読んだ本は底本が1956年12月発刊なので昭和29年から昭和31年にかけて書かれたエッセイである。
時代的には大正から昭和初期の市井の姿が感じられるエッセイである。
私の祖母(大分前に99歳で逝去)が明治末期の生まれなので、その祖母を思い浮かべながら読み進めた。
日常生活の中の出来事が独特の細やかな感性で、気風の良い独特の文章で綴られている。
この人は独特の表現をする。
例えば、ひときわ→一トきわ、一筋→一ト筋、一足→一ト足といった具合に、一を「ひと」と読ませたい時にトを入れるのである。
それからわざとなのか間違った漢字を使う。それも堂々と使い続ける。
例えば、着物→著者、気性→気象という具合だ。
それから独特の擬音語・擬態語を使う。オノマトペである。
例えば、小さな足がおずおずと引き返す。しゅっとあわただしく過ぎた。まじめにそくそくと・・・。じりじりと次第に河原を上へ・・・。私の耳はうろうろしてしまう。といった具合である。山ほど独特のオノマトペが使われている。
それから今は使われなくなった表現も多く出てくる。
例えば、ほとんどせしめが利かなくなっている。せしめ:せしめるの名詞化。せしめ:よこどりする、たくみに図ってじぶんのものにする。勝手に持っていくことが出来なくなっていると言う意味の文章だ。
ひとつだけ、降ってくる雪を表現した箇所を引用する。雪国出身の私であるが、それ故何故か心にとまった一節だ。
ほんものの雪は空のどのへんからあんなふうにして落ちてくるものだろうか。ふり仰いで見ても一面灰色の空は、ごく近い限りのことしかわからない。その近い限りから雪の一トひらは、なんとなく出てくる。あら、あら、というように続き続いて降りてくるのはふしぎである。おとぎばなし的にふしぎな現われかたで雪は降りてくる。湧いてくるのでもなし、押しだされてくるのでもなし、吹き飛ばされ撒きちらされるというのでもなく、たゞ天からふわっと現われ出て、ゆるく降りてくるといった感じである。その初めもさだかならず、その終りはたちまち形をなくす、とうのだから、なんと心を唆られる観ものだろう。どうしてもこゝにお酒がなくては納まらない観ものである。
古き良き日本、祖母祖父を思い起こさせてくれ、また何故か心地よい読後感を抱かせてくれたエッセイ集であった。
https://www.yamareco.com/modules/yamainfo/rtinfo.php?rtid=4224
山伏(やんぶし)の近くですね。機会があったら忘れずに訪れてみたいです。
ありがとうございました。
崩れという彼女の本はその関係なのでしょうか。積読してある本ですが早めに読みます。
はじめまして、こんにちは☺️
幸田文さん、いいですよね😆
私も大好きな作家の一人です。
「黒い裾」が、特に印象に残っています。結婚出産で、体型が変わりやすい女性の喪服は、今のようなフォーマルじゃなくて、体型が変わろうといかようにもなる黒い着物のほうがいいなと思ったりもしました。一生ものだからこそ、実家の家紋が入ってるんだなあと気づいたのも、この本でした。
あと、わたしは、最後まで見届けずに手を離して、ものを割ったり落としたりしがちなのですが、その度に、文さんが露伴に言われた「お前は始末が悪い」という話を思い出します。
幸田文さんは、最近「木」を読んで知った作家なのです。
これでまだ読んだのはまだ四冊目(木・流れる・闘・包む)で黒い裾は知りませんでした。
機会があれば是非読んでみたいと思います。
幸田文さん・・・少しずつ読んでいきたい最近お気に入りになった作家です。
幸田文さんの文章、良いですよね。その通りです。
ありがとうございました。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する