母の在宅介護、兄についての最後の日記です。
昨日、兄の引越しが完了しました。月、火曜と兄は休みなので、家に来るかもしれませんが私はもう関与しません。あとは鍵を取り上げるだけ。
母は9月28日にショートステイに出てから戻らずに、そのまま特別養護老人ホームに入所しました。5月のショートステイ再開から考えていた中では最短での入所が出来た。対応して頂いたケアーマネージャーさんには感謝の気持ちでいっぱいです。
先週から面会を開始し、大きな問題も起きていないので、これからは週1ぐらいの顔出しが子としての最後のお勤めかなと思っています。
兄との同居を解消するために母には施設に入所してもらうという判断。これが母に対する罪悪感につながっているのだと思う。
母の在宅介護が限界に近付いて施設入所、その結果兄との同居解消という流れだったら少し楽だったのかもしれない。
在宅介護を始める前に兄に一つだけ聞いたことがある。「居住費等の負担はなしで、自分の衣食は自分の収入で賄えるのか?」答えはイエスだったので、介護保険、医療保険の自己負担分,保険適用外の介護サービス費、母の食費以外(実際はここも私の持ち出しが有ったが計算はしていない)は私が負担することにした。そして在宅介護を成り立たせるためのマンパワーとして兄が必要だったので在宅介護中は一切文句を言わないと決めた。
しかし、裏切られた。
兄はタバコをぷかぷか吸い、週刊マンガを買い、缶コーヒー、500のペットボトルのジュースを飲んでいた。私から見ると分不相応だが兄自身の収入で賄われていれば私がとやかく言うことではないと考えて居た。しかし、費用の計算の為に年初に母の通帳を確認したら兄が母の預金に手を出しているのが分かった。それ以来、私は兄を全否定する感情を消せなくなってしまった。漏れてくるタバコのにおいを嗅ぐだけで怒りが込み上げて来るような毎日になって行った。存在自体も全否定したいが兄が居ないと在宅介護は回らないというジレンマに陥っていた。
2年間の在宅介護と兄の転居先の購入で私のもとを去った諭吉さんは大体600人。
母の諭吉は救急搬送時の4人から特養に入る前は210人になっていた。計算上は270人だったので兄が60人連れ去ったのでしょう。60人の連れ去りをどう認識しているのか知る由もないが、母の通帳は兄が管理しているので残りの諭吉さんも自分のものと思っているのかもしれない。どうして諭吉が増えたのか普通に考えれば弟がかなりの負担をしているのは分かるはずなのに、判断をしない兄には負担分を聞いて返すなんて発想はないのでしょう。
母が入所したのは従来型多床室の特養で、負担限度額認定も受けたので費用負担は軽い。今後も母の年金は大分余る。今後の事ははっきりと兄に伝えた。これから先は余った諭吉の半分は返してもらうと。そしてあとは好きにしてくれと。多分年間50人ぐらいになるので、長生きしてもらえばもらうほど私は回収が進み、兄も諭吉が増えていく。
2年前の退院時、母は卵巣がんで医師からは余命1年程度と宣告されていた。しかし、退院から2年がたち、特養入所が決まって最後の訪問診療の際の帰り際に、担当医師から「卵巣がんは悪さをしていないのでお母さんは天寿を全うされるのではないかと思う。」と言われました。
特養入所が決まらず、在宅介護を続けて行かなければならない状況でこれを聞いたら私は精神的な限界を越えてしまったかもしれない。退院時1年位なら色々我慢をしようと始めた在宅介護だったが、2年がたち母の状態は安定して、まだまだ先が長いだろうと感じていたので。
在宅介護を続けて行けば、兄への嫌悪感は増し、私が陥っているカサンドラ症候群も悪化し、結果母には一刻も早い終末を迎えて欲しいという願望がどんどん強くなっていったと思う。
今回、母を特養に入所させ、兄との同居を解消したことによって、カサンドラ症候群の一番の治療法である、原因を作っている人と距離を置くことが出来る。母も在宅では母以外家に誰もいない時間がどうしても出来てしまっていたが、特養では誰かしら近くにいる状態になるので、色んなリスクが減らせると思う。そして金銭面でも私の不満はなくなるので母には可能な限り長生きしてほしいと思えるようになった。
母が正式に特養に入所して1月以上経過したが、昨日までは兄が家にいたので私の心は晴れなかった。
今日からは完全に1人。気持ちがどう変わってくか期待しよう。
洗濯兄さん最後のエピソード
兄には家の中にあるもので使うものは何を持って行ってもいいと伝えてあったが、兄の選択は冷蔵庫、電子レンジ、母の為に買った少し画面が大きいテレビ、洗濯機はサイズが合わずに断念したようだ。兄となるべく顔を合わせたくなかったので、自室に小さい冷蔵庫と電子レンジを追加で買ってあったので、問題なし。そしてなんと物干し竿を持って行くという。
私はしばらく今のところに住むので、物干し竿は必要。兄が持っていけば私がまたどこかで買ってこないとならない。引越し先に持っていく、私が新たに買いに行く、2度手間になるのが分からないのだろうか。自分で買って持ち込めば手間は1度。それともお金を使うのが嫌なのだろうか。
日曜日、8時に軽トラを借りてくると伝えてあったが、兄定刻の6時に洗濯が始まった。終わると物干し竿に干した。これじゃ物干し竿持っていけないじゃん。
軽トラを借りてきて、私が電子レンジやテレビを運び始めても兄は自室から出てこなかった。出てくる気配がなかったので「大きなものから運ばないと先に進まないだろう」と怒鳴った。もう在宅介護で兄のマンパワーは必要ないので、我慢をするのを止めた。
終始無言で3往復。兄の部屋に搬入し、のろまな兄を残して車に戻ったが、5分経っても、10分経っても兄は出てこない。こいつ片づけ始めたのかと部屋に上がると案の定、荷物を片づけていた。頭にきて「そんなの一人になってからやってくれ、俺はもう帰っていいのか」とまた怒鳴った。アスペの特性の一つ、自分の事に集中すると周りが見えなくなる。まさにこれだ。
荷物を運び終えたら、兄を母の面会に連れて行こうと考えていたが、どうでもよくなって独りで施設に向かった。一緒に連れて行きたかったのは面会の仕方を教えないとアスペ兄は一度も面会に行かないと思っていたから。10月に特養に正式入所する際の契約には兄も連れて行った。その際、担当された職員さんには母が混乱すると思うのでしばらくは面会しませんと告げてある。アスペ兄の頭はこの状態のままで、私が切り替えのインプットをしないと自分で判断しない兄の頭は変わらない。
夕方、兄が戻ってきて何かを持ちだしていた。いなくなってから確認したら、シャンプー、洗濯洗剤、ハンドソープ、トイレットペーパーが無かった。そんなもの駅にあるドラッグストアーで買えよと思うが、アスペ兄の価値観は私には分からないので、笑うしかなかった。
兄の部屋は物を持ち出した状態で掃き掃除すらしていない。そして、タバコのやにで薄汚れた兄が使っていたテレビ残っていた。これは私に掃除をしろと言う事か、私に捨てろということか。リサイクル料金払うのが嫌なのか。テレビを叩きつけてやりたくなったが、片づけるのは自分なので止めた。兄の部屋は強烈な匂いで、踏み入れると吐き気がする。今、空気清浄機をフル稼働させているが、ハウスクリーニング業者を入れるしかないと思っている。その時は掃除しないなら金持ってこいと伝えようと思っている。もう容赦はしない。
兄の住むワンルーム、固定資産税、修繕積立金等で年間12万ぐらいかかる。私はもう一銭も出したくないので、家賃代わりとして毎月1万円振り込むように伝えてある。生存確認という意味合いもあるのだが、先日記帳したら母の名前で1万円振り込まれていた。やはり母の通帳残は自分のものと思っているのだろう。
今の家の鍵を取り上げれば、これから先、兄と係ることはほぼないので、エピソードもこれで最後です。結局この2年間、兄からはありがとう等感謝の言葉は一度も聞けなかった。自分でもよく耐えたなと思う。
自分のこれからを少し。
今のところは母の在宅介護のために転居してきたので、母が特養に入所したのでもうここに住んでいる必要はない。独り暮らしに3LDKは広すぎるし、家賃も高い。
もう、転居先は決めているのだが、引越しを進めるパワーが残っていない。
少し充電期間を設けようと思っています。母の介護部屋にしていたリビングルームは主が居なくなってガランとしている。室内トレーニングには最適。自室に置いていたエアロバイクなどを移動させた。後は姿見があれば完璧。
母の在宅介護をしていた2年間、自分の体のケアは疎かになっていた。それまでは週1でスポーツ整体に通って見てもらっていたので、結構ハードな山行、トレーニングが出来ていたか、右膝にトラブルを抱えてから筋肉はガタ落ち、バランスは無残な状態になっていた。
手入れを疎かにしていたつけが今の右ひざにきているのだと思う。
しばらく山は諦めてリハビリ、ケアに努めて基礎体力をつけ直そうと思っています。
来年3月10日に行われる大山登山マラソンにはエントリーしたので、まずはその記録があげられるような状態に戻すことを第一の目標とします。
現状は骨、靭帯、半月板に異常はない。バランスの崩れが右膝の痛みとなっているようだ。バランスを取り戻すのは正直大変かもしれないが、専門家を信じて頑張って行こう。
今は週2のペースでリハビリとパーソナルトレーナーを付けた機能回復のケアを行っている。一月が経過し、大分自分の意志で筋肉が動かせるようになってきた。
でも、無理はしない。半年かかっても、1年かかってもいいという覚悟で取り組みます。
最後に。
山の情報サイトに介護関連の日記を書くのはどうなのかなという気持ちは常に持っていたが、限定公開とすることで何回か書かせてもらいました。
巷には介護関連、認知症関連のブログが沢山書かれている。本来なら私もブログとか立ち上げてガス抜き、毒吐きをすれば良かったのですが、新たにブログを作るのとか面倒で、手軽なヤマレコを利用してしまった。この点についてはこの場を借りてお詫び致します。
そして、介護の愚痴日記にも関わらず、読んでいただき拍手やコメント、メッセージを頂きました。本当に励みになりました。ありがとうございました。
また丹沢24Hから派生した新横飲み会のメンバーには直接愚痴をたくさん聞いてもらいました。BMさんには兄のアスぺに気付くヒントをもらえた。horikoさんには兄への愚痴をたくさん聞いてもらえた。kohi兄さんにも沢山話を聞いてもらえた。ヤマレコとは関係ないが会社の仲間も話を聞いてくれ理解してくれた。多くの人の支えで2年間乗り切れたと思っています。心より感謝申し上げます。
やっと終わった。万歳。
いつも気になっていましたが何とか良い方向での決着となったようで一安心ですね。
大変なご苦労があったと思いますが本当にお疲れ様でした。
これからは自由な時間が増えると思いますので今までの分を取り戻してあちこち歩きまわってください。
又どこかで一緒に飲めるといいですね〜。
kenpapaさん、おはようございます。
気にかけて頂き、ありがとうございます。
私の精神が耐えきれなくなるギリギリでしたが、ほぼ計画通り事が進みました。
これからは時間の制約が取れるので、また体をいじめるモードに戻ろうと思います。
SHC、本当にご無沙汰しておりますが、除名処分を受けていなければ、SHC飲み会、また参加させて頂ければと思っています。
millionさん 大変ご無沙汰しております。
介護日記、洗濯兄さん毎回読ませてもらってました。
失礼かもしれませんが、少し楽しみに…。
とはいえ、実家の父も仕事が大好きな人だったのですが、
仕事を引退してからガタガタと劣っていき介護老人になりました。
他人事ではないと思ってます。
アスペさんは世間にはいっぱいいるんでしょうね。
これからも人生です。
楽しく行きましょ♪無理は禁物ですよ
どこかですれ違う日を楽しみにしてま〜す♪
clioneさん、おはようございます。
愚痴日記、読んで頂き恐縮です。
今回、認知症、アスペルガー(自閉症スペクトラム)のこと沢山調べました。
知れば知るほど、日常の一コマ一コマが今までと違って見えました。
正常発達と非正常発達の線引きは簡単ではないようですが、昔に比べれば世の中に認識されてきているように思います。
今朝はいい寝覚めでした。
母の長生きを願いつつ、自分の人生も楽しんでいきます。
偶然の遭遇、期待してます。
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