昭和天皇はその生涯に約1万首にもおよぶ御製、つまり短歌を詠まれたということですが、そのうち公開されているのは869首。公開されている御製を集めた歌集「おほうなばら」が手元にないので、櫻田守宏さんのウェブサイト、「GLNからこんにちは」にある「昭和天皇御製集」を参考にさせていただきました。完全なリストではないので、ほかにも山の歌があるかもしれません。念のため。http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/home88.htm
昭和天皇の山の歌のうち、戦前戦中や、戦後間もない時期のものに特徴的なのは、山の姿に仮託して自らの決意や心情を詠まれた歌です。仮に、心象風景の歌と呼ぶことにしましょう。
こうした歌のうち最初のものが、前回ご紹介した立山の歌で、大正13年の作です。
立山の空に聳ゆる雄々しさにならへとぞ思ふ御代の姿も
前回も書きましたが、新雪の立山連峰の雄々しい姿を自らの治世の手本としよう、という決意を詠まれた摂政時代の作品です。
これとやや似ているのが昭和3年、天皇として即位して迎えた最初の歌会始(勅題:山色新たなり)で詠まれた歌です。
山々の色は新たに見ゆれども我がまつりごといかにかあるらむ
新たな年を迎えて、ということでしょうか、あるいは雨後にでも詠まれたものでしょうか。山々の姿はあらたまって見えるけれども、即位して1年、自分の治世はどのような調子であろうかと問いかける自省の歌なのでしょう。
少し時代が飛びますが、昭和17年の歌会始(勅題:連峰雲)では、次のような歌を詠まれています。
峰つづきおほふむら雲ふく風の はやくはらへとただいのるなり
背景を考えずに読めば、峰々に雲がかかって眺めが得られないので、早く晴れてほしい、というだけの歌に見えますが、対米英蘭開戦直後ということを考慮すれば、当時の情勢がうたい込まれていることは明らかでしょう。戦後的な見方で読めば、「戦争が早く終わることを祈って詠まれた歌」ということになるのでしょうし、御製集「おほうなばら」(1990年)の解説もそうなっているようですが、雲を風に払ってほしい、という箇所は、戦勝祈願と見るのが適切でしょう。平和を願う歌としては明治天皇の御製「四方の海皆はらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」がありますが、昭和天皇はここで風に叢雲を吹き飛ばしてほしいと詠まれているわけですから。実際この勅題「連峰雲」を題材として横山大観が威勢のいい絵を描いている(写真――横山大観、『連峰雲』、昭和17年)ほか、尾崎喜八作詞・山田耕筰作曲で、日本アルプスの峰々を歌いこんだ、勇ましくも好戦的な軍歌が作られています。興味のある方はこちらです。http://gunka01.blog.shinobi.jp/Entry/1286/
敗戦後の困難の時代、昭和天皇の歌には自然の営みを詠むことを通じて、民の困難を偲び、国の復興を願う歌が多くなります。山の歌ではありませんが昭和21年の歌会始での御製、
ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ 松ぞををしき人もかくあれ
はその典型的なものといえるでしょう。立山の歌にも出てきましたが、昭和天皇の歌には「雄々し」という言葉がかなりの頻度で登場するようです。少年時代、学習院で乃木希典院長に男らしくあれ、と教えられたからでしょうか。和歌の系統でいうならば、「たおやめぶり」ではなく「ますらおぶり」をよしとされたように見えます。
昭和23年の歌会始のお題は「春山」で、天皇の御製は、
うらうらとかすむ春べになりぬれど 山には雪ののこりて寒し
でした。これが単なる叙景の歌でないことは、同じ題で作られた御製、
春たてど山には雪ののこるなり 国のすがたもいまはかくこそ
を見ればわかります。戦後2年半が経過し、復興の明るい兆しは見えるけれども、まだまだ雪や氷に閉ざされたところが残っている、というのは正直な実感だったのでしょう。
昭和27年4月28日、サンフランシスコ講和条約の発効は、日本の復興における大きな一歩でしたが、昭和天皇はその日2首の歌を詠まれています。
風さゆる み冬は過ぎてまちまちし 八重桜咲く春となりたり
国の春と 今こそはなれ霜こほる 冬に耐へこし民のちからに
「まちまちし」とは「待ちに待った」ということなのでしょう。これ以後、国難をうたった歌はなくなり、山の歌も、純粋に景色をうたった歌が多くなります。それとともに、抽象的な「山」ではなく、個別の山を詠んだ歌が増えてきます。次回は山の叙景歌を見ていくことにしたいと思います。
テレビで能弁を示せない政治家が人気を失いますが、そもそも日本で尊敬される指導者(というか代表者)は、語りのすぐれた人ではなく、こういうことができる人だったのではないか?と、ふと気がつくお話でした。激動の節目にちゃんと読んでいるところが日記のようです。
公開されていないものもたくさんあるんですね。昭和17年始めは真珠湾直後ですが、ミッドウエイもガダルカナルもサイパン陥落も東京空襲も沖縄上陸も、原爆も敗戦も、節目として詠んでおられた気がします。きっと和歌は遊びや文芸というよりも、詠まずにいられない日記のようなものだたのかも、と思いました。
Yoneyamaさん、こちらにもコメントありがとうございました!
確かに、官僚語や宇宙語(?)が幅を利かせる首相の演説などに比べると、昭和天皇の歌には心に響くものgありますね。
和歌で政治をやるわけにもいかないでしょうが、和歌には新しいことに気付かせたり、人の心に訴える力があるように思います。小泉首相は「松ぞ雄々しき」の歌を好んで引用していたようですが、そうした点でも彼はうまかったのかもしれません。
昭和天皇の和歌が全部公開されれば第一級の史料になるでしょうが、恐らくなかなか出てこないのでしょうね…
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