アイヌは、白い花を咲かせる北方系のオオバナノエンレイソウを
「男の、果実(エマウリ)の草」、
紅色の花を咲かせるエンレイソウを
「女の、果実の草」
とそれぞれ呼んで、花の色で男女に呼び分けてきました。(「分類アイヌ語辞典」)
エンレイソウが群生する明るい春の野で、男のエンレイソウ、女のエンレイソウを探して遊ぶ、アイヌの若者たちの姿が想像されます。
北大山岳部のOBに、生物学科でエンレイソウを研究した鮫島惇一郎さんがいます。この研究は、道内各地のオオバナノエンレイソウの試料をあつめ、染色体と形質の特徴とを調べ、分布の変遷をさぐるというもの。
そのためには、道内各地から大量のエンレイソウを資料として採集することが必須で、彼らはスコップを担ぎ、列車を乗り継ぎながら、各地を回りました。
あるとき、日高のある駅で、間に合うはずの列車が発車していきそうになり、みんなで必死に走った。ぎりぎりでみんなが乗れたと思ったのに、女子学生が1人、駅長に止められて、走り出した列車に乗れなかった。
彼女は初参加で、次に降りる駅のどこでキャンプするかも、知らない。
そこで、鮫島さんが、まだのろのろ走っている列車から飛び降りた。2人は駅長さんから大目玉をくいながらも、温かい応援を得て、次の列車で無事、研究班のキャンプ地へと移動することができた。
鮫島さんの「北の森の植物たち」(1991年)に出ている1950年代のエピソードです。
このときの女子学生が、鮫島さんの奥さんなんだそうです。
エンレイソウの種子には、蟻が大好きな白くて甘い物質が付いています。鮫島さんらが調べたところ、蟻が苦労して種子を運び始めるが、途中で昆虫が横から甘い物を奪いに来るなどして、平均でせいぜい90センチも蟻の力では移動できないとのこと。
蟻に頼っていては、移動・拡散は知れたものです。
ではどうやってエンレイソウは、ユーラシアから南北の2経路で日本列島に渡ってきたのか?
この本にも書いていない。私は他の本でも読んだことはありませんが、このシリーズで紹介してきた坂本直行さんの「私の草木漫筆」に、おもしろい話がありました。
オオバナノエンレイソウの、蕎麦の実のような種子は、馬は見向きもしない。けれども牛はつまんで食べるのだそうです。
そのために、開拓当初は、一部に生えていただけのエンレイソウが、年を重ねるごとに牧場全体にひろがり、春は壮大なエンレイソウの園になってしまった。
ここを読んで、エンレイソウの地球規模の分布を担ったのは、ウシ科(牛のご先祖さま)の動物たちではないかな、と想像してみました。もちろん、その獲物を追って、人間たちもユーラシアから北米へとひろがって行ったのでしょう。
(写真は、エンレイソウ、オオバナノエンレイソウ、コジマエンレイソウ)
鮫島和子さん、昨年春に急逝されまして、貼り絵の画集を出版間際でした。昨年出版、秋には個展も札幌でありました。http://korekaraya.dreamlog.jp/archives/4959599.html
http://blog.goo.ne.jp/ebetsusouzousha/e/6688bc35ca174dcf3f37a36edfbb6ffe
アマゾンにはないようです。
表紙には女エンレイソウですね。鮫島夫人は山岳部初の女子部員で女流一号と呼ばれていました。奥様への親しみいっぱいの追悼文をOB会報で頂きました。
yoneyamaさん、鮫島和子さんは山岳部のメンバーだったんですね。1950年代のことですから、ほんとの草分けですね。
私は、鮫島さんは畑違いで面識がなく、同じ生物学科の松浦一先生に、勉強以外のことでいろいろな応援・ご教示をいただいたクチです。紹介した鮫島さんの本でも、松浦先生のことは出てきます。
それにしても鮫島ご夫妻は、おしどり夫婦ですね。オオバナノエンレイソウの採集での列車のエピソードなど、映画にもなりそうな場面だと思います。
鮫島惇一郎 ・和子著
「原色図譜 エンレイソウ属植物」
なんて本も出されていますね。
yoneyamaさんにリンクで紹介していただいた冊子のオオバナノエンレイソウの絵も、色彩がやわらかく、この花がほんとうに好きだったことが伝わってきます。
山岳部は個性的な異能の人士を、社会に(自然にもかな)輩出してきてますね。
山でエンレイソウに会うと、この花をうたった歌詞をつい口ずさんでしまいます。
牧場(まきば)の若草陽炎燃えて
森には桂の新緑萌し
雲ゆく雲雀(ひばり)に延齢草の
真白の花影さゆらぎて立つ・・・
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