湘南の風に吹かれて 江ノ島より鎌倉海道
- GPS
- --:--
- 距離
- 24.5km
- 登り
- 524m
- 下り
- 500m
コースタイム
- 山行
- 7:05
- 休憩
- 1:50
- 合計
- 8:55
行ったら行ったで結局は軽い山歩きになってしまったのではあるが…
天気に恵まれ色々発見もあり充実した散歩だったが腰痛の不安は拭い去れない結果となった。
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
グローブ
靴
非常食
GPS
筆記用具
携帯
時計
タオル
カメラ
|
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感想
強い痛みではないが一週間も続く腰痛に不安があり山はやめ古巣である江ノ島に行ってみる。
小田急線片瀬江ノ島駅の駅舎は竜宮城を模した特徴あるデザインで自分は嫌いではない。
右手に富士山を眺めながら長い橋を渡って江ノ島に到着、まだ他に観光客はいない時間帯だ。
江ノ島参拝の基本に乗っ取り参道を登る、この時間はまだエスカーも動いていない。
途中の広場には河津桜が一本あり満開だった、もうひと月もすると染井吉野も咲くだろう。
島猫はおよそ10匹ほど見かけたのだが昔より数が少なく感じる、冬眠しているのだろうか?
以前は萩原朔太郎著の『猫町』のようにそこらじゅうに猫がいたような記憶があるのだが…
行きと帰りで同じところを通るとやはり同じ猫がいるので猫なりの縄張りがあるのだろう。
島の上には展望デッキがあるが、少し前まではこのあたりに子供用の乗り物などがあった。
サムエル・コッキング苑の開園を待つ外国人がいたが自分は園内に入ったことがない。
江ノ島さんぽというキャラがいることを知るがゆるキャラというよりは地下アイドルっぽい。
岩屋方面へ歩いていく途中、群猿庚申塔という四面に36匹の猿が彫られた石柱を見つけた。
インド神話の絵巻または鳥獣戯画を思わせる味のあるレリーフでなかなか見ごたえがある。
岩屋に到着し洞窟の前で引き返し途中の岩場で富士山を眺めながら持参した朝食を頂く。
帰りは参道ではなく島の西側を通る道で下りてそのままヨットハーバーへ向かう。
ここのヨット教室に何度か通ったことがあるが続けるのは困難なのでやめた経緯がある。
今でもやってみたいと思うが艇庫を借りたり船を維持する費用を工面するのは難しい。
など考えていたらハーバーに着くが休港日で入れず、建物は新しく建て替えられていた。
「時代は変わる」というやつかな、とボブ・ディランの詩を嘯きながら踵を返す。
江ノ島を出てからは134号線沿いを東へ向けて歩いていく。
東浜にも小さいながら綺麗な波が立っていて波乗りに興じる人の姿が目に入る。
腰越を越えて鎌高前から七里ヶ浜へ続く海岸はより波が大きくサーファーの数も増えた。
七里ヶ浜の駐車場にあったファーストキッチンは小洒落たカフェレストランに変わっていた。
もっと昔はバーガーキングだったね、と古い思い出に耽り「時代は変わる」と呟いてみる。
稲村ヶ崎を越えて由比ヶ浜に到着、昼食をとるため材木座経由で小坪漁港前にある食堂へ。
鯨と塩ふり寒平目の刺身二点盛り定食を注文し、我慢しきれなくなり瓶ビールも追加注文。
前夜「4年に一度の肉祭り」と題した宴会を行い、翌1日から15日間の断酒をする予定だった。
飲んでしまったものは仕様がないので翌日から10日間の断酒に計画を下方修正する。
食事を終えてからは近くの酒屋で缶ビールを買って大崎公園まで散歩する。
大崎公園は標高77m程あり眼下に逗子マリーナ、その先に江ノ島と富士山が連なって見える。
披露山の高級住宅地を横断して披露山公園へ行くと小さい子を連れたお母さんが沢山いた。
一旦下りて小坪の住宅地を抜けて鎌倉駅を目指していたら名越切通という場所に出た。
案内板には近年道路整備されるまで鎌倉から三浦へ抜ける重要な道だったと書かれてある。
少し先にはまんだら堂やぐら群という史跡があり門の外から雰囲気を見ることができる。
今の時期は土日の日中のみ敷地内を一般公開しているらしい(たしか3月の後半まで)。
切通からハイランド住宅地を抜けて衣張山に到着、山頂では先にひとり休憩していた。
そこから浄明寺方面へ下山、その近くにも鈴木清順監督の映画『ツィゴイネルワイゼン』で現世と冥界の狭間の象徴として使われた風光明媚な切通があるが現在は崩落のため通行禁止。
雪ノ下を抜け八幡宮を参拝、大銀杏の木は数年前の強風で倒れ幹を切断し移植されていた。
ふっ「時代は変わる」というやつかな(しつこい)…
鶴岡八幡宮まで来ると鎌倉駅も北鎌倉駅もそれほど距離は変わらないので北鎌倉駅へ向かう。
このあたりから腰が痛んできて北鎌倉駅への道はそこそこ登り勾配なため地味にきつい。
今月中に八ヶ岳テント泊を考えていたがこの状態では冬装備を担いだ山行は困難そうだ。
建長寺をすぎて北鎌倉駅に到着、踏み切りが開くのを待っていると後方に円覚寺が目に入る。
円覚寺は訪れたことがあるが、小津安二郎の墓所でもあることを思い出し拝観させてもらう。
墓石に『無』とだけ彫られていることは知っていたが他にも『無』と彫られた石がふたつあり三つ目にしてようやく小津監督の墓を見つけることができた(写真が飾られていた)。
特に有名人のお墓参りをするという趣味を持ち合わせているわけではないのだがホセ・ルイス・ゲリンというスペイン人映画監督の作品の中に小津監督の墓石の上を這う蟻を丹念に(というか執拗に)撮った映像があり、いったい何のためにそんな映像を撮ったのか知りたかった。
その理由はわからなかったが少しだけ潮風の中に感じとることができたのかもしれない。
いったいどれだけの年月を山という存在でいられるのだろう?
その山肌を海に削られ洗い流されてしまうまでに…
友よ、答えは風に吹かれ流れていく
※引用したボブ・ディランの『時代は変わる(The times, they are a-changin') 』は移り変わりの否定というよりむしろ新しい力への賛歌に近いものがあり、作中自分が意図して使用したように世情変化に対する憂いやニヒリズムを歌った詩ではないと感じます。
違和感を感じた方もいると思いますがディラン祝来日モードのため何卒ご容赦願います。
こんなに歩いてしまったんですね(^o^;)!
快晴の様子なので気持ちはわかりますけどね〜♪
海越しの富士山ってやっぱりいいですね(^-^ゞ
今日も懲りずに奥多摩行ってました。
まだ少し痛むけど日帰り低山荷物少なめの三連コンボならなんとか大丈夫そうです。
もともと海のほうがテリトリーなのですが最近富士山見るのは山からばかりだったので逆に新鮮でしたよ。( ☆∀☆)
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