田中宿は千曲川氾濫や大火などの混乱を乗り越えてきてますが近年の道路改修で昔の面影がさらになくなってきています。
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田中宿は千曲川氾濫や大火などの混乱を乗り越えてきてますが近年の道路改修で昔の面影がさらになくなってきています。
本陣の門のみが残っています。
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本陣の門のみが残っています。
電線が地中化されているのは良いポイント。
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電線が地中化されているのは良いポイント。
こういうのを残していかないと宿場だったことを忘れ去られてしまうかもしれません。
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こういうのを残していかないと宿場だったことを忘れ去られてしまうかもしれません。
石造仁王像。地元出身の力士雷電の母親が薬師堂へ奉納したもの。右側は大関に出世後に奉納したものになります。
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石造仁王像。地元出身の力士雷電の母親が薬師堂へ奉納したもの。右側は大関に出世後に奉納したものになります。
東の桝形跡。街道は信号の後ろの道筋を進みます。
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東の桝形跡。街道は信号の後ろの道筋を進みます。
加沢の集落。この辺りは加沢の大石と呼ばれるだけあって大きな石を散見することができます。
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加沢の集落。この辺りは加沢の大石と呼ばれるだけあって大きな石を散見することができます。
中山道でよく見かける出桁造の家をこの辺りから所々で見かけました。
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中山道でよく見かける出桁造の家をこの辺りから所々で見かけました。
この先では何本もの川を横切りますが浅間山に近づくにつれ浸食の激しい川が増えていきます。
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この先では何本もの川を横切りますが浅間山に近づくにつれ浸食の激しい川が増えていきます。
だらだらした上り坂が続きます。
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だらだらした上り坂が続きます。
街道は千曲川の河岸段丘上を進みます。
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街道は千曲川の河岸段丘上を進みます。
雷電の碑。石を削って持ち帰ると強くなるという迷信があったことから削りに削られ何が書かれていたかわからなくなっています。
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雷電の碑。石を削って持ち帰ると強くなるという迷信があったことから削りに削られ何が書かれていたかわからなくなっています。
牧家の一里塚跡。
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牧家の一里塚跡。
長野県といえば双体道祖神。関西にもありますが大きさが全然違います。
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長野県といえば双体道祖神。関西にもありますが大きさが全然違います。
大石沢川。浸食が激しいので江戸時代は左の上流側に進路を取っていました。真っすぐは明治か大正に整備されたもの。
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大石沢川。浸食が激しいので江戸時代は左の上流側に進路を取っていました。真っすぐは明治か大正に整備されたもの。
旧道がなんとなく確認できます。橋を渡って向こう側へ。
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旧道がなんとなく確認できます。橋を渡って向こう側へ。
振り返ると立派な石積みとトンネルがありました。眼鏡橋です。
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振り返ると立派な石積みとトンネルがありました。眼鏡橋です。
川の対岸で再び合流します。
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川の対岸で再び合流します。
赤岩新田の集落。
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赤岩新田の集落。
この川は石積みを見るに江戸時代においても橋が架かっていたと思われます。
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この川は石積みを見るに江戸時代においても橋が架かっていたと思われます。
芝生田集落。火の見櫓はこの先でも集落ごとに設置している感じでした。
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芝生田集落。火の見櫓はこの先でも集落ごとに設置している感じでした。
国道に合流。北国街道の案内看板はうれしいですね。
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国道に合流。北国街道の案内看板はうれしいですね。
この先に浸食が激しい深沢川があります。街道は右側へ折れていきます。
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この先に浸食が激しい深沢川があります。街道は右側へ折れていきます。
川へ下りていきますが途中で道がなくなってしまいます。国道に一旦戻って橋を渡ります。
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川へ下りていきますが途中で道がなくなってしまいます。国道に一旦戻って橋を渡ります。
国道の橋より。V字の谷になっていて水量はわずかです。旧道は左斜面を奥へと進んでいたようです。
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国道の橋より。V字の谷になっていて水量はわずかです。旧道は左斜面を奥へと進んでいたようです。
橋を渡った先。旧道は真っすぐ方向。左側には川から上ってくる旧道が少し残っています。
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4/10 8:23
橋を渡った先。旧道は真っすぐ方向。左側には川から上ってくる旧道が少し残っています。
その旧道がこちら。簡易的な橋が架かってるので向こう側へ行けなくもありません。
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その旧道がこちら。簡易的な橋が架かってるので向こう側へ行けなくもありません。
深沢川。
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深沢川。
簡易的な橋の近くにあった石仏。ここが旧道であった証です。戻ります。
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簡易的な橋の近くにあった石仏。ここが旧道であった証です。戻ります。
浅間山が見えてきました。
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浅間山が見えてきました。
ここを右へ。
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ここを右へ。
国道と交差します。
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国道と交差します。
小諸宿に向かって下っていきます。
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小諸宿に向かって下っていきます。
一里塚跡。ベンチがあったので朝食にしました。
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一里塚跡。ベンチがあったので朝食にしました。
真っすぐ方向へ。
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真っすぐ方向へ。
この先に花川がありますが街道は左へ。上流側に少し迂回していたようです。
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この先に花川がありますが街道は左へ。上流側に少し迂回していたようです。
花川の桜並木。小諸の桜は満開の上田と違って標高が高いので見ごろは程遠い感じでした。
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花川の桜並木。小諸の桜は満開の上田と違って標高が高いので見ごろは程遠い感じでした。
旧道入り口。右へ。
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旧道入り口。右へ。
布引観音への道との追分。現在の街道は真っすぐですが栃木川の浸食が激しいので江戸時代は左の上流側に少し迂回した道筋であったろうと思います。
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布引観音への道との追分。現在の街道は真っすぐですが栃木川の浸食が激しいので江戸時代は左の上流側に少し迂回した道筋であったろうと思います。
布引観音道標。行基創建という天台宗布引山釈尊寺。「牛にひかれて善光寺」の舞台となった寺です。
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布引観音道標。行基創建という天台宗布引山釈尊寺。「牛にひかれて善光寺」の舞台となった寺です。
栃木川の対岸に上流側に迂回していた旧道が残ります。
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栃木川の対岸に上流側に迂回していた旧道が残ります。
古い石仏もあるので旧道である信ぴょう性が高いです。
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古い石仏もあるので旧道である信ぴょう性が高いです。
道なりに左へ。桝形の役割があって右側に青木諏訪神社があります。
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道なりに左へ。桝形の役割があって右側に青木諏訪神社があります。
中沢川の河岸段丘上へ上ります。この付近は新町。小諸宿の入り口にあたります。
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中沢川の河岸段丘上へ上ります。この付近は新町。小諸宿の入り口にあたります。
小諸宿は1742年に中沢川の土石流(戌の満水)で大きな被害を受けています。
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小諸宿は1742年に中沢川の土石流(戌の満水)で大きな被害を受けています。
その中沢川がこちら。かなりの浸食具合です。右手は小諸城。まさしく天然の要害です。元々の道はここから柳町へと抜ける道だったのですが水害で流されしまってからは現ルートになっています。
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その中沢川がこちら。かなりの浸食具合です。右手は小諸城。まさしく天然の要害です。元々の道はここから柳町へと抜ける道だったのですが水害で流されしまってからは現ルートになっています。
中沢川を渡りますがここは昔から同じ場所に橋が架かっていたそうです。
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中沢川を渡りますがここは昔から同じ場所に橋が架かっていたそうです。
左へ。
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左へ。
小諸宿本陣。かなり立派な建物です。
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小諸宿本陣。かなり立派な建物です。
駅近くに本陣主屋が保存されています。
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駅近くに本陣主屋が保存されています。
小諸宿は小諸城を中心とする城下町で宿場の機能が加わってからは商業においても目覚ましく栄えてきます。江戸中期には東信濃随一の経済圏を形成して特に醸造業は信州の最先端のものでした。
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小諸宿は小諸城を中心とする城下町で宿場の機能が加わってからは商業においても目覚ましく栄えてきます。江戸中期には東信濃随一の経済圏を形成して特に醸造業は信州の最先端のものでした。
懐古園を見学。
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懐古園を見学。
懐古園の桜越しに見る浅間山。桜の見ごろは上田と比べて1週間は違うように思います。
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4/10 9:46
懐古園の桜越しに見る浅間山。桜の見ごろは上田と比べて1週間は違うように思います。
街道に復帰します。左の建物は脇本陣だったもの。
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街道に復帰します。左の建物は脇本陣だったもの。
ここを左へ。
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ここを左へ。
すぐに右へ。桝形にような道筋ですが鍋蓋曲輪があった影響です。
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すぐに右へ。桝形にような道筋ですが鍋蓋曲輪があった影響です。
丁子屋の先を右へ。
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丁子屋の先を右へ。
左へ。直進方向が大手門付近になります。
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左へ。直進方向が大手門付近になります。
北国街道のマップ。休み処があちこちにあって町歩きを楽しめます。
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北国街道のマップ。休み処があちこちにあって町歩きを楽しめます。
古き良き宿場の風情。小諸は懐古園以外にも見どころが多いと感じます。
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古き良き宿場の風情。小諸は懐古園以外にも見どころが多いと感じます。
往時の産業の名残り。鏝絵のようなもの。
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往時の産業の名残り。鏝絵のようなもの。
光岳寺の山門前を右へ。山門は元小諸城の足柄門を移築したものです。
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光岳寺の山門前を右へ。山門は元小諸城の足柄門を移築したものです。
立派な看板。信州みそ本社工場前。
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4/10 10:19
立派な看板。信州みそ本社工場前。
この下には暗渠になってる蛇堀川があります。浅間山から流れているものです。ちょうどこのあたりに木戸があって城下の出入り口となっていました。
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4/10 10:30
この下には暗渠になってる蛇堀川があります。浅間山から流れているものです。ちょうどこのあたりに木戸があって城下の出入り口となっていました。
1108年8月30日にあった火砕流は蛇堀川を下って小諸市加増まで達しています。現在の国道18号まであと100メートルの地点。
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4/10 10:31
1108年8月30日にあった火砕流は蛇堀川を下って小諸市加増まで達しています。現在の国道18号まであと100メートルの地点。
右の旧道へ。左は新道。
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右の旧道へ。左は新道。
一旦下ってまた上ります。
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一旦下ってまた上ります。
唐松の交差点。直進します。左手に唐松一里塚があります。
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唐松の交差点。直進します。左手に唐松一里塚があります。
唐松一里塚の中に新道が通っていてややこしいですが元は1つの塚だったのを2つに分断したそうです。新道といっても江戸時代の道になります。
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4/10 10:38
唐松一里塚の中に新道が通っていてややこしいですが元は1つの塚だったのを2つに分断したそうです。新道といっても江戸時代の道になります。
右へ。
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右へ。
乙女坂。由来は遠くまで見える大遠見という説や泉を見つけた乙女という少女がいたからという説、ここが小諸藩の御留め場であったからという説があります。
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4/10 10:49
乙女坂。由来は遠くまで見える大遠見という説や泉を見つけた乙女という少女がいたからという説、ここが小諸藩の御留め場であったからという説があります。
左へ。ここが佐久甲州道との追分。右に進むと甲州街道の韮崎宿です。
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左へ。ここが佐久甲州道との追分。右に進むと甲州街道の韮崎宿です。
追分にある古い石仏群と道標。
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4/10 10:52
追分にある古い石仏群と道標。
旧国道に合流。看板に高崎の表示。
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旧国道に合流。看板に高崎の表示。
旧道は国道の法面で削られています。右奥の道までなんとかして下ります。
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旧道は国道の法面で削られています。右奥の道までなんとかして下ります。
振り返った様子。藪は酷くないのでスムーズに下りることが出来ました。
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振り返った様子。藪は酷くないのでスムーズに下りることが出来ました。
国道141号の下をくぐった先で右へ。
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国道141号の下をくぐった先で右へ。
浅間山が大きく見えるようになってきました。
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浅間山が大きく見えるようになってきました。
平原の集落。左手の平原の松は有名。
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平原の集落。左手の平原の松は有名。
一里塚跡。
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4/10 11:37
一里塚跡。
国道に合流して上信越道を橋で越えます。
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国道に合流して上信越道を橋で越えます。
十石坂入り口。右へ。
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十石坂入り口。右へ。
見事な田切地形になっています。穴は古墳ではなくて戦時中に作られた軍事用貯蔵庫です。
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4/10 11:47
見事な田切地形になっています。穴は古墳ではなくて戦時中に作られた軍事用貯蔵庫です。
歩きやすい草道になっています。
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歩きやすい草道になっています。
正面の壁は国道です。右手にある橋で川を渡ります。
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正面の壁は国道です。右手にある橋で川を渡ります。
綿矢川に架かる簡易的な橋。かつては土橋が架かっていました。
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綿矢川に架かる簡易的な橋。かつては土橋が架かっていました。
つづら折りで田切地形を克服します。
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4/10 11:56
つづら折りで田切地形を克服します。
国道に合流。右へ。
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国道に合流。右へ。
左の旧道へ。
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4/10 12:00
左の旧道へ。
馬瀬口の明治天皇小休止聖跡。
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4/10 12:16
馬瀬口の明治天皇小休止聖跡。
馬瀬口とは柵口とも呼んで読み方は「ませぐち」。放牧場の馬の柵のことですが古くから馬の飼育で発展した集落だったことがわかります。
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4/10 12:17
馬瀬口とは柵口とも呼んで読み方は「ませぐち」。放牧場の馬の柵のことですが古くから馬の飼育で発展した集落だったことがわかります。
国道と交差します。
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4/10 12:27
国道と交差します。
濁川の橋が工事中だったので左に迂回しました。
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濁川の橋が工事中だったので左に迂回しました。
濁川は鉄分の酸化で常にこのような濁り方をしています。
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4/10 12:33
濁川は鉄分の酸化で常にこのような濁り方をしています。
この先で国道に合流します。
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この先で国道に合流します。
資料本では真っすぐですが国道の右横に旧道っぽいのがあります。おそらくこちらが正解でしょう。
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資料本では真っすぐですが国道の右横に旧道っぽいのがあります。おそらくこちらが正解でしょう。
この先で国道に合流しますがいかにもって感じの旧道です。
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4/10 12:52
この先で国道に合流しますがいかにもって感じの旧道です。
小諸藩と幕領の境目には川が流れていて分杭橋という橋が架かっていました。国道の急坂を上りますが改良されて昔の面影がなくなっています。
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4/10 13:05
小諸藩と幕領の境目には川が流れていて分杭橋という橋が架かっていました。国道の急坂を上りますが改良されて昔の面影がなくなっています。
左へ。この付近は追分原といわれて浅間山の火山噴出物が厚く堆積しています。火砕流の跡です。
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4/10 13:20
左へ。この付近は追分原といわれて浅間山の火山噴出物が厚く堆積しています。火砕流の跡です。
最後の旧道を進みます。
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最後の旧道を進みます。
分去れ(中山道との追分)が見えてきました。左へ。
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分去れ(中山道との追分)が見えてきました。左へ。
立派な常夜灯に石仏に。素晴らしい追分風情です。
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立派な常夜灯に石仏に。素晴らしい追分風情です。
左へ。かつてこの付近には四角に囲った珍しい道筋が形成されていました。
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左へ。かつてこの付近には四角に囲った珍しい道筋が形成されていました。
その前にある「つがるや」
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4/10 13:34
その前にある「つがるや」
ここが追分宿の入り口にあたります。
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ここが追分宿の入り口にあたります。
追分宿本陣前。これにて北国街道完歩としました。
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追分宿本陣前。これにて北国街道完歩としました。
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