ぶっちゃけ自分は、自閉症スペクトラム&ADHDの広汎性発達障害の当事者です。
生まれた時から、人間関係がとても苦手。
物心ついたときから、人と交わるよりも昆虫や図鑑などに興味を持っていました。
場の空気を読めない。
言外の意味をくみ取れない。
人の目を見て話すことができない。
人の感情を読むことができない。
人との適切な距離をとるのが難しい。
今の自分の立場を理解できない。
ちょっとした刺激に敏感。
結果を予測せず、衝動のまま突っ走る。
自分又は自分の所属の損得を計算しない、バカが付く正直者。
等々、困ったちゃんのオンパレード。
・・・
いわゆる普通の人と特性が違うから、
普通の人と、どうやってコミュニケーションをとったらいいか分からない。
「変わった子」とレッテルを張られ、小さいときからイジメの対象になる。
そんなことから、対人恐怖症になり、
幼稚園〜小学時代は、集団の中ではまったく口もきけない場面緘黙症児となった。
「どうしてそんなに内気なの?積極的じゃないから友達ができないんだよ」
と親からも、先生からも責められても、人が怖いからどうにもならない。
そして、こんな変わった子は誰にも理解されない。
こんなことではいけないと、中学時代に一念発起。
いわゆる普通の人とコミュニケーションをとるために、
相手の感情をくみ取ろうと、手探り状態で懸命に努力をする。
しかし、その努力は的外れなことが多かった。
独特な自分の感性と、いわゆる普通の人の感性とはまったくかけ離れているからだ。
次第に、自分に自信がなくなり、自分が無くなり他人軸の生き方になる。
嫌なことも嫌と言えなくなると、意地悪な人の餌食となる。
最初友達と思った人は、徐々に自分を支配するいじめっ子になった。
イジメはだんだんとエスカレートしていき、
恐喝や性的イジメ、持ち物を壊される、身体を傷つけられるなど深刻ないじめに発展していった。
でも、声を出すことはできなかった。
クラスメートは、私がいじめられることを面白がってはやし立てていた。
組織になじめない発達障害者は協調性がなく、イジメられる理由があるからと周りは理解するからだ。
また私は、いじめられていることを大人たちに適切に伝える能力もないし、理解もされないこともわかっていた。
なにより、親の無理解に最も心が痛めつけられた。
いじめられていることをひた隠しにしていたが、筆箱の鉛筆が全部折られていたのを発見された時、
「なぜお前はやり返さないのか、男として情けない」と、深夜まで叱責された。
プライドの高い母親からは、「お前のために、私は懸命にこの活動をやっているのに。
こうなったら、もうお前と死ぬしかないね」とまで言われた。
己の情けなさに涙が止まらない。
「男のくせにメソメソするから、イジメられるんだ」と怒鳴られ、さらに追い打ちをかけてくる。
暗黒の中学時代は、その時が過ぎるまで、じっと耐えるしかなかった。
深く傷ついた自分は、高校時代にはますます対人恐怖症になった。
人と接するだけで冷や汗をかいてくる。
人前で何かをしゃべることだけでも卒倒するような緊張に襲われる。
人といるより、独りでいる方が何倍も心が安らいだ。
一方、集団の中の「独り」は、これほど苦痛なものはない。
休み時間は、人の輪に入ることができず、顔も上げることもできず、動くこともできず、
凍り付いたように、自分の机で黙々と読書や勉強をするふりをした。
どんな目でクラスの人に見られているかと思うから、心ここにあらず。
読書内容も勉強内容も頭に入ってこない。
修学旅行や運動会、文化祭等の人と交わる行事は、苦痛以外の何物でもなかった。
一方で、この発達障害の特性は、何か好きなことに猪突猛進をして集中できる長所がある。
この場合は、衝動性、過集中という特性もプラスに働く。
独特な感性があるから、普通の人には決して思いつかないであろう独創性もある。
そしてその特性を生かし、就職先に「技術職・研究職」に就けたのは幸運だった。
おかげで30年間、「技術者・研究者」として生きてこられた。
今では、少しは対人恐怖症も克服でき、コミュニケーションも取れるようになった気がするが、
例えば、このヤマレコでも、衝動性などの自分の特性からくる配慮不足から、
相当数のユーザー様を不愉快にさせる、不適切な日記やコメントを多く書いている気がする。
この日記の内容もそうであろう。
しかし、仕方がない。
このPCの向こう側には、多種多様な人がいる。
八方美人になっていたら、自分の本当の思いを記すことができない。
自分の思いを共感してくれる、もしくは励みにしてくれるユーザーが1人でもいてくれたらそれでいい。
自分の思いを正直に記せなくなったら、ヤマレコをやる意義もなくなってしまう。
この発達障害のもう一つの問題は、自分だけでなく、子供にも遺伝する確率が高いということだ。
事実、自分の子供たちも自分と同じ特性を抱え、実に生きづらそうだ。
そして「ひきこもり」という形で、この問題が顕在化してきている。
でも、この子供たちの本当の苦しさを理解してあげれるのは、この特性を持った自分だけだ。
この事実をすべて受け入れ、「君たちはいるだけで価値があるんだよ」というメッセージを伝えられればと思う。
「今日一日、無事生きられてよかったね」という前向きな気持ちで、1日1日を生きていこう。
先のことは、その時考えたらよい。
「明日のことより、今日の飯」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
初めまして
私はとある会社の責任者をしております。
部下の1人からある本を読むことを勧められました。
「僕はアスペルガー」というタイトルの本でした。
Mipapaさんはご自身の分析がしっかりできていて
本の著者と全く同じご意見を今回の日記で述べれられて
います。
素敵なお父様だなと感動しました。
他を認め、理解する 社会生活において実に
大切なことです。
ご自分の意見を思い切り自由に話す場があるのは
本当に素晴らしいことですね!!
自分らしく生きていくことが何よりと思います!
DIJさん こんばんは
あたたかいコメントありがとうございます。
ひきこもりは、なかなか先の見えない課題ですが、
今日一日、家族が無事に寄り添って生きられたことを感謝して、
一日一日を乗り越えられたらと思います。
Mipapaさん、こんにちは。
難しい問題なので拍手もコメントはとっても難しいです。なので、拍手はあえてしません。
私は障害があってもなくても自分が生きやすいように工夫していくことが大事と思っています。障害があると告白したところで、何もかもぴったりな仕事・環境は用意されません。だから、自分が生きやすいように近づく。何もかもぴったりとはいかなくてもしっくりくるものを選択できるようにする…が大切ではないでしょうか?それは障害があってもなくても同じです。
Mipapaさんが苦しんだのであれば、これから社会に出て行く娘さん達が生きやすいように助言をしてあげられればよいと思います。ご自身が技術職・研究職を選ばれ幸運だったと思うなら、そんな話を娘さんにされるのもいいかもしれないですよ。
miniさま コメントありがとうございます。
今回の日記は、あえて自分の体験談を披露して、自分の生き方の整理と同じような悩みを持つひとの勇気になればと思って記したものです。
これは、ヤマレコに投稿するのにはふさわしくないかと思ったのですが、批判を重々承知で、この特性を当事者の立場から少しでも世間様に知ってもらえばと思って書いたものです。
勿論、障害があるからと言って、何もかもぴったりな仕事・環境は用意されていないことは重々承知です。私自身も、何度も辛酸をなめながらも、恩人と呼べる人に巡り合って、転職するための勉強をし、やっと自分に適した仕事を見つけたものです。
自分がこの障害であることを本当に知ったのは1年前です。それまでは、もがきながら自分で懸命に生きてきました。ただ、この障害のことをもっと前から知っておれば、自分を責めることなくもっと生きやすく過ごせただろうと思いますが。「自己肯定感を持つ」ことが、自分の人生に課せられた最大の課題ですが、この障害を知ることでその課題を解く最大の手掛かりになると信じております。
また、発達障害と言うのは障害ではなくて、人間の特性と思っております。この特性を生かすことが、自分の自分らしい生き方に直結すると思っております。このことは娘達にも伝えていこうと思っておりますし、これを伝えることが親の務めと思っております。
話には聞くけれど、身近な同僚に居ても気が付かないものです。ただの未熟者と思って始めは助言、それでも変わらなくて、人知れず腹を立てたり不愉快に思ったりしていましたが、この話を読んで、私の場合、自分の心が楽になりました。私の認識が狭すぎたのだとわかって。
この場に書くのも、受け取り手次第で生かされることもあるとおもいますよ。
yoneyamaさん 返事大変遅くなりました。
ありがとうございます。
この文章が、少しでもお役に立つ人がいれば、
大変うれしく思います。
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