ヤマレコ

記録ID: 1278825 全員に公開 沢登り奥多摩・高尾

奥多摩倉沢本谷 マイモーズの悪場 ソロ

日程 2017年10月01日(日) [日帰り]
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100均トンカチと曲がったハーケン
2017年10月01日 12:44撮影 by iPhone 7, Apple
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100均トンカチと曲がったハーケン
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感想/記録

  快い、重さのない水の中を泳ぐかのように、バイクは風の中を走る。頬に当たる風が、はためくシーツのように流れていく。秋の空が高いのは、そこに、夏にはあった騒々しさが無いからなのかもしれない。秋の始まりの空のその色は夏を留めていて、それは蝉時雨や、夏のざわめきを思い起こさせる。それなのにそこには何の音もしない。その透明さが、この空を高くしている。
 小さな峠を越え、河沿いの道へと至ると、肌に触れる空気はその質を変える。息を吸うと鼻の奥にその冷気が触れた。山肌沿いの道を進み、トンネルを潜るたびに道沿いの建物の間隔は離れ、家の数は減り、緑がその割合を増していく。左手の谷の底には蓮の葉が水滴を蓄えるように川底が光を弾いている。奥多摩の駅前の最後の信号を右折すると、道は急に狭くなる。すれ違いも難しいその道も、バイクなら快い。行くことしばし。赤い欄干の倉沢橋を過ぎたところにある林道の入り口へとバイクを止めた。メットを外し、一息つく。日差しは柔らかく、風で知らず冷えていたのだろう身体に心地よく降り注ぐ。背筋を伸ばし、仰ぐ樹々から日差しが滲む。 

 ふと、線香の香りがした。バイクを止めた正面にある、岩壁、そこにカップ酒のガラス瓶に入った菊の花があり、その脇には、線香の束があった。線香は墨のついた筆を水につけたように、その煙を空へと溶かし込んでいた。菊は黄色、白、薄桃色で、それぞれ数本ずつ。まだ真新しく、ついさっき備えられたばかりのもののようだ。
 僕はその前に立ち、しゃがみこみ、手を合わせた。
(僕は、あなたを知っているかもしれない。)

 奥多摩倉沢本谷”マイモーズの悪場”。それが僕の目的地だった。沢登りをするもので、その中でもゴルジュに惹かれる篤志家。そんな一握りの人達だけが知り、そしてやってくる、わずか100m足らずの空間がそこにある。たったそれだけの空間に、名が添えられている。それはここが、川苔谷本谷聖滝と並ぶ、奥多摩の最難関課題であるからだ。今年の夏、僕は聖滝を突破し、そしてその自分たちだけがみることのできる美しさ、あらゆる手段を用いて突破を目指す冒険的な精神、そして何よりそこにある自由に魅せられた。沢には手垢のついていない開拓の手触りがある。その時から、聖滝との双璧であるマイモーズに僕は憧れていた。わずか100m足らずのルートに対して、要する時間は5時間ほど。”マイモーズ(かたつむり)”の名が顕すとおり蝸牛の歩みだ。
 今回、僕は単独でやってきている。だからというか安全マージンを稼ぐため、事前に情報を調べてきている。その中のレポートの一つに、F1の落ち口付近で沢屋の死体を見つけた、というものを見つけていた。先程の入渓点で見かけた花は、彼のためのものだったのかもしれない。沢登りにおいて負傷した場合、脱出は困難なものになる。秋の風にゆるんだ心がぎゅっとしまった。

 入渓点はすぐにわかった。ガードレールの谷側に、明確な踏み跡が見いだせる。倉沢本谷はそこから降りてすぐに本流との出会いがある。谷は明るく開けた白い石が転がる本流から、その陽射に満ちた明るい川筋を避けて一歩引いたように薄暗かった。左右から樹々が覆いかぶさりトンネルのようだ。この洞窟に飲み込まれたかのような、陰鬱さと圧迫感は、ゴルジュ独特のものだ。
 わずか数十メートルもいっただろうか、あまりにもあっけなくそれは現われた。あっという間に左右の壁は土から岩へ、川床も小石から岩へ変わり、暗い谷底、その行き止まりにたどり着く。正確に言うならば、マイモーズの悪場、その核心。F1、6m滝その釜へと。
 目の前に滝が流れ落ちている。霧のような水しぶきと、圧倒的な水量からなる音が空間を満たす。周りはぐるりと黒く沈んだ岩の壁に囲まれ、その角度は垂直で、ひと目見て通常の手段で登ることは難しいと目に見える。滝は6mほど上から、ウォータースライダーのようにやや緩い斜度で流れ落ちるが、その斜度と平滑な石床はそこを直登することを拒んでいる。釜は滝の落ち口から半径4mほど扇形に形成され、暗い岩肌に囲まれて、黒い水面に時折木漏れ日からこぼれた光が反射し、天井の樹々の緑が滲む。(万年筆のインクのようだ)、と思った。深さは足がつかない程度はありそうに思える。ひとまず安心する。溺死のリスクはあり、それが最も恐ろしくはあるものの、クライミング中に落下した場合、張り出した岩などもなく、水面に落ちることができればその衝撃で死ぬことはなさそうだ。滝に向かって右側の岩壁には、滝の落ち口へと向かうように斜めのバンドがあり、滝の流路へと折れ曲がっている。どうやらバンド沿いにハーケンを打ち込んでいくようだ。しかし、滝に近いていくと、その先は石床に叩きつけられる可能性がある。あそこから先は落ちれない。大まかなルートは見えた。
 
 3mmのウェットスーツ上下を着込み、さらにその上からカッパを着て袖口を締める。防寒のためだ。既に季節は秋、そう長く水に浸かっていられる訳も無い。ウェットスーツがバイタルエリアを保護し、カッパは体の外に流れる冷たい水が体温を奪うのを防いでくれる。袖口を絞ることで、その内側は水に満たされるが、冷たい水が次々と体温を奪っていくことはなくなるのだ。ハーネスを履き、ギアループに装備を確認しつつセットしていく。アルパインヌンチャクを3本、鉄のハーケンを3枚、100円ショップで買った金槌。120cmのスリングと環付きカラビナ。撤退用にATC。使えるかわからないが、0.3と0.4サイズのカム。そしてアブミを2つ。より小さいカムが欲しかったが、お金が無かった。同様にハンマーもちゃんとしたものを落として以来、100円ショップのものでごまかしている。装備はあまりつけすぎると、重くなるし何より水に落ちた際に石などに絡まり溺死する恐れがある。撤退用の5mの捨て縄や、240mのスリングはバックパックへとしまった。
 装備を整えて、水に入る。思ったよりはウェットスーツが効果を発揮し、寒くない。これは非常に良い情報だ。そう長くは水には浸かっていられないと思っていた。水は一歩ごとに深さを増し、数歩で胸へ、そして足がつかなくなった。軽く泳ぐと取り付きと思しき縦のクラックへとたどり着いた。立泳ぎをしながら、ひとまずここで再度ルートを確認する。やはり斜上するバンドにハーケンを打ち込み、そこにアブミをかけていくようだ。想定ではほとんど残置など無いと思っていたが、見える範囲だけでそのラインに沿って数本のハーケンがあった。合戦場の闘いの後に残された刀達のようだが、興を削がれる。冒険しようと思って入った洞窟のそこかしこに灯りが灯されていたようなものだ。それらはルートを探る楽しみを削るし、時にミスリードになる。だが同時にそれらの存在に安心している自分をみつけ、自分に腹をたてる。ひとまずは水面から上がらなければならない。足で水を掻きながら、手で水中に没した腰あたりのギアループを探り、ハーケンとハンマーを取り出す。目の前にあるクラックにハーケンを添え、打ち付ける。思ったよりは効きがいい。よく効いた時、ハーケンは鳴く。段々とその音が高くなるのだ。そこにアブミをカラビナでかけ、乗り込む。ハーケンが体重を受けて動くが、無闇に動かさなければ乗り込めそうだ。右手でハーケンに近いアブミの上段を掴み、水中の右足を適当な下段に入れ、乗り込んだ。水に重みを増した身体がゆっくりと持ち上がる。身体を上げると左手が小さな岩のでっぱりを抑えることができた。左足を水中から引き上げ、適当に斜面に張る。
 一息つくと、顔から30cmほど右上に残置のハーケンが2枚ある。一枚ずつ両方にアブミをかけ、テスティングをしてみるとユルユルで、手でも抜けてしまいそうだ。思わずニヤリとしてしまう。これだ。マイモーズのリスはどこもハーケンがあまり効かない。甘く決めたハーケンを角度と荷重の分散でごまかして乗り込んで、アブミを使い綱渡りのように進んでいく。それがここの攻略法であり、要求される技術なのだ。
 残置のハーケンの近くに良さそうなリスがあったため、そこにハーケンを打ち込む。不安定な足元に腹筋を効かせて立ち込む。ハーケンを持つ左手は小指の側の肉を岩に押し付けてわずかでも安定の補助とする。リスにわずかずつハーケンが入り込んでいく。いい感じだ。アブミをかけ、ゆっくりと体重をかけるが大丈夫そうだ。それを確認し、アブミに左足をかける。次に、右足を最初のアブミから外し、ハーケンから回収する。次にハーケンを打ち込む場所はすでに決めてある。アブミを掴んで、そちらを見上げる。と、次の瞬間には視界が白い泡で埋まっていた。しっかり決まったと思ったが、荷重の方向が良くなかったのか、抜けてしまい落ちてしまったようだった。口に入ってきた水を吐き出し、取り付きへと戻る。こんなこともあろうかと、最初のハーケンは抜いていない。再度アブミをかけ、先程の位置へと戻る。スっぽ抜けたハーケンがついたままのはずのアブミを取り出すと、そのカラビナにはハーケンがついていなかった。落ちた瞬間にゲートを開けてしまったのか。わからないが、ハーケンを滝壺に落としてしまったらしい。あっという間に先行きが怪しくなってきた。どのみち抜いて処分しようと思っていたサビサビの残置ハーケンを引き抜く。指で引いてみたらかんたんに抜けた。無いよりはマシだろう。再利用させていただく。まともなハーケンを先ほどとは別の位置に打ち付けて乗り込む。その先、アブミの最上段に乗ると届くところに残置ハーケンがあった。そこの他に打ち付けてもかんたんに抜けてしまうので、残置にアブミをかける。テストしてみると大丈夫そうだ。一番最初、水面に上がる時につかったハーケンをこの段階で回収。そして残置にかけたアブミに乗り込んでいく。乗り込むとハーケンはその首を曲げる。抜けないように祈りながら、左右のアブミに体重を預ける。よく見ると、左足は斜めに角度はあるものの、置けそうな場所がある。アブミから足を外し、そこに置いた。これでハーケンへの荷重を軽減できる。おおよそ2mほど上がっただろうか。斜上するバンドの入り口に立ったあたりだ。そこから2度ほどハーケンを打った。最初のものは非常にしっかり決まった上、手前に出っ張った薄い岩と岸壁の隙間に角度が地面に対して垂直に打つことができたためテコの原理が効く。安心して乗り込むことができた。しかし、2度目のハーケンを打ち込んだものに、テストで問題が無かったため乗り込んだ際、硬質の金属音が響き渡った。視界の、隅で、ハーケンの首が動いた。荷重に耐えかねて外れかけたハーケンが、テコの原理と、たまたま荷重に対していい角度になったことでリスの中で引っかかり、その際に岩にぶつかり立てた音だった。そろそろとそのハーケンから足を外し、そっと指でつまむと、僕の体重を支えていたはずのそれは無抵抗に抜けた。そしてそれだけではなかった。どうやら今の衝撃で歪んだらしく、ハーケンはその先端3分の1をぐにゃりと曲げてしまっていた。こうなると役にたつか微妙なところだ。もっと予備を持ってくるんだった。そのハーケンでリスを探し回り、無理矢理に打ち込んだところ、どうやらそこそこ効いている。そろそろと体重の30%ほどを預ける。高さはすでに4mを越えている。壁面は滑り台のようになっている滝の流れの方へと折れ曲がっているため、ここから先は落ちれば滝の滑り台の岩床へと叩きつけられるだろう。角度が悪くなければ打撲程度ですむだろうが、悪ければ骨を折る。ヘルメットをしているとはいえ、頭部への衝撃で気絶したら、あるいは水を飲んでパニックになったらそれだけで人は死ぬ。ましてや自分は単独で助けは無い。そう思うと、冷や汗が出て来る。口の中がねばつく。引き返せる訳もない、単なる鉄の楔に4mの高さでぶら下がったまま、後悔の念が湧いてくる。信用できないハーケンにのせた、30%ほどの体重をそろそろと抜いていく。心を落ち着かせる必要があった。
 この状況は想定の中にあった。実際、今ぶら下がっているたった2〜3cm岩に食い込んでいる一本のハーケンも、しっかり決まったように思えても、もし次のハーケンが抜け、身体が落ちた場合その衝撃荷重には耐えきれない。あっさりと抜け落ちるだろう。その場合、当然滝のある岩床へと叩きつけられる。そう、このルートの後半はわずかでも落ちることが許されないのだ。それは取り付く前からルートを観察した時にわかっていた。
 緊張は視界を狭める。息を落ち着けて、再度視野を広げて他にルートが無いか確認する。と、直上、1mほどに錆びたリングボルトを見つけた。アブミに立ち込み、それに試しにヌンチャクをかけてゆっくりと荷重をかけていく。問題なさそうだ。しかし、ルートからはやや外れている。行き詰まり撤退用か、さらに上からトラバースする際に用いたものだろう。しかし、僕の見立てでは上へ行くのはクラックも少なく、詰みそうでリスキーに思えたし、予定している左上のラインが見えている。更にはその先に、撤退用に使用したのであろう、リングボルトとそれにかかった残置カラビナが見えた。ひとまず、そのリングボルトにPASをかけ、墜落した場合の落下距離及び衝撃を減らすための保険として使うことにした。妥協である。ハーケンやピンは精神安定剤だ。残置が多いだのなんだの格好をつけておいて、これが僕の今のレベルなのだ。
 それでも、思う。僕は行ける。幸い、ハングなどではなく疲労もさして溜まっていない。ここまで来て、技術的・登攀能力は不足していないと確信した。本当にダメならば、ロープもあるため、捨てビナで撤退もできる。乾いた唇は歪められ、笑みを象っていた。
 試みること数回。先の歪んだハーケンは、岩にしっかりと噛み付いた。しかし、角度が良くない。見事にそのリスは手前側、即ち落下方向を向いている。即ち、アブミを踏み、荷重をかけるとかんたんにスっぽ抜けそうに見える。しかしそれでも何度か足を踏み込んでも動く様子はない。これは行くべき時だ。踏み込んだ時に対して、荷重をわずかでも少なくなるように注意すれば可能だ。焦りからの決断ではないことを自らに確認し、僕はそのハーケンへと、乗り込んだ。安定している。そのアブミを掴み、身体をゆっくり、ゆっくりと持ち上げていく。左手斜め上にリングボルトが見えている。届け、届け。念じながら、しかし勢いはつけないようにじりじりとアブミをもった手を伸ばす。と、指先が錆びついて明るいオレンジ色のリングに触れる。寄せる。カラビナをかけ、アブミを握る。濡れた手のひらにそれでも汗を感じる。体重をかける。大丈夫だ。息をつく。一旦手をゆっくりと離し、PASをかけたリングボルトへ戻ると、そっとセルフビレイを外し、新しくかけたアブミへと身体を移した。やった。あともうわずか。すぐ目の前には滝の落ち口があり、その水際から跳ねる飛沫が頬を濡らす。おおよそ2mもいけば落ち口に立つことができるだろう。ここに来て落ちたくはない。身体を持ち上げれば、胸より上は岩棚のようになっていて、立ち込むこともできそうだ。しかし、岩肌はつるつるで濡れていて、靴のフリクションはあまり期待できない。それでも今までと違い、腕でつかめる岩が増えてきている。下手にゆるいハーケンに身を委ねるよりは、クライミングで突破してしまうか。普段ならなんてことのないクライミングでも、精神状態によってあっけなく落ちることがある。落ちないように気負いすぎて身体は強張る。まして今は濡れていて、常に墜落の恐怖に心も身体も軋んでいた。それでも、行かねばならない。アブミは足場として使うため、あとで回収することにしてそのまま残した。目の前の岩を手で覆い、そのフリクションと握力でゆっくりと身体をにじりあげていく。濡れたシューズを、そっと腰のあたりの岩肌に添え、じわじわと置いていく。「暗夜に霜の降る如く」そんな言葉がふっと思い出される。足に荷重が移される。腹筋などの体幹を使い、そっと身体を起こす。勢いを使えばスリップを誘発する。顔から落ちる汗が目に入り、視界が歪む。落ち着け。身体は安定している。さらに一手。頭上の指第一関節ほどのクラックに、狭いが両手の指を3本ずつ引っ掛けることができた。よし。かなりいい姿勢をとることができた。左の下手にキツイ傾斜だがフレーク上の岩が見える。そこに左足をやや大股に開いてあてる。両手指に力をこめ、クラックにできたカチを頼りにそろそろと身体を左へと移していく。と、景色が開けた。ゆっくりと左手でしっかりとした岩を捕まえると、僕は落ち口へと降り立っていた。その小さな釜で、快哉をあげた。緊張がほどけ、代わりに身体中がふわふわとした浮遊感のようなものを感じる。自分一人で突破したのだ。その思いに、胸が満ちる。集中が切れたからか、突然滝の轟音が思い出したように耳を打った。自らが登ってきた場所を、滝から振り返る。それは相変わらず単なる登攀不能の崖にみえる。ここを自分が登ってきたのだ、という想いが口元を緩ませた。
 おおよそ1時間半。たった6mの滝を登るのにそれだけの時間をかけた。それでも、パートナーの登る時間がないため、ずっと早い。ここから先F2〜F4はさして難易度は高くないはずだ。頭上ずっと上には先程渡ってきた倉沢橋が見えている。F1から上がると、そこは小さな釜になっていて、岩の黒さは淡く、カタツムリの体色のように大人しく明るいものになっていた。以前、見つかった沢屋の遺体はこの釜のあたりにあったはずだ。
 それにしても、マイモーズは異様な空間だ。肌色の岩のなめらかな谷底は幅数メーター程度と狭く、くねくねと折り曲がっている。沢屋だけが見ることのできる風景に心が躍る。車が通っている橋の下。そのわずかな空間にこんな冒険と空間が広がっているのだ。F2は歩いていけるような小粒の滝。F3は小さな釜を備えた3mほどの滝。通常容易に巻くように登れるらしいが、落ちた場合のリスクが低いと見えたため、水線を行く。ややハング気味だが体幹でバランスをコントロールできれば全く難しくない。埼玉笛吹川水系のほら貝のゴルジュをフリーで突破したせいか、沢でのボルダーのようなムーブも躊躇が無くなったように思う。自分の成長と勝利の確信にゆるんだ心をF4がしかしあっさり砕いてくれた。F4は4mほどの細い滝だが、通常であれば滝右手のスラブを登攀すると思われた。しかし、もし落ちた場合転がってF3の岩棚に落ちる可能性があり、その場合非常に危険だ。そのため水線で行こうとしたが、増水なのか、その細い滝から吹き降ろされる水に押し流され、釜から滝へ近づけない。釜に飲み込むような反転流はなさそうだが、2度のトライで弾かれ、頭に諦めがよぎる。しかし、右手のクラック伝いに滝壺へ近づいてから、左側へと飛び移るようにした後全力で泳ぐことでなんとか滝壺へとかじりつく。左側の壁に背中を当て、対面、右側の斜面に両足を張って、バックアンドフットの姿勢をとる。しかし、ここから上へよじ登ろうとすると、足を片脚浮かせただけで水に弾かれ、そのすさまじい水圧で釜へと叩き落されそうになる。そのたびに腰と足で必死にバランスをとり振り落とされないようにしがみつく。しかしその過程で突破口を見出した。岩に当てた腰をうねるように動かし、足は両足を突っ張ったままにじることでゆっくりと30cmほど進むことができた。すると、左手が上部にあったカチをつかむことができ、立ち上がることができた。そっと水流から足を、手を、吹き飛ばされないようにコントロールしながら引き上げる。右手はしっかりとホールドを掴むが、右には手を置けないし、斜度もあり濡れて滑る。慎重に高度を上げていく。一度右足が滑ったが、左側に体重を分散していたため滑り落ちることはなく無事に突破した。
 F4を超えると、ゴルジュは直角に折れ曲がり、そうして唐突にそれは終わりを告げる。目の前には林道に続く緩い林の斜面。正面には、30cm程度の浅さの奥多摩らしい沢の渓相。魔法が解けてしまったかのように感じたが、それでも僕は知っている。僕の背後にあった冒険を。日常から断絶したあの空間を。
 そこから5分もせずに、僕は自分のバイクへ戻ってきていた。おおよそ全体で2時間と少しが経過していた。時刻はお昼を周り、陽の光は頭上から降り注ぐ。装備を外そうとして、ふと視線を落とした。陽を浴びてまぶしく光る菊の花束の傍らには、ただ灰だけがあった。
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