物心ついたときから中学時代までは、集団の中でいじめ抜かれた。そんな私に、幼少時代、親は無償の愛は提供してくれなかった。「おまえがいるだけで価値があるんだよ」とは言ってくれなかった。周りより学校の成績が良いこと、運動ができることだけを期待され、それができないとひどく怒られた。常に優秀な弟と比べられた。場面緘黙になった。これを小学校の先生は、怠けと決めつけた。三段階評価ですべて教科でCの評価を付けた。母は激怒した。それからは、ヒステリックな言葉の虐待。同級生からは、大腸菌と呼ばれ唾を吐かれた。物を隠された。壊された。身体も傷つけられた。親は、いじめられる原因を学校の成績のせいにした。「だから、お前はダメなんだ」と。周りはみんな敵だった。学校も家庭も居場所はなかった。常に孤独だった。惨めだった。そんな少年時代、一人で自然の中に居るのが好きだった。雲を眺めたり、昆虫を追いかけたり・・・。
高校時代、一念発起、ワンゲル部に入部した。しかし、要領が悪く、体力のない自分は、すぐにその部のお荷物になった。「おまえが居ると迷惑なんだよ」。情けなく、申し訳なく、半年も経たないうちに、その部をやめることだけを考えた。
その冬、母親が交通事故で、生死をさまよう状態が一ヶ月続いたが、奇跡的に生き返った。ただし脳内出血のため、精神状態が5歳児になって戻った。しかし、自分はホッとした。「これで、怒られることはなくなる」。母の交通事故は、ワンゲル部を辞める口実にもなった。代償として、その時から、ガリ勉になった。ダメな自分から決別するために、「周りを見返してやる」と復讐心を満たすために。がり勉になり、成績が上がると、一人ぼっちになったが、いじめられなくなった。一人になっても山は続けた。一人だと、周りに気を遣う煩わしさもないし、自然の中に居ると不思議と心地よさを感じた。
勉強の虫になったおかげで、一浪の末、理科系の国立大に進んだ。その大学は、厳しかったが、意外に肌になじんだ。レポートなどの厳しいノルマの合間、気の合う仲間と、山登りは続けた。
社会人になり、性格に難のある私は、やはり組織に合わない人間であった。しかし、独立する能力もないし、勇気もなかった。生きるため、自分を殺して組織に合わせる努力をした。結婚後、すぐに子供ができ、山から離れた。一方で、自分の能力を高めるため、難関と呼ばれる技術系資格をいくつも取得した。しかし、なぜか空しかった。
父の他界後、母の介護のストレスが引き金になり、うつ病を発症。しかし、母のことは口実で、本当は「自分のことが嫌い」という潜在的な意識がそうさせた。その母も認知がひどくなり、老人ホームに入れると楽になった。暇ができ、久しぶりに家族と行った立山で癒しを感じ、2年前より登山を再開。
一年前に母が他界。「これで俺は親から精神的に自立できる」と思ったが、間違っていた。自己嫌悪感はますます募るばかり。「自己否定」から抜け出さないと、親から精神的に自立したことにはならない。頭では分かっている。でも・・・、管理職になりそうな今年度、「出世したくないよ〜!足を引っ張り合う競争はしたくないよ〜!!」と思った瞬間、「こう考える自分は卑怯だ、最低だ」という自己否定の考えが渦巻き、鬱が悪化。4月から2ヶ月の休職に追い込まれた。出世競争から完全に降りた。5月に山登りを再開すると、気分が癒され、だんだんと元気が出てきた。
山は、自分みたいな人間界の敗北者でも、分け隔てなく平等に扱ってくれる。山の景色を見て感動を味わっていると、「今のままの君でいいんだよ」と言ってくれているような気がする。山を登ることによって、少しは自分が好きになれるかな?少しは自立した大人になれるのかな?
(追伸)この歌詞、心に染みるな。「このままでいいのに」と幼いころに言ってくれる人がいたら、自分をもっと好きになっていたのに・・・。嗚呼、これ以上、愚痴は言うのはよそう。
http://www.kasi-time.com/item-18342.html
貴殿は立派ですよ。
圧と解放を楽しむこともできるようです。
自己否定は、用心深さ、危険に対する優秀なレーダーを装備されていると思われるとよろしいのではないですか。
+α
いろいろ研究されとられるようで、岡田尊司さんの本も読み返すと良いかもしれませんね。
悩む方には、「動物は、獲物をとり、逃げるために進化した」「逃げるのは本能で、逃げたところから状況を見定め、慣れたら行けばよい。慣れるためには開き直りも必要」「開き直りは、今に集中するためにそのときいらないものを一旦捨てる、ということで、何を一旦捨てるのかを知るには普段からの勉強が必要」という話もしておりますよ。
fuararunpuさん
コメントありがとうございます。
自分の恥をさらしたような日記で・・・
自分の心を整理するために記しておきたかったんです。
私は典型的なアダルドチルドレンです。
そのような解釈ができるよう、山に行って人生の修行を積みたいと思います。
+α
fuararunpuさん
再びコメントありがとうございます。
岡田尊司さん早速ググってみました。
元気になりそうな言葉がたくさん出てきました。
今度、著書を手に入れてみたいと思います。
Atsu兄の告白に感動しました。
誰もが何かしらコンプレックスを抱えて生きているもの。私も厳しい父親に褒められないで育ちました。
今思えば、単に褒めるのが下手な父親だったんだなーと理解しています。
富山のコトバに「あたわり」という表現がありますが、人それぞれに与えられた人生・役割がある。
そう考えることで、人を羨んだり、妬んだりせず、辛いことは自分に与えられた試練。自分の生き方は自分次第。という解釈をしています。
自然の力や山の大きさ、星の光が届く年月に比べらた、自分なんて社会なんてちっぽけだなって思っちゃう。
山に出会えて、再会できて良かったですね
ミエリンさん
こんな女々しい日記で、どうゆう反応が来るか恐れていました。
しかし、世間様の自分の偽らざる心境への反応を見てみたいと思い、勇気をもって投稿しました。
その反応で、自分に勇気を与えてくれるんじゃないかと・・・
共感していただき、とてもうれしいです。
ミエリンさんのやさしい心遣いは、そのような体験があるからなんですね。
>人を羨んだり、妬んだりせず、自分に与えられた試練、自分の生き方は自分次第という解釈をしています。
→ まったくその通りだと思います。しかし自分はちっぽけな人間だから、心のどこかで羨んだり、妬んだりしています。
>自然の力や山の大きさ、星の光が届く年月に比べらた、自分なんて社会なんてちっぽけだなって思っちゃう。山に出会えて、再会できて良かったですね。
→ まったくその通りだと思います。山に行くことによって少しは自分を成長させてくれるのかな。
日本の社会が持つ、年齢と性別に対する偏見
山登りというのは、自由で伸びやかさに溢れているものでありたい。
ハードシェルのフードの上から、ゴーグルを着用し
猛吹雪の中を進む。ワカンを履いていても、まるで全然、効いていないようで
ずぶずぶと潜ってしまう。トレースは直ぐに消えていく。
@@@@@
山は、誰に対してでも公平だ。
社会的地位を露出したい人にも
ましてや、年齢と性別に対しても。
******
↑は、わたしが以前書いた、日記のコピーです。
piscoさん コメントありがとうございます。
山は、だれに対しても公平です。
ちっぽけな自分も包み込んでくれます。
柔らかな心地よい太陽も平等に降り注いでくれます。
一方、猛吹雪や急激な気象現象も、平等に私たちに容赦なく試練を与えます。
私は臆病な人間だから、自然を恐れています。決して自然に立ち向かおうとは思いません。
常に自然に謙虚でありたいと思っています。決してうぬぼれないように自戒している。
自分の限界を痛いほど思い知らされているのは、「否定的」な自分の良い点かもしれません。
こんばんは^^
ほー大変でしたね。
そういう人生道を歩いてきたんですね。
以下、個人的に思う事です。
「今のままの君」を維持する事だって大変なことだと思います。ずっと右肩上がりなんてあり得ない。
意地はって、無理に、より高い山に行くことはないかと思います。「出来ない」「負け」を認めるのは悔しい限りですが、誰にも限界は絶対あるかと思います。
タラタラと巻き道や、撤退して、早々に温泉入って家に帰る方が、頂上目指すより気持ち良いかも。頂上行ったら事故ってるかもしれませんよ。ぶっ壊れたらそれこそ終わり。
自分の場合は自閉症の長男から、無言に色々と教わりました。
我々はそこそこの健常者なので、生きてるだけでもめっけもんかと。。。
笑いたいやつ、小ばかにしたいやつはすればよい。
Myペース、Myペース、自分の登山を淡々と
若輩モノがなんですが^^;
ブルスカさん こんばんは
この思い、ずっと心の中に閉っといたほうが良かったのか、今でも迷っています。
でも、これを書き、世間様に公表することによって、自分の心にけじめをつけたかったんです。少しは勇気が出るのかと・・・
多分、幼少期から母の介護をする時まで、自分は「親の理想とする良い息子になろう」と背伸びしていたんだと思います。自分の正直な思いとは裏腹に・・・それが、精神の破綻をきたした。
自分は上記の少年時代を引きずって、人間恐怖症なんですよ。飲み会の席でも、なにか気の利いたことを言わなくちゃと緊張してしまう。場にそぐわないことを言っちゃうもんだから・・・結局、そうゆうことが重なって、馬鹿にされたり、軽くあしらわれたり・・・そんなの屁ぐらいに思えばいいんですが、心の小さい自分は、落ち込んでしまう。やっぱ、悔しいもんね。
見返そうと、努力して実力をつけると、妬み、ひがみがすごい。足を引っ張るんですよ。実力ならまだしも、口先だけで俺を陥れようとする!もう、にんげんは嫌だと思い、自ら競争から下りることにした。嫌な思いは、山に行けば一瞬でも忘れることができますよね。でも、登っている間は、いろいろ悔しい思いが渦巻いている、器の小さな男です。でも、その悔しい思いのおかげで、今の力が付いたから、感謝しないとね。
もう、背伸びはしないことにしました。出世もしないしね。これからは、いかに「自分を好き」になって、少しでも、親(の束縛)から自立した大人になるかが課題です。
要領が悪くても、こうして経済的には自立できる大人になっていることは感謝しないとね。
ん〜…そこに山があるから?
なんか、狼になれないでただのオヤジになっちゃったかな。
しゃーねぇ、かっこいいジイサマに目標を変えるかぁ〜?!(爆)
leseratteさん こんばんは
一匹狼なんてかっこよく聞こえますけど、実態は非常に悲しいものらしい。
これからは、自分中心にかっこつけずに生きていくか。
かっこいい爺様より、愛される爺様の方がいいな 。
Atsumiya さん
こんにちは。(^-^)/
先程、下山したばかりで
電車の中でヤマレコ開いたら
この日記にすぐ辿り着きました。
いじめから親御さんとの確執、
涙を堪えるのが大変です。(;^_^A
いじめは受けた経験がありませんが
波乱万丈の人生でしたので
お気持ちはお察しいたします。
なぜ、人と比べるのだろう。
人と比べることから不幸は始まる。
自分は自分。
元々不器用でバカ正直な人間ですが(笑)
心底そう思えるようになってから
気楽になりました。
無理して“いい人”にはならないのが
私のモットー。
(そんなのナンセンス!)
職場って足の引っ張り合いですよね。
ホントくだらない。。。┐(-。-;)┌
自分が自分らしくいられるなら
それが一番です。
Atsumiya さん、
敗北者なんかではないですよ。
それだけはハッキリ言わせてもらいます。
m(__)m
SIONさん こんばんは。
貴女の自己紹介にある、
>競争するのは好きじゃない。
そもそもスタートから皆違うんだもの。
意味ないよ。
苦しんでいる自分は、あなたのこの「意味ないよ」という言葉に救われました。
子供たちにも、この言葉は伝えていきたいと思っている。
その方が幸せになれると確信しています。
私もバカ正直な人間で、「バカ正直」さが組織で生きていく上での足かせになっている。
組織では、本音と建前を使い分けなきゃ生きていけないからね。だから、この性格が嫌で嫌でしょうがない。建前しか言わない上層部と大喧嘩したこともあるし。このことが原因で、何度、煮え湯を飲まされたことか。
でも、性格は変えることができませんよね。
もう自分は、これを受け入れるしかないんだな〜。
出世できなくて良かったです。出世していたら、この性格がほんとに致命傷になる。
これからは、ありのままの自分を好きになることが課題です。
いまは、自分が嫌いだから敗北感としてとらえているけど、自分が好きになったら、この体験が誇りに思えてくるんだろうな。「俺の人生は、このつまづきがあったおかげで幸せになった」と。
Atsuさん こんにちわ!
色々と悩み事があったのですね。
知って良かったです。
自分の悪い所、良い所を人に理解してもらって、
その上で「付合える」仲間がいいんですよね~。
今までのコメントで、無礼・冗談がキツイ所はお許しください。少しでもフレンドリーになりたかったから・・・・。
でもね、でもね・・・。
Atsuさんの素敵なところは、
・娘達・家族に対する無償の愛情。
情熱が注げる何かを探してあげてる。大人になって「こんなこともあったなぁ」と思い出を残してあげてる。家族を大事にしている。
・他人に対するボランティア精神
娘達だけでなく、他人(関係者)に対しても、面倒見がよく、自分のできることをしている。
・努力家で、負けず嫌いの強い気持ち
自分を奮い立たせて、チャレンジしてる。
・熱中できる集中力
オタク・・・。
・山登りの大先輩
よく計画された、厳しい山行にチャレンンジしてる。
良い所が沢山あるじゃないですか。
「人を幸せにさせよう」と、努力してるじゃないですか。
これからも、よろしくお願いしいます。
kameさん こんばんは。
こんなに褒められると照れちゃいます。
でも、本音を言わせると、相手のことはあまり考えずに、自分のやりたいことを押し付けているだけなんですがね。
今回、この日記は出すか出さないか迷っていたんです。こんな重い内容は、みんなひいちゃうんじゃないかと。しかし、自分の中で処理するとますます落ち込んでいくし、出すだけ出して、勇気が出るコメントがもらえたら、過去の自分と決別して、「自分を好きになる」(=親から本当の意味で自立する)という光明が見いだせるのかなと。
今回、出してみてよかったです。勇気が出そうなコメントいっぱいもらいました。ほんとに感謝です。
kameさんもハンディーを越えられて、これをばねにしていつも山登りを楽しんでおられる。山行記録を拝見させてもらうたびに、勇気をいただいているのですよ。
今後ともどうかよろしくお願いいたします。
PS.>今までのコメントで、無礼・冗談がキツイ所はお許しください。少しでもフレンドリーになりたかったから・・・・。
→ えっ そんなコメントありましたっけ。どうぞどうぞこれからもフレンドリーなコメントお願いします 。
バタバタしてて、すっかり読むのが遅くなりました。
幼少の頃から、Astu兄やほかの従兄達にもまれてきたけれど、みんな個性があってとは思ってましたが。
そんなことがあっとはつゆ知らず・・・。
いまはイジメがあると、イジメてる当事者に問題があるとなるけど、昔はイジメられる者にも原因があるとかワケわからないことよく言われてたもんね。
うちは長男も小さい時から変わった子で案の定、小学校高学年からイジメに合い、中学では別室登校してました。高校は地元の通信制にして、自分を受け入れてくれる先生や仲間と出会い・・・やっと自分を取り戻し大変身。いまは介護の仕事をしています。
三男は自閉症で、障がいを受け入れられずに苦しんだ時期もありましたが、この子が居たから長男のことも理解できたと思っています。三男を育てるうちに私もずいぶん強くなりました(笑)
またいつか飲みながら、ゆっくりと話しましょうよ♪
おはようさん
今は、カズミンがSで俺がMというイメージがあるけど、
幼少のころは、カズミンに意地悪をした記憶がある。
カズミンがこのことを覚えていたら、ごめんね。
こんな、日記を見て驚いたと思う。
外面上はかっこつけていたもんね。
こんなドロドロな愛憎が渦巻いていたなんて・・・
親の期待が大きくて、苦しかったんですよ。
母は若いころ、Y村で同学年の中で成績が一番で(良く本人が言ってました)、
その能力を発揮するため養女に行って、
大学まで進学するはずだったのに、体調崩して受験できなかった。
養女に行った先で、邪魔者みたいになっちゃって、苦しくて、悔しかったと思うわ。
それだけに、子供にかける期待は大きかったと思う。
母の気持ちはわかるんだけど、でも、俺の気持ちはどうでもよかったの?とこんなオヤジになって言うのは恥ずかしいんだけども、今も憎んでいる。
でも、これって、親から自立してない証拠だよね。
親から自立するのは、「自分のことを好きになること」しかないと思っている。
今の仕事は大好きです。自分の研究成果を論文として世界に発信できるなんて、こんなやりがいのある仕事は他にないと思っている。そして、そのことを可能にしたのは、悔しさをばねに努力をしたからだと思っている。
そのような環境を与えてくれた親や、究極的には、いじめてくれた人たちのおかげだと思っている。でも、どうしても自分が嫌いだから、感謝とか、おかげさまとか、幸せとか、頭では理解しているんだけど、感情が伴わない。どうしても、恨み、つらみの感情が先行して出てくる。この感情が自分の心に向かうから苦しいんですよ。こんな精神状態だから、相手の悪意ばっかが頭をよぎるんですよ。だから、リーダーになる自信もないし資格もないと悩んでしまう。そして、父のこんな精神状態は、子供の成長にも悪影響を与えていると自分をさらに追いつめている。
解決方法はただ一つ。「自分のことが好きになる」しかない。答えは分かっているから、これを実現する行動をすればいい。登山はその行動の第一歩だと、今は認識している。
カズミンも家庭や仕事で人知れない苦労をいっぱい抱えていると思う。今度、ゆっくり んで話しましょう。
こにちは。
皆さんが素晴らしいコメントを残されているので、今さら私からいえることはないのですが、山で元気になってよかったと思います。
山にいこうがいくまいが、Atsumiya さんは愛されている存在なのです。
家族もいる。
嬉しい恵みではないですか。
Franさん こんばんは
その通りですね。
コメントありがとうございます。
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