(はじめに)
本連載は日本の山々の「地質」について解説するのが主目的ですが、谷川連峰については、「地形」的な面にも特徴があるので、この章では、地形的特徴、とくに大岩壁群と氷河との関係について説明します。
1)谷川連峰 東部岩壁群と氷河との関係
谷川連峰の、特に東部岩壁群(一ノ倉沢、マチガ沢、幽ノ沢)は、標高差が約1000mもある大きな岩壁を持ち、標高が2000mに満たない山地としては不釣り合いなほど、巨大な岩壁をもっています。
また、南北稜線の両側を比較すると、西側は普通のやや険しい程度の斜度をもっている斜面なのに対し、東側は前述のとおり、一部は垂直に近い傾斜を持つ急斜面になっており、いわゆる非対称山稜の典型的な形状をもっています。
そのため古くから、この大岩壁群の成因について議論がありました。主には氷河説と、雪崩説です(文献1)、(文献2)。
氷河説は、氷河期においてここに山岳氷河があって、その氷河の流れによってカール状の地形、及び大岩壁が形成された、とするものです。
一方、雪崩説は、この山地が現在でも豪雪地帯であって、厳冬期から残雪期にかけ、多量の雪崩が発生することから考え、その影響で山腹が削られてこのような大岩壁ができた、とするものです。
その結論としては、「氷河説」に軍配があがりました(文献2)、(文献3)。以下、氷河説を検証するために詳しく研究された(文献2)に基づき、説明します。
氷河説の根拠としては、以下の3点が挙げられます。
(1)現在でも越年性雪渓があることから考えると、より気温の低い氷河期には、
越年する雪の量がさらに多く、その一部が氷河化してもおかしくないこと
(2)各岩壁(一ノ倉沢、マチガ沢、幽ノ沢)とも、中間部がU字型をしており、
カール的な形状といえること。
(3)各岩壁の下部に、氷河が残したモレーンと考えられる堆積物の高まりが
認められたこと。
特に、氷河説を決定づけたのは、(3)のモレーンの発見でした。
(文献2)によると、一ノ倉沢では標高850-1050mの部分に、マチガ沢では標高1000-1250mの部分に、幽ノ沢では標高980m付近に、それぞれモレーンが確認されています。モレーンの高さ(比高)はいずれも数十mあり、枝沢や本流の水流をさえぎるようなかたちとなっており、沢の流れはその部分で蛇行しています。
この谷川連峰の氷河期における氷河の形成は、北アルプスなどの山では、標高が少なくとも2300m以上にしか氷河地形が無いことを考えると、1000m台という異常に低い標高に氷河が存在したことで、特異的なものです。
その要因としては、現在でも見られるこの山地特有の豪雪と、それが谷底に落ちる雪崩です。稜線部にできた雪庇が頻繁に崩れて雪崩となり、谷の中腹にどんどんと溜まることで、一ノ倉沢の残雪の厚さは最大で約60mもあることが知られています。マチガ沢、幽ノ沢でも最大で約30mは残雪が溜まります(文献2)。
分厚く溜まった残雪は、氷期には氷化して、傾斜にそって下流へと動きつつ(これを「グライド」という)岩盤を削り、現在のような、中間部まではカール状、上部は急傾斜の岩壁を形成したと考えられます(文献2)。
このようなタイプの氷河は「雪崩涵養型(なだれかんようがた)氷河」と言い、北アルプス 剣岳、立山などの急峻な谷に現存していることが最近判明した現生氷河(三の窓氷河など)においても、同じメカニズムで氷河が維持されています。
なお、氷河が溶け去った現在でも、豪雪によってできた残雪の塊が下流へと動くことで、岩盤を削る働きは続いており、その証拠は、岩盤上にできた擦跡(さっこん)が示しています(文献2)。残雪によるこのような作用を「雪食作用」と言います。
氷河期に話を戻すと、前述のモレーン内のテフラより、氷河の最拡大期は前氷河期のうち最も寒かった時期(MIS2:約2万年前)かそれ以前ごろだと推定されています。氷河がもっとも発達した時代には、モレーンの位置から推定して、一ノ倉沢では標高850m付近、マチガ沢、幽ノ沢では標高 約1000m 付近まで氷河先端が達していた、と推定されています(文献2)。
ここでは東部岩壁群と氷河との関係について述べました。
爼グラ(まないたぐら)などの、南部岩壁群についても、氷河の影響が考えられていますが、詳しい研究は行ていないようです。
また、南北稜線の両側を比較すると、西側は普通のやや険しい程度の斜度をもっている斜面なのに対し、東側は前述のとおり、一部は垂直に近い傾斜を持つ急斜面になっており、いわゆる非対称山稜の典型的な形状をもっています。
そのため古くから、この大岩壁群の成因について議論がありました。主には氷河説と、雪崩説です(文献1)、(文献2)。
氷河説は、氷河期においてここに山岳氷河があって、その氷河の流れによってカール状の地形、及び大岩壁が形成された、とするものです。
一方、雪崩説は、この山地が現在でも豪雪地帯であって、厳冬期から残雪期にかけ、多量の雪崩が発生することから考え、その影響で山腹が削られてこのような大岩壁ができた、とするものです。
その結論としては、「氷河説」に軍配があがりました(文献2)、(文献3)。以下、氷河説を検証するために詳しく研究された(文献2)に基づき、説明します。
氷河説の根拠としては、以下の3点が挙げられます。
(1)現在でも越年性雪渓があることから考えると、より気温の低い氷河期には、
越年する雪の量がさらに多く、その一部が氷河化してもおかしくないこと
(2)各岩壁(一ノ倉沢、マチガ沢、幽ノ沢)とも、中間部がU字型をしており、
カール的な形状といえること。
(3)各岩壁の下部に、氷河が残したモレーンと考えられる堆積物の高まりが
認められたこと。
特に、氷河説を決定づけたのは、(3)のモレーンの発見でした。
(文献2)によると、一ノ倉沢では標高850-1050mの部分に、マチガ沢では標高1000-1250mの部分に、幽ノ沢では標高980m付近に、それぞれモレーンが確認されています。モレーンの高さ(比高)はいずれも数十mあり、枝沢や本流の水流をさえぎるようなかたちとなっており、沢の流れはその部分で蛇行しています。
この谷川連峰の氷河期における氷河の形成は、北アルプスなどの山では、標高が少なくとも2300m以上にしか氷河地形が無いことを考えると、1000m台という異常に低い標高に氷河が存在したことで、特異的なものです。
その要因としては、現在でも見られるこの山地特有の豪雪と、それが谷底に落ちる雪崩です。稜線部にできた雪庇が頻繁に崩れて雪崩となり、谷の中腹にどんどんと溜まることで、一ノ倉沢の残雪の厚さは最大で約60mもあることが知られています。マチガ沢、幽ノ沢でも最大で約30mは残雪が溜まります(文献2)。
分厚く溜まった残雪は、氷期には氷化して、傾斜にそって下流へと動きつつ(これを「グライド」という)岩盤を削り、現在のような、中間部まではカール状、上部は急傾斜の岩壁を形成したと考えられます(文献2)。
このようなタイプの氷河は「雪崩涵養型(なだれかんようがた)氷河」と言い、北アルプス 剣岳、立山などの急峻な谷に現存していることが最近判明した現生氷河(三の窓氷河など)においても、同じメカニズムで氷河が維持されています。
なお、氷河が溶け去った現在でも、豪雪によってできた残雪の塊が下流へと動くことで、岩盤を削る働きは続いており、その証拠は、岩盤上にできた擦跡(さっこん)が示しています(文献2)。残雪によるこのような作用を「雪食作用」と言います。
氷河期に話を戻すと、前述のモレーン内のテフラより、氷河の最拡大期は前氷河期のうち最も寒かった時期(MIS2:約2万年前)かそれ以前ごろだと推定されています。氷河がもっとも発達した時代には、モレーンの位置から推定して、一ノ倉沢では標高850m付近、マチガ沢、幽ノ沢では標高 約1000m 付近まで氷河先端が達していた、と推定されています(文献2)。
ここでは東部岩壁群と氷河との関係について述べました。
爼グラ(まないたぐら)などの、南部岩壁群についても、氷河の影響が考えられていますが、詳しい研究は行ていないようです。
(2)周氷河作用による平坦な山頂
谷川連峰の稜線はだいたいが険しい尾根を形成していますが、西部の、仙ノ倉山や平標山は、その山頂部が、意外と平坦です。これは寒冷気候が地形形成に影響する、「周氷河作用」(注1)と呼ばれる働きによってできた、「周氷河平滑斜面」と言われるものです。(文献1)、(文献4)。
「周氷河平滑斜面」の形成メカニズムですが。概略、以下のようなメカニズムです。
すなわち、まず谷川連峰では、冬場に多量の積雪があります。残雪期になると、日中は積雪の一部が溶けて水となり、岩の割れ目にしみ込みます。夜に気温が下がると凍って体積が増えるため、割れ目がさらに大きくなります。その繰り返しにより岩盤が岩屑になっていきます。これを「凍結破砕作用」と言います。
次に、砕かれたてできた岩屑は、「ソリフラクション」と呼ばれる現象によって、次第に斜面の下部に移動します。
この2つの現象によって、岩屑の多いなだらかな山稜部ができます(文献4)。
仙ノ倉山や平標山山頂部のなだらかな斜面は、上記のような作用でできたと考えられていますが、それは主に、氷河期のより寒冷な時期に作用したものと推定されています(文献1)。
注1)「周氷河作用」と言う専門用語は、誤解されやすい用語です。
「氷河」という文字が入っていますが、氷河が無い場所でも生じる作用です。
元々、氷河がある地域の周辺で見られた現象のため、
このような名前がついたものと思われます。
「周氷河平滑斜面」の形成メカニズムですが。概略、以下のようなメカニズムです。
すなわち、まず谷川連峰では、冬場に多量の積雪があります。残雪期になると、日中は積雪の一部が溶けて水となり、岩の割れ目にしみ込みます。夜に気温が下がると凍って体積が増えるため、割れ目がさらに大きくなります。その繰り返しにより岩盤が岩屑になっていきます。これを「凍結破砕作用」と言います。
次に、砕かれたてできた岩屑は、「ソリフラクション」と呼ばれる現象によって、次第に斜面の下部に移動します。
この2つの現象によって、岩屑の多いなだらかな山稜部ができます(文献4)。
仙ノ倉山や平標山山頂部のなだらかな斜面は、上記のような作用でできたと考えられていますが、それは主に、氷河期のより寒冷な時期に作用したものと推定されています(文献1)。
注1)「周氷河作用」と言う専門用語は、誤解されやすい用語です。
「氷河」という文字が入っていますが、氷河が無い場所でも生じる作用です。
元々、氷河がある地域の周辺で見られた現象のため、
このような名前がついたものと思われます。
(参考文献)
谷川連峰東面岩壁群に氷河期には氷河があったことを研究した論文、こはぜ先生
文献1)貝塚、小池、遠藤、山崎、鈴木 編
「日本の地形 第4巻 関東・伊豆小笠原」
東京大学出版会 刊 (2000)
のうち、2−1章 「越後山脈と帝釈山地」の項
文献2)小畦(※)
「越後山地の氷河作用に関する研究」
明治大学 人文科学研究所紀要 第50巻、p163-175 (2002)
https://core.ac.uk/download/pdf/59279138.pdf
(※)読みは「こあぜ」、アゼの字は旧字体のため、簡易体で表示した。
文献3)
「みなかみ町 ホームページ」のうち、
第3章 地形・地質、第1節 地形 の項
https://www.town.minakami.gunma.jp/minakamibr/nature/pdf/nature03.pdf
文献4)小泉、清水 編
「山の自然学入門」 古今書店 刊 (1992)
のうち、「山の自然ミニ知識:周氷河作用」の項。
「日本の地形 第4巻 関東・伊豆小笠原」
東京大学出版会 刊 (2000)
のうち、2−1章 「越後山脈と帝釈山地」の項
文献2)小畦(※)
「越後山地の氷河作用に関する研究」
明治大学 人文科学研究所紀要 第50巻、p163-175 (2002)
https://core.ac.uk/download/pdf/59279138.pdf
(※)読みは「こあぜ」、アゼの字は旧字体のため、簡易体で表示した。
文献3)
「みなかみ町 ホームページ」のうち、
第3章 地形・地質、第1節 地形 の項
https://www.town.minakami.gunma.jp/minakamibr/nature/pdf/nature03.pdf
文献4)小泉、清水 編
「山の自然学入門」 古今書店 刊 (1992)
のうち、「山の自然ミニ知識:周氷河作用」の項。
このリンク先の、6−1章の文末には、第6部「関東北部の山々の地質」の各章へのリンク、及び、序章(本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第6部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
第6部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
【書記事項】
初版リリース;2021年2月6日
△改訂1;文章見直し、修正。6−1章へのリンク追加。書記事項追加。
△最新改訂年月日;2022年1月3日
△改訂1;文章見直し、修正。6−1章へのリンク追加。書記事項追加。
△最新改訂年月日;2022年1月3日
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
ベルクハイルさんの記事一覧
- 日本の山々の地質;第7部 東北地方の山々の地質;7−9章 奥羽山脈(3)奥羽山脈の非火山の山々、及び奥羽山脈の隆起について 8 更新日:2024年01月27日
- 日本の山々の地質;第7部 東北地方の山々の地質、7−8章 奥羽山脈(2) 奥羽山脈南半分の火山群 11 更新日:2024年01月15日
- 日本の山々の地質 第1部 四国地方の山々の地質、 1−10章 香川県の山々;讃岐山地、香川県の山々の地質と地形 18 更新日:2023年03月18日
※この記事はヤマレコの「ヤマノート」機能を利用して作られています。
どなたでも、山に関する知識や技術などのノウハウを簡単に残して共有できます。
ぜひご協力ください!
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する