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最終更新:tancro
写真一覧へ 金明院に到着
金明院へは指標はないけど踏跡はあります
鳥居本八幡宮神社 はじめて来ます。 【ネット情報】 http://www.kyotofukoh.jp/report1366.html  嵯峨鳥居本の鳥居本八幡宮(とりいもと はちまんぐう)は、仙翁寺山の山麓、森の中に建つ。  祭神は、第15代・応神天皇(おうじん てんのう)を祀る。  ◆歴史年表 室町時代、1413年、室町幕府3代将軍・足利義満の母・紀良子が亡くなり、その志願により、仙翁寺跡に洪恩院(清凉寺南)の鎮守社として八幡宮を祀ったという。(『鳥居本八幡宮神社由緒略記』)。旧社殿は現在の境内の裏山にあったという。  江戸時代、1682年、仙翁寺は絶え、畑山の霊社が祀られており、霊社は仙翁寺の鎮守八幡と記されている。(『雍州府志』)  江戸時代、1712年、愛宕山一の鳥居東の道傍に小堂があると記されている。(『和漢三才図会』) ◆紀良子 南北朝時代-室町時代の女性・紀良子(きの りょうし/きの よしこ、1336-1413)。石清水八幡宮検校善法寺通清の娘。室町幕府2代将軍足利義詮の側室。3代将軍・義満、満詮らを産む。従一位に叙せられた。鹿王院開祖・普明国師(春屋妙葩)に帰依、出家した。法号を洪恩院殿月海如光禅定尼。 ◆洪恩院 洪恩院は室町幕府3代将軍・足利義満の母・紀良子(1336-1413)が、その住居「小河殿」を禅寺に改めたものという。紀良子の法号は洪恩院殿月海如光禅定尼という。  寺は16世紀(1501-1600)前半に衰退し、金剛院内へ移る。12代将軍・足利義晴(1511-1550)の命により鹿王院内に移されたという。 ◆五山送り火 当社では神仏習合期、仏式により法要が執り行われていたという。8月16日には、本社で紀良子生家である石清水八幡宮に送り火をしていた。それが五山送り火(8月16日)の鳥居形の送り火の起源であるともいう。
基本情報
場所 北緯36度23分34秒, 東経139度32分26秒
地形図の●のおよその位置
山頂

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