門まであと15分くらいだったか、何とか間に合いそうだ。A7すばしり(120.5km)に19時10分到着、ここは雑煮に磯辺焼きとお腹にたまるお餅系があったおかげで空腹感を満たすことができ、OUTの関門4分前に急き立てられるようにスタート。この先大きなピークがまだ4つ控えているが、ひとつ越える毎にエイドがあるので、少し気持ちは楽になる。
ただ、スタートから1日半、経験値的にも2年前の八ヶ岳100マイルの32時間を超えつつあるのでここからはいよいよ未体験ゾーンに入る...
【A7すばしり〜A8山中湖きらら】
盛大な見送りを受けてスタートしたA7であったが、実はまたお腹が少し変な感じであったのでエイドの隣にある道の駅のトイレに行こうと思いながらもつい行きそびれてしまう。しかし、次のエイドまでもたせるのはきびしい感じがし、10分ほど進んだところで意を決して引き返すとスイーパーさん達に出くわす。わかっていたとはいえとうとうラストランナーなのね、と多少がっかりしつつも事情を話すと、道の駅まで戻らなくても近くにトイレがありますよ、ということでわざわざご案内いただいて恐縮。すっきりして今度は心おきなく山に入るが、スイーパーさん達と一緒にいる訳にはいかないのでペースを上げて先に進む。
A7からA8山中湖きららの区間も前半の竜ヶ岳同様に雨のためコース変更されており、本来なら小刻みにあるピークを3つほど越えなければならないところが、最初のピークの立山から左(西)に折れて湖畔のロードに下ることになっていたので、ずいぶん気持ちが楽に。それでも自分の前に人が見当たらない真っ暗な山道を登って行くのはさすがに気味が悪く、熊鈴をしっかり鳴らしながら進む。しかもこの辺りから幻覚が出始め、山の中に小さなテレビの画面がいくつも見えてくる。一体どうなっているんだ?と近づいてみると、それはマーキングテープに付けられた反射板がヘッ電の灯りを受けて光っていただけのことであったが、遠くからだと自分の目には何かよくわからないが番組みたいなものまで見えていた。ここまで一睡もせずに来たせいか、ちょっとヤバいかもなぁ…
ロードに出ても辺りは真っ暗でライトがないととても走れない。国道に出てしばらく走りA8山中湖きらら(135.5km)には午後11時過ぎの到着、コース変更のおかげで関門まで1時間以上の余裕が出来ていた。ここではラン友のたかっちさんと奥さんがボランティアをされていて、彼からまず装備チェックを受ける。聞くと装備の不備で失格になった選手が少なからずいたらしい。スタート前のチェックが装備の全てではなく一部にとどまったせいか、甘く見て軽量化のために途中で下ろしたんだろうか。必須装備はレギュレーションで強制されるから渋々持つのではなく、あくまで自分の身の安全のためなのだから当然のことだと思う。
チェックの後は補給をしながらたかっちさんから色々アドバイスをもらい、彼の勧めでマッサージを受けることに。マッサージブースに行き、泥だらけのシューズを脱ごうとするとそのままでいいとのことで、こちらの汚く汗臭い風体を気にする様子もなくしっかりと気持ちの入った施術をしてくれて感謝感激。そしてエイドを出るところで実行委員である福田六花さんからメディカルチェックがあり、「この先の山はきびしいので、もし具合が悪くなったら手前のエイドに戻れる体力を残してリタイアを判断して下さい。ゴールで待っています!」と注意と激励を受け、エイド中の拍手の中、山中湖を後にする。ここまで富士宮やすばしりの関門でギリギリのところをすり抜けてきていたが、気持ちの上では何としてもゴールまでというほど強いものはなく、流れに任せるというか、紙一重の幸運で繋ながってきたというのが正直なところだった。しかし、このエイドで手厚いサポートというか、精神注入というか、大会そして出場者に対する熱い思いを持ったサポートの人たちと接したことによって、いつやるの?今でしょう!ではないが、ようやくスイッチが入った感じがした。
この先迎えるは石割山、杓子山、そして霜山のUTMFの黒い三連星、2年前の試走ではじめの2つの山の様子は大体わかっていたが、天子山地ほどではないにしろこれまで越えてきた山々にないトレランというよりもクライミングの要素の強い相当の難敵。そのうえラスボス霜山は全く予備知識なしと、君は生き延びられるか?
【A8山中湖きらら〜A10富士小学校】
ラストランナーとしてエイドを出たが、ほどなく先行する人たちに追いついて話をしたりしながら石割山に向かう。登山口に着いた頃にはまた前後に人がいない状態になっていて、黙々とひとり真っ暗な林道を登り始める。しばらく登ったところに軽四が停まっており、パチパチと木の燃える音も聞こえてきて、どうやら石割神社に着いたらしい。ここではランナーを迎えるためにかがり火が焚かれているとのことだったが、もうこんなに遅いので多分ないだろうと思っていた。しかし、まだちゃんと燃え盛っていて、火の番をされている人たちからがんばってと声もかけていただき感謝。ご神体の巨石はよく見えなかったが、お社に向かって二礼二拍手一礼で完走祈願して先に進む。
神社から先はトレイルというよりも両手も使って攀じ登ってゆくようなところが多くあるが、2年前の試走の記憶ではまだ次の杓子山よりも距離は短くマシだった印象。ようやく石割山を越えてまたぬかるみ道を下りA8から約2時間でA9二十曲峠(141.7km)に午前2時に着く。このエイドは豆腐と豆腐ドーナツが売り物であったが、悪いがちょっと残念な感じ。コンソメスープをもらいベンチに腰を下ろしたところで、急に体が重くなった気がしてふいに眠気が襲ってくる。スタートからここまで不思議と眠いと感じたことはなかったが、ついに来たか。横を見ると疲れ果てた様子で毛布にくるまって寝ている人がいたりして、時間も時間だったが、やばいここはブラックホールだ、と思い15分ほどで出発。
ここから杓子山を越えて最終関門のA10までは15km、天子山地に次ぐUTMFの難所である。時間は5時間の割り当てで私はプラス30分くらいの余裕があったか。立ノ塚峠までは普通にアップダウンを繰り返すトレイル、そしてそこから杓子山までは約2キロで標高差400mのほぼクライミングと言えるような登りが続く。この辺りで前後との差が詰まり、少ないとはいえ人のいる状態であったが、もう皆疲れ果てているのでしばしば休みが入り結構時間がかかる。おまけに途中でGPSウォッチのバッテリーが切れて標高や距離がわからなくなったのはちょっと痛手であった。発売されたばかりで最大46時間稼働との触れ込みのEPSON MZ500であったが、やはり山中が多いと電池の消耗が早いようだ。
ようやくという感じで頂上らしきところに着くが、そこは子ノ神というピークで杓子山はなおその先にある。この頃には夜が明け始めていたが、ピークに近いというのに木々の生い茂る薄暗い中を延々とアップダウンが続き、一体いつになれば下りに入るのか、もしかして道を間違えたのではないかと不安な気持ちを抱えながら進む。途中で山中湖のエイドを出た後で話をした人に追いついたところ、「前のエイドには戻らないのですか?」と尋ねられ、何を言っているんだ、この人は!と思ったが、たぶん私以上に不安だったのだろうか。試走で杓子山さえ越えれば、少し下ると林道になることがわかっていたが、たぶんそのことを知らなかったのだろう(ちなみにこの方も無事完走されたようです)。
杓子山の山頂を越えて短いぬかるみの下りを経るとやっとこさ待望の林道に出る。ここにいた大会スタッフに残りの距離を聞くと7キロとのことで、A10富士小学校(156.7km)のINの関門まで1時間弱というところだったか、間に合いますよね?との問いに対しては「う〜ん…」と微妙な表情。さらに下って林道のゲートまで来たところに女性の誘導スタッフがいて、彼女の方は「まだ間に合いますよ、がんばって!」と励ましてくれ、そうそうこうでなくっちゃ、とここで気合いを入れて走り始める。所々登りもあったが、林道が終わりロードに出て残り3キロ、ここからはゆるい下りであったおかげでかなりペースアップ。曲がり角には必ず誘導のスタッフがいたおかげでテンポよく進むことができ、ラストでいつもWebサイトを見ているMMAの渋井さんらしき人から「あと300メートルです、角を右に行けばすぐです、ダッシュ!」と声をかけていただき、全速力(あくまで感覚)でエイドに駆け込んだのはINの関門1分半前であった。何とか間に合ったが、A9から5時間半もかかってしまったのは遅すぎ。でもここで止めさせられてはここまでの苦労が無駄になるというか、たとえ完走にならなくても自分の中で富士山一周を完結させる、そんな思いだった。
エイドでうどんをいただきながら、ボランティアの女性にこの先のコースについて聞く。残り約12キロ、トレイルはそれなりにぬかるんでいる、山を越えてからゴールまでは4.5キロあり、残り3時間で行くのはなかなかタフなチャレンジ、とのこと。もう行くしかないが、いつものことながら最後に帳尻合わせでバタバタするのは100マイルでも変わらんな…
【A10富士小学校〜ゴール】
A10を出て目指すはラスボスの霜山、ここだけは自分にとって全くの空白地帯でどれくらいかかるのか見当がつかない。A10との標高差は600mとしっかりあって、もしまたまた天子山地のようなぬかるみ地獄だったらとても3時間で越すことはできないだろう。街外れの登山口から取り付くと最初はスキー場のゲレンデみたいな直登が続き、斜度はそれなりにあるが一定しており路面も割としっかりしていたので、走ることはできないがペースはキープしやすく、息が上がってしまわない程度にプッシュしてグイグイ(あくまで感覚)登ってゆく。ひとしきり登ってきてもうかなり来ただろうと、たまたまあった標識を見たらまだ半分… その先は少しゆるやかな登りになったが、カーブの多いつづれ折りの道が森の奥深くまで延々と続き、なかなか山頂が遠い感じ。この辺りでは幻覚が最盛期となり、先の方に供物がたくさんのお地蔵さんがあるな、と近くに行ってみたらただの草むらだったり、誘導のスタッフがいる、と思ったら倒れかかった木だったりと色々見たが、不思議と身近なものやきれいどころとかは現れず、あまり意味のなさそうなものばかりだった。カメラを構えていた女性が見えたので、また幻覚かと思ったら今度は本物、あと頂上までどれくらい?と聞くと、10分、いや15分くらいかな、と期待も失望もさせない回答。
彼女の言う通り15分弱で数人のスタッフのいる頂上と思しき場所に着く。あと1時間ちょっとくらいだったか、残りはたぶん6キロでトレイルは半分くらい、彼らに間に合いそうか聞いてみたが、杓子山の時と同様に微妙な顔をする。こちらの状態はわからないだろうが、ここまできたらもう思い切り背中を押してくれてもよさそうなものだ。気にせずいよいよ最後の下りにかかる。ぬかるみはあったが、幸い泥は固めであったので着地に注意すれば滑る心配は少なく、たぶんこの大会で一番集中した下りだったと思う。
ロードに出て正面に河口湖が見えてきて、誘導の女性スタッフからあと3.3キロと告げられ、その少し先にいた年配のスタッフの方からはあと2.7キロと言われ、予想よりも短くて少しほっとする。コース変更で距離が延びた分、最後を調整したのかなと思っていたが、湖畔への長い階段を下りたところの指示はやはり湖を北側に回り込んで河口湖大橋を渡るとのことで、遊歩道に入ってすぐの標識には残り3キロの表示。この時点で残り25分くらい、キロ8出せればギリギリ間に合うが足が攣るなどトラブルがあればおしまいなので、まだ安心できる感じではない。
河口湖大橋はもとより正面に見える北岸に立ち並ぶホテルの建物さえなかなか近付く感じがしなかったが、少しでも先の道を走っているところをイメージしながらせっせと進む。本当はこの辺りはこれまでの道のりを振り返りその余韻に浸りながらゆっくりとゴールに向かいたいのにそんな余裕が全然ない。やっと橋にかかり、それを渡り終えて橋の袂にいた大会のスタッフから、お帰り〜!と声をかけてもらってようやく完走の実感が湧いてくる。最後の遊歩道からゴールゲートまで行き交う人のほとんど全員から拍手と祝福の言葉をいただき、ゴール手前ではビデオカメラを抱えたスタッフに走りながらインタビューを受け(何をしゃべったかよく覚えていないが、DVDに出ていたらいいな)、制限時間をほぼ目いっぱい使って長い長い旅は終わった。
【ようやく感想】
大会が終わってそろそろ1ヶ月が経とうとしているが、備忘録のつもりであらためてこの文章を書いてみて結構色々なシーンを未だ鮮明に覚えていることに驚き(特に終盤)、またそれを十分表現しきれない文章力が歯がゆいが、ま、何とかまとめることができてやれやれ。自分としてはスタート前から合わせると50時間以上一睡もせずにタフなコースを動き続けたことは本当に驚きで、1枚皮をバリバリっと脱いで新しい自分が現れたような気分がする(たぶんほとんど何も変わっていないだろうけど)。2年前のDNFのリベンジの気持ちはもちろん強かったが、その思いだけでは超えられない場面が何度もあって、それをクリアできたのはこれまでの様々な経験であったり、サポートしてくれた大会スタッフ、ボランティアの方々の熱い気持ちのおかげだった。
100マイルを完走するという非日常的経験は日常生活にはあまり役には立たないし、身体には悪いし、こんな話を普通の人にしても変な目で見られるだけだと思う。また出たいかと聞かれても今はちょっと即答しかねるが、やはりそこでしか見ることのできない風景というものがあってそれは見た者にしかわからない、ということで、とりあえずこの話はこれでおしまい。
無駄に長い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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