芦川北稜(中山から大峠と桜峠を経て歌舞伎公園へ)
- GPS
- 05:52
- 距離
- 12.1km
- 登り
- 723m
- 下り
- 794m
コースタイム
- 山行
- 6:03
- 休憩
- 2:16
- 合計
- 8:19
天候 | 曇りのち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
自転車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
曽川最上流部にある毘沙門堂へは最後の谷が崩落しており辿り着けなかった。古老曰く690m標高点の尾根筋から谷をトラバースすれば行けるらしいが…… 神明脇・大峠ルートの901m標高点の尾根筋に繋がる破線は踏み跡がない結構な急坂 大峠・桜峠の尾根道は大鳥居林道や桜峠林道によって寸断されており何度も交差する |
写真
感想
前回は関原峠を経由して中道往還の迦葉坂から山之神まで歩いた。今回は芦川北稜(日南山脈)の西の残り部分を歩く。
昨年秋だったか芦川北稜の下見をした際、地元古老に以下の話を伺えた。
・西福寺の墓地裏から木引き道を登れば尾根に出ることが出来る。
・主稜線を南北に越すルートは今は余り利用されていないので、エスケープルートとして過信しないこと。
・曽川沿いに登り664m標高点に通じるルートは健在。
・来年(2016年)3月頃、曽川の最上流部にある毘沙門堂に僧侶と共に登る予定がある。
当初は、歌舞伎公園から迦葉坂まで一気に歩き切るつもりだったが、県道36号の通行止めと体力を勘案して刻むことにした。
県道36号沿いの桜峠口から歌舞伎公園へは市川三郷トレランのコースになっているため、当該時期でなくてもルート不明に陥ることはないと考えて、地形図に中山・居平・垈と記載のある地区から登ることにした。
まずは地区内の小径を辿り西福寺を目指す。墓地を抜けると簡易水道施設を掠める。標高450m辺りの谷筋で倒木が邪魔している。ちょうど分岐だったので行きつ戻りつし結局倒木を潜った。地形図の破線から大きくズレていたが、木引き道に乗った辺りで合致した。そのまま木引き道を進むとまた破線から外れ、最終的に690m標高点の尾根筋に乗った。
地形図の破線を盲信して尾根筋を進み、地図上の分岐辺りで毘沙門堂への道を探すがトラバース道は細くて道とは言えない状態だった。
出発前に出会った土地の人の話では、前述の毘沙門堂行きは行われたが、谷の崩落が酷かったので、分岐の手前で下から巻いて登ったと聞いたとのことだった
もしかしたら、その際の踏み跡が残っているかもしれないと思ったが、途中見つけることはできなかった。
破線を追い少し登ると別のトラバース道を見つけた。これを入り、毘沙門堂の上辺りから下れるのではないかと思い、滑り易い土質だったが進んでみた。谷筋に倒木が塞がり安定が悪いので高巻いて越えなお進む。谷の源頭らしきところは大きく崩壊していてそれ以上進めない。少し戻ったところから谷に降りて登り返しも考えたが、対岸側に道があるのか不明なため、このルートを断念して分岐まで引き返した。
対岸の樹木越しの光を見て、源氏山に登る際に湯島道を辿り断念したシーンを思い出した。
地形図の破線を辿って901m標高点を目指した。乾いた急な斜面の踏み跡は不明で偶に赤ペンキがある。雰囲気は三頭山のムロクボ尾根の最上部。
なんとか登り切ると、901m点からはこれまでと打って変わったハッキリとした踏み跡とマーキングが続く。標高870m付近まで進み、昼食とこの後の予定を相談する。
結果、西に尾根筋を降れば毘沙門堂に行けるだろうが、標高差170mを降って登り返すのはキツいので毘沙門堂は断念して先に進むことにした。
大峠付近までは踏み跡がハッキリとしており、路傍には馬頭観音も安置されていた。昔はよく利用された峠道なのだろう。
大峠から大鳥居林道に出て少し進み、尾根筋に取り付くためにガードレールの切れ目から降り樹林に入る。尾根筋は大鳥居林道に沿っていて結果的に降りて来て交差する。大鳥居峠・大峠・ほうき原など幾つか呼び名があるようだ。
林道を渡って尾根筋に取り付き、登って行くと838.0mの三等三角点に着く。基準点名「畑熊向」選定された当初は芦川対岸の畑熊地区が見えたのだろうが今は全く展望のない植林帯。
ここも三ツ俣尾山・小峠・三馬頭山など呼び名が幾つもある。
標高を170mほど下げるとまた大鳥居林道に出合う。ゲートが封鎖されており、たいら山方面に車では進めない。
ゲート先の樹林帯内に曽川沿いの破線との分岐がある。そのまま尾根筋を進むと664m標高点だが特に何かある訳ではない。
軽く登るとオイワケ、こちらには馬頭観音が安置されていた。踏み跡は北西に続くが、オイワケという名と馬頭観音から古い分岐だったのだろうか?地形図でみる限り桜峠口に降りることが可能な尾根があるが…
踏み跡通り北西に舵を切ると、すぐに弓建嶺。平安後期にはもっと明るい里山だったかもしれないが、弓の名手「三与一」の一人・浅利与一は何故ここに弓を祀ったのだろう。
80mほど標高を下げると、地形図では破線分岐があるが実態は判らない。小さな樹林を過ぎると草原に出、程なく桜峠に到着する。噂の桜がないなと思っていたら西に登り返す道沿いに植樹されていた。根元には富士講信者が建てた「浅間神社」などの石碑と祠がある。
風を気持ち良く感じつつ広い尾根を降ると三等三角点「真福寺」、対岸の芦川南稜がハッキリ見える。
樹林帯の木引き道を辿ると歌舞伎公園に着く。歌舞伎公園は牡丹が盛りだった。
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