nomoshinさんの日記 - ヤマレコ
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672
ja
2019-04-19T12:20:25+09:00
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ご当地グルメ
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-184308
今日は北海道東部ではお天気が悪そうだったので、風蓮湖、納沙布岬、浜中町(坂本直行著「雪原の足あと」で紹介されていた別当賀川源流、4/11にお亡くなりになったモンキーパンチさんの故郷)などを観光。風蓮湖開口部の南東側の春国岱では、親切な漁師さんに32個もアサリを貰ってしまいました。「刺身でも美味いよ」とのアドバイスでしたが、遠征半ばでお腹をこわすのも怖いので、今夜は25個を味噌仕立ての鍋に😄 ご当地の味はやっぱ最高!
日記
2019-04-19T21:20:25+09:00
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野付半島は生きている⁉
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-184272
昨日(2019/4/18)は、午前中に斜里岳から下山できたので、午後は前々から一度行ってみたかった野付半島を訪問しました。
ネイチャーセンターに立ち寄ると、大変立派で、内容もとても充実していました。若いスタッフが頑張ってようでした。また、申請すると通行許可証を出してくれるので、半島の一番先端まで行って見ました。
伊能忠敬ばりに、徒歩で測量してみたところ、国土地理院の地形図とずれてることを確認。その成り立ちから、地盤沈下や潮目が変わると地形が経年変化しているからだと思われます。
日記
2019-04-19T03:39:48+09:00
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「雪原の足あと」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-183814
★「雪原の足あと」坂本直行/著(茗渓堂、1965年4月)
当初は今朝から1泊2日で中央アルプスに出かけようと計画していたのですが、なんだか雪崩が怖くなって中止にしました。その代わりに晴耕雨読ではありませんが、坂本直行著の画文集「雪原の足あと」をじっくりと楽しみました。
アイヌの「又吉」の話2編や、「ポロシリの歌声(日高幌尻岳・戸蔦別岳・七つ沼カール)」「初夏の南日高(トヨニ岳・ピリカヌプリ)」「春の暑寒別山群(暑寒別岳・群別岳)」などが特に印象的でした。一方で、まだ行ったことのない風蓮湖やサロベツ原野などにも行ってみたくなりました。
(著者は龍馬と同じ坂本家の流れをくむ1906年生まれ、北大山岳部出身、六花亭の包装紙の図柄でお馴染み)
日記
2019-04-12T16:28:10+09:00
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「私たちのエベレスト」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-171344
★「私たちのエベレスト」日本女子登山隊/著(読売新聞社、1975年11月)
田部井淳子さんに関連する図書の読書を継続中。これは、女性として世界で初めてエベレスト登頂に成功した日本女子登山隊の公式記録ともいうべき図書で、遠征隊のほぼすべての内容が網羅されています。登山隊のスポンサーだった読売新聞社から登頂後半年足らずで出版されたようです。出版についても新聞社がバックアップしたということで、上手な編集になっています。各ステージ(章)でもっとも適切な隊員の手記などを元ネタに構成されており、客観的な記述(記録)をベースとしながらも、個人個人の思いも各所で吐露されているのが特徴ですね。
全体を通して分かることは、この隊は最後まで隊員が一致団結することができずに、隊としては登頂に成功しつつも、個人としては後味の悪い思いをみんながしている点。その中で、強い批判(特に個人的な事情で一時隊を離れて日本に帰国したことに関して)を浴びてはいますが、久野隊長はその責務を十分に果たしていたと私は思いました。親族等の反対を押し切り、仕事を辞め、借金を背負って、子どもを置いて、など、さまざまな困難を克服して女性が社会進出する時代の産みの苦しみだったのでしょう。登攀活動部分に関して言えば、ルート工作や荷揚げなどの下支えはほとんどシェルパの実績であり、今風に言えば隊員はガイドされたお客さんだったかのような印象です。
個別の内容としては、カトマンズ市外からのキャラバンがとても楽しそうであった(このころはみなさんまだ燃えていた)ところと、資料編にさまざまな記録が掲載されている中で「通信担当報告」が特に興味をひきました(無線機とアンテナを結ぶ同軸ケーブルの型番まで記載されていたり…)。
【読了日:2018年8月29日】
日記
2018-08-30T14:40:14+09:00
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「さわやかに山へ」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-170526
★「さわやかに山へ」田部井淳子/著(東京新聞出版局、1997年6月)
田部井淳子さんに関連する図書の読書を継続中。写真が相当数収録されています。章立てとしては次の通り:
(1)今までのこと、これからのこと…まえがきにかえて
(2)スイスアルプス…ワクワクの出会いと感動
(3)ネパールヒマラヤ…はるかなるトレッキングの王国
(4)八ヶ岳…登山の学校
(5)白馬岳…雪渓の夕焼けの北アルプス
(6)吾妻山・安達太良山…恩師・級友との山行の思い出
(7)低山のすすめ…東京周辺の山々を歩く
(8)毎日の暮らし…仕事・家庭・足のこと
この本は、その出版元からも類推できるように雑誌「岳人」に掲載された記事をある程度ベースにしている模様で、特に(4)と(5)は、記事掲載を目的とした取材山行があったようです。
田部井さんと出版当時までのその行動・実績を知るには効率良い本だと言えます。一方で、他の人には到底まねのできない実績が輝きすぎてしまっていますし、著者の意図には反しているのでしょうが「私ってすごいのよ」「まだまだ人生楽しむために頑張ってます!」というギラギラ感が否めません。その結果として、タイトルと違和感があり、一般の人からは遠い存在のように印象付けられてしまっているのではないでしょうか。57歳でまだ脂がのっている時点の作品と解釈すれば良いのかな。
【読了日:2018年8月14日】
日記
2018-08-14T13:23:14+09:00
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「女たちの山」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-169961
★「女たちの山 シシャパンマに挑んだ女子隊9人の決算」落合誓子/著(山渓ノンフィクション・ブックス、山と溪谷社、1982年12月)
先に読み終わった北村節子さん著の「ピッケルと口紅」でちょっと(ネガティブに)紹介されていた図書です。正直、後味の悪い本ですので積極的にお薦めすることはしません。後味が悪い理由は著者にあるのではなく、主題となったシシャパンマ女子登山隊の遠征(隊員では田部井隊長のみが1981年4月30日に登頂)そのもの自体が後味が悪いものだったからだと思います。田部井隊長・北村副隊長の首謀者二人と、それ以外の隊員との間の溝をあからさまにして、著者なりに女性を取り巻く時代背景などをベースに考察したものと言えば良いのでしょうか。
著者は登山界とは全く無縁の人で、邪推するに、シシャパンマ遠征が終わった後に残ってしまった借金の穴埋めをするために、登山隊側が取材に協力することで図書を出版することを持ち掛けたのではないでしょうか(そうは明記されていませんが)。著者が引き受けたきっかけは、2歳の子供を置いて命の危険がある高峰登山遠征に出かけたという田部井隊長に興味を持ったためだとあとがきで記しています。
自分のミスを棚に上げて他メンバーのミスを許さない、という事実がいくつも暴露されているところや、田部井さんと北村さんだけが特別に仲良しでありすぎて他のメンバーとの親密度にそもそも大きな開きがあったという部分には辟易する感が否めませんが、さまざまなプレッシャー(文部省の後援、日中友好イベント名目での中国の思惑、スポンサーやNHK取材班への配慮など)の中で、個々人の趣味の延長線上の海外遠征、しかも女性隊、というところにさまざまな軋轢が生じる土壌があったことが分かります。女性の自立をテーマとして、時代考証的なものとして読むべきでしょうし、著者の狙いもそこにあったことが確かです。
【読了日:2018年8月3日】
日記
2018-08-03T17:12:10+09:00
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「ピッケルと口紅」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-169356
副題「女たちの地球山旅」。東京新聞出版局から1997年3月に発行されたもの。本書の宣伝的な紹介文:「世界初の女性エベレスト登頂者にして、世界七大陸最高峰踏破者・田部井淳子の周りに、そうそうたる女性クライマーが集まった。そこへ山好きのお嬢様記者が乱入。ハラハラドキドキの女達の山行記。」 お嬢様記者というのが、この本の著者・北村節子さんで、エベレスト遠征以来、田部井淳子さんとは10歳違いの親友。あとがきによれば、1993年5月から山岳雑誌「岳人」に1年間連載された「女たちの地球山旅」をベースにしているそうです。
書かれている内容は、読み終わってみれば北村さんの自慢話ということに気がつくのですが、とにかくとーっても愉快なタッチ(と語調!)で描かれているので、大変楽しい読み物です。その点では、「山と溪谷」に連載されて単行本になった高田直樹さんの著書「なんで山登るねん」とそっくりですね。ちなみに田部井さんはガンの末期に入院生活を送っていたとき、その事実をご主人・政伸氏を含め5人にのみ打ち明け、他は口止めしていたそうですが、その5人の一人が北村さんです。
北村さんご自身の弁:「75年の初遠征で『へい、ベースキャンプまででけっこうですから、ぜひお供をさせていただきたく』と隊に加えてもらった二等兵見習いの私自身、とうとうここまで田部井淳子という一人『時代の個性』を、傍らでじっと『観察』することになったなんて。まこと、山をめぐる二十年間連続上映ドラマの中を、生身で駆け抜けてきた思いがする。」「田部井さん、それに私の楽しい山仲間たち、いろいろバラしてしまった。許してくれい。」 北村さんはお茶の水女子大から読売新聞社に入社した才媛ですが、巻末の著者紹介を見ると、あの(!)松本深志高校出身であることが分かります。実は私が大学生のころ、同校出身の後輩と夏休みに上高地に行った折、松本深志高校山岳部の定着BCに数日間居候させてもらった経験があります。大学ならともかくも(地元とはいえ)高校で夏休み期間中ずーっと大型天幕を張っていて同校関係者がいつでも気軽に生活できるという大らかさに大変感心したものです。教育方針が偲ばれましたね。また、本書を読むと分かるのですが、北村さんは子連れの男性と一緒になっており、その結婚については親に大反対されたという点が田部井さんと共通だったそうです。このように、みかけは超一流女子大出身のお嬢様でありながら、その実は、おとこまさりの奔放な気質という点で魅力的な女性ですね。
本書で紹介された山行の中で、とても印象的なものというと、世界七大大陸最高峰の一つでニューギニアにあるオセアニア最高峰・カルステンツ。実は田部井さんの著書には、カルステンツ登頂の場面では北村さんが全く登場しないのです。というのも、北村さんが同行したのは1回目でその時はビザの時間切れで登頂できなかったのです。田部井さんが登頂に成功したのはリターンマッチ(2回目)の方。そういう背景もあって、1回目の内容紹介は貴重であり、ワクワクドキドキ感満載でした。
【読了日:2018年7月23日】
日記
2018-07-24T11:37:24+09:00
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「エプロンはずして夢の山」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-168201
故・田部井淳子さんに関する図書を古い物から読んでいこうという企画の第5弾。1996年6月に東京新聞出版局から発行されたものです。「あとがき」によれば、1995年9月から1996年1月まで、東京新聞(ならびに系列の中日新聞、北陸中日新聞)に連載された「この道」をまとめたものとのことです。
カラー口絵(写真)に続き、10の章で構成されています。各章の冒頭にも白黒写真がまとまって掲載されていますが、例えば娘・教子さんの結婚時の写真など、プライベートな写真も数多く含まれていて、本文中もキャプションも登場人物がすべて実名で登場しています。アンナプルナ?峰登頂、エベレスト登頂のあたりは、先に出版済みの「エベレスト・ママさん」などの内容と一部重なるところも当然ありますが、全般的には本書の方が細部まで、より多くの情報を含んでいるように思われます。
ちなみに、第1章「二人合わせて101歳」は。北村節子さんと二人でアイガーに東稜から登頂を果たした時の話ですが、良き山のパートナーとなった北村節子さんとの出会いについては、第7章「次へのステップ」で、当時読売新聞社の新入社員・記者であって、エベレストを目指す女性を募集した時に集まった18人の中の最年少者(24歳)として、「見れば、プロポーションも麗しく、流行のミニスカートに、きれいにまつげもそろえ、とても山に登る女とは思えない」ものの「『コヤツ、ツカエル』というインスピレーションがピピピッと働いた」と紹介しています。
前著同様、本書を通じ夫・政伸氏の深い愛情・理解と献身的なサポートの実際がつまびらかに紹介されていて、1995年9月に受賞した内閣総理大臣賞の受賞理由が「男女共同参画型社会作りに貢献した」というものであったそうですが、「これはむしろ夫の政伸にあげてほしい、と思った」と記しています。
【読了日:2018年7月3日】
日記
2018-07-04T09:45:20+09:00
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「山の頂の向こうに」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-167485
故・田部井淳子さんに関する図書を古い物から読んでいこうという企画の第4弾。1995年6月に佼成出版社から発行されたものです。プロローグに続き、全36編のエッセイが5つの章立てに構成、掲載されています。最終ページにある「初出誌一覧」をみると、36編のうちの28編は、雑誌などに掲載されたものであることがわかります。雑誌はさまざまなものが含まれていますが、山岳雑誌関係では「岳人」が3回登場しています。
本書の帯には「女性たちへ贈る感動のエール!」「ひたむきに夢追う女性(ひと)へ誘う全5章」といったフレーズが大文字で強調されています。その編集方針の通り、本書は、田部井さん(1939年生まれ)が女性としてのハンディキャップと向き合いながら、高峰登山のための海外遠征を続けていく強い意志、人生に対する考え方と姿勢、日々の努力、そして、ご主人・政伸氏らご家族の理解と協力、これらの実際の中身を披露したものとなっており、同世代あるいは若い世代の女性に多くの勇気を与えてきたことでしょう。
それぞれ味わい深い内容となっていますが、私が特に注目したのは「わが息子と出会えた日」。長女の教子さんが生まれたのち、第二子誕生までには少し間があるのですが、実は2回流産を経験しているとのこと。長男の信也さんを妊娠したときには、迷わず入院を選択し、出産までの7か月間、年末年始を挟んでずっと病院で大事をとっていたとのことでした。このような家族の秘話的なエピソードも本書では何度か赤裸々に綴られています。
【読了日:2018年6月20日】
日記
2018-06-22T10:58:00+09:00
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「七大陸最高峰に立って」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-166567
故・田部井淳子さんに関する図書を古い物から読んでいこうという企画の第3弾。田部井さんの著書としては2作目で、1作目の「エベレスト・ママさん」から15年ぶりとなる1992年11月に小学館から発行されたものです。
タイトルの通り「七大陸最高峰」に登った時のお話ですが、全部で7章ではなく。8章から構成されているのは、第2章「私が子どもの頃」が加わっているからです(その他は七大陸の最高峰1座につき1章の割り当て)。「あとがき」で著者が最後に振り返っているとおり、小学館の方の「子ども向きに」という意図に心動かされて書いた、とあります。帯にも「大自然の中でつかんだ感動を少年少女に! 女性として、世界で初めて七大陸最高峰に登頂成功。家族を想いつつ、ひたすら登り続けた母のさわやかノンフィクション」という宣伝文句が載っています。そして、本文も難しい漢字にはルビがふられています。第1章のエベレストについても、前作「エベレスト・ママさん」では触れられていないエピソードが数多く登場しますし、なんといってもドロドロした負の側面については、さらっと触れるか触れないかの程度ですので、少年少女が登山の楽しさを感じることができるようにアレンジされていました。
どの章も楽しいのですが、中でも私が一番印象に残ったのは第6章「ビンソンマシフ」です。エベレスト登頂後に田部井さんが次の「夢」として掲げていた(一般人が南極に行くことが不可能だった時代に掲げた目標)だけあって、その思い入れを反映しているとともに、“(元)少女隊”を自称する三人組、すなわち、田部井淳子さん、北村節子さん、真嶋花子さんが、全員そろって山頂に立てたという意味でも、田部井さんにとって大きな意味のある登頂だったようです(その前のマッキンリーでは3人の中で北村さんがアイゼントラブルで山頂を目の前にして引き返していた)。その感動が文面からも伝わってきますし、登山中に湾岸戦争が勃発するというハプニングもある中、どの国にも属さない南極という地球上の宝(神様が作った地)に思いを馳せています。
文末に付録として「登山用語解説」がついていて、イラスト入りで「アイゼン」「ハーケン」などを説明しています。これも若い人たちへの登山普及を願った田部井さんらしいなと思いました。後に出された著書「山の単語帳」につながる意識でしょう。
【読了日:2018年6月6日】
日記
2018-06-07T08:21:47+09:00
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「エベレスト・ママさん 山登り半生記」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-166143
故・田部井淳子さんに関する図書を読んでいこうという企画の第2弾。私がまず手にしたのは新潮文庫に収録されているもの(下記(2))ですが、初版含め全部で4つのバージョンがあります:
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(1)「エベレスト・ママさん 山登り半生記」山と渓谷社、1978年12月30日.
(2)「エベレスト・ママさん 山登り半生記」新潮社(新潮文庫)、1982年2月25日.
(3)「エベレスト・ママさん 山登り半生記」山と渓谷社(Yama‐kei classics)、2000年4月20日.
(4)「タベイさん、頂上だよ 田部井淳子の山登り半生記」山と渓谷社(ヤマケイ文庫)、2012年2月5日 (… 原本第8章のタイトルを本全体のタイトルに採用し改題)
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(1)は田部井淳子さんの著書(単著)第一作目で、ハイライトは1970年5月16日のエベレスト登頂(女性として世界初)です。著作物として、もともとは雑誌「山と溪谷」昭和51年(1976年)2月〜12月に連載された記事「エベレストママさん山を語る」をベースに加筆したものとのこと。(1)〜(4)は本文としての差異は無いように思われますが、写真は(1)66葉、(2)41葉、(3)20葉、(4)19葉と、版を改めるごとに減って行ってしまっています。ちなみに(1)(2)に掲載されているが(3)(4)では削除されている写真の中で、(アンナプルナ?峰の南稜上にある)「未踏峰ガーベルホーンのヒマラヤ襞」(この写真は「アンナプルナ 女の戦い7577m」にも収録されている)を、(2)では、誤って「第1、第2キャンプ間からみたアンナプルナ?峰」とキャプションしてしまっています。これは(1)での同写真(他の写真が中に埋め込まれている)とそのキャプションが誤解を与えるような記載だったからだと推測されます。
序文は、すべて同一で田中澄江さんによる「田部井さんのこと ― 序にかえて」、あとがき(著者による)もすべて同一です。他方、解説は、(1)には無し、(2)では西堀榮三郎氏によるもの、そして、(3)(4)は同じもので北村節子さんによるものです。好みの問題ではあるでしょうが、北村さんの解説の方が圧倒的に上だと感じました。何しろ本人をよくよくご存じな方ですので。
本文は9章から構成されていますが、大きくは3つの舞台をテーマにしています。山との出会いから国内(谷川岳や北アルプス)での修行(?)時代、アンナプルナ?峰(日本女性チームとしてヒマラヤ初遠征)、そしてエベレスト登頂。登山のそれぞれの場面での記述内容ももちろん楽しい読み物ですが、個人的にはそれよりも、背景に流れる田部井さんの山や人生に対する考え方を述べているところ、そして、夫・政伸氏との見事なパートナーシップの方により魅力を感じました。最終章「そして『これから』のこと」は次の文章で終わっています:
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新しく子供が生まれても、夫は「行ってこい」といって送り出してくれるだろうし、私も遠慮なく出かけるだろう。そんな環境を作るためにまたバタバタと動きたい。いつも何かの計画があるようなそんな生活を送りたいと思う。
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その通りの人生を送られたことに、心より敬意を表したいと感じました。
【読了日:2018年5月14日(1)、23日(2)(3)(4)を確認】
日記
2018-06-01T12:58:01+09:00
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「アンナプルナ 女の戦い7577m」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-164424
故・田部井淳子さんに関する図書を古い物から読んでいこうという企画の第1弾。昭和48年(1973年)2月20日に中日新聞東京本社・東京新聞出版局から出版されたもので、1970年5月19日に女子登山隊として初めてヒマラヤの高峰・アンナプルナ?へ登頂に成功した記録を残すために編纂されたものです。女子登攀クラブなる団体が著者となっていますが、実態としては頂上を踏んだ2人の日本人女性のうちの1人であり副隊長でもあった田部井さんが多くの部分を執筆していると思われます。
いわゆるヒマラヤ初登頂時代の記録ですが、他の初登頂記とは大きく異なっています。具体的には、登攀の内容よりも、チームの構成時期ならびにアタック隊発表時における葛藤が赤裸々かつつまびらかに記されているのです。本の副題に「女の戦い7577m」とありますが、意訳すると「7577m峰をめぐる女同士の戦い」って感じでしょうか。実際、隊員(女医1名含め全9名)の中の2名はこの書物の出版に最初は協力的でなく、特に1名は最後の最後まで執筆依頼を拒否してきたということが編集に携わった出版局の菅野氏があとがきに相当する「編集を終わって」に書き残しています。これらを含めて、本書では細かな発言まで含めて、すべて実名で記されているところは、現代社会のプライバシー重視の視点からは驚きでもあります。
他方、当時の時代環境、とくに女性が(男性主体であった)社会に進出する困難さを鑑みると、時代を切り開こうともがいていた先鋭的な女性たちの苦しみを生で知ることにもつながると思います。半年に近い長期にわたり職場を休む(退職された方も多い)ことがどういう意味をもっていたのか、そしてまた、それぞれの所属山岳会は別にありながら寄せ集め精鋭部隊で「女子登攀クラブ」を結成して海外遠征の許可をとらなければならなかったこと、さらには、高山病に苦しめられる高度でのやりとりであったということ、などなどをおもんばかってみると、この記録を残す意義がとても大きかったであろうと思えてきます。その観点からも、田部井さんは、夫・政伸氏や職場(日本物理学会事務局)の大いなる理解と支援を得ており、参加メンバーの中でも一番恵まれていたということが明らかで、それを生かして、副隊長としての責任もまっとうされたのでした。
文中に挿入されたイラスト(隊員の一人山崎茂利江さんが担当)には女性らしさが感じられます。
【読了日:2018年5月4日】
日記
2018-05-04T13:12:55+09:00
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「てっぺん 我が妻・田部井淳子の生き方」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-164221
2016年10月20日に逝去された田部井(旧姓・石橋)淳子さんのご主人・田部井政伸氏の著書で2017年7月1日に宝島社から出版。
淳子さんが女性として初めて世界最高峰(エヴェレスト)に登頂してからは、田部井さんのご主人と呼ばれることになってしまったが、もともとは先鋭的なクライマー。ヨーロッパアルプス三大北壁を1シーズンで全完登しようとしたが、天候不順でかなわず、しかも凍傷により足指4本を失うという経験をお持ちの方。淳子さんの方が熱を上げて姉さん女房(淳子さんの方が2歳上)になった様子も本書からうかがえます。それだけ、人間的な魅力にあふれていて、最後まで淳子さんの活動を全面的に支えています。
本書には夫婦間の往復書簡も披露されていますが、それにしてもすばらしい信頼関係にあったことが伺い知れます。淳子さんが海外遠征で行方不明との一報があった時に「あいつなら大丈夫」と判断し、息子さんを連れて予定通りアメリカ大陸50ccバイク(政伸氏の勤務先はHONDA)横断に出かけるなんてエピソードも紹介されていました。また、淳子さんの遺稿「再発! それでもわたしは山に登る」は2016年8月18日(お亡くなりになったのが10月20日なので約2カ月前)までで終わってしまっていますが、こちらの本では、10月4日のラジオ番組の収録の様子までの生前のご様子が描かれていますし、死去2日後に予定されていた講演会(長野県の高校で創立110周年記念イベント)にはご子息が代理登壇し、その晩に逝去したことを報道機関に発表したという裏話も披露されています。いずれにせよ、夫婦愛を描いた最高峰、タイトル通り「てっぺん」の書で、読後感も二重丸。
【読了日:2018年4月30日】
日記
2018-05-01T10:05:18+09:00
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「アティカス、冒険と人生をくれた犬」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-163573
原題「Following Atticus」は2011年に出版され、日本語版が2017年12月に集英社から出版された図書。地元の図書館でたまたま見つけました。
アメリカ合衆国北東部(ニューハンプシャー州)・ホワイト山地の“4000フッター(1200m峰、全部で48座)”を5年間で450峰(冬季は2シーズンで147峰)に登ったミニチュア・シュナイダー犬とその飼い主のお話。冬季の登山は募金活動として実行されています。我が家にも小型犬(トイ・プードル)がいて、元気なころには一緒に山に登っていたので、当時を思い起こしながら本書を読みました。
小型犬が冬季登山を成し遂げることにまず大きな驚きを覚えますが、このアティカスは確かに普通の犬とは大きく違っていて、達観した(“小さなブッダ”と表現されている)自立犬です。
本書は山岳図書というよりは一般書で、登山以外の話、飼い主である筆者Tomの仕事(ローカル新聞の編集・出版)の話や、その父親を主とする家族の話、またアティカスを譲り渡した前の飼い主であるペイジ(最後はTomと一緒になる?)との話などが散りばめられています。そして、文章がちょっと独特(先人の言葉を多数引用している)なので、私的には若干疲れてしまいました…
【読了日:2018年4月19日】
日記
2018-04-20T21:55:05+09:00
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「再発! それでもわたしは山に登る」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-162920
2013年9月に出版された「それでもわたしは山に登る」の続編的なタイトルで、2016年12月に同じく文藝春秋社から出版された田部井淳子さんの遺稿本。
2014年10月に再発したガンと付き合いながらも講演に全国を回り、歌を唄い、山に登り、そして、高校生ら若い世代や女性たちに山を登る楽しみを伝授し続けたお話。主たる部分は日記のような時系列で、2014年10月6日から始まっていて、最後は2016年8月18日、つまりお亡くなりになったのが10月20日なので約2カ月前まで。後半は闘病のつらさとの葛藤もあってちょっと痛々しい。
それにしても、がん再発のことは夫を含めわずか5人(医師を除く)にしか知らせていなかったとのこと。毎年恒例の被災した東北の高校生の富士山イベントも2016年は、抗がん剤治療中、病院を抜け出して参加(登山としては元祖七合目で本人は引き返した)されていたというのは驚きです。
あとがきというか、最後の一章は、夫の田部井政伸氏による「淳子のこと」ですが、この部分、初出は「文藝春秋 2017年1月号」の「妻・田部井淳子 最後の手紙」とのこと。この政伸氏の一筆がまたすばらしいというか、妻を最後まで支えた政伸氏自身がすばらしいのですが、今回はこちらの方にぐっと来てしまいました。この人にこの人あり、という感じ。せっかくの機会なので、この機会に山岳雑誌の田部井淳子追悼特集の類を一通り読んでみましたが、年表をみるとご結婚が1967年4月ということなので、もうあと半年ほどでご結婚50周年だったのですね。
田部井淳子さんの著書は他にも多くあるようですし、田部井政伸氏の「てっぺん 我が妻・田部井淳子の生き方」や山岳雑誌記事に追悼文を寄せられている北村節子さん(ガン再発を知っていた5人の中の一人)による「ピッケルと口紅」もいずれ読んでみたいと思います。
【読了日:2018年4月9日】
日記
2018-04-10T10:10:04+09:00
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「それでもわたしは山に登る」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-162680
田部井淳子さんが執筆し、2013年9月に文藝春秋社から出版された「それでもわたしは山に登る」を読みました。
とても読みやすい本で一気に読み終わった印象です。2つの章から構成されていて、第1章は「山から学んだこと」というタイトルでかつての(多くは厳しい)山行の中での経験をベースにした貴重な教訓が綴られています。他方、第2章は本書のタイトルと同じタイトルで、2012年3月に発症した腹膜ガンと戦い(付き合い)ながらも山に行くことをあくなきまでに追い求めて実践する姿が描かれています。具体的な治療(手術とその前後の抗がん剤投与)とその合間の講演や山行などのイベントの日程も明記されていて、副作用のある中、医師もあきれる驚くべき行動力です。親族の一部も含めて多くの関係者には闘病中であることはひた隠しにしていたようで、この本が出版されることで初めて知る人も多いとの記載もありました。また自分の残りの人生や葬式についての考えを披露している部分もあり、自分を看取るであろう亭主に向かって「オタオタせずに、頼むぜ!」の一言も。
これまでも田部井さんには好感を持っていましたが、この本を読み終わって、人間として心底ほれ込んでしまいました。繊細さとともに豪放さも兼ね備えていて、昔の言い方ならば「女にしておくにはもったいない」人物だと思います。福島県(三春町)出身ということで、東日本大震災後の社会貢献にも尽力し、『被災した東北の高校生を日本一の富士山へ』プロジェクトはまさにこの闘病生活の中で実現されたものであることがわかります。
なお、この本の後、2016年12月に「再発!それでもわたしは山に登る」なる続編も出版されているようなので、併せて読んでみます。
【読了日:2018年4月5日】
日記
2018-04-06T20:04:36+09:00
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植村冒険館に行ってみました。
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-158649
先日、東京都板橋区にある「植村冒険館」に行ってきました。初めてです。
年間で4回ほど企画展示をやっているそうでして、出向いた時は「地図を広げて」というタイトルで植村直己氏が北極圏を犬ぞりで1万2千kmを走破した際の地図や写真、装備品が展示されていました(2018年1月24日までで終了)。
次の展示は、植村直己氏の誕生月でもあり命日月でもある2月からで、毎年恒例の「メモリアル展:山頂に残された旗 〜マッキンリーに消えた植村直己の足跡」(2月1日〜4月10日)だそうです。月曜定休、入場無料。
いちばん感激したのは、同館の情報コーナー。探検関連の書籍がぎっしり。「山と渓谷」「岳人」といった雑誌のバックナンバーも充実していました。もう少し自宅から近かったら入り浸っていたいようなところです(が、地方にいらっしゃる方には申し訳ないようなセリフでした)。
なお、生家近く、兵庫県日高にある「植村直己冒険館」とは、ゆるやかな情報交換はあるものの、特に連携はしていないとのことでした。
日記
2018-01-28T13:56:53+09:00
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「ヒマラヤ冒険物語」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-154504
★「ヒマラヤ冒険物語」クリス・ボニントン/著、田口二郎訳(岩波書店・同時代ライブラリー110、1992年4月)
岩波書店から1987年に出版された「現代の冒険 上;山・極地・河」(ちなみに残りは、下;海・空・洞窟・宇宙)の中の「山」部分を改題し、「同時代ライブラリー」シリーズに組み入れたものとのこと。本文の内容はアップデートなしのようですが、著者の序文は新しくなっています。
7つの章で構成:「アンナプルナ(エルゾーグ隊)」「エヴェレスト(ハント隊)」「チョー・オユー(ヘルベルト・ティッヒーとパサン・ダワ・ラマ)」「ボナッティの柱塔(ドリュ)」「ブロード・ピーク(ブール)」「アンナプルナ南壁(ボニントン隊)」「現代登山の超人(メスナー)」。それぞれ登山史の中でのエッポックメイキング的な登攀や登山家が主題になっています。中でも個人的には、ティッヒーの執念(凍傷で両手が全く使えなくなりながらも第1キャンプから再チャレンジして世界第6位チョー・オユーに初登頂)とこれを支えたパサンの超人的活躍(ナムチェバザールから3日間で距離50km、高度差4,000mを克服)が一番印象深いものでした。本書の特徴として、微妙な人間関係(軋轢や葛藤)を暴露している点があます。その典型としては、シプトンが1953年英国隊長から降ろされた背景、ブールの登山家としての下り坂での最期、メスナーの恋物語など。
日記
2017-11-19T10:04:12+09:00
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「ツキノワグマ」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-153906
★「ツキノワグマ」宮崎学/著(偕成社、2006年10月)
最近読んだ「森の探偵」の著者・宮崎学氏が2006年10月に出版していた本。児童図書として出版されているようで、漢字にはルビが振られています(図書館のラベルでは「小5」とあるので小学5年生向き?)。著者の本拠地である中央アルプス伊那谷(中央高速道駒ヶ根ICそば)を舞台に、現代社会を生きるツキノワグマの習性を観測した結果をビジュアルに解説した内容。「大型トラックが轟音をたてて、ひっきりなしで行きかう高速道路のわきで、クルミやクリの木にのぼって、のんびりと時間をかけて餌を食っていくツキノワグマは、笛や鈴をならせばにげていくような臆病者ではない。」 野生動物との共生について考えさせられます。
【読了日:2017年11月2日】
日記
2017-11-08T08:20:07+09:00
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「エベレスト50年の挑戦」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-153852
★「エベレスト50年の挑戦」ジャムリン・テンジン・ノルゲイ/著、ブロートン・コバーン/著、海津正彦/訳、増島みどり/プロデュース(廣済堂出版、2003年6月)
ヒラリーとともに人類初のエヴェレスト登頂者となったテンジン・ノルゲイの3番目の妻(ダクー)との間の2番目の息子であるジャムリン・テンジン・ノルゲイが主著者。1996年にエヴェレスト登頂を果たすところがメインの内容ですが、従来の一般的な登頂記ではなく、シェルパ族(≒チベット族)の立場で、特にチベット仏教の巡礼的・宗教的な視点(たとえば輪廻転生)で書かれているところが最大の特徴。作者は米国の大学を卒業しているので、資本主義社会にも身を置いた経験がある上でのことで、大変説得力があります。現地での登山行程に入ってからは、43年前(1953年)に父が初登頂した時の様子とダブらせるような記述になっている構成も好ましい印象を与えています。1996年のエベレストは大量遭難のシーズンで(難波康子さん含む)、それでもその遭難事件の後に登頂を果たしているため、遭難時の様子も手に汗を握るような緊迫感で伝わってきます。その他、テンジン一族の構成などもちりばめられており、大変興味深い読み物となっています。また、テンジン(父)の2番目の妻(アン・ラムー、子どもができないため、3番目の妻<著者の母>との結婚を勧めた)が聖人であり、テンジン(父)のエベレスト初登頂を導いたとの話も披露しています。
他方、本書の最大の問題点は日本語訳のタイトル「エベレスト50年の挑戦」です。原著タイトルは「Touching My Father's Soul」(父の魂に触れる)でして、これが本書の真の主題。父子の登頂時点の差は43年であって、50年は全く意味不明です。そのあたりについては、「日本版発刊に際しての前書き 増島みどり」と付録となっている「エベレスト登頂50周年特別企画 −日本人が挑んだエベレストー 増島みどり」を読むと背景がわかるのですが、この増島みどりなるプロデュース役を名乗る人の暴挙としか言いようがありません。原著の発行が2001年で、日本語版を作るのに2年かかり、でもって日本語版の出版2003年が初登頂から50年目ということで、むりやりプロデュースしてくれちゃったようです。「序」文を「第十四世ダライ・ラマ」が寄せていますし、「はじめに」を「ジョン・クラカワ」がきちんと書いていますので、こんなへんてこ、かつ、言い訳ばかりの長ったらしい駄文を前書きに載せる意味は無いし、付録も日本人の登山家へのインタビューを集めただけで、テンジンとは無関係な内容だし、まったくもってひどい仕打ち。インタビューも質問がとんちんかんでつき合わされた方々(松浦輝夫氏、大蔵喜福氏、田部井淳子さん、貫田宗男氏、山田淳氏)は良い迷惑だったはず。明らかな編集ミス的な誤植も散見され、プロデューサとして名前を残すのは売名行為の類(しかも日本語版の著作権を有している!)にしか思えません。前書きでくどくど言い訳するぐらいなら、日本語版出版担当を(そもそも翻訳は自分でできないと気づき海津正彦氏にお願いした時点で)さっさと辞任すべきだったと思います。その方が早く良いものができたに違いありません。もったいない!(怒)
【読了日:2017年11月6日】
日記
2017-11-07T09:53:21+09:00
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「森の探偵」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-152618
★「森の探偵」宮崎学、小原真史/文・構成(亜紀書房、2017年5月)
副題は「無人カメラがとらえた日本の自然」。自然界の報道写真家・宮崎学氏(1949年生まれ、長野県伊那谷出身)とその作品を紹介・解説した成書。キュレーターの小原(こはら)氏が宮崎氏にインタビュー取材して執筆した形式となっています。小原氏は1978年生まれなので、宮崎氏とは親子ほどの年の差ですが、自然と人間社会との関係に関してとても博識であることが分かります。宮崎氏については、雑誌(たとえば「岳人」2017年6月号の岳人プロファイル)などでもたびたび紹介されています。
本書の内容は幅広い話題を掘り下げていて密度も濃い。印象的な話題を列挙しておくと次の通り:スカベンジャー(掃除屋)の底辺に昆虫、日本では頂点に熊。加齢臭は死臭に準じるもの。仏教絵画の九相図。輪廻(「風雪のビヴァーク」で紹介されている松濤明の遺書を思い出す)。さまざまな動物がシナントロープ(人間社会と近いところで生息する動物)化してきている。「後は野となれ山となれ」は文字通り。戦時中に切り倒された山の緑は復活してきており、地方の衰退とともに里山はどんどんと自然の圧力に押されて野生動物が人間界に迫ってきている。等々。
エコサイクルを支える多様性のスケール、そして、人間活動と自然界の時間軸のギャップを意識しないといけないと痛感させられました。特に日本国民として原子力発電、かな。
【読了日:2017年10月19日】
日記
2017-10-20T09:17:32+09:00
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「わが山エヴェレスト テンジン自伝」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-152464
★「わが山エヴェレスト テンジン自伝」テンジン/述、マルコム・バーンズ/筆、吉永定雄/訳(白水社、1979年8月)
エヴェレスト初登頂者の一人、テンジン・ノルゲイの2冊目の自伝(テンジンは文盲のため、1冊目と同様に口述ベース)であり、エヴェレスト登頂後の人生について語っている。
ヒマラヤ登山学校の教師としての活動の他、欧州・米国・アジア・日本・オーストラリア・ニュージーランドなどを旅した(記念イベントでの招待講演が多いが、シッキム王子の結婚式参列などもある)内容が綴られている。また、生い立ちや家族構成やその活動などにも触れられており、さらには趣味(スキーなど)・嗜好(動物が大好きで特にチベッタン・テリアをたくさん育てて海外の友人の贈り物となった)などのエピソードも興味深い。
最終章(第15章)「老いゆく虎」では、さまざまな友人たち(多くは欧米の登山家)について語った後、インド政府ならびにネパールについての不平不満を少々吐露した後、自分のふるさとであるソル・クーンブ地方の発展に向けての次のような考えを述べている:スイスのように、ルクラに登山センターを作って、シェルパ族のガイドがこの谷で仕事にありつけるようにすべき。エヴェレストのベースキャンプばかりでなく、その支流の谷にももっと景色の良いところが沢山あって、快適な登攀もでき、楽しいトレッキングやキャンプ生活もできる。天候は、三月と四月が最適。なお、本書の扉には日本国内のものも含めて、貴重な写真も多く収められている(但し本文の内容としては日本の話題はほとんど出てこない)。
【読了日:2017年10月16日】
日記
2017-10-17T09:01:15+09:00
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「テンジン エベレスト登頂とシェルパ英雄伝」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-151300
★「テンジン エベレスト登頂とシェルパ英雄伝」ジュディ&タシ・テンジン/著、丸田浩/訳、広川弓子/訳(晶文社、2003年4月)
エベレスト初登頂者の一人、テンジン・ノルゲイの孫とその奥さん(オーストラリア人)が書いた本の邦訳。原題は「TENZING AND THE SHERPAS OF EVEREST」。全12章からなりますが、良い構成で、前半はテンジン・ノルゲイを中心とした話で、後半はテンジン一族、さらには、他のシェルパ族の活躍、そしてシェルパ社会に係わる諸問題という風に、徐々に全体像に話が進みます。ダライ・ラマ法皇とエドモンド・ヒラリー卿の2人が序文を寄稿しているのも特徴です。
この本を読むと、エドマンド・ヒラリーよりも、テンジンの方がはるかにエベレスト登頂に対する強い長年の想いがあったことが読み取れます。また、訳者あとがきでも触れていますが、テンジン・ノルゲイの一番の親友は、エベレスト登頂に英国隊員として成功する一年前のスイス隊(1952年春・秋の2回)でいっしょだったレイモン・ランベールだったそうで、その友人から預かった赤いスカーフを持参して翌1953年5月29日にヒラリーと二人でエベレスト山頂に立っているのです。スイス隊の挑戦から50年たった2002年5月16日にレイモンの息子イヴ・ランベールと、テンジンの孫タシ・テンジン(本書の著者)が一緒にエベレスト登頂を果たしていることは、私は知りませんでした(映画もあり、一部の人たちの間では結構有名らしい)。なお、タシ・テンジンは、ノルゲイ・テンジンの初登頂後40年目の1993年にエベレストに挑戦して失敗、しかし、1997年に再挑戦して成功しています。
個人的に印象に残ったのは、次に引用する「第7章 その後のテンジン」の最後の段落の最後の部分(「決して忘れてならないこと」以降)です:
テンジンはもうこの世にはいない。しかし、エベレストとその偉大な歴史を愛するすべての人の心の中に、テンジン・ノルゲイはなお生き続けている。テンジンの人生は同胞であるシェルパと彼が愛した山を有名にし、彼自身は人減の意志と開拓精神を体現した。テンジンは強靭で決然としていたが、暖かく控え目でもあった。そして、家族、よき友人、暖かい火、お腹を満たす食べ物、そして、決して忘れてならないこと、すなわち、夢を実現させる人生の純粋な喜び、という質素だが人生において大切な喜びを満喫することがどんなに素晴らしいかを良く知っている男だった。
シェルパについては、「シェルパ ヒマラヤの栄光と死」(根深誠著、山と渓谷社)を先に読んでいましたが、外から見たものと内から見たものとの視点の違いもあり、どちらもお薦めですね。もちろん、この日記で前回取り上げた「ヒラリー自伝」も合せて!
【読了日:2017年9月29日】
日記
2017-09-29T14:18:33+09:00
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「ヒラリー自伝」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-149072
★「ヒラリー自伝」エドモンド・ヒラリー、吉沢一郎/訳(草思社、1977年10月)
素晴らしく、そして、読み応えのある良書でした。エドマンド・ヒラリーと言えば、世界最高峰・エヴェレスト初登頂者であることは有名ですし、その麓にシェルパを含む現地の子供たちのために学校や病院を作っていたことは知っていたのですが、南極点第3到を含めた南極大陸での探検やイエティ(雪男)探索などなど、さまざまな冒険をされていることは知りませんでした。ですので、この「ヒラリー自伝」の原著タイトルも「Nothing Venture, Nothing Win」でして、直訳すれば「冒険なくして勝利無し」、さしずめ「虎穴に入らざれば虎子を得ず」というところでしょうか。全部で19章から構成されているのですが、エヴェレストについては、第9-10章の2章だけです。山岳地帯だけでなく、フィジー諸島(第2章)・ソロモン諸島(第3章)といった海洋、そして南極(第12-14章)も含めた冒険人生です。第16章「あなたは幸運をもたらす」はネパールへの社会貢献に関連していますが、第17章「家族と遊ぶ」第18章「冒険がいっぱい」と続いて、最終章「何をなすべきか」で終わります。なんと言ってもヒラリーの人柄に触れ、その人生に対する姿勢にとても共感しました。第16章では、アメリカが引っ張る資本主義経済に対し悲観的な見解を綴ったりもしていますし、第17章では奥さん(ルイーズ)とともに3人の子供と冒険(ネパールとオーストラリア・バーズヴィルトラック)にでかける中での教育姿勢にも自然に対する思いがこめられています。訳者あとがきの最初を読むと、この本(原著)が出版された1975年の前年に、奥さんとお子さん1人(一番下のべリンダ)がカトマンズ近郊の飛行機事故で亡くなっていることが分かり、訳者曰く「天をうらんだ」。なお、一番上のピーターは、1990年にエヴェレストに登頂しているようです。【読了日:2017年8月2日】
日記
2017-08-22T14:02:52+09:00
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「シェルパ」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-145785
★「シェルパ ヒマラヤの栄光と死」根深誠著(山と渓谷社、1998年9月)
根深氏の力作。同氏の著作はこれまでに2冊読んでいました(「風の瞑想ヒマラヤ(1989年6月)」「ヒマラヤのドン・キホーテ(2010年11月)」)。この本も読みごたえがあります。長期にわたって現地取材を重ね、ようやく上梓した苦労があとがきに記載されていますが、ヒマラヤの高嶺の初登頂時代に活躍したシェルパの方々が高齢になって存命の方が少なくなる中でこの本を残す意義はとても大きかったと思います。
シェルパというと、エヴェレスト初登頂者の1人であるテンジン・ノルゲイが有名ですが、この本では、その他にも有名なシェルパとして、アン・タルケー、ダキ・バブ、パサン・プタール、バルデン(英国隊のエヴェレスト初登頂を伝えたメールランナー)、ギャルツェン・ノルブ、ミンマ・ツェリン、プー・タルケイ(歴史上初の8000m峰登頂となったアンナプルナ・フランス隊のモーリス・エルゾーグ隊長の下山に貢献)などが登場します。すでに亡くなってしまっている人については、家族などから話を聞いています。また、参加した外国登山隊が出版した図書や記録の中でこれらのシェルパに言及している部分を引用するなどにより、丁寧な歴史検証も重ねています。すでに伝えられているような栄光の場面もいろいろと登場はしますが、根っこの部分では、貧困からやむにやまれずシェルパ(大英帝国時代の植民地・ダージリンで手配した体の良い奴隷のような身分)となって命の危険を冒してまで高山に登り、兄弟・夫や仲間の死と向き合ってきた人たちの生き様を史実としてストレートに伝えています。
日記
2017-06-27T18:11:59+09:00
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「生き残る技術」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-145073
★「生き残る技術」小西浩文著(講談社+α新書、2019年12月)
副題に、「無酸素登頂トップクライマーの限界を超える極意」とあります。8000m峰14座の無酸素登頂を目指している小西浩文氏(1962年石川県生まれ)がおそらく企業人向け講演会で話された内容をベースにして執筆されたビジネス書。どうすれば「限界を超えた」パフォーマンスが実現できるか、というのがテーマ。結論的には心の持ちようであって、それを日ごろから(脳トレのように)訓練しておくのが必要と説いています。個人個人のレベルの話しから、チーム(組織)のあり方、そして、リーダーのあり方、というように話が進みます。
最初の方は少し苦痛を感じましたが、もともと講演のような文章ですので、途中から(組織論くらいから)はすらすら読み進み、最後には、確かにそうだよな、と納得してしまいました。「無謀」と「無理」、「執着」と「集中」、「目標」と「目的」などなど、同じように思えることがらも見方を変えたりすると、心の持ちようが全くことなる、というような例がいくつも出てきます。個人的には、組織で登場する「渡り鳥(V字戦隊)」とプライドの実例として引き合いにされた「鷹」の話題が印象的でした。 【2017年6月16日】
日記
2017-06-16T19:06:17+09:00
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「ヒマラヤ探検史」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-144958
★「ヒマラヤ探検史」フィリップ・パーカー編/ピーター・ヒラリー序文/藤原多伽夫訳(東洋書林、2015年2月)
2015年2月に東洋書林という聞きなれない出版社から発刊された「ヒマラヤ探検史」を読み終わりました。副題に「地勢・文化から現代登山まで」とあり、原著は英国で2013年に出版されていてフィリップ・パーカーという歴史家が編者、序文をピーター・ヒラリー(エヴェレスト初登頂のエドマンド・ヒラリーの子息)が担当、全9章はそれ以外の8名(第3章と第4章は同一筆者)で分担執筆しています。
口絵には綺麗なカラー写真も掲載されていて、ハードカバーで354頁あり、読み応え十分です。登山に関する部分ではやはりエヴェレストに関する記載が一番多いですが、それ以外の高峰(K2、ナンガ・パルバッド、カンチェンジェンガ、アンナプルナ、ローツェ、チョー・オユーほか)に関しても十分な紙面を割いています。日本関連では、マナスルについてこそ一文のみですが、エヴェレスト南西壁の試みや、田部井淳子さんの女性初のエヴェレスト登頂(写真入り)、そして、本書出版直前の三浦雄一郎氏の80歳でのエヴェレスト登頂(当時、世界最高齢)、平出和也氏と谷口ケイさんのカメット東壁「サムライ・ダイレクト」など多くの登攀が他国のものと同じようにハイライトされています。
閑話休題的なコラム記事も豊富(39本)で、「ヘリコプターによる救助」というコラムでは、平出和也氏が関与した2010年アマ・ダブラムでのヘリ事故と翌日救助のエピソードも登場しています(私は知りませんでした)。その他で特に私の印象に残った記述は、1986年8月下旬にエヴェレスト北壁をアルパインスタイルで登り切ったスイスのエアハルト・ロレタンとジャン・トロワイエの2人の話。エヴェレスト山頂からほとんどの区間を尻セードで滑降下山し、何と3時間半で麓に降りたそうです。
ちなみに裏表紙にカラーで掲載されている写真には、1924年のエヴェレスト遠征隊の9人のメンバーが写っているのですが、後列で腰に両腕をあて、前列に座っているメンバーの左肩に右足を土足のまま乗せている生意気顔の登山家がジョージ・マロリーでした。私の大好きなヴィットリオ・セラの代表的な写真(写真集「SUMMIT」に収録されているものの一部)も掲載されています。
敢えて難癖をつけるとすると、訳語で一ヶ所。ピーター・ヒラリーの序文の中に「フランスの偉大な登山家リヨネル・テレイは、アルプスの登山家を『無益な征服者』と呼んではいたものの(後略)」という文章があるのですが、テレイ著の訳書(横川文雄/大森久雄訳、二見書房、1966年10月)のタイトルでは『無償の征服者』となっています。“無償”というと“見返りを求めない”といったニュアンスにも受け止められますが、“無益”だと“何の役にも立たない、無駄な”のようなニュアンスになってしまいませんでしょうか… ちょっとね。
【読了日:2017年6月14日】
日記
2017-06-14T18:34:53+09:00
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虹色の逆帯?
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-142413
大型連休はお天気に恵まれ、ヤマレコも大変な賑わいのようです。
私も、3泊4日で尾瀬・奥利根方面に出かけていました(まだ山行記録はアップできていません)。その時なのですが、空に虹色の帯が出ていました。但し、虹のような円弧ではなく、ほぼ真っ直ぐな直線(どちらかというと虹とは逆の曲率)で、しかも太陽を背にしているわけではなく、太陽がまさに南天の時刻(11:32)に、真上に見えていたのです。ちなみに場所は、景鶴山の北尾根です。
長年(?)山に来ているつもりですが、こういう現象って初体験でした。
日記
2017-05-06T21:15:39+09:00
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「死者は還らず」 しばらく前に読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-141825
★「死者は還らず 山岳遭難の現実」丸山直樹著(山と渓谷社、1998年3月)
9編から構成され、8つの遭難案件を検証・考察しています。9編のうち、6編は「岳人」に掲載され、2編は「山と渓谷」に掲載されたものをベースに、加筆修正して単行本化したものとのこと。また、最後の1編は「遺族」というタイトルで、遺族の視点をベースに他の8編を振り返ったものになっています。8つの遭難の主体は、早大山岳部、明大山岳部、中高年パーティ、ベテラン社会人登山者、新潟山岳会(社会人)、東洋大山岳部(著者の出身母体)、定年退職後の単独行者でした。悲惨さを包み隠さず表に出そうという方針で書かれており、その分、遺族や生き残った当事者などの関係者からは嫌がられる状況もあったとのことです。「あとがき」の書きっぷりが、その辺りの熱い思いを吐露したものになっているのですが、くどくどと弁明のような、正当化のような主張が、却って独りよがりに聞こえてしまっていて、逆効果となっているように感じられた点が少し残念でした。
【読了日:2016年1月19日】
日記
2017-04-28T22:55:09+09:00
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「私のエベレスト峰」 最近読んだ山の本
http://www.yamareco.com/modules/diary/13672-detail-141747
★「私のエベレスト峰」柳沢勝輔著(しなのき書房、2008年7月)
著者は1936年3月20日生まれで、信州大学山岳部OB。59歳でヒマラヤへ(ヤラピーク峰)、63歳の時にハンテグリ峰で7000m峰登頂。2006年10月にチョー・オユーで8000m峰登頂(70歳)、その山頂から見たエベレストに魅せられ、翌2007年5月22日にエベレストに登頂。これが当時の世界最高齢記録(71歳2ヶ月)となったそうです。
これらの海外遠征では、本書の写真を提供している倉岡裕之氏(ガイド)の功績が大きいようです。また、ことごとく最終段階で天候に恵まれるという強運の持ち主かとお見受けしました。本人は体調管理に専念しさえしれば、すべては周りがおぜん立てしてくれているようなガイド登山の実態が浮き彫りになっています。ヒラリーとテンジンによる初登頂の記録を読んだばかりで、(かつての国を挙げての探検登山のスタイルとは比べるべくもありませんが)当時の人たちが知ったならさぞかしびっくりするでしょうね。
一般人の日記のような文章を本にまとめたものですので、(文学的な意味で)本書に期待を寄せるのは酷でしょう。この本を読んで良かったと思えるのは、エベレスト登頂をこれから目指す人くらいかも知れないと感じました。また地図が掲載されていないのもちょっとマイナスポイントです。但し、口絵に掲載されているチョー・オユーから見たエベレストの写真はお天気に恵まれ確かに(芸術としてではなくデータのニュアンスとして)素晴らしいです。
【読了日:2017年4月27日】
日記
2017-04-27T17:50:02+09:00