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https://www.yamareco.com/modules/diary/67008-detail-172785
を読ませていただき(^^)ました。
そちらにgenesis1_1的クリスチャウンチクをコメントするのも
図々しい(^^;;)かなと思ったので、自分の日記に記すことにしました。
tacasicaさんのその日記を読んで、心に浮かんだ聖書の箇所があります。
「私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。
この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。
また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。
私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」
(聖書の「使徒の働き」17章23~25,28節)
この最後の一節、
「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」ということを実感したくて、
山に登ってんじゃないかな。
山で神さまの息吹を肌で感じながら、その救いと愛に思いをはせるために。
ストイックでもマンダムでもない"なんちゃってレコ"専門のgenesis1_1に
なぜ山に登るんですか?なんて聞かれることもないとは思いますが、
もしどなたか様が聞いてくださったら、こう答えようという
考えをまとめるきっかけの日記上げてくださったtacasicaさん、
ありがとうございました〜(^^)
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