記録ID: 783303
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
丹沢
塔ノ岳から丹沢三峰で歩いた、忘年登山
2015年12月22日(火) [日帰り]
- GPS
- --:--
- 距離
- 25.5km
- 登り
- 2,033m
- 下り
- 2,181m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 11:01
- 休憩
- 1:31
- 合計
- 12:32
15:10
ゴール地点
この時期恒例として来た丹沢忘年登山です、
抑々自分をこの地域に導いた同級生が居た、
山ではないが道半ばでこの世を去ってしまう。
今日入れて四度目である、その事では山での楽しみ方と
登山者との触れ合いが自分の登山に強い影響が
生まれるのだと教わった。
丹沢山塊には既に20回以上上がっている、行くたびに体力が有ったり
無かったりその時の調子が顕著に出るのが登山でしょうか。
歳も加わり歩くに伴わないザックの重さもある、塔ノ岳に行く為に
色んなものを詰め込み上がるので何でも持って行くのはオーバーな
荷物と見るが侮れない山でもある。
昨日はサプライズで二キロオーバーで登りました、多分15kg位
だったかと思う。自分は此の重さで歩いた事は無い、
他人からすれば
そんなもの重くないよって言われるかも知れませんが。
書き始めはこのくらいにしましょう。
小田急渋沢駅に着いてバスは9:12で大倉に向かう、当然この
時間でも山に行き人で座席を占拠していた。
自分は急がずの登山なのでゆっくり登るのです、
大倉バス停のどんぐり
ハウスで登山カードを記入しスタートした。
毎度だが後ろには誰も見えない、重いデジイチもザックに入ってる、
コンデジで良かったのにカメラ事態動作が動いたり駄目だったりの
動作なので控えとして持ち出したので余分な荷物でも記録を残すには
仕方なかった。
観音茶屋を通過した時には背中に汗が出始め早速一枚脱ぐ羽目になる、
歩きは大倉高原の家に廻り距離は有るが久しぶりの立ち寄りにした。
入口の鳥居は崩壊してた、有ると無いではイメージがわかない建屋
だった。
キャンプ地を通過して雑事場の平が見え出す、取り合えず通過する、
その先には見晴茶屋がある、茶屋を過ぎるといよいよ傾斜が掛かって来るので一段一段のんびりと歩を進める。
一本松の場所で休息を入れた、重いザックを下し背中を伸ばし軽く肩を
廻しながら立ったままだ、その時に手袋を落としてしまった様だ、
次の休憩時にぶら下がっていたものが無いのに気づき戻って取りにとは
成らなかった。
残念な事ですが、諦めてしまう。予備の手袋が有るから我慢とする、
駒止茶屋辺りからガレ場も有るし慌てずに上がって行く。
堀山の家まで来た、コースタイムは当に時間は過ぎている、今日の
歩きだと14時到着だと計算する。
多分この時間で塔ノ岳に着けば残っている登山者は居るのかな?と
考えてしまう。
晴れては居るが堀山の場所から富士山が見えたしかし、横に雲が
まとわり付き完全な姿では無かった、そうなれば上で見られるとは
限らない、花立山荘手前の階段にあえぎたどり着いた。
何人かご飯中でした、自分も仲間入りしお昼ご飯を取る、富士の姿は
右に頭がかろうじて見えるそんな状態に成ってました。
お昼を終える頃には全て下山の方向に行ってしまった。
其れだけ自分が遅いのかと思わせた、仕方ない一泊の登山なので
気に留めることは一切なし。花立の木道から振り返ってみれば
相模湾がキラキラ輝いていた、江の島、初島も見える。
後少しだ頑張らねばと辛い登りが続いた、自分の自己タイムでは
塔ノ岳には3時間が最も早く上がれたタイムなので皆さんとは
比較には出来ないのでそれ以上頑張る努力も出来ない。
塔ノ岳には年配者が多く登られると聞かされた、元気な84才の
方は一週間に一度は来ると言ってたが奥様に体力の事や心配が
起きては大変だから月一にしなさいと言われそのような行動
だとか。
元気なお父さんが多いのも塔ノ岳の特徴だという、でもこの先の
縦走する人は減ってしまい自分見たいに次の山を目指して居る
のは減っているそうです。
金冷しから別れもう少し階段、木段を上がらないと山頂には
着かない、入口に日の出山荘が昔は有った、数年前取り壊しに
なり、裸の傾斜地化してる。
荷物が重いので尊仏山荘に入り、まさに肩の荷を下ろす。
泊まり客は4名であった、寄りに依って食事は自分だけで
残りは自炊する様だ。
二時にチェックインではやる事が無い、そうかて丹沢まで行く事は
時間が半端だ、仕方ない泊り客と会話でもするかとなりお茶と
コーヒーで時間を潰した。
相変わらずデブにゃん子が石油ストーブの前でごろり寝ている、宿泊
する一人が猫はいいよね癒し効果有って気持ちいいと撫でまわしてた。
肝心の支配人は下山しお風呂でも浸かる為か家に帰ってしまった、会話
しようと思って来たが残念です、居る人だけで会話は繋がり消灯まで
屈託のない会話で過ごした。
小屋番の親父さんは喜作だ、我らの話に仲間入りし語らいは終始外の風景が刻々と変化するのでコンデジを持った小屋番は出たり入ったりを繰り返してた。中年の女性もつられて気に成るのか親父さんに促され撮影に興じてた。
17時過ぎて自炊班はコンロに火を付けて夕飯に取り掛かってる、自分は
二食付きで泊まるので何もせず時間を待つのみである。早めの夕飯と成り
カレーが運ばれて来た、当然お代わりをしたらふく食べ明日のエネルギー
とする。
序に家から持って来た冬至南瓜をコンロで温め甘いあんこに南瓜で
デザートとした。消灯まで二時間は無い小屋番の親父さんは一杯入ってたか上機嫌です。自分も本来酒はきらいではないが今日は止めとく。
同級生の事を思うと一人酒は似合わないとこの日は抜いた、八時に消灯と成るのだが全員早めの部屋入りに成って消灯も早かった、部屋に入っても
外の様子が気に成る、星空を期待したがさっぱりである。
かろうじて下界の夜景が撮影出来たのは幸いとする、数人の宿泊なので
各自個室を利用させて頂いた、1,2,8の部屋を使ってた、二階建ての
作りで12人は寝られるようだ。
去年も泊り客が少なかったので個室を使ったがその時よりも少ない
ひっそりである、毛布を一枚引いてその上にもう一枚乗せ布団をかぶせた、早めの就寝だったがおいそれとは寝に入れない。
考え事は無くとも泊まれるわくわく感なのでしょうか暗闇の中目を開けて
布団の温まる状態を見ている、寒さは感じませんでした、夜中にトイレに
出たが星空では無い、外気温はマイナス2.2度と去年の冷たさは今年は無い、マイナス6.5度は確かに星空の撮影時では短時間で凍えてしまう。
温暖化が原因なのでしょうか、夕飯時は0.9度であった、もう少し
冷えて居たなら完全な霧氷が見られ流石高い場所だと感じ取れたはず。
21時前にはうとうとから眠りに入ったようで疲れは残ってなかった、
早朝のご飯に成るのでスマホで目覚ましセットとしてある、朝の五時
早々と寝床から下に降りる音が聞こえた、自分はもう少し布団に
包まっている。単なるミノムシ状態で過ごした。
五時半に成って布団を片付け下に降りた、香ばしいコーヒーの香りが
漂いそれなら自分もとお湯の入った山専ボトルを取り出す、丸一日
過ぎては居るがちゃんと保温は出来ていた。
コーヒーを飲んでいたら朝食食べますかと聞かれ今でも良いと返事する、
定番のおでんが出て来た、振りかけ海苔と板海苔も付いてくる。
ご飯は御代りの半ライスにした、食べ終えても外は真っ暗です、日の出
時刻は6:46分ですが、日の出は拝めない雲の中の山頂です。
歩ける時間に成ったらと暫くストーブの前で準備した、6:45分
名物?丹沢のチャンプが上がって来た、お早うガソリン30kgの
運びで有った。ビキニスタイルの様なパンツで上がって来る。
寒さは如何なっていると聞いてもおかしな話に成るので聞かない、
早速挨拶がてら握手を求め序に写真を一緒に取らせてもらった。
5138回の歩荷である、この人除いて外に居ない当に丹沢の
チャンピオンなのです。
元気な畠山さんに見送られ足取りは快調だった、尊仏山荘うらから
丹沢山に向かう、急坂を下り鞍部の梯子を上り返すが手前で小さな
霧氷の樹木を見つけた、下から上がって来るガスが低温の場所で
木々に飾りを付けている。
日高、竜ケ馬場辺りでは霧氷は見られなかった、風が穏やか過ぎて
ガスが上がってこない、のどか過ぎる笹尾根歩きでした。
みやま山荘から出て来た登山者が次次とすれ違う、13名程の方達と
行きかった。
背中の荷物が軽く成ったので歩くにも違和感は無い、丹沢山に着いた
ベンチに一人スマホをいじっていた、塩水橋から上がってきた様だ。
挨拶は簡単に済ませ宮ケ瀬への下りに入る11kmと長丁場だ
丹沢三峰を越えて行くのである、この道は暫く歩いてないので
薄れた記憶ももう一度思い起こして歩くとした。
三峰で一番キツイのが円山木ノ頭だ直登の階段はバカ尾根より角度が
強く足運びが鈍る、やれやれでたどり着く、先ずは写真だサックを
降ろしコーヒーと茶菓子で足を休めた。
残りの一峰は自分の名前と一緒の山で親しみが湧く、歌手の野口五郎は
山の名前からとしていた、自分はあり得ない話。地図を見たときどんな
山なのか見たく夏場に縦走し確認しに来た程です。
景色は見られない単なるピークに東峰と地図に書かれているだけだ
時間を此処で少し取り休んだ、此方の三峰に入った時小雨が落ちて
来たが雨具着込む程ではないので其の儘の恰好で続けた。
残り7.6kmで半分も歩いてない、頑張ってたか高畑山へGOである、
下りが多いが落ち葉に埋もれた山道は時折足を不安にさせる、階段だったり傾斜がはっきりさせない、場所に依っては山靴をくくらせる程の所も。
歩きは右に巻いたり左に巻いたりをくり返し下がって行く、小さなロープ
や横クサリも出て来るが触らずして通過した、金冷しの前後がその場所、
通過して歩くと今度は登りで進む事に成った、道標は高畑山と有る。
まきみちでも良かったが雨のしのげる場所で昼食を取る事にした、幸いモミの木の下が雨宿りに都合がよさそうなので足を止めてご飯の支度だ。
山専のお湯は冷めて来たのでコンロで沸かす、袋めんを入れて煮詰める、
待てよおにぎりが残っているのに気が付きこれも投入だと麺の湯に入れた
お湯が溢れだしガスが消えてしまった。
コッヘルの大きさが問題でおにぎりがふやけた時は水分は完全に干上がり
ラーメンはスパゲッティ状態に成っている、山の食事なのでかまっては
居られない、すきっ腹には上等の食べ物、熱いご飯が食べられる事事態
有難いと思えでした。
無理やり押し込んだ格好だったが美味しく?食べられた、パッパッと
かたずけを済ませてザックを背負った何と一段と軽く成り毎度の重さが
感じられる、傾斜が緩いとつい駆け出して歩く状態、昨日の重さは何処絵やらと成った。
13:41分登山口に着いた、なんだかんだで一時間掛って降りた様だ、三叉路の交差点からダムへ行くはずが道路標識に釣られ反対に歩いてしまった、時間は10分のロスを起こしたがダムサイトを歩くのには充分時間が
有るので慌てない。
ダムのゲートで閉門時間を聞いたら17:30分だと言う、もう少し
ゆっくりでも良かったが、暗く成っては歩くのが面倒だし家庭でも
不安がる、登山口から三差路を経由し半原までは8kmと又しても
長い歩きに、二里の歩きが残ってる。
観光の場所を歩いたのは今回三回目、宮ケ瀬湖一周もした、団体のウォーキングに参加でこの湖に初めて来たのです。その後去年と今年の縦走で
三回目です。
道筋は分かるので時間も読める15時当たりを目標で半原バス停に着けば
上等とした、中津川を下りです。ダムのエレベータに乗り込み石小屋から
川沿いを歩いて日向橋を過ぎればバス停です。
橋のたもとからバスの姿が見えた、多分本厚木行きだろうと思って
近づくと何と地元行きのバスがエンジンを掛けて居たのだ、自分が
到着した時間は15:10分でした、バスに乗り込んだ時山から
帰りきゃくが大勢乗っていた。
仏果山、南山辺りからの帰りかも知れません、スマホのアプリを停止
刺せる為にザックを探って居たらバスは発車した、二分の待ち時間は
乗っていたお客からすれば何とタイミングのいい客が居たもんだと
見えたでしょう。
大半は乗り継ぎの田名バスターミナルまで乗った、その後淵野辺行に
乗り換え電車で帰路だった様だ。
雨は降っていたが家に着くまでびしょ濡れは免れた、こうして一泊の
単独忘年登山は終わった、のんびりの歩きは次の山へと向かうのでしょう
足休めの最後の山は秦野町の弘法山です、数人して鍋を囲んで過ごす
事にしました。
歩いた歩数 56563歩
距離ですが歩数計では 40.7km お疲れでした。
抑々自分をこの地域に導いた同級生が居た、
山ではないが道半ばでこの世を去ってしまう。
今日入れて四度目である、その事では山での楽しみ方と
登山者との触れ合いが自分の登山に強い影響が
生まれるのだと教わった。
丹沢山塊には既に20回以上上がっている、行くたびに体力が有ったり
無かったりその時の調子が顕著に出るのが登山でしょうか。
歳も加わり歩くに伴わないザックの重さもある、塔ノ岳に行く為に
色んなものを詰め込み上がるので何でも持って行くのはオーバーな
荷物と見るが侮れない山でもある。
昨日はサプライズで二キロオーバーで登りました、多分15kg位
だったかと思う。自分は此の重さで歩いた事は無い、
他人からすれば
そんなもの重くないよって言われるかも知れませんが。
書き始めはこのくらいにしましょう。
小田急渋沢駅に着いてバスは9:12で大倉に向かう、当然この
時間でも山に行き人で座席を占拠していた。
自分は急がずの登山なのでゆっくり登るのです、
大倉バス停のどんぐり
ハウスで登山カードを記入しスタートした。
毎度だが後ろには誰も見えない、重いデジイチもザックに入ってる、
コンデジで良かったのにカメラ事態動作が動いたり駄目だったりの
動作なので控えとして持ち出したので余分な荷物でも記録を残すには
仕方なかった。
観音茶屋を通過した時には背中に汗が出始め早速一枚脱ぐ羽目になる、
歩きは大倉高原の家に廻り距離は有るが久しぶりの立ち寄りにした。
入口の鳥居は崩壊してた、有ると無いではイメージがわかない建屋
だった。
キャンプ地を通過して雑事場の平が見え出す、取り合えず通過する、
その先には見晴茶屋がある、茶屋を過ぎるといよいよ傾斜が掛かって来るので一段一段のんびりと歩を進める。
一本松の場所で休息を入れた、重いザックを下し背中を伸ばし軽く肩を
廻しながら立ったままだ、その時に手袋を落としてしまった様だ、
次の休憩時にぶら下がっていたものが無いのに気づき戻って取りにとは
成らなかった。
残念な事ですが、諦めてしまう。予備の手袋が有るから我慢とする、
駒止茶屋辺りからガレ場も有るし慌てずに上がって行く。
堀山の家まで来た、コースタイムは当に時間は過ぎている、今日の
歩きだと14時到着だと計算する。
多分この時間で塔ノ岳に着けば残っている登山者は居るのかな?と
考えてしまう。
晴れては居るが堀山の場所から富士山が見えたしかし、横に雲が
まとわり付き完全な姿では無かった、そうなれば上で見られるとは
限らない、花立山荘手前の階段にあえぎたどり着いた。
何人かご飯中でした、自分も仲間入りしお昼ご飯を取る、富士の姿は
右に頭がかろうじて見えるそんな状態に成ってました。
お昼を終える頃には全て下山の方向に行ってしまった。
其れだけ自分が遅いのかと思わせた、仕方ない一泊の登山なので
気に留めることは一切なし。花立の木道から振り返ってみれば
相模湾がキラキラ輝いていた、江の島、初島も見える。
後少しだ頑張らねばと辛い登りが続いた、自分の自己タイムでは
塔ノ岳には3時間が最も早く上がれたタイムなので皆さんとは
比較には出来ないのでそれ以上頑張る努力も出来ない。
塔ノ岳には年配者が多く登られると聞かされた、元気な84才の
方は一週間に一度は来ると言ってたが奥様に体力の事や心配が
起きては大変だから月一にしなさいと言われそのような行動
だとか。
元気なお父さんが多いのも塔ノ岳の特徴だという、でもこの先の
縦走する人は減ってしまい自分見たいに次の山を目指して居る
のは減っているそうです。
金冷しから別れもう少し階段、木段を上がらないと山頂には
着かない、入口に日の出山荘が昔は有った、数年前取り壊しに
なり、裸の傾斜地化してる。
荷物が重いので尊仏山荘に入り、まさに肩の荷を下ろす。
泊まり客は4名であった、寄りに依って食事は自分だけで
残りは自炊する様だ。
二時にチェックインではやる事が無い、そうかて丹沢まで行く事は
時間が半端だ、仕方ない泊り客と会話でもするかとなりお茶と
コーヒーで時間を潰した。
相変わらずデブにゃん子が石油ストーブの前でごろり寝ている、宿泊
する一人が猫はいいよね癒し効果有って気持ちいいと撫でまわしてた。
肝心の支配人は下山しお風呂でも浸かる為か家に帰ってしまった、会話
しようと思って来たが残念です、居る人だけで会話は繋がり消灯まで
屈託のない会話で過ごした。
小屋番の親父さんは喜作だ、我らの話に仲間入りし語らいは終始外の風景が刻々と変化するのでコンデジを持った小屋番は出たり入ったりを繰り返してた。中年の女性もつられて気に成るのか親父さんに促され撮影に興じてた。
17時過ぎて自炊班はコンロに火を付けて夕飯に取り掛かってる、自分は
二食付きで泊まるので何もせず時間を待つのみである。早めの夕飯と成り
カレーが運ばれて来た、当然お代わりをしたらふく食べ明日のエネルギー
とする。
序に家から持って来た冬至南瓜をコンロで温め甘いあんこに南瓜で
デザートとした。消灯まで二時間は無い小屋番の親父さんは一杯入ってたか上機嫌です。自分も本来酒はきらいではないが今日は止めとく。
同級生の事を思うと一人酒は似合わないとこの日は抜いた、八時に消灯と成るのだが全員早めの部屋入りに成って消灯も早かった、部屋に入っても
外の様子が気に成る、星空を期待したがさっぱりである。
かろうじて下界の夜景が撮影出来たのは幸いとする、数人の宿泊なので
各自個室を利用させて頂いた、1,2,8の部屋を使ってた、二階建ての
作りで12人は寝られるようだ。
去年も泊り客が少なかったので個室を使ったがその時よりも少ない
ひっそりである、毛布を一枚引いてその上にもう一枚乗せ布団をかぶせた、早めの就寝だったがおいそれとは寝に入れない。
考え事は無くとも泊まれるわくわく感なのでしょうか暗闇の中目を開けて
布団の温まる状態を見ている、寒さは感じませんでした、夜中にトイレに
出たが星空では無い、外気温はマイナス2.2度と去年の冷たさは今年は無い、マイナス6.5度は確かに星空の撮影時では短時間で凍えてしまう。
温暖化が原因なのでしょうか、夕飯時は0.9度であった、もう少し
冷えて居たなら完全な霧氷が見られ流石高い場所だと感じ取れたはず。
21時前にはうとうとから眠りに入ったようで疲れは残ってなかった、
早朝のご飯に成るのでスマホで目覚ましセットとしてある、朝の五時
早々と寝床から下に降りる音が聞こえた、自分はもう少し布団に
包まっている。単なるミノムシ状態で過ごした。
五時半に成って布団を片付け下に降りた、香ばしいコーヒーの香りが
漂いそれなら自分もとお湯の入った山専ボトルを取り出す、丸一日
過ぎては居るがちゃんと保温は出来ていた。
コーヒーを飲んでいたら朝食食べますかと聞かれ今でも良いと返事する、
定番のおでんが出て来た、振りかけ海苔と板海苔も付いてくる。
ご飯は御代りの半ライスにした、食べ終えても外は真っ暗です、日の出
時刻は6:46分ですが、日の出は拝めない雲の中の山頂です。
歩ける時間に成ったらと暫くストーブの前で準備した、6:45分
名物?丹沢のチャンプが上がって来た、お早うガソリン30kgの
運びで有った。ビキニスタイルの様なパンツで上がって来る。
寒さは如何なっていると聞いてもおかしな話に成るので聞かない、
早速挨拶がてら握手を求め序に写真を一緒に取らせてもらった。
5138回の歩荷である、この人除いて外に居ない当に丹沢の
チャンピオンなのです。
元気な畠山さんに見送られ足取りは快調だった、尊仏山荘うらから
丹沢山に向かう、急坂を下り鞍部の梯子を上り返すが手前で小さな
霧氷の樹木を見つけた、下から上がって来るガスが低温の場所で
木々に飾りを付けている。
日高、竜ケ馬場辺りでは霧氷は見られなかった、風が穏やか過ぎて
ガスが上がってこない、のどか過ぎる笹尾根歩きでした。
みやま山荘から出て来た登山者が次次とすれ違う、13名程の方達と
行きかった。
背中の荷物が軽く成ったので歩くにも違和感は無い、丹沢山に着いた
ベンチに一人スマホをいじっていた、塩水橋から上がってきた様だ。
挨拶は簡単に済ませ宮ケ瀬への下りに入る11kmと長丁場だ
丹沢三峰を越えて行くのである、この道は暫く歩いてないので
薄れた記憶ももう一度思い起こして歩くとした。
三峰で一番キツイのが円山木ノ頭だ直登の階段はバカ尾根より角度が
強く足運びが鈍る、やれやれでたどり着く、先ずは写真だサックを
降ろしコーヒーと茶菓子で足を休めた。
残りの一峰は自分の名前と一緒の山で親しみが湧く、歌手の野口五郎は
山の名前からとしていた、自分はあり得ない話。地図を見たときどんな
山なのか見たく夏場に縦走し確認しに来た程です。
景色は見られない単なるピークに東峰と地図に書かれているだけだ
時間を此処で少し取り休んだ、此方の三峰に入った時小雨が落ちて
来たが雨具着込む程ではないので其の儘の恰好で続けた。
残り7.6kmで半分も歩いてない、頑張ってたか高畑山へGOである、
下りが多いが落ち葉に埋もれた山道は時折足を不安にさせる、階段だったり傾斜がはっきりさせない、場所に依っては山靴をくくらせる程の所も。
歩きは右に巻いたり左に巻いたりをくり返し下がって行く、小さなロープ
や横クサリも出て来るが触らずして通過した、金冷しの前後がその場所、
通過して歩くと今度は登りで進む事に成った、道標は高畑山と有る。
まきみちでも良かったが雨のしのげる場所で昼食を取る事にした、幸いモミの木の下が雨宿りに都合がよさそうなので足を止めてご飯の支度だ。
山専のお湯は冷めて来たのでコンロで沸かす、袋めんを入れて煮詰める、
待てよおにぎりが残っているのに気が付きこれも投入だと麺の湯に入れた
お湯が溢れだしガスが消えてしまった。
コッヘルの大きさが問題でおにぎりがふやけた時は水分は完全に干上がり
ラーメンはスパゲッティ状態に成っている、山の食事なのでかまっては
居られない、すきっ腹には上等の食べ物、熱いご飯が食べられる事事態
有難いと思えでした。
無理やり押し込んだ格好だったが美味しく?食べられた、パッパッと
かたずけを済ませてザックを背負った何と一段と軽く成り毎度の重さが
感じられる、傾斜が緩いとつい駆け出して歩く状態、昨日の重さは何処絵やらと成った。
13:41分登山口に着いた、なんだかんだで一時間掛って降りた様だ、三叉路の交差点からダムへ行くはずが道路標識に釣られ反対に歩いてしまった、時間は10分のロスを起こしたがダムサイトを歩くのには充分時間が
有るので慌てない。
ダムのゲートで閉門時間を聞いたら17:30分だと言う、もう少し
ゆっくりでも良かったが、暗く成っては歩くのが面倒だし家庭でも
不安がる、登山口から三差路を経由し半原までは8kmと又しても
長い歩きに、二里の歩きが残ってる。
観光の場所を歩いたのは今回三回目、宮ケ瀬湖一周もした、団体のウォーキングに参加でこの湖に初めて来たのです。その後去年と今年の縦走で
三回目です。
道筋は分かるので時間も読める15時当たりを目標で半原バス停に着けば
上等とした、中津川を下りです。ダムのエレベータに乗り込み石小屋から
川沿いを歩いて日向橋を過ぎればバス停です。
橋のたもとからバスの姿が見えた、多分本厚木行きだろうと思って
近づくと何と地元行きのバスがエンジンを掛けて居たのだ、自分が
到着した時間は15:10分でした、バスに乗り込んだ時山から
帰りきゃくが大勢乗っていた。
仏果山、南山辺りからの帰りかも知れません、スマホのアプリを停止
刺せる為にザックを探って居たらバスは発車した、二分の待ち時間は
乗っていたお客からすれば何とタイミングのいい客が居たもんだと
見えたでしょう。
大半は乗り継ぎの田名バスターミナルまで乗った、その後淵野辺行に
乗り換え電車で帰路だった様だ。
雨は降っていたが家に着くまでびしょ濡れは免れた、こうして一泊の
単独忘年登山は終わった、のんびりの歩きは次の山へと向かうのでしょう
足休めの最後の山は秦野町の弘法山です、数人して鍋を囲んで過ごす
事にしました。
歩いた歩数 56563歩
距離ですが歩数計では 40.7km お疲れでした。
天候 | 晴れから翌日は曇りのち雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
帰り 半原から神奈中バス、本厚木行き、淵野辺行き |
コース状況/ 危険箇所等 |
特に有りませんが、傾斜地や階段の場所では落ち葉で埋もれてます。 つまずく事が起こりますので注意。 |
写真
お気に入りした人
人
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拍手した人
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訪問者数:795人
いい記録と感じました。
しっかり拝読させていただきました。
お世話様です。
通常は単独行動をしています、時には数名と歩きに成るが今回は参加しませんでした。丹沢が一番近い場所で反対の道志からもアクセスが可能なので行きたいと
思えば叶えられる丹沢です。歳とともに感じる歩きですがもう少し山歩きしたいです。雪が降ればはしゃいでしまう爺さんです。
いいねした人
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