志賀の大仏から根本中道・本坂
- GPS
- 07:12
- 距離
- 21.7km
- 登り
- 1,316m
- 下り
- 1,314m
コースタイム
天候 | くもり |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
JR湖西線・比叡山坂本駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
東海自然歩道は歩きやすい道でした。砂防堰堤を巻く辺りから急坂が続きます。夢見が丘からの下りと比叡山ドライブウェーまでの登りかえしが急坂です。 本坂(表参道)が雨水の流路となり、荒れていました。 |
その他周辺情報 | 近江神宮(楼門は9月末まで工事中です) http://oumijingu.org/ 「ちはやふる」(末次由紀)のラッピング電車 京阪HP 27日は点検中のようでした。 https://www.keihan.co.jp/traffic/specialtrain-goods/chihayafuru/ 南滋賀町廃寺 http://www.ksyc.jp/mukuge/265/teraoka.pdf 「近江・滋賀郡の古代寺院 ― 瓦積基壇、輻線文縁軒丸瓦の源流 −」 寺岡 洋 むくげ通信265号(2014年7月27日)より 志賀の大仏(しがのおぼとけ) http://www.biwako-visitors.jp/shinbutsuimasu/shinbutsu/otsu/otsu_028.php 百穴古墳群(ひゃっけつこふんぐん) http://www.shiga-bunkazai.jp/%E6%96%B0%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%90%8D%E6%89%80%E5%9C%96%E4%BC%9A%E3%80%80%E7%AC%AC22%E5%9B%9E/ |
写真
感想
山レコの赤線ルートつなぎを楽しみながら、ちょっと歩いてみようとJR大津駅へ。三井寺から先の東海自然歩道を歩く。
まず、新羅三郎義光の墓を訪れる。
「新羅三郎は源義光のことで、源頼義の子にあたります。兄に源義家、源義綱がいます。新羅三郎というのは園城寺北院の鎮守新羅明神を祀る新羅善神堂の神前において元服したことにちなむもので、兄も八幡太郎義家、加茂二郎義綱とそれぞれ元服した神前に由来する名を別に有しています。
義光は弓馬の道に優れ、後三年の役(1083〜87)には兄の義家を助けるため、奥羽州に出向いて清原氏の乱を兄に協力して治めています。
義光は1172年に没し、この墓が新羅三郎義光の墓と云われています。
大津市教育委員会 昭和62年3月」 (現地案内板より)
元服した神社の関係で新羅と名乗っているんだ。
それなら、新羅明神とは、何ぞやと調べてみた。
「新羅明神(しんらみょうじん)は、園城寺の守護神。円珍(智証大師)が唐から帰国に際し搭乗船の船首に出現し自らを新羅国明神と称してたことによる。 元来は朝鮮半島からの渡来神ともこの地域の地主神であったともいう。」ウィキペディアより
オンドルと似た遺跡が見つかったりしているので、朝鮮半島とのつながりもあるようだ。新羅善神堂にはよれなかったが、壬申の乱など近江を舞台とした歴史と深くかかわっているようなので、書籍を紐解いてみたいと思う。
フェノロサのお墓がある法明院を訪れたが、留守のようだったので、先へ進む。早尾神社のお不動様は28日が縁日でした。お参りしたかったが、先が長いので、失礼させていただく。千石岩とあわせて、池の谷地蔵へお参りし、大文字山へ歩いてみることにしたい。
つづいて、近江神宮を訪れた。
「近江神宮は第38代天智天皇をお祀りし、琵琶湖西岸の天智天皇の古都・近江大津宮跡に鎮座しています。全国16社の勅祭社の一社であり、4月20日の例祭(近江大津宮遷都記念日)には、天皇陛下の御名代として毎年宮中より御勅使を御差遣いただいています。」HP御由緒より
中学生の時、文化祭で漏刻(水時計)の模型を作ったなぁ。
小倉百人一首の巻頭は天智天皇の「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」です。百人一首かるたで、競技かるた名人位・クイーン位決定戦が行なわれていることでも有名。小学生も、最近は「5色百人一首」などで力を付けている。少女漫画「ちはやふる」(末次由紀)のラッピング電車を京阪電車が運行中。27日は点検中のようでした。
南滋賀町廃寺の前を通る。サソリ文の方形瓦は、学生時代の記憶に残っていた。サソリにもみえるけど、蓮の花をデザインしたものです。
町筋の自然歩道を離れ、いよいよ、谷筋をつめはじめ、登りにかかります。(百穴古墳群や志賀の大仏は写真のコメントにて)
堰堤が続く辺りから、登りが急になり、風が抜けていなかったので、一気にペースダウン。ゆっくり登り尾根にでると、谷をふきあげる風のあるところで足が自然に止まりました。ハイドレーションの水を少しずつ口にしていたのですが、暑さと日頃の不摂生もあり、扇子で扇ぎながらよたよたと歩く始末でした。
夢見が丘の分岐から、一旦下って、登りかえしがあります。等高線を見て、一番の勝負所と思っていましたが、この調子では無理は禁物、とりあえずケーブルの駅まで進むことにし、東塔エリア止まりを考え始める。登りかえしは、何とか足を持ち上げて一歩ずつ。慌てる必要もないので、心を無にして登ります。ゆっくり歩いていれば、なんとか進める自信はあります。ドライブウェーの車の音が聞こえはじめ、左京区との境界に到達。ここから、無動寺谷へは一度歩いているので、安心。谷をまたぐところは、少し気を使いますが、高低差はほとんどないので、歩きやすいです。風もあたり、体力は回復し始めます。ちょこちょことは歩いていましたが、しっかり歩くためには、やはりそれなりにしっかり歩いておかないとダメなようです。
弁天堂では、読経が聞こえてきました。お参りして、手拭いでクールダウン。平安時代のはじめ、相応和尚が比叡山中で回峰行を行なっていると、白蛇が現れ和尚の身辺警護をしたという伝説があり、9月の己の日は「巳成金」大祭が行われます。一度お参りしてみたいなぁ。
明王堂では、縁側で一服させていただいた。大津の街並みを見下ろしながら、風にあたらせていただく。延暦寺会館で一泊された方が、大きな荷物を持ってお参りされる。ケーブルで下る前に、こちらまでお参りされるようだ。一息ついたので、東塔エリアへ向かうが、どうも足が重い。途中のベンチでおにぎりを一ついただいた。梅干一こ丸ごと入っていたので、塩分もクエン酸もたっぷり補給できたはずだ。しかし、観光客のほうが、足が早かったりするので、足の方はさっぱりダメでした。ケーブルの駅で時刻を確かめ、根本中堂へ。大黒天、万拝堂、文殊楼とお参りし、根本中堂中陣へ上がらせていただく。お堂の説明を聞きながら、ゆっくり過ごしました。「不滅の法灯」の灯りに引き寄せられ、薬師如来様を拝ませていただきました。元気をいただいたようなので、本坂を久しぶりに下りました。
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