能登島
- GPS
- --:--
- 距離
- 29.7km
- 登り
- 286m
- 下り
- 278m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2010年05月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
20109年5月4日,
4時半頃起床し、簡単な朝食を済ませてテントを撤収。すでに日が昇っている中,5:30出発。前夜幕営した水産総合センターの建物は行き止まりなので曲町の方に少し戻り、坂道を登って1本上の町道に出る。
海に面した丘の畑のキヌサヤエンドウが沢山の花をつけ、傍らのイチゴも白い花を咲かせていかにも初夏らしい日当たりのいい高台に風変わりな家があり、玄関に通じる階段状の前庭には石の門柱のようなものがあって、その上に膝を抱えた子どもの座像があり、前庭の左には緑,白,赤〜トリコロールの旗が掲げられてあった(イタリアの国旗?)。
三色旗の家から10分足らずで能登島臨海公園の入口仁差しかかり、会場見取り図を見ながら通過する。右手下海岸沿いには展示館と思われる建物や海水タンクのような施設,広い芝のレクレーション広場等があり、海岸線はそのずっと先まで続いていて淡い新緑の中にヤマザクラと思われるピンクの花が見える。
臨海公園のある入り江を挟んだその対岸を辿って牧ヶ鼻と言う岬を廻るのだろうか?,といぶかりながら進むと、やがて道は大きくUターンするように左に曲がり、岬とは正反対に進んで県道に突き当たる(6:14)。県道を左折すれば曲を経てガラス美術館のある向田に戻る分岐点を右折して5分休憩。
分岐点から5〜6分で工事中の道路に出る。正面に小高い尾根があって道は尾根に沿って右折しているように見え、おそらくその尾根の先端に当たるであろう岬に向かってどんどん進んで行くのではないかと思われた。それを裏づけるかのように右下に細い水路を伴った水田のある谷間(迫)があり、その先の湾状の海に沿った林の足元に小屋の屋根が見えた。
工事中の道路の法面を伝って水田のある谷間に降り、水路に沿って海に出るとそこは先の方で入り口がくっつきそうな深い入り江(箱名入り江)の最深部だった。入り江の入り口の一方が臨海公園の先の牧鼻と言う岬を廻りこんだ位置に当たり、一方の入り口がこれから進む植木鼻と言う岬である。県道は予想通りその植木鼻のほぼ先端を廻りこんで能登島南町に至るのである。
入り江の最深部はちょっとした広場で駐車場や仮設トイレ,ゴミ置き場,水場などがあり、釣り人か漁業者が利用していることが窺われた。そこから先に道はなく、ジメジメした葭原の中の釣り人の踏み跡を辿って突破し、先刻から見えていた小屋まで進む。小屋は入り江の筏で釣りをする人を運ぶための渡しの筏と小屋で、そこからは20mほど上を通る県道に通じる小路があった。
7:05頃県道に戻り、植木鼻と言う岬を廻って南町に入る。同32南町バス停に着き30分ほど休む。
港の後方(右手)に見える岬は箱名入り江の西側入り口仁当たる植木鼻。一方の行く手(左)には鳥ヶ鼻と言う小さな出っ張りを越えた所にやや大きめの湾があって、その対岸に見える家並みが無関町と思われた。
8:02発。同35無関町に入り、同39,無関町の港に着く。海岸線の道を聞くと行き止まりで戻って来なくてはならないと言われたが、いつものように行き止まりの地点までは行ってみることにして港から続く護岸堤の上を歩く。20分ほどで立ヶ鼻と言う岬の突端に達すると堤防はそこで終わり、岬越しに島の北端に当たる百万石から更に本土の穴水町方面と思われる陸地を望むことが出来た。
山際と堤防の間には水田が広がっていて、そこでも甲斐甲斐しくまた睦まじく田植えに勤しむやや年配の夫婦,若夫婦,子ども達三代の家族と思われる人達の姿があった。
田圃の道を引き返して無関のバス停に戻り、待合室で休憩(9:17〜30)の後、道を教わって細い川沿いに坂を登り、県道に出て隣の閨町へ向かう。
9:44,閨町に入り、三ヶ浦漁港に向かう。ここでも釜崎と言う小さな岬で行き止まりとなって引き返し、港を覗くと水揚げされたばかりの牡蠣やアカニシがコンテナに入っているのが見られた。小さな漁村らしく大漁とは言い難い収穫で生計を支えるに足りるとは思えないが、これはこれで他者には測り得ない海の幸なのだろう・・。
港の傍で壁に五輪の塔の図説を描いた建物を見る。なぜ突然五輪の塔が出てくるのか分からなかったが、それはこの地区にある観音堂の石仏群に因むものであることが後に分かる。
三ヶ浦漁港の先は釜崎と言う行き止まりの出っ張りなので県道に戻って鴫島入江と言う湾に出ると海沿いに水田が現れ、水田の向こうの湾を隔てて右(東)に長く突き出た岬と、その基部辺りの木立ちの中に白いマンションのような建物が見えた。
県道の左側には水田が広がり、あっちに1人,こっちに1人と田植えに精を出す人の姿が見えるが、ごく稀に機械の上に座って植えつけている男性を見る他は、どの田圃も女性が1人で手植をしている。
『お疲れさまデス』と声をかけると腰を伸ばして『どこまで歩くのぉ〜』とにこやかに答える。『行けると所までです。まぁ今日中には橋を渡れそうですが・・』と答えると『私らもネ,よく歩くのよぉ。日曜日とか夜にネェ〜』と仰る。『健康ウォークですかぁ〜! 腰を伸ばさないとネェ〜』『そうそう!』と言った具合。
水田の右手海寄りに神社林のようなこんもりとした丘があり、入り口の玉垣と石段に向けてまっすぐに道がついているのを見て迷わず進むと小さな観音堂と無数の五輪の塔,崩れたや石仏の破片が散在している広場に行き着く
そこは『閨観音堂』という古堂で、完全な形の五輪の塔が30基,不完全なものが十数基ある他、多くの板碑や珠洲焼の骨壺の破片等が散在するところから、室町時代の墳墓の跡と考えられていると言う。先刻,三ヶ浦漁港で見た五輪の塔の絵図はこの観音堂に因んだものと思われる。
観音堂を越えて振り返ると周りはすべて水田で、そこだけが特別に大事にされてきた感じがよく分かった。
観音堂を後にして10分あまりで県道に合し、直進すると右手に『おやき,カレー』と書いた店があって、入り口でおばさんが豪華な具入りの巻き寿司を売っていたのをこれ幸いと昼食用にと買い求める。島には食料品等を売る店がどこにでもある訳ではないのでこれには大いに助けられた。
11:42,百万石町に入り直進3分で農道橋への道を分ける。左折すれば農道橋を渡って本土に戻れるが、百万石町から久木,田尻,通の各町を廻ってから本土に戻るべく直進。折しも正午のサイレンを聞き、脇道の木陰に腰を下ろして先刻買い求めた弁当〜結構豪華な太巻きだった〜を食べる。
ここからは先は2013年2月18・19日
さてここからどう進むべきか・・。島を左廻りに最大漏らさず廻るにはすべての交差点を右折しなくてはならない。それでもし行き詰れば戻ればいいと言う覚悟でそこまで来た。従って休憩点のすぐ先の三叉路を右折して百万石と言う名の町を抜け、扇鼻と言う小岬から能登島久木町〜田尻町へと向かうのが本来である。
だがこの時は、扇鼻から久木に至る道が不明瞭で、戻されるリスクが高いと言う気がして右折せずそのまま直進りして久木町に向かう。
久木町に着いてから海岸に沿って右に進めば、ぐるっと廻って先刻見送った百万石町の扇鼻に通じる三叉路に、あるいはそれより手前で今歩いている町道に戻ることができるのではないかと言う願望に掛けたのだ。
両側に広い水田や大きなビニールハウスが広がる町道を歩くこと10分あまりで田尻町と久木町の分岐点になるバス停に着く(12:26)。
『田尻・久木』と言うバス停が示すように、田尻町と久木町は隣り合わせの町で、双方の港にもなっている湾を挟んで右(東)側が久木町,左(西)側がである。
吉ケ浦鼻,竹鼻と言う名の小岬をカットする切通しを抜けて海岸線に出る途
とあまり遠くない前方に、無関町や南町,閨町辺りと思われる岬矢丘陵が見えた。
だが、期待に反して道は行き止まりとなる。いや,行き止まりではなく木が茂っていたり倒木がお折り重なったりして進めなくなったのであって強引に進めばそれは確実に先の町道に出られると思われた。ここは苦労して突破するより来た道を帰る方を選ぶ。引き返すことに徒労感はない。
13:44,田尻・久木のバス停に戻って港の西側の道を北向きに進むと湾に沿って突き出した小岬(ボロボロ鼻)があり、数戸の家があるその基部を通り越すと護岸堤にぶつかってその先は断崖(トガ崎)となる。
戻りかけると左右の丘に挟まれた草原の中に踏み跡が見え、向こう(南側)が開けていたので迷わずそれを辿るとすぐに田圃の畦道となり、その先に小さな入り江があってそこで町道に出る。そのまま南下すると通と言う名の町名表示があり、13:59に港の傍のバス停に着くと、そこで初めてツインブリッジ(中能登農道橋)の全容〜2つの主塔を持つ斜張橋を見ることができた。
午後の陽射しが暑いのでバス停に荷を下ろしてひと息入れた後、田圃の中の小道を辿って橋のたもと〜東詰め〜に出る。百万石,久木,田尻,通の4町を2時間弱で廻ることが出来た訳だ。
ここでこのまま橋を渡って本土に戻るか、それとも能登大橋まで戻り、島を完全に一周して改めて和倉温泉から歩くか迷った。能登大橋までの距離はおよそ7km。夕方までに到達できない距離ではなかった。
結局ハッキリとした決断を下せないまま橋を渡り始め、橋の中央付近で南方に能登島大橋を臨む時になって後々まで引きずるような気がしたが、後戻りする踏ん切りもつかず、620mの橋を7分で渡って14:35,農道橋西詰めに着く。
橋を渡って直進10余分,暑さを避けて木陰で50分ほど休み次の道を考える。考えると言っても手元に資料はなく、周辺にこれと言った町内地図もなく、分かったのは600m先に七浦うるおい公園と言う公園があることだけ。
その公園まで進んで公園のある方に右折するか直進するかで迷い、海岸線を歩くのなら海に近づくべく右折すればいいものを何故か直進し、結果的にどんどん海から遠ざかって内陸に入ってしまった。
40分歩いて右手下に能登鉄道が現れる。16:18,その跨線橋を渡り、更に10分あまりでR249との交差点にある道の駅に至る(16:31)。コンデジの乾電池を買いたくて寄って見たが道の駅はコンビニではないと言うことを知らされる。
ここを右折すれば海岸線に向かうことが出来ると分かって勇躍R249を北東に進み、17:11,『小牧艇留場』と言う看板が目立つ小牧港に出る。
うるおい公園で右折していれば1時間は早く着けたと思うがそんなことはどうでもよく、しかし久々に港らしい港に会えたのが懐かしい気がして階段堤防に腰を下ろしホッと休む。
そこからは能登島鉄道の線路に並行する道となることを前方からやってきた電車の音で知り、走る姿に何となく嬉しくなって立ち上がるも、気持ちは乾電池を買い求めたい一心で、その辺りでは『都会』と言える小牧の街並みを探したが、コンビニはおろか雑貨屋さえなく、ひたすら歩き続けることとなる。
17:35『明治の館』と言う豪邸を見、更に15分歩いて公民館の庭で15分の休憩。海べりにテン場を探しながら歩いて18:34『星空のまs地』穴水町入り。神社のある小さな丘が目隠しになった出っ張りの護岸堤を見つけてテントを張る。
結局乾電池を買うことも、夕食の食材を買うことも出来なかった。
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