《三遠南信》弓張山地東西(石巻山〜浜名湖)
- GPS
- 05:00
- 距離
- 13.4km
- 登り
- 650m
- 下り
- 640m
コースタイム
天候 | 高曇り時々晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2017年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
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写真
装備
個人装備 |
地下足袋+脚絆
焚き火セット
ノコギリ
弁当
水筒
軍手
ラテルネ
地図磁石
防寒具
雨具
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共同装備 |
ツエルト
6mm×10m
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感想
とっておきの石巻山。石巻山は豊橋市の主峰だ。この屹立は古代から変わらない。山頂神社もあるし、豊橋の古墳群や縄文遺跡はこの山がかっこよく見えるところに集中している。
うちの近くのバスに乗って近づく。山麓の廣福寺には戦没者慰霊塔あり。この地域から14人だった。何人かの人とすれ違う。道がいくつもあって、地図にはない。この規模の山ではよくあること。山頂下の、自動車道路終点付近には高度成長期に乱立した食堂や旅館の廃墟が10件近くある。神聖な山でも、こういう時代もある。奥宮などに参拝して、山頂へ。
山頂は巨大な石灰岩の岩峰だった。これは信仰されるだろうな。大きく北側に回り込むと弱点があり、階段があって最高点へ。狭い山頂で、大人数の組もいて賑やかだった。離れた岩峰の上で、特製サンドウィッチを食べる。柚子のジャムも、黒パンもうまい。ここからは本宮山、それに吉祥山と石灰採掘場、権現山の古墳群、豊川の流れ三河湾島嶼群、鳳来寺山とよく見える。南側が絶壁になっている。
そのまま県境稜線へいくイメージだったが、この山頂部の石灰岩峰を南側から巻こうとルートを探していたら、クライミングゲレンデの踏み跡を辿り、以前かなり登りこまれた南壁の下にでた。石灰岩のいい壁だが、天然記念物に指定されている上に御神体だからとかでロッククライミング禁止の看板がいくつも立っている。ボルトやペツルが連打されている。ゴミも多くてダメな感じ。どっちもどっちだと思うけれど、あんな観光施設の乱開発の後始末もできないくせに、こんな人の来ない場所のボルト程度であんな看板もどうかと思った。天然記念物があったって、行政は林道をバンバン通すし、ダムもバンバン作る。禁止看板は景観阻害し心を暗くする。いっときの世論の高まりで設置しても野暮な看板は残る。いずれ片付けてもらいたい。
この岩場取り付きからまっすぐ藪を漕いで稜線伝いも考えたが、近所の山だし、つけられている林道を一度は忠実に歩いてみようと、博物館のところまで戻る。途中上の宮のもっと上の奥宮の方を回ると、大きな石灰岩の壁の脇に朽ちかけた社があり、湧き水があった。とても神聖なところに思えた。先の岩登り取り付きにあった洞穴も、多分修験道時代からのポイントだったろうと思う。
石巻山の稜線南側を東に進む道は自動車が通れるクラスの林道だった。何のために作ったのだか。トレランしている人もいた。途中飽きて稜線にあるはずの踏み跡を探して北側尾根上に登ったりしたが、大した踏み跡はなかった。結局、県境の稜線まで車道が通っていた。これも高度成長期の開発あとかな。県境稜線にある送電線の補修用かもしれない。
前に南北縦走の時通った大知波峠の巨大寺社遺跡の芝に来て、浜名湖が目に入った。こんな登り切ったところに大きな寺があったなんて、昔の人は本当に山歩きなんかへでもなかったのだ。平安時代末期、何があってここは滅びたのだろうか。
寺跡からまっすぐ今川の谷に降った。炭焼き窯跡が二つ。何人かにあった。小さな女の子もいて、話しかけてくれた。里に降りるとみかんの産地で、浜名湖まではみかん畑の中を下る。空も青くなって、石灰岩の白い石垣や照葉樹の生垣が多くて、なんだか南イタリアかクロアチアみたいなところだな、と思った。大知波の集落には開拓記念碑があった。石碑は一段落ついた昭和30年のもの。戦後、外地から引き揚げた日本人がこうした山の端に入植して苦労して耕した。ここもそうだったんだなあ。車の通らない静かなルートをぶらぶら歩いていたら、珍しいのかおばさんが声をかけてきて、少し話した。この奥の山を削ってダンプが土を運んでいくのが厄介らしい。
知波田駅まで降りたが1時間に一本の電車は行ったばかり。周囲に飲食店なし。交番に珍しくお巡りさんが座っている。平和なのだ。やたらに飛ばす車の多い車道。せっかくの松見ケ浦の湖畔は私有地や竹やぶや産廃ばかりでのんびりできるところがなかった。暮らす人にとっては色々事情もあるだろう。旅行者が来るような町でもないのだろう。少し戻ったコンビニの腰掛けコーナーで、即席の担々麺を食べる。
天竜浜名湖鉄道の車体は、美少年系イラストの戦国武将がドバドバ書いてあって恥ずかしかった。地方鉄道や路面電車の全面広告はもうそろそろやめたらどうでしょうか。良き景観の中で、そんなマンガ広告見たくないです。
この線路の先には、井伊直虎の井伊谷があるんだったな。
新所原で東海道線に乗り換えて、豊橋までは本当にすぐだった。
弓張山地は小さな山脈で、昔の人にとってはホイホイ軽く超えた山なのだろう。こんなに小さな国境は、信濃や甲斐では考えられない。
山頂上社は無人だったので山麓の下社石巻神社には改めて御朱印をいただきに行かなくては。
yoneちゃんお疲れ様石巻山から知波田駅まで、大知波田峠よかったでしょ眺めが 知波田までよく行きましたね。その先にもっと南、スズキマリーナの入り口にウナギ屋さんあるんですが、確か”うな善”だったかな結構おいしいですよねモネでしょうが(もう10年くらい行ってないですが)うまいって思いました
石巻神社のご朱印、私も持ってません。あるのかな〜
大知波峠では毎度、ここにあって千年前に滅びたという幻の大伽藍と宿坊群を想像して感激します。
うな善まで歩くとあと1時間ですね。うなぎなら豊橋だって美味しいし。僕は新本町のうな中がお気に入りです。雰囲気が良くてうまいのにお安い。
モネでしょうがって何?
おはようございます,yoneちゃん!わからん、だいぶ酔ってましたから、ごめんなさい (たぶん味は好みでしょうが)って書こうと思っていたと思います
”うな中”一度行ったことあります。おいしいですね、あそこ雰囲気がいいね、おっさんの夫婦。でもおかみさんも明るくて感じの良い人って記憶が
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