まだ真っ暗な中をスタート。最初は雪混じりの雨が降っていました。
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2/7 5:58
まだ真っ暗な中をスタート。最初は雪混じりの雨が降っていました。
二股があります。どちらも旧道のようですが江戸時代の道筋は経験上右の道だと思います。左はなだらかに弧を描く感じで迂回しているので明治に整備されたものかもしれません(今回は両方歩きました)少し先で再び合流します。
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2/7 6:13
二股があります。どちらも旧道のようですが江戸時代の道筋は経験上右の道だと思います。左はなだらかに弧を描く感じで迂回しているので明治に整備されたものかもしれません(今回は両方歩きました)少し先で再び合流します。
夜がようやく明けてきました。
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2/7 6:29
夜がようやく明けてきました。
暗くてわかりにくいですが右へ。道標が立っています。
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2/7 6:37
暗くてわかりにくいですが右へ。道標が立っています。
右、吉田道。左、はぶ道。
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右、吉田道。左、はぶ道。
正面に山野井八幡宮が見えます。ここは右に曲がって川を渡り山裾を進みます。左は明治の新道です。
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正面に山野井八幡宮が見えます。ここは右に曲がって川を渡り山裾を進みます。左は明治の新道です。
川の右岸沿いを進みます。この先に鳥居があり常夜灯があります。
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2/7 6:44
川の右岸沿いを進みます。この先に鳥居があり常夜灯があります。
新道からの参道にある常夜灯の年号は大正時代のもの。対して旧道横にある常夜灯は天保年間のものでした。これは川沿いの道が江戸時代の道であることを意味しています。
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2/7 6:46
新道からの参道にある常夜灯の年号は大正時代のもの。対して旧道横にある常夜灯は天保年間のものでした。これは川沿いの道が江戸時代の道であることを意味しています。
左へ道なりに。
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2/7 6:50
左へ道なりに。
やがて明治の新道と合流します。この手前の祠がある場所には駕籠立場があったそうです。
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2/7 7:03
やがて明治の新道と合流します。この手前の祠がある場所には駕籠立場があったそうです。
薄っすらと雪化粧をする蓮台寺の山。
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2/7 7:10
薄っすらと雪化粧をする蓮台寺の山。
ここを右へ。踏切を渡ります。
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2/7 7:11
ここを右へ。踏切を渡ります。
道なりに進み跨線橋で左手に進みますが昔はこの付近で左に移っていたようです。
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道なりに進み跨線橋で左手に進みますが昔はこの付近で左に移っていたようです。
下関は国鉄型車両の宝庫ですね。
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2/7 7:22
下関は国鉄型車両の宝庫ですね。
ここを左。右は明治の新道です。
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2/7 7:27
ここを左。右は明治の新道です。
若干ぬかるんでいます。
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若干ぬかるんでいます。
JR線の左手を進み踏切を渡ります。資料では旧道は山陽本線の右側を通っていた説もあるのですが恐らくは複線化の折に消滅してしまったのでしょう。
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2/7 7:38
JR線の左手を進み踏切を渡ります。資料では旧道は山陽本線の右側を通っていた説もあるのですが恐らくは複線化の折に消滅してしまったのでしょう。
福田の集落を進みます。
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2/7 7:44
福田の集落を進みます。
蓮台寺峠への入口。右へ。
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蓮台寺峠への入口。右へ。
右、吉田。左、埴生 道。
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2/7 7:50
右、吉田。左、埴生 道。
ここを左へ。
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ここを左へ。
土道を進みます。この付近は区画整理が行われていて昔の面影がなくなっています。昔はちょうどここから斜め左へと弧を描くような道がありました。
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土道を進みます。この付近は区画整理が行われていて昔の面影がなくなっています。昔はちょうどここから斜め左へと弧を描くような道がありました。
左へ。ここから旧道が復活します。
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左へ。ここから旧道が復活します。
なかなか良い草道です。
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2/7 8:03
なかなか良い草道です。
崩落個所があるので注意して進みます。若干ぬかるんでいましたが大したことはありません。
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崩落個所があるので注意して進みます。若干ぬかるんでいましたが大したことはありません。
蓮台寺峠。実はこの手前にある送電線の鉄塔から旧道が残ってる説もありますが廃道になってるようでした。その道は奥に見える石碑の右手から出てきます。
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2/7 8:24
蓮台寺峠。実はこの手前にある送電線の鉄塔から旧道が残ってる説もありますが廃道になってるようでした。その道は奥に見える石碑の右手から出てきます。
石積みの跡。民家が何軒かあったそうです。
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2/7 8:25
石積みの跡。民家が何軒かあったそうです。
なかなか立派な切通し。
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なかなか立派な切通し。
ここからは舗装路で下っていきます。
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ここからは舗装路で下っていきます。
蓮台寺の入口。
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蓮台寺の入口。
右、蓮台寺。左、川久保。
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2/7 8:47
右、蓮台寺。左、川久保。
高速道路をくぐります。
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高速道路をくぐります。
吉田の町が見えてきました。
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吉田の町が見えてきました。
この付近には大きな庚申塔が多いです。
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この付近には大きな庚申塔が多いです。
突き当りを左。
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2/7 9:04
突き当りを左。
右、上方道。左、萩道。
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2/7 9:04
右、上方道。左、萩道。
吉田宿。毛利藩本藩の所領で代官所も置かれて栄えていました。
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吉田宿。毛利藩本藩の所領で代官所も置かれて栄えていました。
左の白い建物は奇兵隊の史跡。外観は変わってるものの中は江戸時代のままとのこと。
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左の白い建物は奇兵隊の史跡。外観は変わってるものの中は江戸時代のままとのこと。
長慶寺。三好家が松永久秀との戦いに敗れてここに辿りつき廃寺を再興したそうです。
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2/7 9:10
長慶寺。三好家が松永久秀との戦いに敗れてここに辿りつき廃寺を再興したそうです。
三界萬霊の地蔵尊。ここには一里塚がありました。
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三界萬霊の地蔵尊。ここには一里塚がありました。
橋を渡って道なりに。
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橋を渡って道なりに。
この先は木屋川右岸を進みます。かつてはここから夏秋は舟渡し、冬は木橋を架けて渡ってたのですが現在は面影なく右手の吉田大橋で迂回します。
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この先は木屋川右岸を進みます。かつてはここから夏秋は舟渡し、冬は木橋を架けて渡ってたのですが現在は面影なく右手の吉田大橋で迂回します。
堤防上の道筋を進みます。道路の右側に歩道があります。
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堤防上の道筋を進みます。道路の右側に歩道があります。
なかなか穏やかな川です。
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なかなか穏やかな川です。
旧道入口。ここを上っていきます。現在の車道は川が迫っていて江戸時代は通行が困難だったようで明治ぐらいに新たに作られたものと思われます。
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2/7 10:03
旧道入口。ここを上っていきます。現在の車道は川が迫っていて江戸時代は通行が困難だったようで明治ぐらいに新たに作られたものと思われます。
若干荒れています。右上に江戸時代の地蔵さんがおられます。
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2/7 10:06
若干荒れています。右上に江戸時代の地蔵さんがおられます。
民家が見えて草道が終わります。
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2/7 10:08
民家が見えて草道が終わります。
車道に合流します。恐らく昔はこのあたりも山際を進んでいたものと思いますが新幹線工事とその先の工場用地の影響で旧道は消滅してしまっているように思えます。
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2/7 10:10
車道に合流します。恐らく昔はこのあたりも山際を進んでいたものと思いますが新幹線工事とその先の工場用地の影響で旧道は消滅してしまっているように思えます。
右の膨らみは怪しいですね。
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右の膨らみは怪しいですね。
旧道入口。右へ。小月京泊の集落。
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2/7 10:18
旧道入口。右へ。小月京泊の集落。
石碑には普通は街道名を書きますが旧国道とは珍しいですね。
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2/7 10:34
石碑には普通は街道名を書きますが旧国道とは珍しいですね。
ここを右へ。
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ここを右へ。
小月神社からの眺め。
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2/7 10:40
小月神社からの眺め。
日本一大きな庚申塔といわれています。
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2/7 10:45
日本一大きな庚申塔といわれています。
突き当りを左へ。小月宿です。
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2/7 10:46
突き当りを左へ。小月宿です。
下市は宿場街、茶屋町は歓楽街で栄えたとのこと。
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2/7 10:47
下市は宿場街、茶屋町は歓楽街で栄えたとのこと。
右、かみがた道。左、とよた道。本来の場所から移設されていまさう。道標の先の信号で右に入ります。
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2/7 10:50
右、かみがた道。左、とよた道。本来の場所から移設されていまさう。道標の先の信号で右に入ります。
静かな風情です。見廻り通りとも呼ばれて武士が庶民の暮らしや治安を見廻っていたそうです。
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2/7 10:51
静かな風情です。見廻り通りとも呼ばれて武士が庶民の暮らしや治安を見廻っていたそうです。
茶屋の跡でしょうか?
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2/7 10:57
茶屋の跡でしょうか?
孝行塚。親孝行で藩主に褒められた旨が書かれています。道なりに左へ。
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2/7 11:08
孝行塚。親孝行で藩主に褒められた旨が書かれています。道なりに左へ。
所々に木製電柱が残ります。
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2/7 11:18
所々に木製電柱が残ります。
清末八幡宮の鳥居。
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2/7 11:21
清末八幡宮の鳥居。
ここからは海を見渡せます。広大な敷地の中には昔は寺もあったそうですが明治の廃仏希釈で排除されてしまっています。
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2/7 11:23
ここからは海を見渡せます。広大な敷地の中には昔は寺もあったそうですが明治の廃仏希釈で排除されてしまっています。
清末八幡宮。
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2/7 11:25
清末八幡宮。
道なりに。
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2/7 11:38
道なりに。
神田川を神田橋で渡ります。ここが清末藩と長府藩の境にあたります。
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2/7 11:43
神田川を神田橋で渡ります。ここが清末藩と長府藩の境にあたります。
江戸時代にも同じ場所に架かっていたようで文化八年の石柱が残っています。(昭和8年改修)
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2/7 11:45
江戸時代にも同じ場所に架かっていたようで文化八年の石柱が残っています。(昭和8年改修)
国道を横断します。
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2/7 11:52
国道を横断します。
JR線と平行します。この付近にローソンがあり昼食にしました。
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2/7 12:03
JR線と平行します。この付近にローソンがあり昼食にしました。
たんたんと進みます。
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2/7 12:26
たんたんと進みます。
線路を渡って道なりに。
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2/7 12:33
線路を渡って道なりに。
ここからは道の右側に歩道部分が現れます。結構交通量があります。
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2/7 12:40
ここからは道の右側に歩道部分が現れます。結構交通量があります。
長府駅前。
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2/7 12:53
長府駅前。
立派な石積み。もしかしたら古い橋の跡なのかも。
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2/7 13:15
立派な石積み。もしかしたら古い橋の跡なのかも。
土壁が残る家が増えてきました。
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2/7 13:19
土壁が残る家が増えてきました。
鞏昌(きょうしょう)橋を渡り長府城下に入ります。
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2/7 13:26
鞏昌(きょうしょう)橋を渡り長府城下に入ります。
長府城下のメインストリート。長府の地名は「長門国府」にちなんでいて府中と呼ばれた時期もあったそうです。
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2/7 13:30
長府城下のメインストリート。長府の地名は「長門国府」にちなんでいて府中と呼ばれた時期もあったそうです。
正円寺の大銀杏。
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2/7 13:32
正円寺の大銀杏。
宿場中心部に立つ忌宮神社。長門国の二の宮です。境内には鶏と鳩がいっぱい。
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2/7 13:44
宿場中心部に立つ忌宮神社。長門国の二の宮です。境内には鶏と鳩がいっぱい。
この付近は餃子屋やお洒落なカフェなどの飲食店が多いようです。さすがは観光地です。
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2/7 13:48
この付近は餃子屋やお洒落なカフェなどの飲食店が多いようです。さすがは観光地です。
川の一つ手前を右へ。
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2/7 13:54
川の一つ手前を右へ。
少しずつ勾配を上ります。
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2/7 13:59
少しずつ勾配を上ります。
左へ。
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2/7 14:03
左へ。
長府らしい土壁の家並み。
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2/7 14:04
長府らしい土壁の家並み。
功山寺。高杉晋作挙兵の地。街道は寺の横を進みます。
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2/7 14:11
功山寺。高杉晋作挙兵の地。街道は寺の横を進みます。
功山寺から先は人気のない普通の旧道に。ここからは野久留米街道とも呼ばれています。
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2/7 14:15
功山寺から先は人気のない普通の旧道に。ここからは野久留米街道とも呼ばれています。
辻堂峠への道筋。
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2/7 14:24
辻堂峠への道筋。
現在の辻堂峠。ここの右手に旧道っぽい道筋がありますがもしかすると旧辻堂峠なのかもしれません。付近の道筋はあまりにも線形が良すぎます。
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2/7 14:29
現在の辻堂峠。ここの右手に旧道っぽい道筋がありますがもしかすると旧辻堂峠なのかもしれません。付近の道筋はあまりにも線形が良すぎます。
ちょっと戻って旧辻堂峠と思わしき入口。
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2/7 14:33
ちょっと戻って旧辻堂峠と思わしき入口。
それっぽい雰囲気はありますがどうなのでしょう。
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2/7 14:35
それっぽい雰囲気はありますがどうなのでしょう。
右の旧道へ。
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2/7 14:37
右の旧道へ。
のんびりした道筋です。
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2/7 14:42
のんびりした道筋です。
この膨らみは旧道の痕跡でしょう。この先で道は狭くなります。
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2/7 14:45
この膨らみは旧道の痕跡でしょう。この先で道は狭くなります。
目の前に見えてきたのは火の山。関門海峡を望む展望台があります。
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2/7 14:51
目の前に見えてきたのは火の山。関門海峡を望む展望台があります。
旧道入口。直進。
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2/7 14:53
旧道入口。直進。
関門海峡大橋が見えてきました。奥に見えるのは九州の山々です。
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2/7 14:54
関門海峡大橋が見えてきました。奥に見えるのは九州の山々です。
関門海峡!
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2/7 15:02
関門海峡!
前田の集落。古代山陽道の終点の地。この付近からしばらくは土地改良によって消滅している箇所が多くなります。
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2/7 15:05
前田の集落。古代山陽道の終点の地。この付近からしばらくは土地改良によって消滅している箇所が多くなります。
おそらく奥の民家の前の道筋が旧道でしょう。
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2/7 15:06
おそらく奥の民家の前の道筋が旧道でしょう。
一旦、海岸線近くまで下っていきますが本来の旧道は山の中腹を進んでいます。
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2/7 15:07
一旦、海岸線近くまで下っていきますが本来の旧道は山の中腹を進んでいます。
道なりに進んで階段を上ります。この区間はう回路です。
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2/7 15:13
道なりに進んで階段を上ります。この区間はう回路です。
ここから旧道が復活。
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2/7 15:17
ここから旧道が復活。
旧道の反対側を見ると宅地になっていて跡形がありません。
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2/7 15:17
旧道の反対側を見ると宅地になっていて跡形がありません。
火の山ロープウエイ前。道なりに進みます。この付近の旧道も造成時に消滅していると思われます。
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2/7 15:29
火の山ロープウエイ前。道なりに進みます。この付近の旧道も造成時に消滅していると思われます。
道なりに。
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2/7 15:34
道なりに。
ここから国道に出て関門海峡大橋の下をくぐります。
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2/7 15:36
ここから国道に出て関門海峡大橋の下をくぐります。
橋脚と車を比べるといかに大きいかがわかります。この付近の旧道は右手の山を進んでいたという説がありますが高速道路建設で痕跡はないように思います。
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2/7 15:40
橋脚と車を比べるといかに大きいかがわかります。この付近の旧道は右手の山を進んでいたという説がありますが高速道路建設で痕跡はないように思います。
関門海峡。向かいは門司。船が頻繁に行き交っています。
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2/7 15:41
関門海峡。向かいは門司。船が頻繁に行き交っています。
ゴールが近づいてきました。
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2/7 15:57
ゴールが近づいてきました。
右、上方道。左、すみよし道。すみよしとは住吉神社のことで長門国一の宮。
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2/7 16:02
右、上方道。左、すみよし道。すみよしとは住吉神社のことで長門国一の宮。
赤間神宮。
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2/7 16:06
赤間神宮。
昔は鳥居のそばまで海だったそうです。
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2/7 16:13
昔は鳥居のそばまで海だったそうです。
ここを右へ。
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2/7 16:16
ここを右へ。
左へ。この角に赤間関宿本陣伊藤邸がありました。
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2/7 16:16
左へ。この角に赤間関宿本陣伊藤邸がありました。
かつては斜めに道があったそうです。
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2/7 16:17
かつては斜めに道があったそうです。
下関は戦時中の空襲によって大きな被害を受けました。よって古い家はほとんど残ってないように思います。また道筋も再開発によって消滅した箇所が多くなっています。
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2/7 16:22
下関は戦時中の空襲によって大きな被害を受けました。よって古い家はほとんど残ってないように思います。また道筋も再開発によって消滅した箇所が多くなっています。
ここを右へ。かつては斜め右方向に道があったようです。
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2/7 16:25
ここを右へ。かつては斜め右方向に道があったようです。
亀山八幡宮に寄り道。昔のこの辺りは海に突き出た地形になっていました。
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2/7 16:29
亀山八幡宮に寄り道。昔のこの辺りは海に突き出た地形になっていました。
立派な石垣に焼夷弾の跡が残ります。八幡宮の東側には船番所と渡船場(堂崎の渡し)がありました。
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2/7 16:32
立派な石垣に焼夷弾の跡が残ります。八幡宮の東側には船番所と渡船場(堂崎の渡し)がありました。
鳥居の脇に山陽道の碑。ここを終点とする説がありますがもう一つの説である永福寺前を目指します。
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2/7 16:46
鳥居の脇に山陽道の碑。ここを終点とする説がありますがもう一つの説である永福寺前を目指します。
堂崎の渡し場跡。九州へ渡る人々はここから船に乗ったと案内板にあります。
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2/7 16:43
堂崎の渡し場跡。九州へ渡る人々はここから船に乗ったと案内板にあります。
戻って続きを歩きます。寺の前にある斜めの道は非常に怪しい雰囲気ですが古地図を確認する限りどうも違うようです。
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2/7 16:54
戻って続きを歩きます。寺の前にある斜めの道は非常に怪しい雰囲気ですが古地図を確認する限りどうも違うようです。
この付近が赤間と呼ばれる集落。江戸時代の絵図ではこの付近まで海岸線があることが描かれていて街道も大きく山側に迂回するような道筋になっています。
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2/7 16:58
この付近が赤間と呼ばれる集落。江戸時代の絵図ではこの付近まで海岸線があることが描かれていて街道も大きく山側に迂回するような道筋になっています。
ドームの角を右へ。
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2/7 16:59
ドームの角を右へ。
曲がった先にある稲荷神社あたりが古くから栄えていた町の中心地。
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2/7 17:03
曲がった先にある稲荷神社あたりが古くから栄えていた町の中心地。
ここを左へ。無論区画整理によって道筋は変わっています。だいたいこのあたりを通っていたに過ぎません。
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2/7 17:00
ここを左へ。無論区画整理によって道筋は変わっています。だいたいこのあたりを通っていたに過ぎません。
斜め左へ。
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2/7 17:10
斜め左へ。
ここを右に入っていきます。後は一本道。
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2/7 17:11
ここを右に入っていきます。後は一本道。
下関は馬関や赤間などの呼び方がありましたが下関という名前自体は古くからあるものです。
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2/7 17:20
下関は馬関や赤間などの呼び方がありましたが下関という名前自体は古くからあるものです。
ここがゴールの永福寺前。立派な石碑がおかれてありました。一里塚跡でもあります。
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2/7 17:22
ここがゴールの永福寺前。立派な石碑がおかれてありました。一里塚跡でもあります。
永福寺前の雰囲気。下関駅まではやや距離があります。
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2/7 17:22
永福寺前の雰囲気。下関駅まではやや距離があります。
永福寺を見て帰阪しました。
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2/7 17:26
永福寺を見て帰阪しました。
おはようございます、yaonyaosuke2さん!
西国街道、無事完歩おめでとうございます。
最後は暗い内からのスタート。さぞや見る景色のひとつひとつが
感慨深かったのでは?
本州の西の端っこまで歩かれたんですね。凄いです。
お疲れさまでした。
katatumuriさんありがとうございます。
九州が見えた瞬間は感激で涙しました。
やはり長距離の街道のラストはいつもながら達成感があります
yaonyaosuke2 さん、西国街道完歩、おめでとうございます。
平成の世になって、何人の方が西国街道完歩を達成したのか?
多分、100名山を制覇した人の数よりもずっと少ない気がします
他の街道は、風景や道の年代等々、ちりばめられた情報を楽しみに拝見しておりますが、西国街道は身近な街道だけに、旅の終わりが寂しくもあり、遠い終着点を見せていただき、見ているだけでも少し達成感を味わっております
20日で行けると考えれば近くもあり、一泊二日や二泊三日程度の行程を組み合わせるとなると、途方もない労力 阪神間在住の日帰りウォーカー としては、姫路辺りが限界でしょうか
長崎街道…九州上陸ですか!
道がある限り、どこまでも歩かれると期待をしつつ。。
関西圏のローカル街道歩きも楽しみにしております
ありがとうございます。
関西に住んでいると西に進むにつれて
いろんな発見があって楽しく歩くことができました
20日かかったんですが廃道の中で無茶したり、
公共交通が不便な場所では15キロしか歩くことができなかったりで
もしかするとうまく行程を調整すれば18日ぐらいでいけるのかも?
inakabusさんも是非チャレンジされてみてください
西国街道、下関までお疲れさまでした!
そして、おめでとうございます!
関門海峡が見えた時は、
そりゃあ、感動的だっただろうなぁ〜
改めて、すごいです…。
私など、三宮から京都まで歩いただけですが
それでも結構満足、達成感を味わったものです。
京から下関までと思うと気が遠くなるのですが
考えてみれば、昔は歩いて移動していたんですもんね。
便利になれ、スピードを競う様な移動手段に慣れ過ぎた為、
人が本来持っている強さ・逞しさを
なくしてしまったのかもしれませんね、私達は。
また、次なるワクワク感を味わわせてくださる
yaonyaosuke2さんの街道歩きを楽しみにお待ちしております。
お疲れさまでした
ありがとうございます!
もうめちゃくちゃ感激しました
西に行くにつれ関西とは違う情景が広がったりして
西国街道はなかなか満足度が高い街道でした。
食も結構楽しめました。広島焼何度食べたことか
昔の人のことを思いつつ歩くのは楽しいですね。
heheさんも機会があればぜひ続きを
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