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ヤマレコ

記録ID: 1060812 全員に公開 ハイキング中国

岡山市東区 上道北方〜藤井&宮山 旧山陽道史跡&早春の里山

日程 2017年02月06日(月) [日帰り]
メンバー
 Machapuchare(記録)
, その他メンバー1人
天候晴れ
アクセス
利用交通機関
電車車・バイク
 メジャーな山ではないので、山の麓に駐車場らしき場所(スペース)がなさそうです。そこで出発点をJR上道(じょうとう)駅の駐車場にしました。駐車場は駅のホーム隣接した新幹線高架下にあります。駐車代は24時間300円です。もちろん電車で来るのも便利です。
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地図/標高グラフ


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コースタイム [注]

日帰り
山行
4時間24分
休憩
43分
合計
5時間7分
Sスタート地点(上道駅)08:1208:35大師堂(道光池)08:3608:53安国寺跡08:5409:20藤井新池09:25一里塚跡09:44宮山頂上09:5610:11総社八幡宮10:1510:22素盞嗚(すさのお)神社10:2410:39藤井古墳&藤井城跡10:4011:12一里塚跡(2回目)11:16藤井新池(2回目)11:1911:33三角点名:草井11:57八幡神社12:0012:14熱田八幡宮12:1812:38坂口古墳12:46祇園社&塚段1号墳12:4712:51医光院13:0113:04牛神社13:0513:19ゴール地点(上道駅)G
コースタイムの見方:
歩行時間
到着時刻通過点の地名出発時刻
山陽道(街道)の史跡を訪ねる旅
歩行距離13km、歩行時間4時間30分、歩行数20,050歩
コース状況/
危険箇所等
 道の大半は、アスファルトやコンクリート道、落ち葉が積もった道で歩きやすいです。ただし、不意に道がなくなりヤブやブドウ畑に突っ込む羽目になることもあります。幸い、ブドウ畑はどこも数mで抜けられました。

 道光池<写真06>から新池<写真07>に向かう落ち葉道は、途中で怪しくなり、少し南に下りるとブドウ棚の跡らしきワイヤーがあったので、その下を辿るとまたすぐに落ち葉道に出ました。

 一里塚跡<写真14>から南下すると、東方面に向かうジグザグ道との分岐の所に道標があり、ジグザグ道には×印が書いてありました。ジグザグ道は小さなブドウ畑の前で終わりましたが、宮山頂上<写真15>が近かったので、数m程ブドウ棚の下をくぐって脱出しました。畑沿いの肩ほどの高さのササヤブを抜けた先(標高90m地点)にはきれいな土の道が左右に延びており、右折してすぐに展望小屋<写真15>が見えました。

 藤井古墳&藤井城跡<写真27>へは、展望小屋<写真15>にあった周辺地図(保護フィルムが反射して写りが悪かったので写真はボツ)に北東からと南東からの2つの道が記載され、どちらにも×印が書いてありました。先ほどの宮山頂上<写真15>に向かうジグザグ道にも×印がありましたが、たいしたことはなかったので、藤井大師堂<写真26>経由で南東からアプローチしました。コンクリート道から踏み跡らしきものを辿り、竹林から薄いササヤブを抜けると、無事に古墳&城跡<写真27>に到着しました。北東に見えるブドウ棚らしきものに向かいトゲトゲと格闘すること約10分、標高50mの辺りで痛いヤブを抜け、黒いマルチングシートを踏まないように歩いてすぐに農作業用の土道?に出ました。ブドウ棚の下を歩くのは数mですんでほっとしました。

 三角点<写真29>からは最初、南東に下りるつもりでした。保安林を北上するとまたヤブになりましたが、すぐ近くに見える鉄塔に向い北東にヤブコギしました。標高140m地点で鉄塔に到着しましたが、北西と北東にしか道がありませんでした。とりあえず北東の道に入り、2つ目の鉄塔からも南東方向に道がないのを確認し、そのまま鉄塔巡視路を下りました。
その他周辺情報 JR上道(じょうとう)駅東に生鮮館(スーパー)があります。魚介類は家族全員がここのが一番お気に入りです。トレーの中で切られたタコの足が動いていることもあります(*_*;。また、店内のパニーニというパン屋さんの商品はどれもクオリティが高いので、パンが無性に食べたくなった時は大量に買っていきます。
過去天気図(気象庁) 2017年02月の天気図 [pdf]

装備

個人装備 長袖シャツ ズボン 靴下(厚手) 防寒具 手袋(防水加工) 軍手 雨具 スパッツ 日よけ帽子とフード 雨用帽子 登山靴(防水加工) 靴ひも予備 サブザック ザックカバー 地形図 コンパス ファスナー付クリアーファイル 筆記用具 携帯 時計(防水) タオル カメラ 飲料水(スポドリ&茶) 水筒(保温) 非常食(栄養補助食品) スマホ(山使用可能) eTrex30(GPSナビゲーター)

写真

01JR上道駅駐車場
このエリアは細い道が多く、自動車が駐車できる場所がほとんどありません。そこで、JR上道(じょうとう)駅の北側の有料駐車場を利用しました。24時間までなら300円で済みます。
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01JR上道駅駐車場
このエリアは細い道が多く、自動車が駐車できる場所がほとんどありません。そこで、JR上道(じょうとう)駅の北側の有料駐車場を利用しました。24時間までなら300円で済みます。
02東ん堂大師堂
「邑久郡大師霊場北巡り88ヵ所」の65番です。この地区では4月と8月の21日には「お接待」といい、訪れた人々にお菓子などがふるまわれます。四国霊場65番三角寺と彫られた石柱の斜め背後の小さなお地蔵様がかわいかったです。
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02東ん堂大師堂
「邑久郡大師霊場北巡り88ヵ所」の65番です。この地区では4月と8月の21日には「お接待」といい、訪れた人々にお菓子などがふるまわれます。四国霊場65番三角寺と彫られた石柱の斜め背後の小さなお地蔵様がかわいかったです。
03金毘羅燈籠
金毘羅参りの街道沿いに設置され、常夜灯として、また、遙拝所として利用されました。正面には金毘羅大権現と彫られています。嘉永年間(1848〜1854年)に造られたものでしょうか。
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03金毘羅燈籠
金毘羅参りの街道沿いに設置され、常夜灯として、また、遙拝所として利用されました。正面には金毘羅大権現と彫られています。嘉永年間(1848〜1854年)に造られたものでしょうか。
04帝國生命保瞼株式會社
        特別代理店
旧山陽道沿いには古い家屋がいくつか残っています。その中でも珍しい保険会社の代理店を示す看板が目に留まりました。帝國生命は現在の朝日生命の前身です。1888年創立の日本で2番目に古い保険会社です。右折し、コンクリート道からササが刈られた道を北上します。
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04帝國生命保瞼株式會社
        特別代理店
旧山陽道沿いには古い家屋がいくつか残っています。その中でも珍しい保険会社の代理店を示す看板が目に留まりました。帝國生命は現在の朝日生命の前身です。1888年創立の日本で2番目に古い保険会社です。右折し、コンクリート道からササが刈られた道を北上します。
05大師堂
岡山は弘法大師信仰が篤く、至る所で弘法大師が祀られています。道光池<写真06>の南にある大師堂の中です。
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05大師堂
岡山は弘法大師信仰が篤く、至る所で弘法大師が祀られています。道光池<写真06>の南にある大師堂の中です。
06道光池
この辺りはため池が非常に多い地域です。大師堂<写真05>の北にありました。ササが刈られた道から落ち葉道に変わり少し道が怪しくなりましたが、南西に下るとすぐまたきれいな落ち葉道に合流しました。
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06道光池
この辺りはため池が非常に多い地域です。大師堂<写真05>の北にありました。ササが刈られた道から落ち葉道に変わり少し道が怪しくなりましたが、南西に下るとすぐまたきれいな落ち葉道に合流しました。
07新池
道光池<写真06>から10分ほど西に進んだ所にあるため池です。ここからアスファルト道を南へ進みました。少し北に向かうと鉄(くろがね)大師堂があったようです。
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07新池
道光池<写真06>から10分ほど西に進んだ所にあるため池です。ここからアスファルト道を南へ進みました。少し北に向かうと鉄(くろがね)大師堂があったようです。
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08新池南の白梅
新池<写真07>から南下して程なく白梅が咲いているのに気が付きました。この1本だけですが、7分咲きくらいで心が少し温かくなりました。毎週、梅の花が見られる所が増えてきます。
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08新池南の白梅
新池<写真07>から南下して程なく白梅が咲いているのに気が付きました。この1本だけですが、7分咲きくらいで心が少し温かくなりました。毎週、梅の花が見られる所が増えてきます。
09安國寺跡
山陽道の鉄(くろがね)の北奥にあり、1350年頃足利尊氏の命を受けて、国の平安を祈願して創建された全国66ヶ所の安国寺のひとつです。開山には霊叟禅師を迎え、守護職赤松氏にも手厚く保護されていましたが、応仁の乱以降の相次ぐ戦火により明応年間(1492〜1500年)頃焼失しました。
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09安國寺跡
山陽道の鉄(くろがね)の北奥にあり、1350年頃足利尊氏の命を受けて、国の平安を祈願して創建された全国66ヶ所の安国寺のひとつです。開山には霊叟禅師を迎え、守護職赤松氏にも手厚く保護されていましたが、応仁の乱以降の相次ぐ戦火により明応年間(1492〜1500年)頃焼失しました。
10安国寺跡近くのキンカン
ミカン科の常緑低木で、江戸時代には中国から渡来していたと考えられています。直径2〜3cmの実が鈴なりでした。
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10安国寺跡近くのキンカン
ミカン科の常緑低木で、江戸時代には中国から渡来していたと考えられています。直径2〜3cmの実が鈴なりでした。
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11天保10年建立の常夜燈
天保10年(1839年)と表記されていました。その頃は鎖国政策を批判した渡辺崋山や高野長英らの蘭学者に江戸幕府が加えた言論弾圧事件(蛮社の獄)が有名です。
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11天保10年建立の常夜燈
天保10年(1839年)と表記されていました。その頃は鎖国政策を批判した渡辺崋山や高野長英らの蘭学者に江戸幕府が加えた言論弾圧事件(蛮社の獄)が有名です。
12安国寺経塔
江戸時代の初め、眼室宗安禅師が安国寺の再建を祈願して、1万部の経典読経を成就しました。干時10年(1624年)に寺の再建を記念してこの経塔が建立されましたが、残念ながら、寺のほうは近年、再び崩壊してしまい、跡地<写真09>だけが残っています。再び北上し、アスファルト道から落ち葉道を進むと、標高85mあたりで道標があり、南西に向かうと宮山頂上<写真15>のようでしたが、そのまま砂利道に入って北上を続け、標高116mの小ピークを通過しました。
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12安国寺経塔
江戸時代の初め、眼室宗安禅師が安国寺の再建を祈願して、1万部の経典読経を成就しました。干時10年(1624年)に寺の再建を記念してこの経塔が建立されましたが、残念ながら、寺のほうは近年、再び崩壊してしまい、跡地<写真09>だけが残っています。再び北上し、アスファルト道から落ち葉道を進むと、標高85mあたりで道標があり、南西に向かうと宮山頂上<写真15>のようでしたが、そのまま砂利道に入って北上を続け、標高116mの小ピークを通過しました。
13藤井新池
「新池」の道標に従い西に向かうとすぐのところでした。周辺には新池がたくさんあるのですが、藤井里山の会により設置された道標の「新池」はこの藤井新池のことのようです。
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13藤井新池
「新池」の道標に従い西に向かうとすぐのところでした。周辺には新池がたくさんあるのですが、藤井里山の会により設置された道標の「新池」はこの藤井新池のことのようです。
14一里塚跡
藤井新池<写真13>から落ち葉道を5分程南下したところに山陽道新往来の一里塚の跡がありました。素盞嗚(すさのお)神社<写真25>の東脇を起点とし、いったん北上する道です。幕末の不安定な情勢を考慮し、不特定多数の人々が岡山城周辺を行き来するのを避けて安全を保ったのでしょう。さらに南下し、東に向かうジグザグ道に入りましたが、最後はササコギでした。
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14一里塚跡
藤井新池<写真13>から落ち葉道を5分程南下したところに山陽道新往来の一里塚の跡がありました。素盞嗚(すさのお)神社<写真25>の東脇を起点とし、いったん北上する道です。幕末の不安定な情勢を考慮し、不特定多数の人々が岡山城周辺を行き来するのを避けて安全を保ったのでしょう。さらに南下し、東に向かうジグザグ道に入りましたが、最後はササコギでした。
15宮山頂上展望小屋
頂上へは南東からと総社八幡宮<写真22>からの2つのルートが一般的のようです。標高100m超の頂上にはよく整備された藤井里山展望小屋があり、休憩しながら展望を楽しめます。周辺の詳しい地図が掲示されていたので、持参した地形図に書き加えて参考にしました。
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15宮山頂上展望小屋
頂上へは南東からと総社八幡宮<写真22>からの2つのルートが一般的のようです。標高100m超の頂上にはよく整備された藤井里山展望小屋があり、休憩しながら展望を楽しめます。周辺の詳しい地図が掲示されていたので、持参した地形図に書き加えて参考にしました。
16宮山頂上より南西展望
南西方面を望むと、手前に山王山、向こうには操山(みさおやま)の笠井山などが見えます。動画も撮りました。
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16宮山頂上より南西展望
南西方面を望むと、手前に山王山、向こうには操山(みさおやま)の笠井山などが見えます。動画も撮りました。
17宮山頂上より南展望
南方面を望むと、手前に雨乞山、その奥に台形状の芥子山(けしごやま)が見えます。
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17宮山頂上より南展望
南方面を望むと、手前に雨乞山、その奥に台形状の芥子山(けしごやま)が見えます。
18宮山頂上のサザンカ
展望小屋近くに、冬の終わりを告げるサザンカがまだ頑張って咲いていました。
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18宮山頂上のサザンカ
展望小屋近くに、冬の終わりを告げるサザンカがまだ頑張って咲いていました。
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19宮山頂上より東展望
東方面を望むと、左にシャシャキ山、その右奥に岩倉山が見えます。ここから木材と土の階段を下ります。
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19宮山頂上より東展望
東方面を望むと、左にシャシャキ山、その右奥に岩倉山が見えます。ここから木材と土の階段を下ります。
20宮山麓の白梅
宮山を南に下ると、麓に8分咲きぐらいとなった梅が10本ほどあり、いい香りが漂っていました。
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20宮山麓の白梅
宮山を南に下ると、麓に8分咲きぐらいとなった梅が10本ほどあり、いい香りが漂っていました。
21宮山麓の紅梅
白梅に負けず劣らず、紅梅も綺麗に咲いていました。紅白梅のコラボシーンが見られました。動画も撮りました。
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21宮山麓の紅梅
白梅に負けず劣らず、紅梅も綺麗に咲いていました。紅白梅のコラボシーンが見られました。動画も撮りました。
22総社八幡宮&藤井城址
総社八幡宮は藤井の山陽道のほとりにあり、平安時代に皇室御領の古都庄民の守護神として、創立されました。中尾の熱田八幡宮、古都南方の中山八幡宮、沼の青津八幡宮、藤井の岡屋八幡宮、宍甘の往来神社、計六社の惣社宮です。向こうに藤井古墳&藤井城跡<写真27>が見えています。ここからアスファルト道の旧山陽道を西に向かいます。
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22総社八幡宮&藤井城址
総社八幡宮は藤井の山陽道のほとりにあり、平安時代に皇室御領の古都庄民の守護神として、創立されました。中尾の熱田八幡宮、古都南方の中山八幡宮、沼の青津八幡宮、藤井の岡屋八幡宮、宍甘の往来神社、計六社の惣社宮です。向こうに藤井古墳&藤井城跡<写真27>が見えています。ここからアスファルト道の旧山陽道を西に向かいます。
23東本陣角屋西崎家
藤井は山陽道の中で岡山城下に最も近い宿駅が置かれた所で、西崎家は東本陣と言われ、本陣(安井家)<写真24>一つでは不便があったため、創設されたものです。
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23東本陣角屋西崎家
藤井は山陽道の中で岡山城下に最も近い宿駅が置かれた所で、西崎家は東本陣と言われ、本陣(安井家)<写真24>一つでは不便があったため、創設されたものです。
24西本陣安井家敷地
江戸時代になり、参勤交代制に伴い、岡山城下町以東で最初の休泊地として本陣(安井家)、旅籠等が整備されました。歴史を物語る土塀の間から見える大木が印象的でした。
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24西本陣安井家敷地
江戸時代になり、参勤交代制に伴い、岡山城下町以東で最初の休泊地として本陣(安井家)、旅籠等が整備されました。歴史を物語る土塀の間から見える大木が印象的でした。
25素盞嗚(すさのお)神社
牛頭(ごず)天王(スサノオノミコト)を祭神とする祇園信仰の神社です。大鳥居には藤井宿の屋号が刻まれています。山陽道の新往来はここから北に延びています。アスファルト道からコンクリート道を上ります。
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25素盞嗚(すさのお)神社
牛頭(ごず)天王(スサノオノミコト)を祭神とする祇園信仰の神社です。大鳥居には藤井宿の屋号が刻まれています。山陽道の新往来はここから北に延びています。アスファルト道からコンクリート道を上ります。
26藤井大師堂
大師堂の隣にあった今までにあまり見たことのない形状をしたお堂です。サンスクリットのような文字も垣間見られました。石柱には「弘法大師一千百年遠忌」と彫られています。1934年に建立されたのでしょうか。コンクリート道からヤブの中の踏み跡を辿って藤井古墳&藤井城跡<写真27>に向かいました。
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26藤井大師堂
大師堂の隣にあった今までにあまり見たことのない形状をしたお堂です。サンスクリットのような文字も垣間見られました。石柱には「弘法大師一千百年遠忌」と彫られています。1934年に建立されたのでしょうか。コンクリート道からヤブの中の踏み跡を辿って藤井古墳&藤井城跡<写真27>に向かいました。
27藤井古墳&藤井城跡
ここだけがこんもりしていたのですぐに分かりました。藤井古墳からは埴輪が出土しているそうです。藤井城は室町時代の輪郭式山城で古墳を中心に形成されたと考えられています。北側にはこぶし大の石が積み重なっています。古墳の葺石でしょうか。動画を撮っていると、ホオジロのさえずりがよく聞こえていました。北東のブドウ畑を目指してヤブに突っ込み、トゲ攻撃を食らいました。
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27藤井古墳&藤井城跡
ここだけがこんもりしていたのですぐに分かりました。藤井古墳からは埴輪が出土しているそうです。藤井城は室町時代の輪郭式山城で古墳を中心に形成されたと考えられています。北側にはこぶし大の石が積み重なっています。古墳の葺石でしょうか。動画を撮っていると、ホオジロのさえずりがよく聞こえていました。北東のブドウ畑を目指してヤブに突っ込み、トゲ攻撃を食らいました。
28宮山南西麓のロウバイ
アスファルト道に出てすぐのところにありました。まだきれいで、特有のいい香りが春の到来を感じさせてくれました。北上し、東に延びるジグザグ道の分岐を過ぎると落ち葉道になりました。藤井新池<写真13>の西から北上する道はすぐにヤブになったので引き返し、東側のアスファルト道を北上しました。
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28宮山南西麓のロウバイ
アスファルト道に出てすぐのところにありました。まだきれいで、特有のいい香りが春の到来を感じさせてくれました。北上し、東に延びるジグザグ道の分岐を過ぎると落ち葉道になりました。藤井新池<写真13>の西から北上する道はすぐにヤブになったので引き返し、東側のアスファルト道を北上しました。
29三角点名:草井
ブドウ畑を抜けて送電線近くにある157.1m峰です。三角点名は草井となっていますが、山名はわかりませんでした。保安林を北上すると道がなくなり、近くの鉄塔までヤブコギして鉄塔巡視路を下りました。
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29三角点名:草井
ブドウ畑を抜けて送電線近くにある157.1m峰です。三角点名は草井となっていますが、山名はわかりませんでした。保安林を北上すると道がなくなり、近くの鉄塔までヤブコギして鉄塔巡視路を下りました。
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30惣ヶ池
アスファルト道に出て2,3分の西山集落にあるため池です。三角点名:草井<写真29>方面が見えています。ここからはほとんどアスファルト道でした。
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30惣ヶ池
アスファルト道に出て2,3分の西山集落にあるため池です。三角点名:草井<写真29>方面が見えています。ここからはほとんどアスファルト道でした。
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31八幡神社の牛神?
鳥居が見えたので寄り道してお参りしました。瀬戸町菊山にある八幡神社拝殿の北側に祀られていた牛神様?です。この地区お決まりの備前焼でした。
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31八幡神社の牛神?
鳥居が見えたので寄り道してお参りしました。瀬戸町菊山にある八幡神社拝殿の北側に祀られていた牛神様?です。この地区お決まりの備前焼でした。
32八幡神社の軒下彫刻
一般的には龍や獅子の彫刻が多い中で猛禽類の彫刻が施されていました。これじゃあツバメが怖がって巣を作れません!?
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32八幡神社の軒下彫刻
一般的には龍や獅子の彫刻が多い中で猛禽類の彫刻が施されていました。これじゃあツバメが怖がって巣を作れません!?
33八幡神社拝殿内
演台のようなスペースと太鼓が設置されていました。今でもここで祭事が行われるのでしょう。
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33八幡神社拝殿内
演台のようなスペースと太鼓が設置されていました。今でもここで祭事が行われるのでしょう。
34熱田八幡宮
延宝8年(1680年)中尾宮山(岡山市中尾)に中尾、上道北方、鉄(くろがね)の鎮守神(氏神)として建立されました。中尾地区には弓の名手として知られる源為朝の墓があるとの言い伝えがあるようです。
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34熱田八幡宮
延宝8年(1680年)中尾宮山(岡山市中尾)に中尾、上道北方、鉄(くろがね)の鎮守神(氏神)として建立されました。中尾地区には弓の名手として知られる源為朝の墓があるとの言い伝えがあるようです。
35熱田八幡宮内石神社
        &稲荷宮
石神社はイワナガヒメをお祀りしています。妹のコノハナノサクヤビメとともにニニギノミコトに嫁いだ彼女は、妹ほど美人ではなかったため親元に送り返されてしまいました。彼女が岩のような永遠の命を、妹が花のような繁栄を約束するはずだったのですが、彼女だけを送り返したため、ミコトの子孫である我々人間の命は花のように儚くなったとの神話があります。
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35熱田八幡宮内石神社
        &稲荷宮
石神社はイワナガヒメをお祀りしています。妹のコノハナノサクヤビメとともにニニギノミコトに嫁いだ彼女は、妹ほど美人ではなかったため親元に送り返されてしまいました。彼女が岩のような永遠の命を、妹が花のような繁栄を約束するはずだったのですが、彼女だけを送り返したため、ミコトの子孫である我々人間の命は花のように儚くなったとの神話があります。
36熱田八幡宮本殿
珍しく、石積みの上に立つ本殿です。これは宝暦12年(1762年)に再建されたものです。
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36熱田八幡宮本殿
珍しく、石積みの上に立つ本殿です。これは宝暦12年(1762年)に再建されたものです。
37浦谷池のカルガモ
熱田八幡宮<写真34>を南西に数分程進んだ所にあるため池です。カルガモがのんびりと遊泳を楽しんでいましたが、そこへ突然勢いよくカイツブリが爆走してきました。動画にも撮りました。
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37浦谷池のカルガモ
熱田八幡宮<写真34>を南西に数分程進んだ所にあるため池です。カルガモがのんびりと遊泳を楽しんでいましたが、そこへ突然勢いよくカイツブリが爆走してきました。動画にも撮りました。
38薬師山大師堂
「邑久郡大師霊場北巡り88ヵ所」の64番です。コンクリート道を少し上ったところにありました。医光院<写真42〜47>の中に66番があったらしいのですが、見落としてしまいました。
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38薬師山大師堂
「邑久郡大師霊場北巡り88ヵ所」の64番です。コンクリート道を少し上ったところにありました。医光院<写真42〜47>の中に66番があったらしいのですが、見落としてしまいました。
39坂口古墳
上道北方塚段(じょうとうきたがたつかのだん)古墳群の1つで、直径推定約10mの円墳で横穴式石室の約4分の1が残っていたようです。鉄器や須恵器、勾玉などが出土しました。
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39坂口古墳
上道北方塚段(じょうとうきたがたつかのだん)古墳群の1つで、直径推定約10mの円墳で横穴式石室の約4分の1が残っていたようです。鉄器や須恵器、勾玉などが出土しました。
40六地蔵
薬師前霊園に設置されていました。人は死後に、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻、転生するといわれていますが、そのそれぞれに、衆生救済のために配される檀陀(だんだ)、宝印(ほういん)、宝珠(ほうじゅ)、持地(じち)、除蓋障(じょがいしょう)日光(にっこう)を6地蔵といいます。
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40六地蔵
薬師前霊園に設置されていました。人は死後に、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻、転生するといわれていますが、そのそれぞれに、衆生救済のために配される檀陀(だんだ)、宝印(ほういん)、宝珠(ほうじゅ)、持地(じち)、除蓋障(じょがいしょう)日光(にっこう)を6地蔵といいます。
41祇園社&塚段1号墳
上道北方塚段(つかのだん)古墳は豊富な玉類が出土したことでよく知られています。特に複層連珠ガラス玉は日本では発見例が少なく、西アジアに技術の起源が求められる貴重なものです。墳丘に葺石が少しだけ見えています。2号墳はすぐ近くらしいのですが、周辺は畑やビニールハウスになっており、よくわかりませんでした。
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41祇園社&塚段1号墳
上道北方塚段(つかのだん)古墳は豊富な玉類が出土したことでよく知られています。特に複層連珠ガラス玉は日本では発見例が少なく、西アジアに技術の起源が求められる貴重なものです。墳丘に葺石が少しだけ見えています。2号墳はすぐ近くらしいのですが、周辺は畑やビニールハウスになっており、よくわかりませんでした。
42医光院の弁天様&河童
医光院は備前薬師八ヶ寺霊場第3番で、ご本尊は醫王薬師瑠璃光如来です。承和元年(834年)に薬師前霊園<写真40>の辺りに開山されたそうです。弁天様は医光院の鎮守で、七福神の随一にして名誉、福徳、弁舌、智恵、記憶、音楽等を利生しますという表記がありました。河童は水の神様としてお祀りされたのでしょうか。
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42医光院の弁天様&河童
医光院は備前薬師八ヶ寺霊場第3番で、ご本尊は醫王薬師瑠璃光如来です。承和元年(834年)に薬師前霊園<写真40>の辺りに開山されたそうです。弁天様は医光院の鎮守で、七福神の随一にして名誉、福徳、弁舌、智恵、記憶、音楽等を利生しますという表記がありました。河童は水の神様としてお祀りされたのでしょうか。
43岡山市保存樹カリン
昭和63年3月1日に岡山市の指定保存樹第32号に指定されていました。樹齢200年余りで樹高11m、樹周り1.07mあります。実がたくさん落ちていました。
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昭和63年3月1日に岡山市の指定保存樹第32号に指定されていました。樹齢200年余りで樹高11m、樹周り1.07mあります。実がたくさん落ちていました。
44医光院本堂&護摩堂
薬師如来は東方浄瑠璃浄土にあります。東方を守る仏様なので本堂は東向きに建てられていますが、このような東向きの薬師は珍しいそうです。
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44医光院本堂&護摩堂
薬師如来は東方浄瑠璃浄土にあります。東方を守る仏様なので本堂は東向きに建てられていますが、このような東向きの薬師は珍しいそうです。
45医光院大日堂&紅梅
真言宗のお寺なので、やはりここでも大日如来が信仰されています。大日堂横にピンク色の八重咲きの梅が5分咲きくらいになっていました。
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45医光院大日堂&紅梅
真言宗のお寺なので、やはりここでも大日如来が信仰されています。大日堂横にピンク色の八重咲きの梅が5分咲きくらいになっていました。
46医光院ソシンロウバイ
ロウバイ<写真28>とは違い、花の中心部が赤くありません。まだ見頃でいい香りがしました。
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46医光院ソシンロウバイ
ロウバイ<写真28>とは違い、花の中心部が赤くありません。まだ見頃でいい香りがしました。
47医光院七福神
大黒天、毘沙門天、恵比寿天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊の七つの神様の彫刻像です。今は幸福長寿、家庭円満、延命長寿、福徳智慧の神様である寿老人が第一かな?
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47医光院七福神
大黒天、毘沙門天、恵比寿天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊の七つの神様の彫刻像です。今は幸福長寿、家庭円満、延命長寿、福徳智慧の神様である寿老人が第一かな?
48牛神社
扉のない拝殿の奥に白い陶器の小さな牛がお祀りしてある本殿が見えています。詳細はよくわかりませんが、牛頭(ごず)天王(スサノオノミコト)か、農耕に必要だった牛をお祀りしたのでしょう。岡山市東区には牛神社がいくつかあるようです。
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48牛神社
扉のない拝殿の奥に白い陶器の小さな牛がお祀りしてある本殿が見えています。詳細はよくわかりませんが、牛頭(ごず)天王(スサノオノミコト)か、農耕に必要だった牛をお祀りしたのでしょう。岡山市東区には牛神社がいくつかあるようです。
49上道北方のニホンズイセン
近道をしようと畦道に入ると、水路沿いにたくさん並んでいました。
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49上道北方のニホンズイセン
近道をしようと畦道に入ると、水路沿いにたくさん並んでいました。

感想/記録

 山陽道は兵庫県の西宮(にしのみや)から山口県下関市の赤間関(あかまがせき)まで、全長約550劼猟控離街道で、古代の7道の中ではもっともメジャーな街道であったとされています。その間に46宿と、間(あい)の宿5宿がありました。その中で今回訪問した地域は宿場町として栄えました。
 山陽道は時代を経るにつれて度々そのルートも変遷しており、戦国武将宇喜多秀家の付け替え(藤井ー長岡ー原尾島ー森下ー内山下)により古都宿から藤井へと宿駅が変更になりました。そして江戸時代になり、参勤交代制を定めるにいたり、西国の諸大名が江戸への往来の途中、岡山城下町以東最初の休泊地として、本陣(安井家)<写真24>、旅籠屋等が整備され大変賑わいました。後に本陣一つでは不便であったため、更に創設され、従来のもの(安井家)は西本陣<写真24>、新しい本陣は東本陣<写真23>と称されるようになりました。
 また、藤井宿の入り口には、素盞嗚(すさのお)神社<写真25>があります。この神社の横には「新往来」の案内板がありました。幕末に尊王攘夷運動などで、諸国の志士、浪人の往来が激しくなり備前藩でも岡山城の警戒を強め山陽道の人々の通行に神経をとがらせていました。備前藩は、長州征伐に赴く諸藩の藩士が岡山城下を通行するのを回避するため一時的に宿奥ー奥矢津ー牟佐ー旭川渡りー備前国分寺の新往来を建設し、元治元年(1864年)7月より通行させるようにしたようです。今回訪問した一里塚跡<写真14>もその途上にありました。

 今回訪問した岡山市東区や瀬戸内市には弘法大師信仰がかなり広がっているようです。大師堂もたくさんあり、「邑久郡大師霊場88ヵ所」には、北巡りと南巡りがあります。普段は地元の大師堂しか参ることはないのですが、御接待(おせったい)と呼ばれる行事の日には市内外からたくさんの方が88ヶ所巡りに訪れます。特に南巡りは盛んで、早朝6時頃から各大師堂でお菓子やジュースなどがふるまわれ、なくなったら終了!?なので、人気の所は早くから行列ができるそうです。お遍路というよりも日本版ハロウィンのようで、子供たちも大好きな行事らしいです。基本は年1回ですが、今回訪問した上道北方周辺は4月と8月の21日の2回なのだそうです。

 宮山周辺は藤井里山の会の有志により整備され、セミやトンボなどの形のかわいらしい道標があります。藤井新池(道標では新池)<写真13>や頂上<写真15>に向かうルートは他にもいくつかあるようで、まだ楽しめそうです。今回はサザンカ、スイセン、ロウバイ、梅、ホオジロのさえずりと、里山周辺では季節が確実に春に向かっていることを感じ取ることができました。ヤブコギで痛い目にも遭いましたが、最後は好天の下、春の予感に穏やかな気分で山行を終えられました。



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