https://www.yamareco.com/modules/diary/41125-detail-177652
現在の南アルプス林道が出来るずっと以前の話になります。
『赤石渓谷』の著者である《平賀文男》が1925年(大正14年)3月に登った時は
韮崎〜芦安〜峠〜鮎差〜ゴーロ沢合流点〜広河原〜大樺沢〜草すべり〜北岳(韮崎から北岳まで3日)となっています。
鮎差(あゆさし)というのは、野呂川と荒川の合流点の少し下流、左岸からカレイ沢が合流するあたりで村営鮎差製板所があったようです。(写真左の下側やや右寄り)
ここから、川伝いに広河原まで行っていいるので、現在の池山吊尾根ルートはまだ無かった?と想像します。
その後、図書館で見つけた1935年(昭和10年)のガイド本を見ると、実に色々なルートが記されておりました。
これには、鮎差から荒川を少し遡った所にあった荒川小屋を経て吊尾根を登るルートが記されていますが、現在の池山吊尾根ルートとは取付き場所がだいぶ違っています。
また夜叉神峠から鳳凰山に向かう途中にある杖立峠から広河原に向かうルート(杖立峠道と言うらしい)があったのには驚きました。
芦安(大曾利)から夜叉神峠へ向かう少し手前に杖立峠への分岐があったそうです。
その本によると、「有野」(現在の南アルプス市有野)までバスが通っており、そこから「大曾利(おおぞうり)」(南アルプス市芦安芦倉大曽利:現在の芦安駐車場の手前の集落)までハイヤーで行けたそうです。
この当時、野呂川(早川)の奈良田〜鮎差に道が無かったとは予想外でした。
南アルプス林道が出来たのが1962年(昭和37年)着工は1952年(昭和27年)で、北沢峠まで完成したのは1977年(昭和52年)現在荒川の合流点の少し上流にある野呂川発電所が出来たのは1963年(昭和38年)のようです。
このガイド本『南アルプス 八ヶ岳連峯』はコースタイムや交通機関やルートの状況など詳しく書かれており、さすが [三省堂]?といった印象でした。
この本には地図が付属しており。南アルプスは北と南の2部に分かれていて縮尺は1/75000でA2より少し小さいサイズだったと思います。
この地図がなんとも興味深いです。
登山道は赤の実線と破線(難路)で書かれていますが、その破線は現在の昭文社の地図の破線とは難易度レベルが桁違いと思います。
現在一部の沢登りの人達しか通らない大武川から仙水峠のルート(今も多分昔も道や目印など無い)が実線で書かれていたり、三峰川の三軒岩小屋から仙丈ケ岳への直登コースが破線ながら書かれていたり、現在の感覚からすると尋常ではありません。
写真はその地図をスキャンしたものです。(古い地図なので文字は右から左に読んでください。)
オリジナルは山梨県立図書館にありますが、A3のスキャナーで2回に分けてスキャンし合成したPDF(123MB)があります、もしご希望の方がいらっしゃれば提供します。
参考文献
『日本南アルプス』 《平賀文男》[博文館] 1929年(昭和4年)
『赤石渓谷』 《平賀文男》[隆章閣] 1933年(昭和8年)
『南アルプス 八ヶ岳連峯』 《渡邊公平・細井吉造・山下一夫》 [三省堂] 1935年(昭和10年)
『平賀文男ノート』 《樋口清作》[白山書房] 2007年(平成19年)
heinaiさん
今年一発目! とても興味深い日記ありがとうございます。
昭和10年の地図は、当時の南ア事情が本当によくわかる一級資料!!
これによる大正14年当時との比較もいろいろできそうですね。
北岳へのメインルートは、
御池小屋ルート(大正期)⇒池山吊尾根ルート(昭和初期)
⇒大樺沢ルート(昭和中期:林道開設後)と変遷してきている。
大正期には池山吊尾根ルートはなかったんじゃないかという、
heinaiさんの推測当たっていると思います。
それにしても、現在、北岳登山のメインルートである大樺沢に
破線すらないのは、温暖化じゃなかった当時、雪渓が大きかったのか?
それとも大樺沢が急流すぎたのか? 考えるだけで楽しくなりますね。
杖立峠から広河原への杖立峠道は、とても興味深いです。
杖立峠を通る度に、こんな高度のある峠はどことどこを
結んでいるのかとおもっていました。
林道がない時代、下界の移動ルートは河原。
野呂川が増水していたら、鮎差〜広河原ルートは使えませんし。
案外、夜叉神から広河原までのメインルートだったのかもしれませんね。
池山吊尾根ルートのとりつきの違いも面白い!
現在のあるき沢橋のところでない昔の方が、尾根に忠実な気がします(笑)。
池山小屋は当時はなかったんですね。荒川小屋の廃業によって、
夜叉神や奈良田からのビバークポイントとしてできたんですね?
発見なのは、北岳小屋やボーコン沢ノ頭への沢登りルートがあったこと。
登山道が今ほど整備されていない時代、藪漕ぎせずに
てっとり早く登るには、沢登りしかないですよね。
登山黎明期で山名がつけられていないピークがいっぱいあった時代に、
山名に「〇〇沢の頭」が多いのは、それ故なんだと地図をみて
納得できました。「〇〇沢の頭」があるところは、かつて、
その直下の沢が登山ルートであったことが推測されますね。
わくわくします(笑)。
興味津々の日記ありがとうございました。
『南アルプス 八ヶ岳連峯』の全地図も見てみたい!!
今年もよろしくお願いしますm(__)m
yama-ariさん こんばんは
丁寧なコメントありがとうございます。
勉強になります。
こちらこそよろしくお願いします。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する