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恐怖が自分の想像力でどこまでも増幅されることは、
幼い頃の喘息で呼吸困難の毎日を過ごした時に経験した。入院の前日、事務所の清掃に派遣で来てくれてる奥様から怖くないの?と聞かれたときに、怖い。すごーく怖い。けど、たぶん、恐怖や不安に自分が取り込まれないようにするためには、自分を、恐怖や不安を受け入れる自分と、それを見守る自分の二つを立てられればいいんじゃないかと思うけど、どうやろか?と質問したら、たぶん、それでいけるんじゃない?と答えてもらったことを思い出しながら、いや、起きてなくていいなら、このまま、おだやかに眠ってればいいんじゃない?と、ウトウトすることにした。
ウトウトしながら、工作機械の音を聞いたが、プレート固定するならそういうことだよなぁとか、ぼんやり考えながら、1時間程度の手術をやり過ごした。じゃ、洗い流して縫合しまーす。という手術看護士の声に深く息を吐き、手術は終了。導尿を断っているため、術後、麻酔医や手術看護士、助手の助けを借りて、手術台の上の麻酔が効いてる下半身で排尿させてもらって、レントゲンを取って病室ベッドに移してもらう。
手術台から病室ベッドに移されて、チラッと見せてもらった術後のレントゲン写真は、固定したプレートよりも、外側脾骨にぐるぐる巻きに巻かれた何かの方に目が行って、マンガみたいな画像だった。
午後6時過ぎ、手術室から病室へ移動し、麻酔後に頭痛が残らないように、頭を極力動かさないように枕なしで寝転がっているよう指示を受け、私のいつも使う枕はかなり高いことから、枕なしで横たわる苦痛を翌朝まで味わうことになった。
午後8時水分摂取解禁。持参するよう指示があった折り曲がりストローを使い、ベッドよりも低い位置に水筒を持ち、頭を上げずにお茶を飲む。
午後9時食事解禁。持参したカロリーメイトバニラ味を天井を見ながら食べてむせ、頭を上げずにお茶を飲む。下半身から麻酔の感覚がほぼ消え去る。
午後10時、麻酔の感覚がほぼ消え去った施術部が痛み始める。有機物が無機物に対して拒絶反応を起こしているのを想像し、去年の暮れに山行した、いまだにつき合いのある中学校の同級生とも最初は口げんかから始まったことを思い出した。枕なしで頭を上げないことと、施術部の痛みの同時攻撃で、ジムノペディ第一番をもってしても、自分を分割して寄り添う自分を構築するような芸当はかなわず、とても、眠れたようなもんではなかった。
翌1月11日(土)午前2時、となりのベッドの70歳くらいの男性に、巡回の看護師が叱責している。どうやら、私と同じような手術をして、導尿しているのに、自分でトイレに行きたくて、点滴を抜いてしまったらしい。昨日、手術をして、大事な点滴をしてるのわかりますか?とかけられた声に、わからん。トイレに行きたい。と何度もおなじやりとりを繰り返し、もうわからん、帰りたいという力のない声を聞く。看護士さんの処置が終わり、今なら!と思い、ナースコールを押し、痛み止めの点滴をお願いした。点滴だけに、痛みの鋭さのレベルは即効で下がり、鈍い痛みとなって、ウトウトできた。もとの鋭い痛みで目を覚まし時計を見ると15分間のウトウトだった。
ジムノペディ第一番は耳の中で繰り返されている。
午前5時、痛みに和らぎを感じ始めた。
プレートと骨があきらめて仲良くすることをしぶしぶ受け入れてくれたみたいだ。施術した右足の置き方を模索しながら、ウトウトした。
午前8時、楽しみにしていた朝食。
楽しみにはならなかった。
午前8時半、点滴が外され、退院の準備。迎えにくる職場の同僚に、休日通用口から車いすをもってきてもらうようにメッセージ。
午前10時、車いすとともに同僚が登場。
車いす搬送してもらって乗車して退院。
午前10時30分退院後に約束していた昼食をごちそうする鰻屋の開店が11時だったので、恵那峡の駐車場に連れて行ってもらい、冷たい風で顔を洗う。
ほどなく鰻屋入店、鰻丼と肝焼きを注文、出された鰻丼を食べながら割り箸を噛んでしまった。
午後0時半、買い物につきあってもらい、アパートに送り込んでもらう。洗濯機を一度回し、よい天気を味方に洗濯物を干して、
午後2時頃、布団に入って意識を落とした。
アキレス腱断裂で
手術をした時のこと
を思い出します。
まず医師に選択を迫られました
アキレス腱断裂の治療には、
手術をする手術的治療と
手術をしない保存的治療があり
このうち
後者の保存的治療では
長期の固定や体重をかけれない状態を必要とするけど
最終的に治療にかかる期間は
同じと言われました。
どちらか選ぶようにと。
何となく、手術でつけた方が
確実な気がして、手術を選びました。
そして、次は
手術は、全身麻酔と部分麻酔があるから、どちらにするかと。
当日、手術の瞬間まで迷い
部分麻酔は、手術中の医師の話し声が聞こえるけど、全身麻酔なら寝ている間に、手術が済むと。
結局、全身麻酔で手術。
痛みで目が覚めると辺りが暗い。
多分、深夜。
次第に麻酔が切れ、激しい痛みが。
生まれて初めて味わう、叫びたくなるような気持ち悪さ。
保険がきくとはいえ
もうゴメンだ。
痛みを知って、初めて健康の良さを知る。
思い出される
ブラックジャックの
とある物語のラストシーン
ブラックジャックが延命措置をした
次のニュースです。
作家が今日ガンでなくなりました
最近は大河小説「未知の世紀」で日本中の読者に人気を博していましたが
そのしめくくりの章を書きあげた直後に亡くなりました。
ご冥福を祈りその遺稿となった しめくくりの章のあらすじを特にテレビでご紹介したいと思います。
火星のように稀薄になった
屋内の大気の中に
酸欠症に身体をひきつらせた
ゾーリンジャーと
その部下たちが倒れていた
この日のために
相模は何か月も
ヒマラヤの頂上近くに住みついて
高山病にからだをならしていたのである・・・
彼は勝ったのだった
ここで物語は終わっています。
日本中の読書が案じた、もしかして相模刑事は死ぬのではないかという予測はくつがえりました
彼は最後まで生きつづけていた
今後、読者の胸に永久に彼は生きつづけるでしょう
相模青年は最後に
こうつぶやいています
生きていることはすばらしい
と。
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