01建部町親水公園より
建部町文化センター
建部町文化センターの東側河川敷にある建部町親水公園の駐車場を利用しました。文化センター内の温泉プール「はっぽね」が3月1日リニューアルOPENしたそうです。近くの中州にヒドリガモ、大宮橋の下付近にヨシガモがいたのでそれぞれ動画を撮りました。
1
01建部町親水公園より
建部町文化センター
建部町文化センターの東側河川敷にある建部町親水公園の駐車場を利用しました。文化センター内の温泉プール「はっぽね」が3月1日リニューアルOPENしたそうです。近くの中州にヒドリガモ、大宮橋の下付近にヨシガモがいたのでそれぞれ動画を撮りました。
02雑貨とコーヒーの店樹音
白石城址登山口のランドマーク、雑貨とコーヒーの店「樹音(じゅね)」です。この店の裏(東)側が登山口です。
1
02雑貨とコーヒーの店樹音
白石城址登山口のランドマーク、雑貨とコーヒーの店「樹音(じゅね)」です。この店の裏(東)側が登山口です。
03白石城址登山口
「白石城址」という道標が立っていますので、ここから概ね地形図の道通りに頂上の城址まで進むことができます。
1
03白石城址登山口
「白石城址」という道標が立っていますので、ここから概ね地形図の道通りに頂上の城址まで進むことができます。
04白石城登山道分岐の曲輪
標高130m辺りで、フラットな地形が出てきました。おそらく曲輪(くるわ)でしょう。ここで、道は三方に分かれます。東北東に進み、白石城址本丸を目指します。
0
04白石城登山道分岐の曲輪
標高130m辺りで、フラットな地形が出てきました。おそらく曲輪(くるわ)でしょう。ここで、道は三方に分かれます。東北東に進み、白石城址本丸を目指します。
05白石城本丸跡
&妙見大菩薩祠
頂上(山名不明)に立つと、白石城本丸跡があり、中央に妙見大菩薩の祠が設置されていました。標高は約150mです。白石城址登山口<写真03>からの高度差は約80mです。
1
05白石城本丸跡
&妙見大菩薩祠
頂上(山名不明)に立つと、白石城本丸跡があり、中央に妙見大菩薩の祠が設置されていました。標高は約150mです。白石城址登山口<写真03>からの高度差は約80mです。
06白石城本丸跡より旭川
白石城本丸跡より南南西方向を望むと、旭川とその周辺の山々や集落が一望できます。この先で旭川はUターンのごとく、大きく蛇行します。周辺の木製のベンチは端が腐って傷んでおり、座る勇気が出ませんでした。
0
06白石城本丸跡より旭川
白石城本丸跡より南南西方向を望むと、旭川とその周辺の山々や集落が一望できます。この先で旭川はUターンのごとく、大きく蛇行します。周辺の木製のベンチは端が腐って傷んでおり、座る勇気が出ませんでした。
07白石城本丸&二の丸?
引き返しながら振り返ってみました。奥に見えているのは白石城本丸跡で、手前が二の丸でしょうか?二の丸は東(逆)側にあり、三の丸かも…いずれにしても、各曲輪(くるわ)が直列に並ぶ山城特有の構造でした。
1
07白石城本丸&二の丸?
引き返しながら振り返ってみました。奥に見えているのは白石城本丸跡で、手前が二の丸でしょうか?二の丸は東(逆)側にあり、三の丸かも…いずれにしても、各曲輪(くるわ)が直列に並ぶ山城特有の構造でした。
08白石城跡標高120m曲輪
分岐<写真04>の曲輪を突っ切り少し南西に下った所(標高120m地点)にも曲輪(くるわ)らしき跡がありました。曲輪は少なくとも十数か所はあるようです。
0
08白石城跡標高120m曲輪
分岐<写真04>の曲輪を突っ切り少し南西に下った所(標高120m地点)にも曲輪(くるわ)らしき跡がありました。曲輪は少なくとも十数か所はあるようです。
9白石城址南西登山口の祠
地形図にはない南西尾根の道を下り切った所に小さな祠がありました。この先は民家に突入するので、フェンス伝いに少し北上すると、国道に出ることができます。
1
9白石城址南西登山口の祠
地形図にはない南西尾根の道を下り切った所に小さな祠がありました。この先は民家に突入するので、フェンス伝いに少し北上すると、国道に出ることができます。
10長谷川より白石城址
白石城は、嘉吉年間(1441〜44年)に、播磨から備前に進出した赤松氏に属した田淵氏光が築城し、永禄7年(1564年)に5代城主田淵氏相が、宇喜多勢に攻められ落城するまでの約120年間、田淵氏の居城であったと伝えられています。
1
10長谷川より白石城址
白石城は、嘉吉年間(1441〜44年)に、播磨から備前に進出した赤松氏に属した田淵氏光が築城し、永禄7年(1564年)に5代城主田淵氏相が、宇喜多勢に攻められ落城するまでの約120年間、田淵氏の居城であったと伝えられています。
11竹の温室栽培!?
やたら植物の多い民家と思い、覗き込むと、家屋(廃屋)に侵入した竹が中でたくましく生長していました。この南の白梅にニュウナイスズメのオスがいたので動画を撮っています。
0
11竹の温室栽培!?
やたら植物の多い民家と思い、覗き込むと、家屋(廃屋)に侵入した竹が中でたくましく生長していました。この南の白梅にニュウナイスズメのオスがいたので動画を撮っています。
12熊野神社鳥居&石灯籠
建部町大田地区の下谷集落にある神社です。由緒、御祭神共に不明です。石段の脇にサザンカの生け垣がありましたが、花はさすがにほとんど終わっていました。
1
12熊野神社鳥居&石灯籠
建部町大田地区の下谷集落にある神社です。由緒、御祭神共に不明です。石段の脇にサザンカの生け垣がありましたが、花はさすがにほとんど終わっていました。
13熊野神社本殿
熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の祭神を勧請された神社なのでしょうか。
0
13熊野神社本殿
熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の祭神を勧請された神社なのでしょうか。
14熊野神社狛犬
岡山の神社あるあるの備前焼の狛犬です。なぜか相方がおらず、ひとりで頑張っていました。
2
14熊野神社狛犬
岡山の神社あるあるの備前焼の狛犬です。なぜか相方がおらず、ひとりで頑張っていました。
15妙円寺石段脇のピンク梅
熊野神社から東に少しだけ進むと、妙円寺の階段に出てきました。濃いのと薄いのの2種類のピンク色の梅の花が咲いていました。傷んでいる花も多かったのですが、薄いピンクのほうはつぼみもたくさんありました。
0
15妙円寺石段脇のピンク梅
熊野神社から東に少しだけ進むと、妙円寺の階段に出てきました。濃いのと薄いのの2種類のピンク色の梅の花が咲いていました。傷んでいる花も多かったのですが、薄いピンクのほうはつぼみもたくさんありました。
16妙円寺本堂
妙円寺は日蓮宗の寺院だそうです。詳細は不明です。
1
16妙円寺本堂
妙円寺は日蓮宗の寺院だそうです。詳細は不明です。
17妙円寺鬼瓦
塀に沿って鬼瓦が並べられていました。この手前にある石灯籠には「安永4年」(1775年)と彫られていました。
1
17妙円寺鬼瓦
塀に沿って鬼瓦が並べられていました。この手前にある石灯籠には「安永4年」(1775年)と彫られていました。
18栗の実
まさかの栗の実がまだ落ちずに残っていました。見上げると5つくらいありました。
0
18栗の実
まさかの栗の実がまだ落ちずに残っていました。見上げると5つくらいありました。
19「絆 笑顔 和」オブジェ
大田地区の標語でしょうか?そういえば、よそ者の我々に対し、この地区の人は温かい挨拶をしてくれます。ワンちゃんや牛さんも人懐っこかったです。
0
19「絆 笑顔 和」オブジェ
大田地区の標語でしょうか?そういえば、よそ者の我々に対し、この地区の人は温かい挨拶をしてくれます。ワンちゃんや牛さんも人懐っこかったです。
20長谷尋常小學校之跡
1909年に長谷尋常小学校が廃止され、竹枝尋常高等小学校大田分散場と称するようになりましたが、1964年には大田地区の分校も廃校になったようです。向かいに見えているのは藤棚です。
0
20長谷尋常小學校之跡
1909年に長谷尋常小学校が廃止され、竹枝尋常高等小学校大田分散場と称するようになりましたが、1964年には大田地区の分校も廃校になったようです。向かいに見えているのは藤棚です。
21天津神社随身門
山裾にセツブンソウ<写真27>が群生している264m峰の北西にある神社で“あまつ”と読みます。随身門の格子窓の中を覗くと…<写真22>へ
2
21天津神社随身門
山裾にセツブンソウ<写真27>が群生している264m峰の北西にある神社で“あまつ”と読みます。随身門の格子窓の中を覗くと…<写真22>へ
22天津神社随身門左大臣
向かって右側に左大臣像がありました。それよりも、さえずり練習中のウグイスの鳴き声が気になって仕方がありませんでした。ホロロホチョケ?ホチョチリリ?ホリロホホケ?自信がないのか、なぜか最後の音が上がります。頑張ってね。
0
22天津神社随身門左大臣
向かって右側に左大臣像がありました。それよりも、さえずり練習中のウグイスの鳴き声が気になって仕方がありませんでした。ホロロホチョケ?ホチョチリリ?ホリロホホケ?自信がないのか、なぜか最後の音が上がります。頑張ってね。
23天津神社拝殿&本殿
拝殿越しに本殿が見えました。柱の上の天井近くにはなぜか日の丸と君が代の歌詞が書かれた額が掲げられていました。
0
23天津神社拝殿&本殿
拝殿越しに本殿が見えました。柱の上の天井近くにはなぜか日の丸と君が代の歌詞が書かれた額が掲げられていました。
24天津神社豊受大神鎮座地跡
豊受大神(とようけおおかみ)は伊勢神宮 外宮の主神として有名です。食物の神として、また、天照大御神の御饌の神として伊勢神宮に祀られる神様がここにも祀られていたのでしょうか。
0
24天津神社豊受大神鎮座地跡
豊受大神(とようけおおかみ)は伊勢神宮 外宮の主神として有名です。食物の神として、また、天照大御神の御饌の神として伊勢神宮に祀られる神様がここにも祀られていたのでしょうか。
25天津神社エナガ
人の目にフォーカスされることがめったにないエナガを樹上と地面の両方で観察することができました。すばしっこいので大変でしたが、動画も撮りました。木の枝に止まり損ねて落っこちていくドジな姿がかわいかったです。
2
25天津神社エナガ
人の目にフォーカスされることがめったにないエナガを樹上と地面の両方で観察することができました。すばしっこいので大変でしたが、動画も撮りました。木の枝に止まり損ねて落っこちていくドジな姿がかわいかったです。
26天降布勢神社拝殿&本殿
鳥居から拝殿に向かう途中にトタンの獣除けがあったので、またいで入りました。天降布勢(あまたれふせ)神社の祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、つまり大国主神です。
1
26天降布勢神社拝殿&本殿
鳥居から拝殿に向かう途中にトタンの獣除けがあったので、またいで入りました。天降布勢(あまたれふせ)神社の祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、つまり大国主神です。
27セツブンソウ群生地
長谷川を渡るとすぐに看板があります。春を告げるセツブンソウがここ建部町大田地区の上谷にたくさん咲いていました。4月頃にはイチリンソウやニリンソウも見られるようです。
7
27セツブンソウ群生地
長谷川を渡るとすぐに看板があります。春を告げるセツブンソウがここ建部町大田地区の上谷にたくさん咲いていました。4月頃にはイチリンソウやニリンソウも見られるようです。
28八重のセツブンソウ3兄弟
花弁のように見える白いのはガクで、通常は5枚ですが、ここは八重のセツブンソウも多く見られました。斜面の少し上の方にもたくさん咲いていたので動画も撮りました。
4
28八重のセツブンソウ3兄弟
花弁のように見える白いのはガクで、通常は5枚ですが、ここは八重のセツブンソウも多く見られました。斜面の少し上の方にもたくさん咲いていたので動画も撮りました。
29キビシロタンポポ
岡山県新見市が基準地とされるタンポポで、シロバナタンポポに似ていますが、総苞外片がほとんど反り返らず、縁が赤みを帯びています。この1株だけでした。
2
29キビシロタンポポ
岡山県新見市が基準地とされるタンポポで、シロバナタンポポに似ていますが、総苞外片がほとんど反り返らず、縁が赤みを帯びています。この1株だけでした。
30日吉神社拝殿&本殿
長い階段の途中に電気柵があり、ちょっと焦りました。日吉は“ひよし”と読むのか、“ひえ”と読むのかはよくわかりません。滋賀県大津市坂本にある山王総本宮日吉大社を勧請して日本各地に建立された神社の一つなのでしょうか。ここを過ぎてしばらくすると上山牧場<写真32>周辺まで土の登り道でした。
1
30日吉神社拝殿&本殿
長い階段の途中に電気柵があり、ちょっと焦りました。日吉は“ひよし”と読むのか、“ひえ”と読むのかはよくわかりません。滋賀県大津市坂本にある山王総本宮日吉大社を勧請して日本各地に建立された神社の一つなのでしょうか。ここを過ぎてしばらくすると上山牧場<写真32>周辺まで土の登り道でした。
31白梅&土壁の家
上山牧場近くまで来ると、民家がいくつかありました。土壁の昔ながらの家屋に梅の花がマッチしていました。
1
31白梅&土壁の家
上山牧場近くまで来ると、民家がいくつかありました。土壁の昔ながらの家屋に梅の花がマッチしていました。
32上山牧場牧草地
上山牧場の牧草地です。絵画のような綺麗な風景でした。特に真中にある“この木何の木?”はインパクトがありました。
4
32上山牧場牧草地
上山牧場の牧草地です。絵画のような綺麗な風景でした。特に真中にある“この木何の木?”はインパクトがありました。
33福本牧場牛舎
上山牧場から少しだけ南南西に進んだ所に福本牧場の牛舎がありました。我々が近づくと、一頭が近づいてきました。つぶらな瞳が可愛いです。
1
33福本牧場牛舎
上山牧場から少しだけ南南西に進んだ所に福本牧場の牛舎がありました。我々が近づくと、一頭が近づいてきました。つぶらな瞳が可愛いです。
34ピンク色の梅&佐賀牧場
福本牧場の道沿いの梅の向こうには、佐賀牧場の飼料タンクや牧草地が見えています。牧歌的な風景です。この少し北から歩きながら梅の動画を撮りました。
1
34ピンク色の梅&佐賀牧場
福本牧場の道沿いの梅の向こうには、佐賀牧場の飼料タンクや牧草地が見えています。牧歌的な風景です。この少し北から歩きながら梅の動画を撮りました。
35福本牧場ホルスタイン
外にいるのはこの4頭だけでした。よほどかわいがられているのか、人懐っこく、近寄ってきて柵から首を出しておねだりしてきました。動画にも撮りました。
2
35福本牧場ホルスタイン
外にいるのはこの4頭だけでした。よほどかわいがられているのか、人懐っこく、近寄ってきて柵から首を出しておねだりしてきました。動画にも撮りました。
36佐賀牧場牧草地
&法寿山方面
佐賀牧場越しに、牧草地や旭川、旭川沿いの集落等が見えました。牧歌的な風景でした。対岸の法寿山では「たけべ古道」が再整備され、この日の歩きぞめには50人以上が参加したそうです。
1
36佐賀牧場牧草地
&法寿山方面
佐賀牧場越しに、牧草地や旭川、旭川沿いの集落等が見えました。牧歌的な風景でした。対岸の法寿山では「たけべ古道」が再整備され、この日の歩きぞめには50人以上が参加したそうです。
37三角点「福渡」
地形図上に標高238.4mの三角点があるので寄ってみました。アスファルト道の脇の黄色いテープのすぐ北から西に逸れる踏み跡のようなものがあり、すぐに草むらに隠れるようにして設置されているのを発見しました。さらにアスファルト道を下ると、「法華経色読者比丘尼衆の碑」の案内板がありましたが、周辺の電気柵を避けて上ると小さな墓地に突っ込んでしまいました。
1
37三角点「福渡」
地形図上に標高238.4mの三角点があるので寄ってみました。アスファルト道の脇の黄色いテープのすぐ北から西に逸れる踏み跡のようなものがあり、すぐに草むらに隠れるようにして設置されているのを発見しました。さらにアスファルト道を下ると、「法華経色読者比丘尼衆の碑」の案内板がありましたが、周辺の電気柵を避けて上ると小さな墓地に突っ込んでしまいました。
38塚の鼻古墳登り口
ゴールに近づいた標高約100m地点で塚の鼻古墳登り口の道標がありました。道標に従って電気柵をまたいでコンクリート道を西南西方向に進みました。
0
38塚の鼻古墳登り口
ゴールに近づいた標高約100m地点で塚の鼻古墳登り口の道標がありました。道標に従って電気柵をまたいでコンクリート道を西南西方向に進みました。
39塚の鼻1号墳
全長42m、後円部径25mの前方後円墳とされていましたが、2基の円墳の可能性が高く、前方部とされていた2号墳は墓地(田渕家5世之墓)になっています。円筒埴輪などが出土したそうです。さらに西にある3号墳からは鉄剣の破片が見つかっています。
1
39塚の鼻1号墳
全長42m、後円部径25mの前方後円墳とされていましたが、2基の円墳の可能性が高く、前方部とされていた2号墳は墓地(田渕家5世之墓)になっています。円筒埴輪などが出土したそうです。さらに西にある3号墳からは鉄剣の破片が見つかっています。
40復元された高瀬舟
建部町文化センターの前に展示されています。高瀬舟は室町時代末期頃の岡山県の主要河川(吉井川、高梁川、旭川等)で使用され始め、江戸時代になると日本各地に普及し、昭和時代初期まで使用されました。1925年の岡山の鉄道開通にともない衰退し、1934年の旭川の水害で完全に消滅しました。周辺の河川敷を走り回るハクセキレイの動画を撮ってゴールしました。
1
40復元された高瀬舟
建部町文化センターの前に展示されています。高瀬舟は室町時代末期頃の岡山県の主要河川(吉井川、高梁川、旭川等)で使用され始め、江戸時代になると日本各地に普及し、昭和時代初期まで使用されました。1925年の岡山の鉄道開通にともない衰退し、1934年の旭川の水害で完全に消滅しました。周辺の河川敷を走り回るハクセキレイの動画を撮ってゴールしました。
41日本一たい焼
岡山街道建部店
定休日(月曜日)を除き、いつどの時間に行っても混んでいます。小豆あん、白あん、カスタードの3種類がありますが、小豆あんが断トツ人気です。手土産としても絶対に喜ばれる逸品です。20匹近くまとめ買いする人も多く、15分程待ちました。
0
41日本一たい焼
岡山街道建部店
定休日(月曜日)を除き、いつどの時間に行っても混んでいます。小豆あん、白あん、カスタードの3種類がありますが、小豆あんが断トツ人気です。手土産としても絶対に喜ばれる逸品です。20匹近くまとめ買いする人も多く、15分程待ちました。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する