ここが平出追分。左が松代道。右が北国街道善光寺方面。
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3/20 6:27
ここが平出追分。左が松代道。右が北国街道善光寺方面。
白坂峠に向けて緩やかに上っていきます。
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3/20 6:28
白坂峠に向けて緩やかに上っていきます。
新白坂峠。「新」とつくのは戦国時代の峠が別にあるわけで旧白坂峠は北に500mほどの場所にあります。ここは右へ。
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3/20 6:33
新白坂峠。「新」とつくのは戦国時代の峠が別にあるわけで旧白坂峠は北に500mほどの場所にあります。ここは右へ。
一里塚。片側のみ塚が残ります。この付近から麓までは冬季除雪対象外の区間となります。
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3/20 6:34
一里塚。片側のみ塚が残ります。この付近から麓までは冬季除雪対象外の区間となります。
旧道の入口。右へ。
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3/20 6:45
旧道の入口。右へ。
廃道状態ですがなんとなく路盤がわかります。約50mほど続きます。
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3/20 6:45
廃道状態ですがなんとなく路盤がわかります。約50mほど続きます。
すると視界が開けて農園が見えてきます。
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すると視界が開けて農園が見えてきます。
そこから先は農道になってる旧道で下ります。道は雪解けの影響でドロドロです。
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そこから先は農道になってる旧道で下ります。道は雪解けの影響でドロドロです。
なかなかしっかりしている道筋。
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3/20 6:52
なかなかしっかりしている道筋。
新道と交差します。
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3/20 6:54
新道と交差します。
右にある弧を描くように進んでる道が旧道です。
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3/20 6:55
右にある弧を描くように進んでる道が旧道です。
先に進むとこのような場所も。
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3/20 6:59
先に進むとこのような場所も。
春先なのでこの程度で済んでますが真夏は厳しいものと思います。
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3/20 7:00
春先なのでこの程度で済んでますが真夏は厳しいものと思います。
新道と交差。左斜め方向へ。
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3/20 7:03
新道と交差。左斜め方向へ。
これを下りていった先にも藪がありました。
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これを下りていった先にも藪がありました。
善光寺平の眺め。小布施、須坂方向です。
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善光寺平の眺め。小布施、須坂方向です。
左へ。
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左へ。
大石。
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3/20 7:10
大石。
あとは道なりに下ると神代宿につきます。
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あとは道なりに下ると神代宿につきます。
神代宿は宿場に指定されたのが遅かったので本陣は同じ集落内を通る飯山道沿いに設置されています。
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神代宿は宿場に指定されたのが遅かったので本陣は同じ集落内を通る飯山道沿いに設置されています。
これが本陣跡。公民館付近です。
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これが本陣跡。公民館付近です。
「是ハ善光寺ミち」飯山道の追分に立つ善光寺への道標。
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3/20 7:22
「是ハ善光寺ミち」飯山道の追分に立つ善光寺への道標。
旧道の痕跡。右にカーブ状で残ります。
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旧道の痕跡。右にカーブ状で残ります。
鉄道と交差します。左側の跨線橋を利用。1742年の大水害においてはこの付近まで千曲川の水が迫ったといいます。左手に流死人菩提碑があります。
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鉄道と交差します。左側の跨線橋を利用。1742年の大水害においてはこの付近まで千曲川の水が迫ったといいます。左手に流死人菩提碑があります。
真ん中の少し細い道が旧道。資料本では右の道なのですが明治の地図では存在していません。
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3/20 7:34
真ん中の少し細い道が旧道。資料本では右の道なのですが明治の地図では存在していません。
このような古い石仏があるので旧道で間違いないでしょう。
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3/20 7:36
このような古い石仏があるので旧道で間違いないでしょう。
北陸新幹線が見えてきました。
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3/20 7:42
北陸新幹線が見えてきました。
千曲川洪水水位標。各水害の水位が記されています。
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3/20 7:44
千曲川洪水水位標。各水害の水位が記されています。
真っすぐが旧道。左側にもアヤシイ道筋があります(両方歩きました)右手にセブンイレブンがあったので朝食にしました。
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3/20 7:46
真っすぐが旧道。左側にもアヤシイ道筋があります(両方歩きました)右手にセブンイレブンがあったので朝食にしました。
真っすぐの道はこんな感じ。
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真っすぐの道はこんな感じ。
左側のアヤシイ道はこんな感じです。双方とも50mほどで合流します。
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左側のアヤシイ道はこんな感じです。双方とも50mほどで合流します。
信州りんご発祥の地。明治29年の大洪水で桑が被害を受けたので養蚕に代わってリンゴ栽培をする農家が増えました。
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3/20 8:07
信州りんご発祥の地。明治29年の大洪水で桑が被害を受けたので養蚕に代わってリンゴ栽培をする農家が増えました。
しばらく平坦な旧道が続きます。
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3/20 8:15
しばらく平坦な旧道が続きます。
直進。
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3/20 8:20
直進。
長沼城下に入ります。右へ。
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長沼城下に入ります。右へ。
左へ。枡形になっています。
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3/20 8:28
左へ。枡形になっています。
この付近の昔の様子。城がある北側は武士の住む城下町で南側は宿場町として発展していました。その影響で街道は枡形として10か所も折れ曲がっています。
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3/20 8:31
この付近の昔の様子。城がある北側は武士の住む城下町で南側は宿場町として発展していました。その影響で街道は枡形として10か所も折れ曲がっています。
右へ。
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3/20 8:31
右へ。
りんご畑がある光景。
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3/20 8:38
りんご畑がある光景。
立派な長屋門。
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立派な長屋門。
左へ。そして道なりに進んでいくと長沼宿です。
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3/20 8:46
左へ。そして道なりに進んでいくと長沼宿です。
長沼宿のメインストリート。
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3/20 8:48
長沼宿のメインストリート。
えちご道、善光寺道のようなことが書いてる道標。
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3/20 8:58
えちご道、善光寺道のようなことが書いてる道標。
左へ。秋葉さんが祀られています。北長野では宿場の出入り口に秋葉さんがおかれていることが多い気がします。
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3/20 9:11
左へ。秋葉さんが祀られています。北長野では宿場の出入り口に秋葉さんがおかれていることが多い気がします。
千曲川の土手沿いに進みます。
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3/20 9:13
千曲川の土手沿いに進みます。
村山橋付近。右のトンネルで向こう側に行きます。
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3/20 9:24
村山橋付近。右のトンネルで向こう側に行きます。
千曲川の旧土手を進みます。
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3/20 9:27
千曲川の旧土手を進みます。
ここを右に進んで道なりに。
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3/20 9:31
ここを右に進んで道なりに。
古い石積みが残る道筋。右横に村山神社があります。
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3/20 9:32
古い石積みが残る道筋。右横に村山神社があります。
名主小坂家を右に見ます。
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3/20 9:33
名主小坂家を右に見ます。
ここを左へ。
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3/20 9:33
ここを左へ。
この草道を抜けると布野の渡し場跡です。
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3/20 9:33
この草道を抜けると布野の渡し場跡です。
めったに川留めにならなかったので大雨で北国街道が通れない時はバイパスとして松代道が活用されています。別名で「雨降り街道」と呼ばれた所以です。村山橋で対岸に渡ります。
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3/20 9:35
めったに川留めにならなかったので大雨で北国街道が通れない時はバイパスとして松代道が活用されています。別名で「雨降り街道」と呼ばれた所以です。村山橋で対岸に渡ります。
迂回中・千曲川。
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3/20 9:47
迂回中・千曲川。
迂回中・村山橋は新しく架け替えられていて歩道もあって安心です。
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3/20 9:50
迂回中・村山橋は新しく架け替えられていて歩道もあって安心です。
迂回中・桃畑が広がる河川敷。
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3/20 9:53
迂回中・桃畑が広がる河川敷。
迂回中・橋を渡って右側に折れて渡し場の対岸に向かいます。
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3/20 9:57
迂回中・橋を渡って右側に折れて渡し場の対岸に向かいます。
迂回中・この付近で右に折れます。
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3/20 10:06
迂回中・この付近で右に折れます。
迂回中・桃畑の真ん中を突っ切って千曲川を目指します。昔は菜種栽培が盛んで一面の菜の花で黄金島と呼ばれていたそうです。
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3/20 10:10
迂回中・桃畑の真ん中を突っ切って千曲川を目指します。昔は菜種栽培が盛んで一面の菜の花で黄金島と呼ばれていたそうです。
この付近が渡し場跡と思われます。左にある道なき道へ。
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3/20 10:11
この付近が渡し場跡と思われます。左にある道なき道へ。
右に千曲川を見て旧堤防の上を歩いていきます。藪ってる箇所があります。
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3/20 10:14
右に千曲川を見て旧堤防の上を歩いていきます。藪ってる箇所があります。
対岸の村山神社方向の眺め。
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3/20 10:17
対岸の村山神社方向の眺め。
このような歩きやすい場所もあります。
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3/20 10:18
このような歩きやすい場所もあります。
この道を斜めに進んで現在の堤防を越えたら福島宿です。
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3/20 10:26
この道を斜めに進んで現在の堤防を越えたら福島宿です。
観音道標。台座に「左、北国街道布野船渡善光寺道」「右、中野小布施道」
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3/20 10:34
観音道標。台座に「左、北国街道布野船渡善光寺道」「右、中野小布施道」
左に折れます。
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3/20 10:38
左に折れます。
福島宿本陣。もう一つの本陣は宿場中央部にあります。
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3/20 10:38
福島宿本陣。もう一つの本陣は宿場中央部にあります。
右へ。枡形になっています。
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3/20 10:45
右へ。枡形になっています。
右に天神社。秋祭りなどの旗を掲げる大幟の棒が街道沿いに置かれています。
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3/20 10:46
右に天神社。秋祭りなどの旗を掲げる大幟の棒が街道沿いに置かれています。
天神社。福島宿の氏神様。
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3/20 10:47
天神社。福島宿の氏神様。
さすがは蔵の街の須坂だけあって福島宿にも蔵が立ち並んでいます。
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3/20 10:49
さすがは蔵の街の須坂だけあって福島宿にも蔵が立ち並んでいます。
「右、松代道」「左、草津仁札道」大笹街道という江戸への近道。北国街道より6里も短かったといいます。
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3/20 10:58
「右、松代道」「左、草津仁札道」大笹街道という江戸への近道。北国街道より6里も短かったといいます。
もう一つの本陣。千曲川通船が許可されてからは交通の要衝としても栄えています。
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3/20 11:01
もう一つの本陣。千曲川通船が許可されてからは交通の要衝としても栄えています。
街道は真っすぐですが橋梁架け替えで通行止めでした。右の迂回路で向こう側に出ます。
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3/20 11:03
街道は真っすぐですが橋梁架け替えで通行止めでした。右の迂回路で向こう側に出ます。
信州の山々を眺めながら。
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3/20 11:09
信州の山々を眺めながら。
左から谷街道と合流します。越後十日町と矢代宿を結ぶ街道です。ここから先は重複区間です。
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3/20 11:28
左から谷街道と合流します。越後十日町と矢代宿を結ぶ街道です。ここから先は重複区間です。
舗装記念碑。交通量が多いので舗装されるまでは窓を年中閉め切って埃などから耐えていたといいます。
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3/20 11:31
舗装記念碑。交通量が多いので舗装されるまでは窓を年中閉め切って埃などから耐えていたといいます。
保科道との分岐。松代道は右へ。
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3/20 11:46
保科道との分岐。松代道は右へ。
「右ハ、松代」「左ハ、保科道」
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3/20 11:46
「右ハ、松代」「左ハ、保科道」
右の旧道へ。
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3/20 12:03
右の旧道へ。
堤防に上って右の橋を渡ります。
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3/20 12:09
堤防に上って右の橋を渡ります。
春間近な感じがします。
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3/20 12:10
春間近な感じがします。
川田一里塚跡。
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3/20 12:26
川田一里塚跡。
川田宿へ。左に折れます。江戸時代初期までは真っすぐ方向に宿場があったのですが度重なる洪水で移転を余儀なくされています。
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3/20 12:29
川田宿へ。左に折れます。江戸時代初期までは真っすぐ方向に宿場があったのですが度重なる洪水で移転を余儀なくされています。
信濃川田駅に止まる長電2000系。街道は旧屋代線沿いに進みます。
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3/20 12:32
信濃川田駅に止まる長電2000系。街道は旧屋代線沿いに進みます。
この周辺の地域では二十三夜の信仰があるみたいです。
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3/20 12:36
この周辺の地域では二十三夜の信仰があるみたいです。
右へ。
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3/20 12:38
右へ。
角に立派な秋葉さん。
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3/20 12:39
角に立派な秋葉さん。
川田宿。かつては道の中央に用水が流れていたので道幅が広いです。
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3/20 12:39
川田宿。かつては道の中央に用水が流れていたので道幅が広いです。
本陣。本陣前には旅籠が3軒並んでいたそうです。
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3/20 12:46
本陣。本陣前には旅籠が3軒並んでいたそうです。
右へ。出口にも秋葉さんが祀られています。
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3/20 12:48
右へ。出口にも秋葉さんが祀られています。
左へ。
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3/20 12:50
左へ。
真っすぐ進むと千曲川堤防になります。
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3/20 12:54
真っすぐ進むと千曲川堤防になります。
関崎の渡し跡。松代藩直轄の舟渡しで夜はこちら側に舟を止めおかれることが鉄則だったそうです。
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3/20 13:01
関崎の渡し跡。松代藩直轄の舟渡しで夜はこちら側に舟を止めおかれることが鉄則だったそうです。
渡し跡へ続くスロープ状の草道。
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3/20 13:02
渡し跡へ続くスロープ状の草道。
旧道は左へ。本来の道は左の崖上(関崎峠)を通っていたのですが道路拡張などで一部消滅してしまっています。
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3/20 13:04
旧道は左へ。本来の道は左の崖上(関崎峠)を通っていたのですが道路拡張などで一部消滅してしまっています。
少し上を見ると碑があり路盤が見えます。
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3/20 13:05
少し上を見ると碑があり路盤が見えます。
さらに先に進んで振り返るとトンネルがありますが先ほどの路盤はトンネルの延長上にあるのがわかります。
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3/20 13:06
さらに先に進んで振り返るとトンネルがありますが先ほどの路盤はトンネルの延長上にあるのがわかります。
路盤は旧道と思われますが藪が酷く碑のある場所までは行けませんでした。
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3/20 13:08
路盤は旧道と思われますが藪が酷く碑のある場所までは行けませんでした。
廃線跡と平行して進みます。
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3/20 13:21
廃線跡と平行して進みます。
左へ。
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3/20 13:24
左へ。
鳥打峠が見えてきました。
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3/20 13:31
鳥打峠が見えてきました。
寺の屋根に六文銭。
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3/20 13:34
寺の屋根に六文銭。
旧道入口。左上へ。
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3/20 13:43
旧道入口。左上へ。
未舗装の緩い上り坂が続きます。
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3/20 13:45
未舗装の緩い上り坂が続きます。
善光寺平を一望。長野市街方向です。
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3/20 13:47
善光寺平を一望。長野市街方向です。
鳥打峠。
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3/20 13:54
鳥打峠。
松代城下が見えてきました。
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3/20 13:57
松代城下が見えてきました。
実はこの右下に旧道らしき道筋が平行してるのですがこの庚申塔の年代を見ると江戸時代のものなので間違ってないことを確信します。
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3/20 14:02
実はこの右下に旧道らしき道筋が平行してるのですがこの庚申塔の年代を見ると江戸時代のものなので間違ってないことを確信します。
左へ。
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3/20 14:04
左へ。
この辺りヘアピンになってるのですが江戸時代にヘアピンは考えにくいので獣除けのフェンスを開けた先にある路盤を真っすぐ下っていくのが正解だろうと思います。
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3/20 14:07
この辺りヘアピンになってるのですが江戸時代にヘアピンは考えにくいので獣除けのフェンスを開けた先にある路盤を真っすぐ下っていくのが正解だろうと思います。
ここで合流します。碑が見えたので舗装路を少し引き返しています。
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3/20 14:08
ここで合流します。碑が見えたので舗装路を少し引き返しています。
その碑ですが江戸時代のものです。これほど大きいものを移設したものとは考えにくいので舗装路のほうも江戸時代からの道であったと考えられます。一説によるとこの付近は刑場だったそうです。
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3/20 14:11
その碑ですが江戸時代のものです。これほど大きいものを移設したものとは考えにくいので舗装路のほうも江戸時代からの道であったと考えられます。一説によるとこの付近は刑場だったそうです。
ちなみにさらに舗装路を遡ると庚申塔があり江戸時代のものでした。もしかすると峠からの下り道で見えた平行する旧道っぽい道が本来の旧道である可能性が考えられます。
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3/20 14:14
ちなみにさらに舗装路を遡ると庚申塔があり江戸時代のものでした。もしかすると峠からの下り道で見えた平行する旧道っぽい道が本来の旧道である可能性が考えられます。
庚申塔の先の路盤はしっかりしてるのですが酷い藪になっていたので引き返しました。
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3/20 14:15
庚申塔の先の路盤はしっかりしてるのですが酷い藪になっていたので引き返しました。
左へ。
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3/20 14:21
左へ。
「右川田駅、中柴弥陀道、左善光寺道」裏には山本勘助などの墓の場所も書かれています。
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3/20 14:21
「右川田駅、中柴弥陀道、左善光寺道」裏には山本勘助などの墓の場所も書かれています。
旧道を進んで松代城下に入っていきます。
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3/20 14:24
旧道を進んで松代城下に入っていきます。
春っぽい。
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3/20 14:26
春っぽい。
右へ。
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3/20 14:32
右へ。
道なりに左へ。
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3/20 14:39
道なりに左へ。
松代城下中町。松代宿には本陣は設けられていませんでした。
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3/20 14:42
松代城下中町。松代宿には本陣は設けられていませんでした。
古い家が残っていますが明治時代に2度大火があったので街道筋には江戸時代の建物は残っていないように思います。
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3/20 14:42
古い家が残っていますが明治時代に2度大火があったので街道筋には江戸時代の建物は残っていないように思います。
大河ドラマの影響か真新しい六文銭が町中にあふれていました。
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3/20 14:43
大河ドラマの影響か真新しい六文銭が町中にあふれていました。
鐘楼。
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3/20 14:49
鐘楼。
左手に八田家住宅。松代藩の御用商人家。この先で右に曲がります。
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3/20 14:51
左手に八田家住宅。松代藩の御用商人家。この先で右に曲がります。
電線が一部地中化されていて見晴らしの良い町並みです。
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3/20 14:55
電線が一部地中化されていて見晴らしの良い町並みです。
枡形の跡。
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3/20 14:58
枡形の跡。
松代は真田氏の史跡の他にも佐久間象山や大本営など見どころが豊富です。
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3/20 15:24
松代は真田氏の史跡の他にも佐久間象山や大本営など見どころが豊富です。
松代の郊外に出ると長芋の産地です。
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3/20 15:37
松代の郊外に出ると長芋の産地です。
ショベルを使って収穫の真っ最中でした。
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3/20 15:38
ショベルを使って収穫の真っ最中でした。
この付近の江戸後期以前の道は先ほどの畑の中(旧河川の堤防)を通っていたのですが区画整理によって痕跡が残っていません。
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3/20 15:41
この付近の江戸後期以前の道は先ほどの畑の中(旧河川の堤防)を通っていたのですが区画整理によって痕跡が残っていません。
国道に合流します。
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3/20 15:44
国道に合流します。
しばらく道なりに。
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3/20 15:47
しばらく道なりに。
この膨らみは旧道の痕跡でしょう。
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3/20 15:57
この膨らみは旧道の痕跡でしょう。
左側に廃線跡。
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3/20 16:03
左側に廃線跡。
妻女山が見えます。
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3/20 16:05
妻女山が見えます。
立派な蔵が点々と。
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3/20 16:16
立派な蔵が点々と。
左の旧道へ。
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3/20 16:20
左の旧道へ。
階段を上ります。
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3/20 16:21
階段を上ります。
千曲川をしばし眺めて。
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千曲川をしばし眺めて。
左の旧道へ。高速道路のトンネルをくぐります。
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3/20 16:25
左の旧道へ。高速道路のトンネルをくぐります。
一里塚跡。この付近は千曲川の洪水に備えて石垣の上に建てた蔵が特長的です。
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3/20 16:30
一里塚跡。この付近は千曲川の洪水に備えて石垣の上に建てた蔵が特長的です。
その蔵は土口の水屋と呼ばれています。
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3/20 16:35
その蔵は土口の水屋と呼ばれています。
謡坂。
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謡坂。
左の旧道へ。
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3/20 16:45
左の旧道へ。
右へ。
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右へ。
橋を渡って雨宮の町に入ります。
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3/20 16:48
橋を渡って雨宮の町に入ります。
雨宮宿。間の宿です。
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3/20 16:53
雨宮宿。間の宿です。
右へ。
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3/20 17:12
右へ。
やがてゴールの矢代宿追分に到着します。
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3/20 17:19
やがてゴールの矢代宿追分に到着します。
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