中道往還(欠畑から曽我八幡宮と伝法から吉原宿)
- GPS
- 02:20
- 距離
- 8.0km
- 登り
- 2m
- 下り
- 61m
コースタイム
- 山行
- 2:27
- 休憩
- 2:00
- 合計
- 4:27
天候 | 小雨のち曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
・富士北郵便局から伝法一丁目、約20分、240円 ・吉原中央駅から富士宮駅、約40分、490円 |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所なし |
写真
感想
3/12に大宮宿(現富士宮)から吉原宿を歩いた後で、ルートの大半が明治23年に新設された大宮街道(富士馬車鉄道を敷設)であることが判った。
明治以前の大宮道のルートは今泉・伝法・厚原・久沢・天間・若宮・小泉を通っていたとあった。
上記の各地区を現在の地図に当てはめると……
吉原商店街から県道22号に沿って北上し、和田町交差点で県道24号に乗り換えて上和田交差点手前を東に入って吉原高校の正門辺りに出る。
たぶん旧道は吉原高校の敷地を横断していただろうが、現在は通れないので吉原高西交差点で北に折れてすぐの交差点東側に「源太阪」の碑が建っている。
源太阪の由来
梶原景時の嫡男・悪源太景季は源頼朝に重用されており、木曽義仲討伐に向かう際、特に頼朝所有の名馬「生食(いけづき)」を賜りたいと願い出る。
しかし頼朝はこれを許さず別の名馬「磨墨(するすみ)」を与え、後になって生食を佐々木高綱に与えてしまう。
このことを知った景季は頼朝の信頼が高綱より低いことを恥て、高綱と刺し違えるべく源太阪に潜んでいた。
高綱は「賜ったのではなく盗んだものだ」と機転を利かせたところ、景季も「自分も盗めば良かった」と応じたと言われる。
景季と高綱はライバルだったのか、その後も宇治川の戦いでの一番乗りを賭けて丁々発止をしている。
源太阪を降って登り返すと富士ICの南側に出る。前回はこの辺りを南下して浅間上町に出てしまった。
富士ICの南を潜り伝法地区を進み、玉渡神社を過ぎたら富士北郵便局の裏手から静岡銀行鷹岡支店の裏手へ横断する。静岡銀行の裏口には二本樋の「樋代官屋敷跡」の碑が建つ。
さらに進むと青面金剛尊の道標があり、旧道の両側を二本樋で分流した水路が走る。100mほどで厚原地区の曽我八幡宮。
前回はここで西に進んで県道414号と身延線を越え、県道176号から欠畑に向かった。
正しくは、曽我八幡宮の西側を凡夫川に沿って北上して久沢の榎沢橋で凡夫川を渡り、鷹の湯の前から新東名を潜ると天間地区に入る。
道なりに進んで若宮八幡宮・直至院を掠め、若宮南交差点を渡って小泉地区に入る。
緩い左カーブを道なりに進み、弓沢橋を渡り、すぐに弓沢川沿いに北西に進んで欠畑交差点に出る。西に折れて大宮宿の東町となる。
今回は欠畑から小泉・若宮・天間・久沢・厚原と進んで、富士北郵便局から富士急静岡バスに乗り伝法一丁目で降りて、富士IC南側から源太阪・今泉・和田町・吉原宿と回収要な部分のみ歩いた。
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