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鶏塚古墳(にわとりづかこふん)

最終更新:youtaro
基本情報
場所 北緯36度28分57秒, 東経140度01分50秒
カシミール3D
円墳で、横穴式石室を持つ
形象埴輪(鶏や男子・女子人物像など)の出土で有名

山の解説 - [出典:Wikipedia]

鶏塚古墳(にわとりづかこふん、京泉シトミ原13号墳)は、栃木県真岡市京泉(きょうせん)にある古墳。形状は円墳。京泉シトミ原古墳群(京泉シドミ原古墳群)を構成する古墳の1つ。栃木県指定史跡に指定されている。
栃木県南東部、五行川東岸の低台地上に築造された古墳である。古墳名は昭和の発掘調査の際に鶏形埴輪が多数出土したことに由来する。一帯では古墳17基が分布して京泉シトミ原古墳群を形成し、その主墳に位置づけられるが、1984年(昭和59年)刊行の市史時点では8基が現存するのみである。1885年(明治18年)に発掘され、1931年(昭和6年)に発掘調査が実施されている。
墳丘は改変を受けているが、現状で東西22メートル・南北18メートル・高さ2.5メートルを測り、比較的大型(直径30メートル・高さ4メートル程度)の円墳と推測される。墳丘外表では形象埴輪(人物・鶏形・鞆形埴輪など)が出土している。埴輪は2列に並んだ状態で検出されており、完形の鶏形埴輪など優品が多く、特に子を背負う女子像や男女の裸像など稀な埴輪が出土した点で注目される。埋葬施設は無袖式の横穴式石室で、南西方向に開口する。石室は胴張りのない狭長で、奥に広がる羽子板状を呈する。明治期の発掘では、石室内から人骨歯・遺髪のほか勾玉・管玉・鈴釧・鉄鏃・鉄刀・馬具(轡)が出土したというが、現在では失われている。
築造時期は、古墳時代後期の6世紀後半頃と推定される。一帯では芳賀郡衙跡と推定される堂法田遺跡、その南側に大内廃寺跡が所在しており、古代芳賀郡の中枢地の前段階を表す古墳として注目されるとともに、学史上としても重要な古墳になる。
古墳域は1957年(昭和32年)に栃木県指定史跡に指定されている。

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