前回のゴール地点幸手一里塚跡から出発。
0
6/27 6:22
前回のゴール地点幸手一里塚跡から出発。
今日のルートは赤。日光街道は青です。
2017年06月21日 20:06撮影
1
6/21 20:06
今日のルートは赤。日光街道は青です。
0
6/27 6:29
宝持寺。鎌倉末期に幸手一色氏の祖一色公深が開基。一色氏との関連が深い寺です。
0
6/27 6:32
宝持寺。鎌倉末期に幸手一色氏の祖一色公深が開基。一色氏との関連が深い寺です。
0
6/27 6:32
橘守部翁遺蹟碑。橘守部は29歳の時に、内国府間村に転居。文政12年(1829)に江戸へ戻るまでの20年間を幸手で過ごしました。守部は、当時国学研究の主流であった本居宣長の学説に対抗し、独自の学説の確立に努め、多くの古典研究の著作を残しています。
0
6/27 6:42
橘守部翁遺蹟碑。橘守部は29歳の時に、内国府間村に転居。文政12年(1829)に江戸へ戻るまでの20年間を幸手で過ごしました。守部は、当時国学研究の主流であった本居宣長の学説に対抗し、独自の学説の確立に努め、多くの古典研究の著作を残しています。
この道が古道だとは知りませんでした。
0
6/27 6:51
この道が古道だとは知りませんでした。
常福寺の庚申塔
0
6/27 6:54
常福寺の庚申塔
権現堂堤の前で日光街道に出ました。
0
6/27 6:59
権現堂堤の前で日光街道に出ました。
権現堂堤に入ってみます。
0
6/27 7:00
権現堂堤に入ってみます。
明治天皇行幸記念碑。明治9年(1876)明治天皇は奥州行幸の際堤防工事を視察されました。題額は岩倉具視によります。
0
6/27 7:02
明治天皇行幸記念碑。明治9年(1876)明治天皇は奥州行幸の際堤防工事を視察されました。題額は岩倉具視によります。
0
6/27 7:02
権現堂堤。江戸時代天正年間に利根川の支流(現在は分流)である権現堂川の堤防として築かれたものと言われ[、かつては6kmにわたり約3000本の桜があり、大正時代から桜の名所として賑わっていました。
2
6/27 7:04
権現堂堤。江戸時代天正年間に利根川の支流(現在は分流)である権現堂川の堤防として築かれたものと言われ[、かつては6kmにわたり約3000本の桜があり、大正時代から桜の名所として賑わっていました。
巡礼の碑。長雨が続き堤がの決壊寸前に人柱になった巡礼母娘の供養碑です。
0
6/27 7:09
巡礼の碑。長雨が続き堤がの決壊寸前に人柱になった巡礼母娘の供養碑です。
現在紫陽花祭りを開催中です。ちょうど見頃を迎えています。
0
6/27 7:13
現在紫陽花祭りを開催中です。ちょうど見頃を迎えています。
0
6/27 7:14
0
6/27 7:15
0
6/27 7:16
1
6/27 7:18
行幸橋。ここから栗橋宿までは日光街道を行きます。
0
6/27 7:24
行幸橋。ここから栗橋宿までは日光街道を行きます。
この石灯篭は凄い。
0
6/27 7:28
この石灯篭は凄い。
日光道中の道標。安永4年(1775)日光道中と筑波道の追分に建てられたものです。正面は「右つくば道」。
0
6/27 7:33
日光道中の道標。安永4年(1775)日光道中と筑波道の追分に建てられたものです。正面は「右つくば道」。
左側面は「左日光道」
0
6/27 7:33
左側面は「左日光道」
右側面には「東川つま道 まいばやし道」と刻まれています。川妻・前林にも古道が通っていたと言われています。
0
6/27 7:33
右側面には「東川つま道 まいばやし道」と刻まれています。川妻・前林にも古道が通っていたと言われています。
日光道中絵図
0
6/27 7:34
日光道中絵図
日光街道ウォーカーで人気の酒屋。確かに趣がありますね。
0
6/27 7:39
日光街道ウォーカーで人気の酒屋。確かに趣がありますね。
湯殿権現・雷電合社
0
6/27 7:42
湯殿権現・雷電合社
0
6/27 7:43
0
6/27 7:44
真光寺
0
6/27 7:57
真光寺
小右衛門の一里塚。塚の上には移築された弁財天祠堂が建っています。
0
6/27 7:58
小右衛門の一里塚。塚の上には移築された弁財天祠堂が建っています。
立派な門
0
6/27 8:06
立派な門
東北新幹線をくぐります。
0
6/27 8:13
東北新幹線をくぐります。
ここは私が幸手に来てからずっと営業してます。40年前から。勿論入ったことはありませんけど。
0
6/27 8:18
ここは私が幸手に来てからずっと営業してます。40年前から。勿論入ったことはありませんけど。
川通神社
0
6/27 8:22
川通神社
会津見送り稲荷。会津藩士を道案内した白髪の老人が狐の化身だったという伝説が伝わっています。
0
6/27 8:42
会津見送り稲荷。会津藩士を道案内した白髪の老人が狐の化身だったという伝説が伝わっています。
焙烙地蔵。関所破りで火あぶりの刑に処せられた重罪人の供養のために建てられたものです。
0
6/27 8:58
焙烙地蔵。関所破りで火あぶりの刑に処せられた重罪人の供養のために建てられたものです。
0
6/27 8:59
顕正寺
0
6/27 9:02
顕正寺
深廣寺
0
6/27 9:05
深廣寺
六角名号塔
0
6/27 9:05
六角名号塔
日光街道栗橋宿に入りました。
0
6/27 9:08
日光街道栗橋宿に入りました。
0
6/27 9:09
日光お廻り道の道筋
0
6/27 9:10
日光お廻り道の道筋
栗橋宿の旧家
0
6/27 9:11
栗橋宿の旧家
0
6/27 9:13
0
6/27 9:14
0
6/27 9:14
栗橋宿西本陣跡の発掘調査。応援します。
0
6/27 9:18
栗橋宿西本陣跡の発掘調査。応援します。
0
6/27 9:18
八坂神社。栗橋の村社。ここのお神輿は関東三大神輿の一つです。
0
6/27 9:21
八坂神社。栗橋の村社。ここのお神輿は関東三大神輿の一つです。
狛犬の代わりに鯉の彫刻があります。青森で見た馬や浦和の兎とキジなど犬でない狛犬興味あります。他に変わった狛犬あったら教えて下さい。
0
6/27 9:21
狛犬の代わりに鯉の彫刻があります。青森で見た馬や浦和の兎とキジなど犬でない狛犬興味あります。他に変わった狛犬あったら教えて下さい。
0
6/27 9:21
0
6/27 9:21
栗橋関所跡。日光街道歩いた時は標識があった記憶がありますが今は何もありません。
0
6/27 9:30
栗橋関所跡。日光街道歩いた時は標識があった記憶がありますが今は何もありません。
利根川橋で利根川を渡ります。
0
6/27 9:32
利根川橋で利根川を渡ります。
0
6/27 9:34
0
6/27 9:34
房川渡と中田関所跡案内板。日光街道で唯一関所と渡船場の両方がありました。利根川のうち、当地と対岸の栗橋の間の流れを房川(ぼうせん)と呼び、渡船場を房川渡、関所を房川渡中田御関所と言いました。関所はその後対岸の栗橋に移され「栗橋の関所」と呼ばれるようになりました。
0
6/27 9:43
房川渡と中田関所跡案内板。日光街道で唯一関所と渡船場の両方がありました。利根川のうち、当地と対岸の栗橋の間の流れを房川(ぼうせん)と呼び、渡船場を房川渡、関所を房川渡中田御関所と言いました。関所はその後対岸の栗橋に移され「栗橋の関所」と呼ばれるようになりました。
日光街道はここを直進しますが、左折します。
0
6/27 9:46
日光街道はここを直進しますが、左折します。
中田宿案内板。元和10年(1624)に江戸から8番目の宿場として設けられました。大正元年(1912)の利根川改修工事により宿場町が河川敷になるため町の大半が移転し、その後の追加工事で全て移転する事になりました。
0
6/27 9:47
中田宿案内板。元和10年(1624)に江戸から8番目の宿場として設けられました。大正元年(1912)の利根川改修工事により宿場町が河川敷になるため町の大半が移転し、その後の追加工事で全て移転する事になりました。
路傍のユリ
0
6/27 10:07
路傍のユリ
0
6/27 10:10
0
6/27 10:30
旧飛田家住宅。元は常陸太田市金砂郷にあった18世紀1前半の曲屋形式農家建築です。昭和43年(1968)、国の重要文化財に指定され、昭和50年(1975)現在地に移築されました。
0
6/27 10:33
旧飛田家住宅。元は常陸太田市金砂郷にあった18世紀1前半の曲屋形式農家建築です。昭和43年(1968)、国の重要文化財に指定され、昭和50年(1975)現在地に移築されました。
旧中山家住宅。元は坂東市にあった17世紀の茅葺寄棟造直屋形式の大型農家建築です。建造は江戸時代前期の延宝2年(1674)頃と推定されています。昭和48年(1973)、県の有形文化財に指定され、中山家からの寄贈を受け、現在地に移築されました。
0
6/27 10:35
旧中山家住宅。元は坂東市にあった17世紀の茅葺寄棟造直屋形式の大型農家建築です。建造は江戸時代前期の延宝2年(1674)頃と推定されています。昭和48年(1973)、県の有形文化財に指定され、中山家からの寄贈を受け、現在地に移築されました。
古河公方館跡。古河公方館は享徳4年(1455)、享徳の乱の際に、初代古河公方の足利成氏により築かれました。古河城本丸から南東へ1km程度離れた鴻巣の地にあり、御所沼に突き出た半島状台地に築かれた連郭式の中世城館です。幸手の一色氏は古河公方の筆頭の家来でした。
0
6/27 10:37
古河公方館跡。古河公方館は享徳4年(1455)、享徳の乱の際に、初代古河公方の足利成氏により築かれました。古河城本丸から南東へ1km程度離れた鴻巣の地にあり、御所沼に突き出た半島状台地に築かれた連郭式の中世城館です。幸手の一色氏は古河公方の筆頭の家来でした。
古河公方館跡の林
0
6/27 10:38
古河公方館跡の林
古河総合公園。この公園は四季を通して色々な花が咲くのでよく写真を撮りにきました。
0
6/27 10:41
古河総合公園。この公園は四季を通して色々な花が咲くのでよく写真を撮りにきました。
古河公方館跡
1
6/27 10:43
古河公方館跡
0
6/27 10:47
0
6/27 10:48
0
6/27 10:51
0
6/27 10:55
古河公方足利義氏の墓
0
6/27 10:57
古河公方足利義氏の墓
日光街道の原町木戸に出ました。日光街道古河城下の南の玄関口です。
0
6/27 11:16
日光街道の原町木戸に出ました。日光街道古河城下の南の玄関口です。
今まで歩いて来た小道が「古街道」この先の道を「祭礼道」と言います。
0
6/27 11:16
今まで歩いて来た小道が「古街道」この先の道を「祭礼道」と言います。
角にある祭礼道道標
0
6/27 11:16
角にある祭礼道道標
古河宿に入りました。
0
6/27 11:21
古河宿に入りました。
長谷観音。室町時代の明応年間(1492〜1501)に、足利成氏が鎌倉の長谷観音を現在地に勧請して古河城の鬼門除けとしたもので、歴代古河城主が祈願を込めたところとされています。本尊は、木造十一面観音立像で、鎌倉・大和の長谷寺とともに日本三大長谷観音のひとつです。
0
6/27 11:28
長谷観音。室町時代の明応年間(1492〜1501)に、足利成氏が鎌倉の長谷観音を現在地に勧請して古河城の鬼門除けとしたもので、歴代古河城主が祈願を込めたところとされています。本尊は、木造十一面観音立像で、鎌倉・大和の長谷寺とともに日本三大長谷観音のひとつです。
古河歴史博物館。中に入ってみます。
0
6/27 11:34
古河歴史博物館。中に入ってみます。
古河城の模型。古河城は1180年頃源頼朝に従った武将である下河辺行平が築いたとされています。その後、南北朝時代になると足利氏の拠点の一つになりました。第5代鎌倉公方・足利成氏は、享徳4年(1455)にこの古河に本拠を移しました。
2017年06月27日 11:39撮影
0
6/27 11:39
古河城の模型。古河城は1180年頃源頼朝に従った武将である下河辺行平が築いたとされています。その後、南北朝時代になると足利氏の拠点の一つになりました。第5代鎌倉公方・足利成氏は、享徳4年(1455)にこの古河に本拠を移しました。
足利成氏は当初は、古河城から離れた古河公方館に居を構えましたが、その後、古河城に移ったそうです。天正18年(1590)に家康が江戸に移封されると、古河城には小笠原秀政が3万石で入城し、その後、江戸時代に入り、古河藩が成立し、松平氏、奥平氏、永井氏と譜代の大名が藩主を務めました。
2017年06月27日 11:39撮影
0
6/27 11:39
足利成氏は当初は、古河城から離れた古河公方館に居を構えましたが、その後、古河城に移ったそうです。天正18年(1590)に家康が江戸に移封されると、古河城には小笠原秀政が3万石で入城し、その後、江戸時代に入り、古河藩が成立し、松平氏、奥平氏、永井氏と譜代の大名が藩主を務めました。
栗橋関所と中田宿の模型
2017年06月27日 11:41撮影
0
6/27 11:41
栗橋関所と中田宿の模型
2017年06月27日 11:41撮影
0
6/27 11:41
鷹見泉石記念館。もともとは古河藩の武家屋敷でしたが、鷹見泉石が晩年を送った住まいで古河に現存する唯一の武家屋敷です。
0
6/27 11:49
鷹見泉石記念館。もともとは古河藩の武家屋敷でしたが、鷹見泉石が晩年を送った住まいで古河に現存する唯一の武家屋敷です。
0
6/27 11:49
0
6/27 11:50
ここは古河城の出城(出丸)跡で土塁、お堀などが残っています。
0
6/27 11:54
ここは古河城の出城(出丸)跡で土塁、お堀などが残っています。
鮒甘露煮製造元ぬた屋
0
6/27 11:59
鮒甘露煮製造元ぬた屋
御茶屋口跡。徳川将軍が日光社参の時この門を通り御成通を経て古河城に入りました。
0
6/27 12:02
御茶屋口跡。徳川将軍が日光社参の時この門を通り御成通を経て古河城に入りました。
0
6/27 12:05
坂長。店蔵は古河城の文庫蔵を明治期に移築したもの。
0
6/27 12:07
坂長。店蔵は古河城の文庫蔵を明治期に移築したもの。
福法寺山門。旧古河城内の二の丸御殿の入り口にあったとされる乾門で、市内に現存する唯一の城内遺構の門です。
0
6/27 12:10
福法寺山門。旧古河城内の二の丸御殿の入り口にあったとされる乾門で、市内に現存する唯一の城内遺構の門です。
米蔵
0
6/27 12:13
米蔵
JR古河駅。本日の歩きはここまでとします。
0
6/27 12:21
JR古河駅。本日の歩きはここまでとします。
丸満の餃子で完歩い。
0
6/27 12:41
丸満の餃子で完歩い。
古河市マンホール
0
6/27 12:57
古河市マンホール
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する