軍畑駅
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軍畑駅
軍畑駅(2001/8/10)
2001年08月10日 09:10撮影
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8/10 9:10
軍畑駅(2001/8/10)
軍畑駅前の下り
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軍畑駅前の下り
軍畑大橋
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軍畑大橋
河原に降りることができるので、
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河原に降りることができるので、
降りてみる。
厳密な位置は不明だが、ここに軍畑の渡しがあった
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降りてみる。
厳密な位置は不明だが、ここに軍畑の渡しがあった
河原から国道側を。古道のラインが残っている気配はない
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河原から国道側を。古道のラインが残っている気配はない
軍畑駅から多摩川
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軍畑駅から多摩川
軍畑大橋渡って右側に休憩所あり。
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軍畑大橋渡って右側に休憩所あり。
そこに軍畑の渡し解説板あり。
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そこに軍畑の渡し解説板あり。
そこからも河原(多摩川右岸)に降りることができる
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そこからも河原(多摩川右岸)に降りることができる
順路あり(公衆トイレへの道標)
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順路あり(公衆トイレへの道標)
渡し場へつながる古道感が出てくる(単に一度整備された道が荒れてきているのかもしれないが)
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渡し場へつながる古道感が出てくる(単に一度整備された道が荒れてきているのかもしれないが)
三叉路。右に道標があるのでそちらへ進む
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三叉路。右に道標があるのでそちらへ進む
右の石垣は住居跡?
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右の石垣は住居跡?
車道に出る。直進
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車道に出る。直進
右へ
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右へ
県道45号/吉野街道と交差。渡る。
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県道45号/吉野街道と交差。渡る。
角、民家入り口に地蔵
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角、民家入り口に地蔵
左へ
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左へ
水のない水路を渡る。
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水のない水路を渡る。
右へ
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右へ
道なり左カーブ
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道なり左カーブ
鎌倉街道道標
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鎌倉街道道標
道なり右へ
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道なり右へ
右へ
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右へ
水無し水路
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水無し水路
吉川英治記念館への道標
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吉川英治記念館への道標
祠
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祠
右へ
芳賀氏は直進して即清寺山門下を通るルートが消失、としている。
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右へ
芳賀氏は直進して即清寺山門下を通るルートが消失、としている。
左へ
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左へ
水無し水路
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水無し水路
寺社境内を通る事に
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寺社境内を通る事に
即清寺山門
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即清寺山門
左へ下る
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左へ下る
折り返して上る。
山門前の消失ルートは、上り下りの合流点あたりに続いていたか。
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折り返して上る。
山門前の消失ルートは、上り下りの合流点あたりに続いていたか。
左へ明王小橋を渡る
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7/16 14:28
左へ明王小橋を渡る
明王小橋から
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7/16 14:29
明王小橋から
渡ってすぐに左折
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7/16 14:29
渡ってすぐに左折
見返り之句碑?
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見返り之句碑?
第三回鎌倉古道歴訪俳句大会芳吟?
いや、なんとなく「なぜこういうものをどーんと作ったのだろう?」と思った。ダレトク?
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7/16 14:32
第三回鎌倉古道歴訪俳句大会芳吟?
いや、なんとなく「なぜこういうものをどーんと作ったのだろう?」と思った。ダレトク?
芳賀氏は左を指定していると思われる。
右に進んで山際に進む道もあるかもね?と思ったがおそらく行き止まりになっている。
直進するのがそれっぽくない?と選択して進む。
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芳賀氏は左を指定していると思われる。
右に進んで山際に進む道もあるかもね?と思ったがおそらく行き止まりになっている。
直進するのがそれっぽくない?と選択して進む。
右へ
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右へ
岩割りの梅にちょっと立ち寄る
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7/16 14:36
岩割りの梅にちょっと立ち寄る
現、岩割の梅
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7/16 14:37
現、岩割の梅
伐採以前(H24)
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7/16 14:37
伐採以前(H24)
右へ。
この右回りを芳賀氏は書いていないし、今昔マップでも無い感じなのだが。。GoogleMapの過去のイメージを見てもこんなもの。
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右へ。
この右回りを芳賀氏は書いていないし、今昔マップでも無い感じなのだが。。GoogleMapの過去のイメージを見てもこんなもの。
下山八幡神社
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7/16 14:43
下山八幡神社
中道梅園
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7/16 14:46
中道梅園
多少食い違いがあるが直進
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7/16 14:51
多少食い違いがあるが直進
角に石碑。一つは道標であることがはっきりわかる
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7/16 14:52
角に石碑。一つは道標であることがはっきりわかる
向右琴平山ヲヘテ御岳山ニ至ル
左府道ニ通ズ
向左大久野及五日市?
府道は東京府道の青梅街道(東方)として、琴平山は位置不明ながら御岳山は西方に。(西方に向かえば金比羅神社がある)
旧大久野村は、現日の出町西部。梅ヶ谷峠越えでも馬引沢峠越えでも通過しそう。
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7/16 14:52
向右琴平山ヲヘテ御岳山ニ至ル
左府道ニ通ズ
向左大久野及五日市?
府道は東京府道の青梅街道(東方)として、琴平山は位置不明ながら御岳山は西方に。(西方に向かえば金比羅神社がある)
旧大久野村は、現日の出町西部。梅ヶ谷峠越えでも馬引沢峠越えでも通過しそう。
吉野川?
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吉野川?
左へ。
芳賀氏指定の梅ヶ谷峠越え/馬引沢峠越えの分岐点は吉野川渡ってすぐ、なのでこの手前
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左へ。
芳賀氏指定の梅ヶ谷峠越え/馬引沢峠越えの分岐点は吉野川渡ってすぐ、なのでこの手前
左へ
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左へ
ここは左に下らない、と判断したが、芳賀氏の指定は左下れの模様。
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ここは左に下らない、と判断したが、芳賀氏の指定は左下れの模様。
右に進んだので、突き当たりを左折で、
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右に進んだので、突き当たりを左折で、
結局下る
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7/16 15:02
結局下る
町屋橋を渡る
芳賀氏は現橋と違う位置で川を渡る線を描いているが、渡河地点は異なることを示しているか、あるいは旧橋でもその当時は存在したか。
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7/16 15:04
町屋橋を渡る
芳賀氏は現橋と違う位置で川を渡る線を描いているが、渡河地点は異なることを示しているか、あるいは旧橋でもその当時は存在したか。
町屋橋から山屋川
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7/16 15:05
町屋橋から山屋川
歩道消失点
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7/16 15:11
歩道消失点
子育て地蔵尊
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7/16 15:14
子育て地蔵尊
なぜか地図にも無い感じだが水路/川
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7/16 15:14
なぜか地図にも無い感じだが水路/川
左に
これは今昔マップon the web 1894〜1915年でも確認できる旧道
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7/16 15:15
左に
これは今昔マップon the web 1894〜1915年でも確認できる旧道
現道に合流した後も越えて向こう側へ。
(ここは横断歩道がないので、車によーく注意して渡る)
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7/16 15:17
現道に合流した後も越えて向こう側へ。
(ここは横断歩道がないので、車によーく注意して渡る)
再度合流する直前に右へ。
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7/16 15:19
再度合流する直前に右へ。
左の舗装されていない道に入る
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7/16 15:22
左の舗装されていない道に入る
八幡様(とOpenCycleMapに)
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7/16 15:22
八幡様(とOpenCycleMapに)
馬引川渡る
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7/16 15:22
馬引川渡る
馬引川
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馬引川
林業関係”車”以外通行禁止。
馬引沢峠まで1.6Kmの道標はあるから歩けと。
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林業関係”車”以外通行禁止。
馬引沢峠まで1.6Kmの道標はあるから歩けと。
雰囲気は出てくる
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雰囲気は出てくる
右側応急処置っぽいし、倒れた竹が放置されている。
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右側応急処置っぽいし、倒れた竹が放置されている。
大平橋、と名前あり。
応急修理っぽいのが気になる
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大平橋、と名前あり。
応急修理っぽいのが気になる
大平橋から
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大平橋から
ちょっと上りになってはっきりした舗装道に
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7/16 15:33
ちょっと上りになってはっきりした舗装道に
廃屋
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7/16 15:40
廃屋
馬引沢峠まで0.7km
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馬引沢峠まで0.7km
その右手に、近来人が歩いていない風の道筋に道標あり
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7/16 15:40
その右手に、近来人が歩いていない風の道筋に道標あり
どこをさしているかは分からなくなっていた。
(方向的には赤ぼっこが)
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7/16 15:41
どこをさしているかは分からなくなっていた。
(方向的には赤ぼっこが)
橋
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7/16 15:42
橋
木橋が対岸に渡っている。その先の道の存在は不明
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7/16 15:44
木橋が対岸に渡っている。その先の道の存在は不明
橋
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7/16 15:48
橋
馬引沢峠まで0.3km
右手の細道の先は不明
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7/16 15:49
馬引沢峠まで0.3km
右手の細道の先は不明
橋
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7/16 15:49
橋
舗装路で、折り返し道になっているが、芳賀氏はこれを描いておらず、「峠近くの二00メートルほどがV字型の小径になって峻しい」としているので当時の歩道ルートは今と違っていたと思われる。
今昔map on the web を見ると、昔はそもそも馬引川沿いのルートが左岸か右岸かレベルで違って見えるので、古道が残っているも何も無い。1972〜1982年の地図
と見比べると、二枚前の写真の辺りで、左手の尾根に乗っかって現道とラインが異なるので、芳賀氏の記述と合致すると思われる
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7/16 15:51
舗装路で、折り返し道になっているが、芳賀氏はこれを描いておらず、「峠近くの二00メートルほどがV字型の小径になって峻しい」としているので当時の歩道ルートは今と違っていたと思われる。
今昔map on the web を見ると、昔はそもそも馬引川沿いのルートが左岸か右岸かレベルで違って見えるので、古道が残っているも何も無い。1972〜1982年の地図
と見比べると、二枚前の写真の辺りで、左手の尾根に乗っかって現道とラインが異なるので、芳賀氏の記述と合致すると思われる
馬引沢峠
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7/16 15:56
馬引沢峠
馬引沢峠標
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7/16 15:57
馬引沢峠標
進入出来ない玉乃内方向も(距離表示は無いが)指し示している
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7/16 15:57
進入出来ない玉乃内方向も(距離表示は無いが)指し示している
芳賀氏の書に写真がある、和田町名の壊れた道標が残っている。
芳賀氏の探索時は、明治橋/玉ノ内への道標で、峠を越えて玉ノ内方向へ直接降りることができた。
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7/16 15:57
芳賀氏の書に写真がある、和田町名の壊れた道標が残っている。
芳賀氏の探索時は、明治橋/玉ノ内への道標で、峠を越えて玉ノ内方向へ直接降りることができた。
フェンスの向こう。入れないが道は現存している
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7/16 15:58
フェンスの向こう。入れないが道は現存している
右手、天狗岩方向
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7/16 15:58
右手、天狗岩方向
左手二ツ塚峠方向。こちらへ迂回
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7/16 15:58
左手二ツ塚峠方向。こちらへ迂回
分岐点。ここでは道標に従い左へ。
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分岐点。ここでは道標に従い左へ。
再度分岐。先の分岐で右に進んでもフェンス沿いにここに出る。
ここで、フェンス沿いに進む右の登りを選択する。(おそらく左を選択しても後に合流する)
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7/16 16:00
再度分岐。先の分岐で右に進んでもフェンス沿いにここに出る。
ここで、フェンス沿いに進む右の登りを選択する。(おそらく左を選択しても後に合流する)
下りになる。
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7/16 16:02
下りになる。
下りきった地点で先の分岐道と合流する
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7/16 16:03
下りきった地点で先の分岐道と合流する
二ツ塚峠0.5km
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7/16 16:05
二ツ塚峠0.5km
旧二ツ塚峠手前の上り
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7/16 16:14
旧二ツ塚峠手前の上り
旧二ツ塚峠
左:吉野街道
右:日の出町(バス停)
右へ
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旧二ツ塚峠
左:吉野街道
右:日の出町(バス停)
右へ
古い道標
左:現二ツ塚峠、右:吉野街道
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7/16 16:16
古い道標
左:現二ツ塚峠、右:吉野街道
二股に。
左の方が整備されて見える青梅市/日の出町境に沿って進む現二ツ塚峠方向への道
右はフエンス沿いに南下する道。地図によっては右の方だけあったりするが、「みんなの足跡」は左の方だけある。
一度左へ進んだ後、違うな、と判断して右へ。
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7/16 16:17
二股に。
左の方が整備されて見える青梅市/日の出町境に沿って進む現二ツ塚峠方向への道
右はフエンス沿いに南下する道。地図によっては右の方だけあったりするが、「みんなの足跡」は左の方だけある。
一度左へ進んだ後、違うな、と判断して右へ。
古道感があるとも言えるが、途中道というより雨が降った時の水路感が。(石がゴロゴロしていて足の裏に悪い)
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7/16 16:21
古道感があるとも言えるが、途中道というより雨が降った時の水路感が。(石がゴロゴロしていて足の裏に悪い)
崖崩れの跡?
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崖崩れの跡?
秋川街道に出る
秋川街道側からは特に道標無し
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7/16 16:30
秋川街道に出る
秋川街道側からは特に道標無し
歩道のない道を下る
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7/16 16:32
歩道のない道を下る
右手、立石建設鉱業所。
見えないが、玉の内川は近くにあるはず。
古道筋は川沿いの様なので見えない低地いあるか?
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7/16 16:39
右手、立石建設鉱業所。
見えないが、玉の内川は近くにあるはず。
古道筋は川沿いの様なので見えない低地いあるか?
左手、ガードレールの手前側に道があったはずなのだがそう見えない。
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7/16 16:41
左手、ガードレールの手前側に道があったはずなのだがそう見えない。
近寄ってみれば、廃な道がある。
古道筋は秋川街道右手(立石建設敷地内)から来てこの辺りから玉の内集落へ降りていったらしいのだが、そのラインは全く見えなくなっていると思われる。
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7/16 16:41
近寄ってみれば、廃な道がある。
古道筋は秋川街道右手(立石建設敷地内)から来てこの辺りから玉の内集落へ降りていったらしいのだが、そのラインは全く見えなくなっていると思われる。
秋川街道から、玉の内集落端の谷間を撮ろうとしているが、高低差がありすぎるし、あるはずの秋川街道をトンネルで潜る(元?)林道の存在も伺えない。
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7/16 16:42
秋川街道から、玉の内集落端の谷間を撮ろうとしているが、高低差がありすぎるし、あるはずの秋川街道をトンネルで潜る(元?)林道の存在も伺えない。
迂回して秋川街道を進む。
谷間が見えたが、フエンスが見える。どうやら(元?)林道は封鎖されている気配。確かに今"林道"に存在意義はなさそうだが。
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7/16 16:45
迂回して秋川街道を進む。
谷間が見えたが、フエンスが見える。どうやら(元?)林道は封鎖されている気配。確かに今"林道"に存在意義はなさそうだが。
大迂回になって、交差点横断歩道を渡り、左手の道を折り返す。
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7/16 16:49
大迂回になって、交差点横断歩道を渡り、左手の道を折り返す。
左右が古道筋で迂回終了。
一旦左に入り、消失ラインを追求する。
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7/16 16:52
左右が古道筋で迂回終了。
一旦左に入り、消失ラインを追求する。
左に入るとすぐに、「この先行き止まり」の表示あり。
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左に入るとすぐに、「この先行き止まり」の表示あり。
行き止まり表示と、フェンスが見えているが、一応進む
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7/16 16:54
行き止まり表示と、フェンスが見えているが、一応進む
祠あり
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7/16 16:55
祠あり
完全に封鎖されている。封鎖されている道は一応車道幅がある。
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7/16 16:55
完全に封鎖されている。封鎖されている道は一応車道幅がある。
折り返して先の左折地点まで。
左折して玉の内川渡る
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7/16 16:58
折り返して先の左折地点まで。
左折して玉の内川渡る
玉の内川上流端。
おや、これより上流は玉の内川ではなかったのか。
玉の内川はこの地点の上流側で二つに分かれており、川の名前を調べる地図、によれば秋川街道沿いが名称不明、もう一方が塚川となっている
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7/16 16:59
玉の内川上流端。
おや、これより上流は玉の内川ではなかったのか。
玉の内川はこの地点の上流側で二つに分かれており、川の名前を調べる地図、によれば秋川街道沿いが名称不明、もう一方が塚川となっている
車地蔵橋?
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7/16 17:07
車地蔵橋?
川原田橋
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7/16 17:11
川原田橋
川原田橋から
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7/16 17:11
川原田橋から
玉の内橋
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玉の内橋
玉の内橋から
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7/16 17:19
玉の内橋から
左へ
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左へ
左へ
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左へ
(日の出町平井)
西平井交差点。梅ヶ谷峠越えルートとの交点。梅ヶ谷峠越えは右へ。
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7/16 17:25
(日の出町平井)
西平井交差点。梅ヶ谷峠越えルートとの交点。梅ヶ谷峠越えは右へ。
旧西平井橋の親柱。
旧西平井橋の竣工は昭和4(1929)年5月.新橋は平成9(1997)年との事
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7/16 17:27
旧西平井橋の親柱。
旧西平井橋の竣工は昭和4(1929)年5月.新橋は平成9(1997)年との事
梅ヶ谷峠越えルートを歩いた時は左に川沿いを歩いたが、今回は直進してみた。
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7/16 17:27
梅ヶ谷峠越えルートを歩いた時は左に川沿いを歩いたが、今回は直進してみた。
この川の越え方は旧道ラインではない感じ。やはり川沿いが正解。
今昔マップon the web 1894〜1915年だと川沿いの道しかない気配
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7/16 17:34
この川の越え方は旧道ラインではない感じ。やはり川沿いが正解。
今昔マップon the web 1894〜1915年だと川沿いの道しかない気配
日の出団地前交差点。右へ
芳賀氏はこの辺りから右斜めへ進む道が消失、としている。
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7/16 17:41
日の出団地前交差点。右へ
芳賀氏はこの辺りから右斜めへ進む道が消失、としている。
左折
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7/16 17:42
左折
前方で右に曲がっているが、その道が左手に直進していた、というのが芳賀氏の想定消失ルートと思われる。
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7/16 17:43
前方で右に曲がっているが、その道が左手に直進していた、というのが芳賀氏の想定消失ルートと思われる。
左に曲がり、その先は下りの気配。
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7/16 17:49
左に曲がり、その先は下りの気配。
県道と合流、森の下交差点。その先は五日市線踏切。
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7/16 17:50
県道と合流、森の下交差点。その先は五日市線踏切。
左に武蔵増戸駅入り口に入り、山ノ道からは離脱。ゴール地点
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7/16 17:53
左に武蔵増戸駅入り口に入り、山ノ道からは離脱。ゴール地点
武蔵増戸駅。
GPSログ上の終点
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7/16 17:54
武蔵増戸駅。
GPSログ上の終点
武蔵増戸駅(2001/7/31)
2001年07月31日 18:13撮影
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7/31 18:13
武蔵増戸駅(2001/7/31)
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