また山に行きたくなる。山の記録を楽しく共有できる。

Yamareco

記録ID: 1029959 全員に公開 ハイキング 東海

美濃路第1日目(熱田〜東枇杷島)

情報量の目安: A
-拍手
日程 2016年12月19日(月) [日帰り]
メンバー
天候晴れ時々曇り
アクセス
利用交通機関
電車
JR熱田駅〜名鉄東枇杷島駅
青春18切符利用
経路を調べる(Google Transit)

地図/標高グラフ


標高グラフを読み込み中です...
Web Services by Yahoo! JAPAN
表示切替:

コースタイム [注]

日帰り
山行
3時間35分
休憩
0分
合計
3時間35分
SJR金山駅13:0516:40名鉄東枇杷島駅G
コースタイムの見方:
歩行時間
到着時刻通過点の地名出発時刻
JR金山駅出発  13:05
名鉄東枇杷島駅到着  16:40
歩行時間 3時間35分
歩行距離 17.8km
高低差 309m
歩数 19,472歩
過去天気図(気象庁) 2016年12月の天気図 [pdf]

写真

JR熱田駅を出発。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
JR熱田駅を出発。
2
東海道と美濃路の追分に建つ寛政2年(1790)の道標。ここから北に向かって「美濃路」をスタートします。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
東海道と美濃路の追分に建つ寛政2年(1790)の道標。ここから北に向かって「美濃路」をスタートします。
1
東面に「北さやつしま道  同みのち」西面に「東江戸かいとう 北なこやきそ道」北面に「南京いせ七里の渡し 是より北あつた御本社貮丁道」
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
東面に「北さやつしま道  同みのち」西面に「東江戸かいとう 北なこやきそ道」北面に「南京いせ七里の渡し 是より北あつた御本社貮丁道」
1
旅立ちを前に熱田神宮に行きます。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
旅立ちを前に熱田神宮に行きます。
1
熱田神宮。3種の神器の一つ草薙剣を祀る神社で、日本武尊伝説や織田信長が桶狭間の戦いの直前に勝利祈願したことで知られています。旅立ちの前に道中安全を祈願します。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
熱田神宮。3種の神器の一つ草薙剣を祀る神社で、日本武尊伝説や織田信長が桶狭間の戦いの直前に勝利祈願したことで知られています。旅立ちの前に道中安全を祈願します。
3
白鳥御陵への道標。白鳥御陵は日本武尊のお墓と言われていて、日本武尊が熊祖征伐の後、伊吹山の側で病に倒れ、魂が白い鳥となって熱田神宮の側に舞い降り、その場所が白鳥御陵になったと言われています。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
白鳥御陵への道標。白鳥御陵は日本武尊のお墓と言われていて、日本武尊が熊祖征伐の後、伊吹山の側で病に倒れ、魂が白い鳥となって熱田神宮の側に舞い降り、その場所が白鳥御陵になったと言われています。
1
誓願寺の頼朝公誕生地碑。久安3年(1147)この地にあった熱田大宮司の館で源頼朝が誕生したと言われています。奥に産湯の井戸もあるそうです。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
誓願寺の頼朝公誕生地碑。久安3年(1147)この地にあった熱田大宮司の館で源頼朝が誕生したと言われています。奥に産湯の井戸もあるそうです。
1
頼朝が名古屋の生まれとは知りませんでした。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
頼朝が名古屋の生まれとは知りませんでした。
1
断夫山古墳。東海地方最大の古墳で、日本武尊の妃宮簀媛の墓との伝承があります。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
断夫山古墳。東海地方最大の古墳で、日本武尊の妃宮簀媛の墓との伝承があります。
1
青大悲寺と鉄地蔵
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
青大悲寺と鉄地蔵
1
熱田神宮第一神門跡の碑。ほとんど字が読めません。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
熱田神宮第一神門跡の碑。ほとんど字が読めません。
佐屋道道標。文政4年(1821)の建立。東「右なこや木曽海道」南「左さや海道つしま道」西「右宮海道 左なこや道」。美濃路と佐屋路の分岐点に建っています。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
佐屋道道標。文政4年(1821)の建立。東「右なこや木曽海道」南「左さや海道つしま道」西「右宮海道 左なこや道」。美濃路と佐屋路の分岐点に建っています。
東別院。元禄3年(1690)、尾張藩主徳川光友より古渡城の跡地一万坪の寄進を受け、東本願寺一如上人によって開創されました。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
東別院。元禄3年(1690)、尾張藩主徳川光友より古渡城の跡地一万坪の寄進を受け、東本願寺一如上人によって開創されました。
古渡城趾。古渡城は織田信秀が天文3年(1534)築城した東西140m、南北100mの平城でした。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
古渡城趾。古渡城は織田信秀が天文3年(1534)築城した東西140m、南北100mの平城でした。
1
両側ほとんど仏具屋です。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
両側ほとんど仏具屋です。
東別院に対し、西別院もあります。慶長14年(1609)の「清洲越し」でここに移されました。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
東別院に対し、西別院もあります。慶長14年(1609)の「清洲越し」でここに移されました。
大須通りに入ります。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
大須通りに入ります。
1
大須観音。正式には「北野山真福寺宝生院」といい、真言宗のお寺です。元々は元弘3年(1333)に尾張郡長岡庄大須郷(現在の岐阜県羽島市大須)に僧能信によって創建されたお寺でした。慶長17年(1612)徳川家康の命により、この地に移されました。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
大須観音。正式には「北野山真福寺宝生院」といい、真言宗のお寺です。元々は元弘3年(1333)に尾張郡長岡庄大須郷(現在の岐阜県羽島市大須)に僧能信によって創建されたお寺でした。慶長17年(1612)徳川家康の命により、この地に移されました。
2
札の辻跡。この辺りが昔の名古屋宿の中心地でした。交差点の東南角には高札場がありました。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
札の辻跡。この辺りが昔の名古屋宿の中心地でした。交差点の東南角には高札場がありました。
1
伝馬橋で堀川を渡ります。堀川は慶長15年(1610)名古屋城築城の物資を運ぶため、福島正則によって開削された運河です。その堀川の水運を利用して米穀・塩・味噌調味料・などが城下に供給されるようになると、堀川沿いに商家が連なり繁栄しました。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
伝馬橋で堀川を渡ります。堀川は慶長15年(1610)名古屋城築城の物資を運ぶため、福島正則によって開削された運河です。その堀川の水運を利用して米穀・塩・味噌調味料・などが城下に供給されるようになると、堀川沿いに商家が連なり繁栄しました。
1
堀川沿いの美濃路の一本西側に「四間道(しけみち)」と名付けられた古い町並みがあります。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
堀川沿いの美濃路の一本西側に「四間道(しけみち)」と名付けられた古い町並みがあります。
1
このあたりは、江戸時代の初めの慶長15年(1610)名古屋城築城のときに「清州越し」にともなって造られた商人町で、堀川の水運を利用して米穀・塩・味噌などを城下に供給する商家が軒を連ねていました。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
このあたりは、江戸時代の初めの慶長15年(1610)名古屋城築城のときに「清州越し」にともなって造られた商人町で、堀川の水運を利用して米穀・塩・味噌などを城下に供給する商家が軒を連ねていました。
堀川の五条橋。この橋は石の欄干に青銅の擬宝珠。清洲越しで移された橋で、当時の橋の擬宝珠は今名古屋城内にあるようです。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
堀川の五条橋。この橋は石の欄干に青銅の擬宝珠。清洲越しで移された橋で、当時の橋の擬宝珠は今名古屋城内にあるようです。
1
屋根神様。「屋根神様」は、尾張地方だけに見られるもので、「津島神社」「秋葉神社」「熱田神宮」の三神を祀ったものだそうです。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
屋根神様。「屋根神様」は、尾張地方だけに見られるもので、「津島神社」「秋葉神社」「熱田神宮」の三神を祀ったものだそうです。
名古屋城正門です。戦災により焼失、再建されたものです。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
名古屋城正門です。戦災により焼失、再建されたものです。
表二之門(重文)で、本丸追手桝型の外門です。ここから本丸に入ります。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
表二之門(重文)で、本丸追手桝型の外門です。ここから本丸に入ります。
1
天守閣。屋根には金のシャチホコが燦然と輝いています。もちろん戦災で焼失し、再建されたものです。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
天守閣。屋根には金のシャチホコが燦然と輝いています。もちろん戦災で焼失し、再建されたものです。
2
家康は、関ヶ原の戦い後、豊臣方との緊張が高まる中、清洲城にかわる尾張の中心地として名古屋(那古野)の地を選び、慶長14年(1609)に名古屋城の築城を命じます。天守閣は延べ面積が江戸城や大坂城をも上回る史上最大の天守閣でした。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
家康は、関ヶ原の戦い後、豊臣方との緊張が高まる中、清洲城にかわる尾張の中心地として名古屋(那古野)の地を選び、慶長14年(1609)に名古屋城の築城を命じます。天守閣は延べ面積が江戸城や大坂城をも上回る史上最大の天守閣でした。
3
復元された本丸御殿
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
復元された本丸御殿
1
江川一里塚跡。宮宿(熱田宿)から2番目の一里塚。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
江川一里塚跡。宮宿(熱田宿)から2番目の一里塚。
樽屋町の大木戸跡。名古屋城下の3か所「大木戸」が設けられました。南口は美濃路橘町(中区:東別院のあたり)、東口は飯田街道の入口赤塚(東区)に設けられ、西口がここでした。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
樽屋町の大木戸跡。名古屋城下の3か所「大木戸」が設けられました。南口は美濃路橘町(中区:東別院のあたり)、東口は飯田街道の入口赤塚(東区)に設けられ、西口がここでした。
ようこそ飛び出し君。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
ようこそ飛び出し君。
白山神社。境内に大きな榎があったことから、「榎権現」とも呼ばれていました。この神社の前は「立て場」でした。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
白山神社。境内に大きな榎があったことから、「榎権現」とも呼ばれていました。この神社の前は「立て場」でした。
東枇杷島駅。本日はここまでとします。明日続きを歩きます、
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
東枇杷島駅。本日はここまでとします。明日続きを歩きます、
2
夕食は山本屋本店の味噌煮込みうどん。
拍手 /こっそり拍手|詳細ページ|元サイズ|▶ 類似写真を探す
夕食は山本屋本店の味噌煮込みうどん。
2

感想/記録
by onody

美濃路第1日目。熱田から東枇杷島まで歩きました。昔5年程名古屋に住んでいたので懐かしかったです。四間通は初めて歩きましたが、名古屋にも古き良き場所があるのだと見直しました。
お気に入り登録-
拍手した人-
訪問者数:357人

コメントを書く

ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。
ヤマレコにユーザ登録する

この記録へのコメント

まだコメントはありません

この記録に関連する登山ルート

この場所を通る登山ルートはまだ登録されていません。

この記録で登った山/行った場所

関連する山の用語

紅葉 地蔵 道標
登山 登山用品 山ごはん ウェア トレイルラン
トレッキング クライミング 富士山 高尾山 日本百名山
この記録は登山者向けのシステムヤマレコの記録です。
どなたでも、記録を簡単に残して整理できます。ぜひご利用ください!
詳しくはこちら
ページの先頭へ