(はじめに)
北上山地については、これまで場所ごとに分けて地質の解説を行ってきました。
今回はその最後として、北上山地の北半分を占める「北部北上帯(ほくぶきたかみたい)」という地質ゾーン(地帯)を説明します。
また合わせて、北上山地北部では良く知られている山である、「姫神山(ひめかみさん)」の地質と地形も取り上げます。
今回はその最後として、北上山地の北半分を占める「北部北上帯(ほくぶきたかみたい)」という地質ゾーン(地帯)を説明します。
また合わせて、北上山地北部では良く知られている山である、「姫神山(ひめかみさん)」の地質と地形も取り上げます。
1)「北部北上帯」の地質
前の7−5章では、早池峰山とその周辺の地質として、「早池峰複合岩類」分布域と、古生代・石炭紀の付加体である「根田茂帯(ねだもたい)」について説明しました。
この章で取り上げる「北部北上帯(ほくぶきたかみたい)」は、それらの地域の北側を占めるゾーンです。
この「北部北上帯」は、(文献1―a)、および産総研「シームレス地質図v2」によるとほぼ全て、ジュラ紀付加体で構成されています。
産総研「シームレス地質図v2」で見ると、ほとんどがメランジュ相から構成されていますが、(文献1−a)による、より詳しい記述によると、砂岩、泥岩、砂岩/泥岩互層、チャート、石灰岩、玄武岩が主な構成岩石で、典型的な付加体型の地質群からなっています。
付加年代は、放散虫化石によりジュラ紀(前期から後期にかけて)と決定されています。
ジュラ紀(約2.0億年前〜1.45億年前)は、現在の日本列島に相当する地域(ここでは仮称として「中生代・原日本」と呼ぶことにします)に、海洋プレート沈み込みに伴う、ジュラ紀付加体が、かなり形成された時代です。
具体的には、現在の日本列島での位置で言うと、「西南日本内帯」(中国地方―近畿地方北部―中部地方の一部)に、「丹波―美濃帯(たんば みのたい)」と呼ばれる、約700kmもの長さを持ち、かつ幅の広い付加体が形成されています。また「西南日本外帯」(四国―近畿地方南部―中部地方の一部)には、「秩父帯」と呼ばれる、これも約700kmもの長さを持つ付加体が形成され、その東方延長は、東北日本側の関東山地(秩父地方)まで延びています。
「東北日本」(ここでは、「東北日本」と「西南日本」との境は、糸静線とします)でも、上記の秩父山地のほか、関東平野の北部、足尾山地や上越山地付近に、「足尾帯」と呼ばれるジュラ紀付加体があり、新潟県の北部、飯豊山地付近まで点々と分布しています。「足尾帯」は前述の「丹波―美濃帯」の東方延長と一般的には考えられており、文献によっては「丹波―美濃―足尾帯」と記載されている場合もあります。
ところで、この章で説明している「北部北上帯」は、上記のいくつかのジュラ紀付加体とは、距離も離れており、現在の日本列島の中では、分布域が孤立しています。
元々、「北部北上帯」も、「中生代・原日本」においては、上記のジュラ紀付加体のどれかの延長部として形成されたと推定されていますが、「中生代・原日本」の復元が困難なため、どのような位置付けかは、調べた限りでは定説は無いようです。
(文献1―a)では、「秩父帯の延長」、との記載がありますが、明確な根拠は示されていません。
(文献1−b)では、「中生代・原日本」(白亜紀)の、復元図(図3.1.9)がありますが、「北部北上帯」は「阿武隈帯」の海側に位置するように描かれており、「秩父帯」の直接的な延長部とも言えないような図となっています。
なお、(文献1―b)では、「北部北上帯」はその北方延長として、北海道南西部の渡島半島に分布する「渡島帯」、さらに、現在のロシア沿海州に分布する「タウハ帯」(いずれもジュラ紀付加体型の地質)へと続く、と推定しています。
このうち、「渡島帯」が、「北部北上帯」の延長であろうということは、その中間にあたる青森県の下北半島に、同じようなジュラ紀付加体の岩体があることから、ほぼ間違いないと考えられているようです(文献1−c)。
一方、ロシア沿海州の「タウハ帯」については、「北部北上帯」の延長部という考えからが定説かどうか?不明です。
中生代末の白亜紀の終わりから古第三紀初頭にかけ、現在の日本列島に相当する部分から現在のロシア沿海州にかけ、大規模な左横ずれ断層(注1)が複数活動して、地質体の再配列が行われたという仮説がありますが、(文献1―b)はその仮説を元に「中生代・原日本」を復元したものです。
注1)文献1−b)では、棚倉断層、日詰(ひずめ)―気仙沼断層、
双葉断層、畑川断層が、
現在の「東北日本」の地域で白亜紀に活動した「左横ずれ断層」として、
例示されています。
この章で取り上げる「北部北上帯(ほくぶきたかみたい)」は、それらの地域の北側を占めるゾーンです。
この「北部北上帯」は、(文献1―a)、および産総研「シームレス地質図v2」によるとほぼ全て、ジュラ紀付加体で構成されています。
産総研「シームレス地質図v2」で見ると、ほとんどがメランジュ相から構成されていますが、(文献1−a)による、より詳しい記述によると、砂岩、泥岩、砂岩/泥岩互層、チャート、石灰岩、玄武岩が主な構成岩石で、典型的な付加体型の地質群からなっています。
付加年代は、放散虫化石によりジュラ紀(前期から後期にかけて)と決定されています。
ジュラ紀(約2.0億年前〜1.45億年前)は、現在の日本列島に相当する地域(ここでは仮称として「中生代・原日本」と呼ぶことにします)に、海洋プレート沈み込みに伴う、ジュラ紀付加体が、かなり形成された時代です。
具体的には、現在の日本列島での位置で言うと、「西南日本内帯」(中国地方―近畿地方北部―中部地方の一部)に、「丹波―美濃帯(たんば みのたい)」と呼ばれる、約700kmもの長さを持ち、かつ幅の広い付加体が形成されています。また「西南日本外帯」(四国―近畿地方南部―中部地方の一部)には、「秩父帯」と呼ばれる、これも約700kmもの長さを持つ付加体が形成され、その東方延長は、東北日本側の関東山地(秩父地方)まで延びています。
「東北日本」(ここでは、「東北日本」と「西南日本」との境は、糸静線とします)でも、上記の秩父山地のほか、関東平野の北部、足尾山地や上越山地付近に、「足尾帯」と呼ばれるジュラ紀付加体があり、新潟県の北部、飯豊山地付近まで点々と分布しています。「足尾帯」は前述の「丹波―美濃帯」の東方延長と一般的には考えられており、文献によっては「丹波―美濃―足尾帯」と記載されている場合もあります。
ところで、この章で説明している「北部北上帯」は、上記のいくつかのジュラ紀付加体とは、距離も離れており、現在の日本列島の中では、分布域が孤立しています。
元々、「北部北上帯」も、「中生代・原日本」においては、上記のジュラ紀付加体のどれかの延長部として形成されたと推定されていますが、「中生代・原日本」の復元が困難なため、どのような位置付けかは、調べた限りでは定説は無いようです。
(文献1―a)では、「秩父帯の延長」、との記載がありますが、明確な根拠は示されていません。
(文献1−b)では、「中生代・原日本」(白亜紀)の、復元図(図3.1.9)がありますが、「北部北上帯」は「阿武隈帯」の海側に位置するように描かれており、「秩父帯」の直接的な延長部とも言えないような図となっています。
なお、(文献1―b)では、「北部北上帯」はその北方延長として、北海道南西部の渡島半島に分布する「渡島帯」、さらに、現在のロシア沿海州に分布する「タウハ帯」(いずれもジュラ紀付加体型の地質)へと続く、と推定しています。
このうち、「渡島帯」が、「北部北上帯」の延長であろうということは、その中間にあたる青森県の下北半島に、同じようなジュラ紀付加体の岩体があることから、ほぼ間違いないと考えられているようです(文献1−c)。
一方、ロシア沿海州の「タウハ帯」については、「北部北上帯」の延長部という考えからが定説かどうか?不明です。
中生代末の白亜紀の終わりから古第三紀初頭にかけ、現在の日本列島に相当する部分から現在のロシア沿海州にかけ、大規模な左横ずれ断層(注1)が複数活動して、地質体の再配列が行われたという仮説がありますが、(文献1―b)はその仮説を元に「中生代・原日本」を復元したものです。
注1)文献1−b)では、棚倉断層、日詰(ひずめ)―気仙沼断層、
双葉断層、畑川断層が、
現在の「東北日本」の地域で白亜紀に活動した「左横ずれ断層」として、
例示されています。
2)姫神山の地質、地形について
北上山地の北部には、登山対象として有名な山があまりありませんが、盛岡市の北東に、日本三百名山でもある「姫神山(ひめかみさん):1124m」があります。姫神山は、小ぶりながら端正な三角錐をしており、良く目立つ山であるとともに、姫神様と呼ぶにふさわしい美しい山容です。
伝説では、元々、西隣にそびえる岩手山と姫神山が夫婦であったところ、岩手山(夫)が浮気して、早池峰山(女性格)に心を奪われ、姫神山(妻)を邪険にしたうえ、逆上して噴火を繰り返した、という三角関係があったと言われています(文献2)。
さて、姫神山は、北上山地の一部ではありますが、山体は前項で述べた「ジュラ紀付加体(堆積岩)」ではなく、花崗岩体からなっています。
登山口から登って8合目付近までは樹林帯ですが、山頂部は花崗岩でできた岩がゴロゴロと転がっています。代わりに見晴らしは素晴らしいものがあり、西隣の岩手山がまじかに見えるとともに、はるか早池峰山もうっすらと見えます。
ジュラ紀付加体(堆積岩層)である「北部北上帯」の中には、姫神山と同様に、花崗岩類の岩体が分布しています(注2)。
産総研「シームレス地質図v2」によると、この花崗岩体の形成時期は、前期白亜紀(細かく言うと、「アプチアン期」〜「アルビアン期」;約125〜100Ma)であり、「北部北上帯」を構成しているジュラ紀付加体が形成された後にできた深成岩体です。
また地形学には、姫神山は、早池峰山と同様の「残丘」であり、浸食に抗して残った山です(文献2)。
さらに山頂部の花崗岩の岩塊は、7−3章(早池峰山の項)で説明した、氷河期の寒冷気候によって(=「周氷河作用」)、花崗岩体が凍結破砕作用によって砕かれた岩塊だと思われます(文献3)、注3)
注2;「北部北上帯」だけでなく「南部北上帯」にも、花崗岩類の岩体が比較的広く
分布しており、このことから、前期白亜紀には「北部北上帯」と
「南部北上帯」はすでに接合して、同じようなテクトニック環境に
あったと推定されています(文献1−d)。
注3:正確に言うと(文献3)では、姫神山そのものに関する記述はなく、
全体の文脈から見ての私見です。
伝説では、元々、西隣にそびえる岩手山と姫神山が夫婦であったところ、岩手山(夫)が浮気して、早池峰山(女性格)に心を奪われ、姫神山(妻)を邪険にしたうえ、逆上して噴火を繰り返した、という三角関係があったと言われています(文献2)。
さて、姫神山は、北上山地の一部ではありますが、山体は前項で述べた「ジュラ紀付加体(堆積岩)」ではなく、花崗岩体からなっています。
登山口から登って8合目付近までは樹林帯ですが、山頂部は花崗岩でできた岩がゴロゴロと転がっています。代わりに見晴らしは素晴らしいものがあり、西隣の岩手山がまじかに見えるとともに、はるか早池峰山もうっすらと見えます。
ジュラ紀付加体(堆積岩層)である「北部北上帯」の中には、姫神山と同様に、花崗岩類の岩体が分布しています(注2)。
産総研「シームレス地質図v2」によると、この花崗岩体の形成時期は、前期白亜紀(細かく言うと、「アプチアン期」〜「アルビアン期」;約125〜100Ma)であり、「北部北上帯」を構成しているジュラ紀付加体が形成された後にできた深成岩体です。
また地形学には、姫神山は、早池峰山と同様の「残丘」であり、浸食に抗して残った山です(文献2)。
さらに山頂部の花崗岩の岩塊は、7−3章(早池峰山の項)で説明した、氷河期の寒冷気候によって(=「周氷河作用」)、花崗岩体が凍結破砕作用によって砕かれた岩塊だと思われます(文献3)、注3)
注2;「北部北上帯」だけでなく「南部北上帯」にも、花崗岩類の岩体が比較的広く
分布しており、このことから、前期白亜紀には「北部北上帯」と
「南部北上帯」はすでに接合して、同じようなテクトニック環境に
あったと推定されています(文献1−d)。
注3:正確に言うと(文献3)では、姫神山そのものに関する記述はなく、
全体の文脈から見ての私見です。
(参考文献)
文献1)日本地質学会編
「日本地方地質誌 第2巻 東北地方」 朝倉書店 刊 (2017)
のうち、
文献1−a)4−4章「北部北上帯」の章
文献1−b)第3部「(東北地方の)地質構造発達史」の、
3−1−12節「白亜紀テクトニクスと東北日本の北上」の項
文献1―c)第3部「(東北地方の)地質構造発達史」の、
3−1−10節「アジア大陸東縁の中生代沈み込み帯」の項
文献1−d)第3部「(東北地方の)地質構造発達史」の、
3−1−11節「アジア大陸東縁の白亜紀火成活動」の項
文献2)「日本三百名山 登山ガイド 上巻」 山と渓谷社 刊 (2000)
のうち、「姫神山」の項
文献3)小池、田村、鎮西、宮城 編
「日本の地形 第3巻 東北」 東京大学出版会 刊 (2005)
のうち、2−1章「北上山地の地形」、
(4)節 「化石周氷河現象から見た、氷期の北上川上流域と北上山地」
の項
「日本地方地質誌 第2巻 東北地方」 朝倉書店 刊 (2017)
のうち、
文献1−a)4−4章「北部北上帯」の章
文献1−b)第3部「(東北地方の)地質構造発達史」の、
3−1−12節「白亜紀テクトニクスと東北日本の北上」の項
文献1―c)第3部「(東北地方の)地質構造発達史」の、
3−1−10節「アジア大陸東縁の中生代沈み込み帯」の項
文献1−d)第3部「(東北地方の)地質構造発達史」の、
3−1−11節「アジア大陸東縁の白亜紀火成活動」の項
文献2)「日本三百名山 登山ガイド 上巻」 山と渓谷社 刊 (2000)
のうち、「姫神山」の項
文献3)小池、田村、鎮西、宮城 編
「日本の地形 第3巻 東北」 東京大学出版会 刊 (2005)
のうち、2−1章「北上山地の地形」、
(4)節 「化石周氷河現象から見た、氷期の北上川上流域と北上山地」
の項
このリンク先の、7−1章の文末には、第7部「東北地方の山々の地質」の各章へのリンクを付けています。
第7部の他の章をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
第7部の他の章をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
【書記事項】
・初版リリース;2021年5月9日
△改訂1;文章再確認、7−1章へのリンクを追加、書記事項追記(2021年12月29日)
△改訂2;文章を再確認し、一部、加筆修正を行った(2024年1月30日)
△最新改訂年月日;2024年1月30日
△改訂1;文章再確認、7−1章へのリンクを追加、書記事項追記(2021年12月29日)
△改訂2;文章を再確認し、一部、加筆修正を行った(2024年1月30日)
△最新改訂年月日;2024年1月30日
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