osamurai3さんの日記 - ヤマレコ
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ja
2022-12-03T05:38:14+09:00
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単なる偶然と思いたいが…
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11月26日から一泊二日で雲取山へ行って来た。天気予報では、あまり良いものではなかったが、初日が少し雨に降られたもののすぐにやんで、二日目はずっと晴れて満足したものになった。
さて、日曜日に家に帰ると三日かけてヤマレコの山行記録を書き、翌日、会社の昼休みに自分の山行記録をスマホでチェックしていると一枚の写真に自分が書いた説明書きを見てぎょっとする。
その説明書きとは・・・
「ところどころ、平将門関連の場所があった。9時39分には、「茶煮場」を通過。「たいらのまさかど、臭くて(939年)ならぬ」って昔覚えた」
それは、雲取山の登山中に平将門関連の場所が数多くあったので、どこかで自分の持っている平将門情報を入れてみようと最初から思っていて、実行してみたものだった。
わたしが驚いたのは939年に起こった「平将門の乱」を説明した写真が撮影されたのが、9時39分だったことだ。
おそらく、これを見た人はこの写真が、9時39分撮影だったから、939年に起こった「平将門の乱」の話をわたしがしたのだと思うに違いない。
だが、実際は違う。書いている最中も「939」という数字が一致していたことに全く気づいていなかったのだ。
話は全く変わるのだが、翌日の下山の最中、地蔵峠を通過した時の写真にお地蔵さんから立ち昇る煙のようなものが写っていたので、
「ちょっと、不思議でしょう?」
姉に見せたところ、
「ああ、確かに顔が写っているわよね」
予想外のコメントをもらってしまった。
確かにその写真は全体的に白く見えるのだが、わたしにはどう見ても顔には見えなかった。どうやら、姉はわたしより霊感が強いようだ。
皆さんは、顔が見えますか?(2枚目の写真です。)
日記
2022-12-03T14:38:14+09:00
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今世紀最大のサプライズ
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わたしの予想を上回る日本の選手たちの活躍で毎日がテレビから目が離せない。
もちろん、北京オリンピックの話だ。
わたしが、最初から一番楽しみにしてたのは女子のカーリング。平昌オリンピックの時も「もぐもぐタイム」やら「そだね」とか、印象的な言葉を流行らしてきた彼女たちは見ているだけで元気がもらえる。
一昨日も一次リーグで4位以内に入れず、準決勝に進出できないと思って悲しみに涙していたインタビューの最中にアナウンサーから「今入った情報ですと準決勝に進出が決まりましたよ」といわれて「うそォ」って言いながら倒れこみ、「今世紀最大のサプライズ」といって喜んでいた姿は、少しコミカルでとても愛らしい。
そんな彼女らはついに一次リーグ1位通過のスイスを破って決勝戦進出を決めてしまった。
「わたしたちは今まで他のチームよりも多くの失敗をし、いっぺんに3点や4点も獲られてきたので、劣勢にも慣れている」と言った吉田知那美選手らのポジティブな姿は多くの日本人を明るい気持ちにさせることだろう。
写真は昨年8月に知床に羅臼岳と斜里岳を登りに行った帰りの女満別空港での写真。彼女らは地元北見市の誇りなんだろうな、とつくづく思っていたが、もはや、日本の誇りになろうとしている。
日記
2022-02-19T01:00:59+09:00
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滝に打たれてきました。
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いつか滝行とやらをやってみたいと思っていた。
『突然ですが占ってもいいですか』でおなじみの占い師木下レオンが、神通力を得るために滝行をやったと聞いてから特にその思いが強くなった。
さらにタレントの指原莉乃や菜々緒が滝行をやったことを知ると「やるっきゃないな」と思うようになった。
そしてついに、11月末、鳥羽にある「白滝さん」で有名な白瀧大明神へ行ってきた。
金曜の夜に桑名のホテルに前夜泊をし、翌朝、一番の近鉄線の急行で船津駅に到着。本当はところどころに標識があったのだが、気がつかずにスマホのグーグルマップを見ながら白瀧大明神に到着。
本当は9時からの予約だったのだが、8時に着いちゃったのでその前にひとりで滝行をやらしてもらった。
最初に短めの1本、次に長めの1本、最後に山の神様に向かって長めの1本。
最初は冷たい水が、痛いぐらいだったので、長くはできないなと思ったのだが、せっかくお金がかかっているんだからとしばらく我慢していると途中から水の冷たさが感じなくなっていくらでもいけそうな感じになった。結局、後半二本は、10分は行かなかったが、7〜9分くらいやれた。
「東京から来た人でこんなに根性ある人、久々に見たよ」
とおじさんに行ってもらえてちょっと誇らしかった。
ただし、頭上に落ちてくる水圧は、予想以上だったので、終わった後、めまいがしばらく続いた。おかげで帰りの電車に乗り損ね、何もない船津駅周辺をうろうろ歩いて時間をつぶす羽目になった。
その日は四日市のホテルに泊まり、翌日、その近くの椿大神社を参拝した。さらにそこから少し登山もやったが、準備もしないでの登山は危険なので途中で引き返した。
その一か月後、筑波山に登った後に『ふれあいの里』でテン泊し、普通に引き返すつもりだったのだが、なぜか道に迷い、気がついたら『白瀧神社』なる場所に着いてしまった。そこも滝行ができるようだったが、もちろん、それはしないで祠に手を合わすだけにした。
しかしながら、なにかに呼ばれてしまったような気がしてちょっと背筋が寒くなった。
(※本当は男性はふんどしのみなのだが、追加料金を払って白装束も着させてもらいました。最後の写真は椿大神社の紅葉)
日記
2021-12-27T23:00:51+09:00
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バスに乗り損ねて、帰れなくなって飛び込んだホテルは…
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「やばい。東京に帰れないかも…」
昨年、11月1日の17時頃、わたしは焦っていた。
前日、猪苗代登山口から会津磐梯山に登ったわたしは、裏磐梯の休暇村キャンプ場にテン泊し、小野川不動滝を経由して、その日はグランデコ山麗駅からロープウェイに乗って山頂駅まで行き、西吾妻山に登る計画だった。
ところが、キャンプ場からグランデコ山麗駅までの道のりと、ロープウェイの山頂駅から本当の西吾妻山山頂が、結構な距離だったので、西吾妻山山頂に到着した頃にはすでに時計が15時半をまわっていた。
「あーあ。やっちゃった」
更に日没後、辺りが暗くなってから天元台スキー場のとてつもなく長いゲレンデを歩いてスキー場のロープウェイ駅に到着したのが18時25分。それはふもとの白府温泉バス停からの最終バスが出る時間だった。
「もう山へ行くのはやめろよ」
わたしが月曜日の朝に出勤出来ない旨会社の上司に電話をすると、わたしが山から帰れなかったのが初めてではなかったので、こっぴどく怒られてしまった。
気分が落ち込んだわたしは、そこから白府温泉への道も怖そうだったので、そこにテントを張ろうか、しばし、迷った末、意を決して白府温泉への車道を歩いて降りて行くことにした。
「あー、着いた」
白府温泉の灯りが間近になったのが、20時ちょうど。多少、高くてもどこかのホテルに泊まるしかないので、目に入ったホテル『中屋別館不動閣』の門前で立ち止まり、スマホでそこのホームページを開くと、値段を確かめ、そのホテルに電話してみた。
幸いにも泊まることができてホテルの入り口から入ると優しそうな主人とその先代の主人らしい老齢の男性が出迎えてくれた。
「お腹空いたでしょう?夕食は終わりましたが、おにぎりでもお作りしましょう」
入り口近くの暖かい囲炉裏の部屋でお盆にのったおにぎりやみそ汁、漬物などを食べさせてもらうと部屋に通され、早速温泉に入った。
「オリンピック風呂?」
そこの大浴場の『オリンピック風呂』のネーミングに驚いた。うん十年もの前、小学生の時に今は亡き両親と祖母と行った懐かしいホテルの風呂が『オリンピック風呂』だったのだ。
「あー、やっぱり」
その『オリンピック風呂』へ入ると予感は的中だった。オリンピックのプールを彷彿させる細長い長方形の形態は確かにわたしの記憶にあったものと一致したのだ。
わたしは、今は亡き両親に導かれてそこに来させられた気がして感慨深い気持ちで温泉に浸かった。
小学生の時の両親と祖母を思い浮かべながら。
「お世話になりました」
翌朝、ホテルの主人と先代のおじいちゃんに見送られたわたしはとても温かい気持ちでホテルを後にした。
日記
2021-11-14T17:05:25+09:00
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これでも動物に好かれる方です。
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先週末のことだ。早朝7時半に天狗温泉浅間山荘を出て、浅間登山口バス停に向かおうとして歩き出した途端、前方に小さな動物がいることに気がついた。
街中で猫が歩道を歩いているような感じでわたしと同じ進行方向に歩いている。
…これは…。
オコジョだった。全体的に白い毛で覆われているイタチ科の動物。ところどころ茶色い部分があり、しっぽの先は黒い。
その小動物がちょこちょこ歩いている後ろをついて歩いていくのは、まるでそのオコジョに先導されているような感じで、何ともほのぼのとした気持ちになった。
しばらく、その状況は続いていき、わたしはiPhoneで動画を撮影しながら歩くこととなった。残念ながらその後、進行方向から自動車が来てオコジョは逃げて行ってしまったし、わたしの撮影した動画にはオコジョがあまりはっきり写っていなかった。しかしながら、わたしの前を歩いていたちいさなオコジョの愛くるしさは今でもわたしの脳裏に残っている。(写真1枚目)
一昨年から北海道の百名山にチャレンジしているわたしだが、何回かキタキツネと遭遇している。昨年は雌阿寒岳登山の前夜にオンネトー湖のキャンプ場でトイレの前で顔を合わし、今年も5月に羊蹄山登山中に比羅夫登山口から歩く途中に出会っている。
その時、わたしは一合目の手前で立ち止ってGoProカメラの電池を交換していた。
「ガサガサ…」
と背後で音がしたのでぎょっとして振り向くと5メートルくらいの至近距離からキタキツネがしっぽをこちらに向けながら逃げていく光景が目に映った。
それはまるでそのキタキツネと『だるまさんが転んだ』をやっているかのようだった。
5月の北海道の山の中の森林はまだ、残雪の銀世界。その幻想的な雰囲気にしばし呆然と立ち尽くした。
キタキツネとはその翌日にも真狩のキャンプ場へ向かう途中に遭遇している。(写真2枚目)
それ以外にも上高地の明神池付近で50匹以上もいるサルの群れに囲まれたり(写真3枚目)、大天井ヒュッテからビックリ平に向かう途中に熊の子供がすぐ前から飛び出して逃げて行ったり、北アルプスで二回も雷鳥に前を先導されるかのような経験をしている。
熊にだけは会いたくないが、動物との遭遇は、どれも良い思い出になっている。
日記
2021-11-05T21:01:09+09:00
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我が道を進みます。
http://www.yamareco.com/modules/diary/143750-detail-252796
今日は、会社帰りに週末の度に登山をしている山好きな同僚とお酒を飲んだ。
彼はヤマレコに山行記録や日記を載せるたびに100以上の拍手をもらう人気ユーザー。
わたしはというと今まで山行記録で二桁以上の拍手をもらったことのないしょぼいありさま。いろいろアドバイスをいただいたけれど、わたしが出した結論は我が道を進むってこと。拍手の数は気にしないで自分に妥協のしない山行をして、記録を残す。
そういうやり方、考え方が自分らしくて、後悔しないものだと思う。
頑固一徹なんていうかっこいいものではないけれど、それがわたしにとってのベストだと思う。
日記
2021-10-21T23:06:42+09:00
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深夜、以東岳の山小屋で亡き人たちを偲ぶ
http://www.yamareco.com/modules/diary/143750-detail-249772
2021年8月30日、ワクチン二回接種後初の登山となった大朝日岳縦走中の話。
お盆休みを返上して仕事に出たので代休がとれての三連休だった。
その日の朝5時46分、わたしは大朝日岳山頂の避難小屋を出ると大朝日岳山頂まで登って縦走していき、16時38分に以東岳山頂に到着。しばらく、景色を眺めて休憩後、歩いて7分の以東小屋で宿泊することにした。
本当はすぐにタクシー会社に連絡して翌日の大鳥登山口〜JR鶴岡駅の予約をするべきだったのだが、後回しにして寝てしまった。おかげで、翌日大鳥池のタキタロウ小屋で携帯がつながらず、通りがかりの車に乗っけてもらって事なきを得るはめになった。
長い睡眠から目覚めたのは真夜中0時だった。
小屋にはわたし以外、人がいなかったので全くの静寂。
トイレに行って用を足すとしばらくぼうっとしていたわたしは、すぐには眠れそうにないので音楽を聴くことにする。
先日、俳優の千葉真一さんがコロナで亡くなったので、日中の登山中にはTBS『キーハンター』のテーマソング『非情のライセンス』が頭の中でヘビロテしていた。
そこで、『非情のライセンス』の入っているiPhoneのライブラリの『OLD TV』を聴くことにした。
その『OLD TV』なるライブラリーには、こんな曲が入っていた。
1.『ザ・ガードマンのテーマ』(TBSの同名ドラマより)
2.『ひょっこりひょうたん島』(NHK同名番組より。歌 前川陽子とひばり児童合唱団)
3.『非情のライセンス』(TBS『キーハンター』より。歌 野際陽子)
4.『傷だらけの天使』(日テレの同名ドラマより。井上堯之バンド)
5.『太陽にほえろ!のテーマ』(日テレの同名ドラマより。井上堯之バンド)
6.『男達のメロディー』(日テレ『俺たちは天使だ』より。歌 SHOGUN)
7.『Love Is Blind』(TBS『グッドバイ・ママ』より。歌 Janis Ian)
どれもすでに他界している昭和の名俳優が、出演していた。
『ザ・ガードマンのテーマ』で思い出されるのは宇津井健さん。山口百恵さん主演の赤いシリーズでも父親役で出ていたっけな。
『ひょっこりひょうたん島』で声優をやっていた藤村有弘さんや熊倉一雄さんももうこの世にはいない。確か、『ゲゲゲの鬼太郎』のオープニングテーマも熊倉一雄さんが歌っていたな。
そして、TBS『キーハンター』より『非情のライセンス』。千葉真一さんも野際陽子さんも丹波哲郎さんも川口浩さんも、もういない。
丹波哲郎さんが、テレビで「霊の世界とは…」とか言っていた時代、なつかしいなあ。『川口浩探検隊』ってのもあったっけ。
『傷だらけの天使』の萩原健一さんは、オープニングがかっこ良かったが、つづく『太陽にほえろ!』にも出ていた。マカロニ刑事。
もちろん、 石原裕次郎さん、松田優作さんも今は天国にいる。
『俺たちは天使だ』に出ていた沖雅也さん。
♪運が悪けりゃ死ぬだけさー、死ぬだけさー♪
…なんて、あんな亡くなり方をした沖雅也さんは、運が悪かっただけなのか?
『グッドバイ・ママ』に出ていた坂口良子さん。天国で娘さんのことが心配なんだろうな。
なんて、感慨深げにいた。
…あーあ。そんな昔にタイムマシンで戻れないものだろうか?
なんて思って最後にユーミンの『あの日に帰りたい』で締めとした。
曲が終わって、しばらく、静寂の中でぼうっとした、その瞬間…。
「チー………!」
チャックの開閉されるような音が誰もいない空間からして静寂の空間に響き渡った。
「……」
わたしは寝袋の中に入って目を瞑ってしばらく身動きしないでいたが、日中の疲れからかいつの間にか眠ってしまった。
日記
2021-09-13T00:13:01+09:00
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登山系YouTuberに憧れるが…
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実は昨年から登山中にGoPro8やiphone11で動画を撮影している。
もっとも、YouTuberとしてデビューはしていない。
今のところ、個人で楽しむための動画である。
きっかけは、JINさん、さばいどるかほなんさん、元OLかほさんとか登山系YouTuberの方々の動画を見て、こんなクオリティが高いものが自分でも作れるのか、試してみたくなったからである。
ところが、いきなり、動画編集中に障害が発生した。わたしのPCの「intel CORE i5」のCPUでは動画のプレビュー中に映像が固まってしまうのである。わたしはメモリを増強したが、状況は変わらなかった。調べるとわたしが使っている動画編集ソフト『Power Director』は「intel CORE i7」以上のCPUが推奨とあった。
そこで、わたしはM1という強力なCPUを搭載したMacBook Air で、登山系YouTuber諸氏が使用している動画編集ソフト『Final cut pro x』を使う計画を立て、お金を貯め始めた。
そして、目標額に達し、「さあ、MacBook Air買うぞ」と思ったのだが、ある情報が、わたしの耳に入ってきた。
「今年の年末頃に出るMacBook Airは、更に強力なCPU〜M2を搭載するだけでなく、カラフルな色のバリエーションがでるらしい」
つまり、今までのような味気ないグレー、シルバー、ゴールドではなく、ブルー、イエロー、ピンク、グリーンなどおしゃれなものになるらしいのだ。
わたしは、今すぐのMacBook Airの購入をあきらめることにした。
さて、わたしの登山系YouTuberのお気に入りはJINさん、かほなんさん、元OLかほさん以外にも、どんどん増えてきた。JINさん同様にイケメンで編集の高いスキルを持つTAKE CHANNELさん、ジャンダルムはおろか冬の剱岳も登ってしまうつわ者のMARIAさん、単独登山愛好家のわたしも一緒に登山したくなりそうな大人女子のまゆみさんや、可愛さにひきこまれそうなやまくっくやぎちゃんなど。usawoさんも結構がんばっている感じだ。
と、そこまでは良かったのだが、最近はあまり彼らの動画をぱったりと見なくなってしまった。
わたしの性格が歪んでいるのか、なんか、彼らにジェラシーみたいなものを感じるようになってしまったのだ。
彼らにはわたしには無い経済力もあり、若さも体力もあり、ビジュアル的にもレベルが高い。動画の撮影技術はもとより、編集技術もレベルが高い。登山技術は最初はわたしと同レベルか以下だったとしても、どんどん上がっているのが動画を通じてわかったりする。
わたしには到底手の届かないレンズ込みで30万円以上もするSONYのミラーレス一眼レフを持ってたりする。
「モンベルで15万円使ってしまいましたぁ!」
・・・なんて言われてしまったら、かなりこたえる。
だから、以前わたしが登った山に彼らが登って、天気がわたしの時よりも良かったりするとなんか気分が落ち込んでしまったり、逆にわたしの時より悪天候だとちょっとうれしくなったり…。
…あーあ。なんてちいさいやつなんだ。俺って。
心の中に生じたネガティブな感情に恥ずかしくなる今日この頃である。
日記
2021-06-09T01:12:27+09:00
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以前南アでお会いした夫婦のその後が気になる。
http://www.yamareco.com/modules/diary/143750-detail-240867
わたしは、人間関係のしがらみみたいなものがあまり好きではない。普段からできるだけ人とは距離を保っておきたいと願っている。だから、登山はいつも単独である。たまに山行途中に「一緒に行きませんか?」と言われ、強く断ることもできずに渋々、一緒に登山をしてしまうと後でとても後悔をすることとなる。
そんなわたしであるから、山であった人との連絡先の交換などもってのほかと思っていたのだが、十数年前の南アルプスの山行の時、つい親切にしてくれた年配の夫婦との別れ際に言ってしまったのである。
「もしよかったら、ブログか何かのアドレスを教えてもらえませんか?」
その夫婦とはともに北岳、間ノ岳、農鳥岳を二泊三日で縦走し、同じ山小屋〜北岳肩ノ小屋と農鳥小屋に泊まり、同じ奈良田へ下山する予定だったのだが、わたしの方が歩くのが早かったので農鳥岳山頂でお別れすることになったのである。旦那さんは、立派な一眼レフカメラとレンズを持っていて、とても写真がうまそうだったので、その人の撮影した山の写真を見せてもらおうと思っての言葉だった。
「いいよ。これがメールアドレス」
彼は快く、住所、氏名、電話番号、メアドの印刷された名刺をわたしにくれた。
・・・メアドか・・・。
わたしは、ちょっと気が重くなった。当然、わたしはそのメアドに「先日は大変お世話になりました」とメールを送る義務のようなものが生じてしまったからだ。
はたしてわたしは、彼らに「お世話になりましたメール」を送り、それをきっかけに彼らから山行の写真数十枚の添付されたメールを定期的に受け取ることとなった。
・・・どうしよう?
高画質の写真数十枚を定期的に受け取ることにより、わたしのPCのハードディスクが次第に重たくなっていくのと同時にわたしの気も重たくなっていった。
最初こそ「素晴らしい写真ですね」と返信メールを送ったわたしもある時から返事をしなくなった。
そんな時である。あの東日本大震災が起こったのは・・・。
しばらくして、旦那さんからメールが送られてきた。「CANONのネットの写真公開サイトに写真をアップしたからぜひ見てください」とのこと。
そこには津波によって事故を起こした福島の原発を彼が見学した時の写真が、載せられてあった。
・・・わざわざよくこんなとこ行くなあ。
わたしは彼の行動力に驚いた。それと同時に心配もした。当時、ボランティアで原発近辺に行ったひとが病死するという話をよく耳にしたからだ。
そして、その不安が次第に現実のものになっていくような出来事が起こった。
そのメールを受け取った直後から彼からのメールがぴたりとなくなり、それまで彼が頻繁に写真の新作をアップしていたCANONのネットの写真公開サイトに写真が投稿されなくなったからである。
・・・。
あれから10年たった。あの夫婦は今、元気で山で写真を撮っているのだろうか?
心配だが、敢えて確認もしないでいる。絶対に元気に生きている。それを信じ続けるのがわたしがとるベストだと思うからである。
日記
2021-05-28T00:24:10+09:00
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毎回、お約束のように危険に遭遇しています。
http://www.yamareco.com/modules/diary/143750-detail-240222
タイトルの通り山行のたびに危険に遭遇している。
白馬鑓ヶ岳の温泉に入った帰りに雪渓を歩いていたら「カランカラン」と音がして何かと思っていたら落石が頭をかすっていった。かすった時に頭に風を感じた。
更にたくさんの石が上から落ちてきたので、
・・・あーあ、俺もとうとう死んだな。
と覚悟したのだが、なぜか無傷で済んだのだ。
昨年夏は羅臼岳の下山途中に、特に急いでいたわけではなかったのだが、なぜか足を滑らせ、重たいザックを背負ったまま、斜面を転がり、二メートルいったところで木に引っ掛かり、事なきを得た。
そして、今年のGW、コロナ禍の緊急事態の際で申し訳ないのだが、飛行機のキャンセルをするほど経済力のないわたしは、北海道で羊蹄山の頂を目指した。二日目に比羅夫登山口から入山したが、1合目を過ぎたところであえなく撤退。三日目は真狩登山口からリトライするも4合目を過ぎたところで再び撤退。雪山のスキルがあまりないわたしには雪の羊蹄山はレベルが高すぎたようだった。
ところがその帰りに突然それは起こった。
12爪アイゼンを履いた左足を踏み込んだとたんに雪の足場が崩れ、身体のバランスを失うと、頭が下になった逆さまの状態で雪の斜面を落ちそうになったのだ。
・・・ああ、俺もついにあの世行きか。
わたしは思った。
ところが幸いにも左足が穴に固くはまったまま、斜面で頭が下になった状態で落ちないで済んだのだ。(つまり逆さ吊り状態。写真がその穴)
・・・どうしよう?
わたしは、しばらく途方に暮れた後、テントや寝袋の入った重たいザックを静かに肩から外し、横に置くとどういうわけかザックもそのままの状態で落ちていかないで済み、更に、はまったままの左足の周りの雪を掻きだして引っこ抜くと左手に握ったクライミングポールを巧みに使って脱出することに成功した。
それ以外にも俗に言う「THe Third Man Factor(第三者現象)」らしきもので、困っている時に後から来た人に道を教えてもらって助かったことが多々ある。
そう、わたしはクライミングのスキルで危険から脱出している訳ではなく、守護霊に守られているような感じで危険から逃れて生還しているのだ。
だから、わたしはいつも助けて下さる方々に感謝をしながら山道を歩いている。
日記
2021-05-20T22:42:40+09:00