【202】(いにしえに想いを馳せながら)浅瀬⇒山神峠⇒大棚ノ滝
- GPS
- 07:07
- 距離
- 15.8km
- 登り
- 738m
- 下り
- 725m
コースタイム
- 山行
- 6:01
- 休憩
- 1:02
- 合計
- 7:03
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
*世附浅瀬駐車スペースは7時前で路駐が始まっていました。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
■吊り橋〜山神山〜山神峠 バリルート ・稜線に上がるまでは明確な踏み跡あり、途中まで作業道 ・稜線に出たら、あとは尾根筋を外さないように ・未確認ですが、林道が山神山まで繋がっているようです。 ■山神峠〜水ノ木林道 踏み跡不明 2度と歩きたくないコースでした。 ・峠直下は、崩壊しているので椿丸方向に少し進んだところから下る ・下降点から足元がズルズルで急傾斜が沢に下りるまで続く。ロープが欲しい所でした。 ・沢は、水がほとんどなしですが、倒木地獄で歩きにくい ■水ノ木〜浅瀬 ・水ノ木林道は、問題なく歩けます。大崩壊地は、舗装道に。ただし、山百合橋先の崩壊地は、工事中。 |
写真
感想
いにしえの面影を探しに西丹沢に行きました。
1.S9年〜S38年まで西丹沢の浅瀬から地蔵平、水ノ木に森林軌道があり、S17年からは、ガソリン機関車が走っていたそうです。そして、水ノ木線では勾配がキツイのでスイッチバックになっていたようです。
2.鎌田鉱山(S21〜S45)、金の含有量が多かったようですが、なぜか長く続かなかったようです
3.山神峠の山神社の台座に刻んである菊花紋とそれにまつわる言い伝え(御醍醐陵)
4.戦後囚人の構外作業が積極的に行われ、世附川の縁の三保製炭作業所に42人の受刑者が従事していたとの記録もあり、S30年まで続けられたようです。また、これも戦後ですが、小田原少年院の分室も悪沢にあったそうです。
では、実際どうだったか
1.軌道跡は、基本的に現在の水ノ木林道になっているようですが、スイッチバックの痕跡は、林道歩きでは、見つけられませんでした。ネットで調べてみると、川に降りると当時の石積みが見られるようですよ。それにしても、80年前にこんなところに軌道を作るなんてすごいですね。
2.林道脇に坑道入口を塞いだ跡があるようですが、これも発見できずでした。世附川の砂金も耳にしたことがないので、本当なのかと、でも資料に残っているので事実なのでしょうね
3.山神社の台座の菊花紋は確認できました。この台座は、1752年に刻まれたようで、江戸時代の領地争いの時の証拠としても使われたそうです。何故菊花紋があるのか、判りませんが、この付近に御醍醐天皇陵があると考え発掘した人も居たそうです。
4.三保山荘は、すでに大部分が崩壊していますが、それほど多くの人を収容できないので、三保作業所の管理者の住まいだったのではないか。では、林道沿いの廃屋は、いかにも大人数を収容していたような感じがする建物なので、こっちが囚人が寝泊まりする建屋だった? あるいは、少年院の分室? こんなところでどんな生活していたのでしょうかね。
いずれにしても、いろいろと思いを馳せながら歩けるコースでした。
ただ、昔の地図を調べてみると、山神峠から水ノ木へ下るのは、山腹をトラバースするように下っていますね。今回のルートは、殆ど枯れ沢に近い無名沢を下ってしまいました。
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