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武藏國一宮 氷川神社(むさしのくにいちのみやひかわじんじゃ) / 大宮氷川神社

最終更新:chakayaan
基本情報
標高 13.5m
場所 北緯35度54分59秒, 東経139度37分47秒
カシミール3D
二の鳥居脇の案内板。
『氷川神社 所在地 大宮市高鼻町四ノ一ノ一
 氷川神社は、社記によると第五代孝昭天皇の三年四月未の日の創立と伝えられる。
 当社は、古くから歴朝や武将の尊崇をあつめた由緒ある大社としてその歴史を誇っており、「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知のとおりである。
 古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、また成務天皇のとき、武蔵国造となった兄多毛比命が出雲族を引きつれてこの地に移住し、氷川神社を奉崇したと伝えられる。その後、聖武天皇(724〜49)のとき「武蔵国一の宮」と定められ、ついで称徳天皇の天平神護二年(766)には、朝廷から武蔵国では当社だけに封戸(三戸)が寄進された。さらに醍醐天皇の延長五年(927)の「延喜式神明帳」には、明神大社として破格の月次新嘗の社格が与えられている。
 このほか、鎌倉時代には、治承四年(1180)に源頼朝によって社殿の再建と社領三千貫が寄進されたといわれ、足利、北条氏も相次いで尊仰した。その後、江戸時代の慶長九年(1604)には、徳川氏より社領三百石が寄進され、また、文禄五年(1596)と寛文七年(1667)には社頭の整備と社殿の造営が行われている。
 その後、明治元年(1868)東京遷都に際し、当社を武蔵国の総鎮守「勅祭の社」と定められ、明治天皇みずから親拝になった。同四年官幣大社となり、同十五年に本殿・拝殿などを改造し、さらに昭和十五年に本殿・拝殿・回廊などを造り変え、現在の景観となっている。
 祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命。
 例祭は八月一日。そのほか神事の中で特に勇名なのが十二月十日の大湯祭である。
 昭和六十年三月』

『由緒
 氷川神社は今から凡そ二千有余年前、第五代孝昭天皇の御代三年四月未の日の御創立と伝えられます。当神社は、歴朝の御崇敬・武将の尊敬も篤く、景行天皇の御代日本武尊は東夷鎮圧の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き、格式高く聖武天皇の御代武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預り又臨時祭にも奉幣に預っています。武家時代になってからは鎌倉、足利、徳川の各将軍家等相継いで尊仰し、奉行に命じて社殿を造営し社領を寄進する等、祭祀も厳重に行われていました。
 明治の御代に至っては明治元年、都を東京に遷され当社を武蔵国の鎮守・勅祭の社と御定めになり天皇御親ら祭儀を執り行われました。次いで明治四年には官幣大社に列せられました。
 昭和九年昭和天皇御親拝、昭和三十八年今上陛下が皇太子時に御参拝になられ、昭和四十二年十月、明治天皇御親祭百年大祭が執り行われ社殿、その他の諸建物の修復工事が完成し、十月二十三日昭和天皇・皇后両陛下御揃いで親しく御参拝になられました。昭和六十二年七月には天皇・皇后両陛下(当時皇太子・同妃殿下)が 御参拝になられました。

 祭日
 元旦祭  一月一日   成人祭 一月十五日
 節分祭  二月節分日  的神事 二月七日
 郷神楽  三月十五日  鎮花祭 四月五、六、七日
 御鎮座祭 五月九日   道饗祭 五月二十一日
 粽神事  六月五日   大祓式 六月三十日
 例大祭  八月一日   神幸祭 八月二日
 抜穂神事 十月九日   朔瓶祭 十月二十一日
 大湯祭  十二月十日  誓詔祭 十二月十一日

 境内神社
 摂社 門客人神社 足摩乳命・手摩乳命
    天津神社  少彦名命
    宗像神社  多起理比売命・市寸島比売命・田寸津比売命
 末社 天満神社  菅原道真公
    松尾神社  大山咋命
    御嶽神社  大己貴命・少彦名命
    稲荷神社  倉稲魂命
 末社 山祇神社  大山祇命
    石上神社  布都御魂命
    愛宕神社  迦具土命
    雷神社   大雷命
    住吉神社  底筒男命・中筒男命・上筒男命
    神明神社  天照大御神』
駐車場
トイレ
水場

山の解説 - [出典:Wikipedia]

氷川神社(ひかわじんじゃ)は、埼玉県さいたま市大宮区高鼻町一丁目にある神社。式内社(名神大社)、武蔵国一宮を称する(ないし三宮)勅祭社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。宮中の四方拝で遥拝される神社の1つ。
東京都・埼玉県近辺に約280社ある氷川神社の総本社である。他の氷川神社と区別する際は「大宮氷川神社」とも呼ばれる。
埼玉県・東京都の荒川流域、特に旧武蔵国足立郡を中心にして氷川信仰に基づく氷川神社が多数分布しており、当社はその中心である。「大宮」の地名は、当社を「大いなる宮居」と称えたことに由来する普通名詞から転じたものである。埼玉県周辺の広域から参拝者を集め、正月三が日の初詣の参拝者数(警察調べ)は全国10位以内に数えられる。特に全国的に初詣客が増加した2008年(平成20年)以降は毎年200万人以上が訪れている。
神社の境内は、見沼(江戸時代中期まで存在した広大な沼)のほとりに位置し、もとは見沼の水神をまつっていたと考えられている。神社の南側に広がる神池(かみいけ)は、神社の西側から涌き出た地下水がたまったものであり、かつて見沼の一部であった。神社に隣接する埼玉県営大宮公園は、明治期に神社周辺の森を取得して整備したものであり、神社のある小山を見沼の入江が囲んでいた、という地形の特徴をよく保存している。
大宮の氷川神社、見沼区中川の中氷川神社(現 中山神社)、緑区三室の氷川女体神社は、いずれも見沼の畔にあり、かつ一直線に並んでいる。この三氷川とかつて大宮の氷川神社境内にあった三社(男体社・女体社・簸王子社)がよく混同されるが、別のものである。

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